歴史改変能力者は世界の裏を日本に生やしたい   作:無異常世界

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第二十話

牧田廉の持ち場から、あの紙がなくなった。

 

朝、作業表を見た後でいつもの場所へ目をやり、そこで初めて気づいた。

 

壁際の板に挟んであったはずの紙がない。

 

《本人が希望しても、現場判断で作業停止あり》

 

《本人が拒否した場合、能力使用を行わない》

 

《静かでも機械は別に見る》

 

何度も書き足して、油のついた指で触って、端が少し丸まっていた紙だ。

 

「班長」

 

「何だ」

 

「紙、どこやりました」

 

班長は振り向きもしなかった。

 

「捨てた」

 

牧田は一瞬黙った。

 

「は?」

 

「嘘だよ」

 

班長が机の下から新しい紙を二枚出した。

 

牧田は近づく。

 

同じことが書いてある。

 

字は前より読みやすい。

 

ただし、一字一句同じではなかった。

 

《静かでも機械は別に見る》だけは、そのまま残っている。

 

「何で二枚あるんですか」

 

「一枚しかないからだよ」

 

「答えになってません」

 

「汚れたら終わりだろ」

 

班長は一枚を牧田へ渡した。

 

「向こうの旋盤にも置く」

 

「俺、向こう使わないですよ」

 

「お前が使う時だけ読む紙じゃなくなった」

 

牧田は紙を見た。

 

昨日までと同じことしか書かれていない。

 

けれど、置かれる場所が増えるらしい。

 

先輩が横から覗き込んだ。

 

「俺の字、消えてる」

 

「読めなかったからな」

 

「ひどい」

 

「内容は残した」

 

牧田は二枚を重ねた。

 

「これ、決まりにするんですか」

 

班長がようやく顔を上げた。

 

「うちのな」

 

「会社の?」

 

「そこまで知らん」

 

「じゃあ何ですか」

 

「今ここで働く時のだよ」

 

班長は当然のように言った。

 

それ以上でも、それ以下でもないらしい。

 

牧田は少し考えてから、片方の紙を向こうの板へ挟みに行った。

 

* * *

 

その日の仕事は、牧田がいなくても途中までは進んでいた。

 

前日に休んだ分の品物が、作業台の横へ並んでいる。

 

牧田が一本を取った。

 

「これ、昨日やったんですか」

 

先輩が頷く。

 

「やった」

 

「俺なしで?」

 

「お前、いなかっただろ」

 

「どうやって」

 

「送り落として、二回に分けた」

 

加工面を見る。

 

悪くない。

 

時間はかかっただろうが、品物にはなっている。

 

牧田はもう一本取った。

 

それも同じだった。

 

「できるじゃないですか」

 

「できるよ」

 

先輩はあっさり言った。

 

「遅いけど」

 

牧田は少しだけ面白くなかった。

 

自分の手を使えば、もっと早く、もっと楽に通せる部分だった。

 

それがなくても仕事は終わっている。

 

班長が後ろから言った。

 

「何だ。不満か」

 

「別に」

 

「顔が別にじゃない」

 

「俺いる意味なくないですか」

 

先輩が吹き出した。

 

「極端だな、お前」

 

班長は笑わなかった。

 

作業台の品物を一本持ち上げる。

 

「お前がいれば早い仕事はある」

 

一本置く。

 

「お前がいないと止まる仕事にはしない」

 

牧田は黙った。

 

「逆も同じだ。機械見る奴が休んだら、お前だけで回すのか」

 

「回さないです」

 

「俺が休んだら?」

 

「代わりの責任者に聞きます」

 

「そういうことだ」

 

牧田は並んだ品物を見た。

 

能力を仕事にしたかった。

 

使わせてもらう見世物ではなく、自分の持ち場の技術として扱ってほしかった。

 

だから、必要とされるのは嬉しい。

 

いないと何もできないと言われたら、たぶんもっと嬉しいと思っていた。

 

けれど実際にその形を想像すると、少し違った。

 

自分が熱を出しただけで止まる。

 

手が使えない日が来たら止まる。

 

辞めたら止まる。

 

それは仕事というより、人一人へ機械を縛りつけている。

 

「今日のは?」

 

牧田が聞いた。

 

先輩が次の材料を指した。

 

「普通に一回やる」

 

「鳴いたら?」

 

「見る」

 

「それでも使った方がいいなら?」

 

「お前に聞く」

 

班長が続けた。

 

「使ってる間はこっちで測る」

 

牧田は少し笑った。

 

「面倒ですね」

 

「前も聞いた」

 

「じゃあ分かってるでしょう」

 

「分かってる。仕事だ」

 

機械が回り始めた。

 

* * *

 

最初の一本は、普通に削れた。

 

二本目で、細い鳴きが出た。

 

先輩がすぐに送りを落とす。

 

牧田はまだ触らない。

 

班長が固定側を見る。

 

測る。

 

前に見つかった遊びは出ていない。

 

工具も見る。

 

材料も見る。

 

「牧田」

 

呼ばれて、牧田が近づく。

 

「使えるか」

 

牧田は右手を開いた。

 

今日は変な重さも残っていない。

 

「使います」

 

「分かった」

 

それで決まった。

 

誰かが牧田の代わりに、能力を使うかどうかを決めたわけではない。

 

牧田が使うと言った。

 

その上で、機械を回していいかは現場が決める。

 

先輩が位置につく。

 

班長は測定側を見る。

 

牧田が固定側へ手を置いた。

 

振動が掌へ入る。

 

細かい周期。

 

癖のある揺れ。

 

意識を合わせる。

 

機械の音が変わる。

 

耳障りだった細い鳴きが落ちる。

 

工具が材料へ入る。

 

先輩は音だけを見ない。

 

手元を見る。

 

班長も静かになったから安心しない。

 

数値を見る。

 

牧田は自分の手に集中する。

 

三人とも、同じものを見ていなかった。

 

だから同時に仕事ができた。

 

「そこまで」

 

先輩が工具を逃がす。

 

牧田も手を離した。

 

回転が落ちる。

 

品物を外す。

 

測る。

 

加工面を見る。

 

「通った」

 

先輩が言った。

 

牧田も見る。

 

自分の能力は確かに効いた。

 

昨日、自分がいなくても品物はできた。

 

今日、自分がいたから別のやり方で早く通った。

 

どちらも本当だった。

 

「次もこれで?」

 

牧田が聞く。

 

班長は首を振った。

 

「次は次を見て決める」

 

「毎回ですか」

 

「毎回だ」

 

「面倒ですね」

 

今度は先輩が先に言った。

 

「仕事だ」

 

三人で笑った。

 

* * *

 

昼を少し過ぎた頃、知らない男が一人、班長と一緒に入ってきた。

 

作業服を着ている。

 

牧田の会社の人間ではない。

 

男は機械より先に、板へ挟まれた紙を見た。

 

「これですか」

 

「これ」

 

班長が答える。

 

男は紙を外さず、その場で読む。

 

《本人が希望しても、現場判断で作業停止あり》

 

《本人が拒否した場合、能力使用を行わない》

 

《異常時は使用前に通常確認。使用後も原因確認を省略しない》

 

《静かでも機械は別に見る》

 

男が最後の一行で少し笑った。

 

「急に言葉が雑ですね」

 

牧田が言った。

 

「俺が書きました」

 

「あなたが牧田さん?」

 

「そうです」

 

男は少し姿勢を直した。

 

牧田は嫌な予感がした。

 

「見せませんよ」

 

「何をですか」

 

「能力」

 

男が慌てて手を振った。

 

「いや、今日はそれを見に来たんじゃないです」

 

「じゃあ何ですか」

 

「うちでも、仕事中に能力を使う人が出たんです」

 

牧田は紙を見た。

 

男も見る。

 

「それで、こういうのを作った方がいいのかと思って」

 

班長が言った。

 

「作るのは勝手だが、これを丸ごと持っていくなよ」

 

男が困った顔をした。

 

「参考にしに来たんですが」

 

「参考はしろ。答えにするな」

 

「何が違うんです」

 

班長は牧田を指した。

 

「これは牧田と、ここの機械と、ここで起きた失敗の紙だ」

 

次に自分を指す。

 

「俺が止める範囲も、ここの仕事だから決められた」

 

男は少し考えた。

 

「じゃあ、何を持って帰ればいいんですか」

 

「それを聞きに来たんだろ」

 

班長は紙を外した。

 

「まず、お前んところの本人に聞け」

 

牧田が言う。

 

男がこちらを見る。

 

「使いたいか、使いたくないか」

 

「はい」

 

「でも、それだけで機械回していいかは決めない」

 

班長が続ける。

 

「身体のことを本人だけで決めさせるな。ただし身体が平気だからって仕事が安全とは限らん」

 

先輩が横から言った。

 

「能力で静かになったら、普通の故障が消えたと思うな」

 

「それ、全部書いた方がいいですか」

 

牧田は首を傾げた。

 

「そっちの能力、静かにするんですか」

 

「いや、違います」

 

「じゃあ最後のはそのまま書いても意味ないでしょう」

 

男が「あ」と言った。

 

班長が笑う。

 

「だから丸ごと持っていくなって言ったんだ」

 

男は紙と鉛筆を出した。

 

書き始める。

 

一行書いて、止まる。

 

「本人が使うか決める」

 

牧田が口を挟む。

 

「使わないって言える、も」

 

男が書き足す。

 

「現場は現場で止められる」

 

班長が言う。

 

また書く。

 

「普通の故障とか安全確認を飛ばさない」

 

先輩が言う。

 

男はそこまで書いて、紙を見た。

 

「これなら、うちでも考えられそうです」

 

「考えろ」

 

班長が答えた。

 

「こっちと同じにするな」

 

男は頷いた。

 

その時、少し離れたところにいた拓真が目に入ったらしい。

 

「相良さんって、あの人ですか」

 

牧田が振り向く。

 

拓真は今日も床の線の外にいた。

 

「そうです」

 

男が声を落とした。

 

「詳しい人だって聞いたんですけど」

 

牧田は先に言った。

 

「この人、うちのこと何も決めてませんよ」

 

拓真が聞こえたらしく、すぐ頷いた。

 

「はい」

 

男が戸惑う。

 

「でも、こういうのを最初に――」

 

「俺じゃないです」

 

拓真は線を越えないまま答えた。

 

「ここで使うやり方を決めたのは、ここで働いてる人です」

 

「じゃあ、相良さんは何をしてるんですか」

 

拓真は少し考えた。

 

「今は見せてもらってます」

 

牧田が言った。

 

「たまに紙運んだりもしてます」

 

「それ必要ですか」

 

「人手はあった方がいいでしょう」

 

拓真が真顔で答えたので、男が笑った。

 

牧田も笑った。

 

* * *

 

夕方、男が帰った後で、班長は清書した二枚のうち一枚を牧田へ渡した。

 

「向こうへ持ってってくれ」

 

「俺が?」

 

「お前の持ち場だろ」

 

牧田は受け取った。

 

「さっきは俺の紙じゃないみたいなこと言ってたじゃないですか」

 

「お前だけの紙じゃないとは言った」

 

「面倒くさいですね」

 

「仕事だ」

 

それももう三回目だった。

 

牧田は紙を持って向こうの板へ行く。

 

挟む。

 

少し曲がっていたので直す。

 

その下では、明日の作業表が新しく差し替えられていた。

 

牧田の名前がある。

 

能力を使う、と書いてあるわけではない。

 

今日と同じだった。

 

必要なら使う。

 

使わない方がいいなら使わない。

 

休めば別のやり方で進む。

 

それでも自分の手が役に立つ日はある。

 

牧田は作業表を見てから、紙をもう一度押さえた。

 

「これでいいか」

 

後ろから拓真が聞いた。

 

牧田は振り向く。

 

「何がですか」

 

「俺、そろそろ別のところへ行こうと思ってるんですけど」

 

「勝手に行けばいいでしょう」

 

「冷たいな」

 

「何か困るんですか」

 

拓真は工場の中を見る。

 

回っている機械。

 

紙。

 

班長。

 

先輩。

 

別の持ち場で働く人間。

 

「困らないです」

 

「じゃあいいじゃないですか」

 

牧田は工具箱を閉じた。

 

拓真が少し笑う。

 

「次に来た時、これ、残ってますかね」

 

牧田は壁の紙を見る。

 

「知らないですよ」

 

「ですよね」

 

「もっといいやり方あったら、変えるでしょうし」

 

「なくなるかもしれない」

 

「必要なくなったら捨てます」

 

拓真は一瞬だけ黙った。

 

それから、嬉しそうに笑った。

 

牧田には、またその理由がよく分からなかった。

 

「何ですか」

 

「いや」

 

「また変な顔してますよ」

 

「残すことまで俺が決めなくていいんだなと思って」

 

牧田は眉をひそめた。

 

「当たり前でしょう」

 

「はい」

 

「次来ても、勝手に紙増やさないでくださいね」

 

「分かってます」

 

「見るなら線の外で」

 

拓真が足元を見る。

 

最初に来た日と同じ線が引かれている。

 

「それも分かってます」

 

牧田は手を上げた。

 

「じゃあ、お疲れさまです」

 

「お疲れさまです」

 

それで別れた。

 

工場はそのまま終業まで動いた。

 

* * *

 

工場を出た後、拓真にはもう一つだけ寄る場所があった。

 

仕事場とは別の、荷を置く場所だった。

 

紹介した人間からは、妙な戻り方をする通路がある、とだけ聞いている。

 

原因も、いつからそうなったのかも、まだきれいには分かっていない。

 

拓真が着いた時、入口では三人が準備をしていた。

 

床際に、二つの小さな印が離して置かれている。

 

同じ組として扱っているらしい。

 

片方を持ち上げようとした若い男へ、年上の男がすぐ言った。

 

「片方だけ動かすな」

 

「こっち邪魔なんですけど」

 

「じゃあ荷をずらせ」

 

「印の方が軽いですよ」

 

「軽い方を動かして面倒になったから、こうしてんだよ」

 

若い男は手を離した。

 

拓真は少し離れて見ていた。

 

年上の男が奥を指す。

 

「入るの二人」

 

「二人」

 

別の一人が答える。

 

「外に一人」

 

「一人」

 

「戻りの角、見えるか」

 

「見える」

 

「灯り」

 

「ついてる」

 

若い男が言った。

 

「印あるんだから、人数まで毎回数えなくてもよくないですか」

 

年上の男が即答した。

 

「印は印だ」

 

「でも」

 

「人は人で数える。角は角で見る。灯りは灯りで見る」

 

「面倒だなあ」

 

「戻れなくなるよりましだ」

 

拓真は、つい笑いそうになった。

 

その言い方を、今日一日で何度も聞いた気がしたからだ。

 

年上の男が拓真に気づく。

 

「あんた、相良さん?」

 

「はい」

 

「見に来た人?」

 

「そうです」

 

「じゃあ、そこ立って」

 

指されたのは入口脇だった。

 

拓真が移動する。

 

「何すればいいですか」

 

「灯り見てて。消えたら言って」

 

「分かりました」

 

それだけだった。

 

拓真は灯りを見る。

 

二人が奥へ入る。

 

年上の男が人数を数える。

 

別の一人は角から目を離さない。

 

床際には、名前も分からない二つの印が置かれたままだ。

 

少しして、奥から足音が戻ってきた。

 

一人。

 

二人。

 

「二人戻り」

 

「角、変わりなし」

 

拓真も言う。

 

「灯り、ついてます」

 

年上の男が頷く。

 

「よし」

 

若い男が息を吐いた。

 

「これ、何て呼ぶんですか」

 

拓真が床際の二つを指して聞いた。

 

三人が顔を見合わせた。

 

「何って?」

 

「名前です。あの二つ」

 

若い男が言う。

 

「こっちの印と、向こうの印」

 

「それ名前じゃないだろ」

 

「通じてるじゃないですか」

 

別の一人が言った。

 

「帰りのやつ、でいいだろ」

 

「それも雑だな」

 

年上の男は少し考えたが、結局首を振った。

 

「名前なんか後でいい。戻れる方が先だ」

 

「そういうものですか」

 

拓真が聞く。

 

「そういうもんだろ」

 

男は次の荷を見た。

 

「相良さん、もう一回灯り頼む」

 

「はい」

 

拓真はまた入口脇へ立った。

 

何かそれらしい名前を思いつくことはできた。

 

もっと整った手順にする案だって、考えようと思えば考えられる。

 

けれど、今ここで必要なのはそれではなかった。

 

二つの印を置いたのも。

 

人数を別に数え始めたのも。

 

角を見る人間を残したのも。

 

灯りを確認するようになったのも。

 

拓真ではない。

 

「入るの二人」

 

「二人」

 

「外一人」

 

「一人」

 

「角」

 

「見てる」

 

「灯り」

 

拓真は目の前の明かりを見た。

 

「ついてます」

 

「よし。行くぞ」

 

人がまた奥へ入っていく。

 

名前のない二つの印は、床際に残った。

 

ここまででちゃんと面白いですか?

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  • 面白くない寄りの面白くない
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