歴史改変能力者は世界の裏を日本に生やしたい 作:無異常世界
灰色の布が店へ戻ってきたのは、翌日の昼前だった。
材木を扱う男が、布より先に紙を台へ置いた。
継ぎあり。
片寄せるな。
昨日、店の男が大きく書いた紙だった。
端が泥で汚れている。
「どうだった」
店の男が聞く。
「使えた」
「落とした?」
「落としてない」
「じゃあ何だ、その顔」
男は少し黙ってから、灰色の布を台へ広げた。
修理された角に新しい泥が付いている。
破れは増えていない。
「途中で別の奴に持たせた」
店の男の顔が変わった。
「紙は」
「渡した」
「読ませた?」
「見せた」
「読ませた?」
「……そこまで言うか?」
「言う」
男は頭を掻いた。
坂の下で短い材木を運んだ。
最初は自分が持った。
次に、同じ仕事をしていた男へ渡した。
紙も一緒に渡した。
だが、荷を結び直す時、紙は邪魔だからと脇へ置かれた。
修理された角がどこかは、見れば分かると思った。
分からなかった。
「持ち上げた時に傾いた」
「だから書いたんだろ」
「落としてないって」
「落とす前なら何してもいいのか」
「そうは言ってない」
「手は?」
「挟んでない」
「挟みそうには?」
男が黙る。
店の男は舌打ちした。
拓真は少し離れた棚の横にいた。
昨日から預かっている小さな包みを見に来たわけではない。
朝、上へ回す荷を下ろすのを手伝って、そのまま店へ寄っただけだった。
紙を見た。
布を見る。
昨日、店の男は言っていた。
途中で別の人間が持つかもしれないから、紙も一緒に持っていけ、と。
その通りになった。
しかも、紙は一緒に行った。
それでも足りなかった。
「紙、布に付けといた方がいいんじゃないですか」
拓真が言うと、店の男はすぐ返した。
「付けても外す奴は外す」
材木を扱う男が言う。
「濡れたら読めなくなる」
「じゃあ口でも言え」
「毎回?」
「毎回」
「面倒だな」
「落とすよりましだろ」
そこへ、入口から別の声がした。
「だから、もう貸すなって言ってるんだ」
数日前から、余り谷の奥を閉めた方がいいと言っていた男だった。
今日は山の話ではなく、灰色の布を見ている。
「昨日の今日だぞ」
「事故ってない」
材木を扱う男が言い返す。
「事故りそうになってるだろ」
「使えたのも本当だ」
「使えるから何でも回していいのか」
「誰も何でもとは言ってない」
店の男が間へ入る。
「俺の店で貸す物の話だ」
「だから、お前だけで決めるなって言ってる」
「じゃあ誰が決めるんだよ」
「一回、全部止めてから決めりゃいい」
「何を全部だ」
男は店の棚の下を指した。
灰色の布。
昨日の若い男が持ってきた、小さな包み。
その横に、普通の農具の替刃と縄と油紙が並んでいる。
「そういう変な物だよ」
「何が変な物か、誰が分ける」
「またそれか」
「昨日、青い布まで持ってきた奴がいただろ。あれも止めるのか」
「止めればいい」
「本物かどうかも分からんぞ」
「分からんから止めるんだよ」
材木を扱う男が鼻で笑った。
「じゃあ石も止めろ。山の石が明日変になるかもしれん」
「屁理屈言うな」
「お前が全部って言ったんだろ」
また声が大きくなる。
拓真は口を挟まなかった。
昨日までなら、自分も何か言いたかったかもしれない。
本物の異常物品が出た。
なら調べるべきだ。
記録するべきだ。
危ないなら管理するべきだ。
全部、間違いではない。
けれど今、目の前で揉めているのは、異常物品が存在するかどうかではなかった。
誰が持つか。
誰が貸すか。
どこまで止めるか。
危ないと知っていた人間が、次の人間へ何を渡すか。
本物だったから、その先が増えていた。
* * *
寺崎綾子が来た時には、店の前に人が増えていた。
「今度は何ですか」
鞄を持ったまま聞く。
店の男が灰色の布を指した。
「昨日のやつ」
「荷が軽くなる布?」
寺崎も既に話は聞いていた。
「使って、傾いた」
閉めたい男が言う。
材木を扱う男がすぐ訂正する。
「使えた。途中で別の奴が、継ぎの場所をちゃんと見ないで持った」
「危なかったんでしょう」
「それはそう」
寺崎は布より、台の上の紙を先に見た。
「この紙は一緒に行ったんですか」
「行った」
「戻ってきた」
「見れば分かる」
寺崎は紙を手に取った。
泥で汚れた端を見る。
「途中で外した?」
「荷を結び直す時に」
「誰が」
材木を扱う男が名前を言った。
寺崎は小さな手帳を開いた。
「書くのか」
「誰が使ったかくらいは」
「何でも資料館に残す気か」
閉めたい男が聞く。
寺崎は顔を上げた。
「何でもは残しません」
「じゃあ、こういう物を資料館で預かれないのか」
「嫌です」
即答だった。
男が目を瞬く。
「何でだよ」
「何をする物か全部分からない物を、紙と木の資料がある所へ集めたくありません」
店の男が笑った。
「正しい」
「笑うところじゃないです」
寺崎は続けた。
「それに、資料館で預かったら、私が使っていいか決めるんですか」
「詳しいんだろ」
「昔の記録には詳しいです。荷を軽くする布の安全な使い方は、昨日初めて見た人たちと同じくらいしか知りません」
閉めたい男は納得していない。
「じゃあ、誰か一人決める人を作らないと駄目だろ」
「何を決める人です?」
「そういう物を使っていいか」
「山の道も?」
「それも」
「診療所で変なことが起きたら?」
「それも……」
そこで少し止まった。
寺崎は首を傾げた。
「医者より、その一人が決めるんですか」
「そういう意味じゃない」
「じゃあ、全部は無理でしょう」
材木を扱う男が笑う。
「ほら」
「お前は黙ってろ」
寺崎は手帳へ、さっき聞いた名前だけを書いた。
店の男が聞く。
「じゃあ何残す」
「昨日、この布がどこから来たか。誰が最初にここへ持ってきたか。今日、誰が借りて、どういうことがあったか」
「使っていいかは?」
「私は決めません」
「危ないかは?」
「分かる範囲なら書きます」
「同じじゃないのか」
「違います」
寺崎は紙を台へ戻した。
「『継ぎの側へ重さが残って傾いた』は書けます。『この布は安全です』は書けません」
拓真は、そこで少し笑いそうになった。
寺崎がすぐ気づく。
「何ですか」
「いや」
「またですか」
「昨日の紙が、もう足りなくなったなと思って」
「嬉しそうに言わないでください」
「すみません」
「反省してないでしょう」
「ちょっとしてます」
店の男が横から言った。
「こいつ、変なこと増えると喜ぶぞ」
「知ってます」
「知ってるんですか」
拓真が聞くと、寺崎は呆れた顔をした。
「何日一緒にいると思ってるんですか」
* * *
昼を過ぎた頃、見慣れない男が一人、店へ入ってきた。
背広ではない。
作業着でもない。
手には何も持っていない。
店の棚より、人の顔を先に見た。
「ここで、変わった古物を見るって聞いたんですが」
店の男が嫌そうな顔をした。
「また誰から聞いた」
男は名前を言った。
店の男はすぐには答えなかった。
昨日、灰色の布を持ってきた男が言った紹介元とは別だった。
だが、聞いたことはあるらしい。
「狩野です」
男が名乗る。
寺崎が少しだけ顔を上げた。
「狩野真一さん?」
「そうです」
「知ってるんですか」
拓真が小さく聞く。
「名前だけ」
狩野も寺崎を見る。
「資料館の寺崎さん」
「どうして知ってるんですか」
「古い物の出所を聞くと、たまに名前が出る」
「私は物を売ってません」
「知ってます」
その言い方が、寺崎にはあまり気に入らなかったらしい。
狩野は台の上の灰色の布へ視線を落とした。
「これですか」
「触るなよ」
店の男が先に言う。
狩野は手を止めた。
「触る前に聞け、ですか」
「誰から来たか。何する物か。分かってる危ない所。そこから」
「なるほど」
「何がなるほどだ」
「もう決めてるじゃないですか」
「何を」
「買う時に聞くこと」
店の男は顔をしかめた。
「昨日決めただけだ」
「それで十分です」
狩野は灰色の布の横にある紙を読む。
継ぎあり。
片寄せるな。
「この紙も付いてくる?」
「貸す時は」
「売る時は?」
店の男が少し考えた。
「売るなら、なおさら付けるだろ」
狩野が頷く。
「じゃあ値が付く」
寺崎が眉を寄せた。
「紙に?」
「布にです。紙がある方が」
「危ないところを書いた紙ですよ」
「だからです」
狩野は灰色の布を見たまま言う。
「何ができるかだけじゃなく、どこが駄目か分かってる物の方が、知らない物より売りやすい」
閉めたい男が口を挟んだ。
「売る前提で話すな」
狩野はそちらを見る。
「売らないなら、俺は関係ないです」
「危ない物を外へ回すなって言ってる」
「危ない物なら、なおさら誰が持ってるか分かる方がいいでしょう」
「金で回せば増えるだろ」
「隠して勝手に回るよりはましだと思いますけど」
「お前みたいなのが回すんだろ」
「金になるなら」
狩野は否定しなかった。
空気が少し変わった。
善意だけで来た人間ではない。
拓真には、それがむしろ分かりやすかった。
狩野は灰色の布を欲しがっている。
正確には、灰色の布を欲しがる誰かへ繋げられると思っている。
危険を減らしたいから来たわけではない。
地域を守りたいからでもない。
それでも、来歴と危険を書いた紙には価値があると言う。
理由が違う。
結果の一部だけが重なる。
寺崎が聞いた。
「出所が分からない物は?」
「値を下げるか、扱わない」
「危険が分からない物は?」
「試せるなら試す。試せないなら、それも値段に入れる」
「危ないかもしれないから高くするんですか」
「逆です。俺が持つ分を引く」
店の男が少し笑った。
「同じことやってるな」
「商売だから」
「俺も商売だ」
「なら話が早い」
閉めたい男が苛立った。
「二人で勝手に決めるな」
狩野がそちらを向く。
「俺が決めるのは、俺が買うかどうかだけですよ」
「外へ持っていくかもだろ」
「売った人が売ると決めたら」
「それを止める奴がいないって話してるんだ」
「盗品なら警察でしょう」
「そういう話じゃない」
「怪我したら医者です」
「だから、そうじゃなくて」
狩野は少し考えた。
「じゃあ、何の権限が欲しいんです?」
男は答えなかった。
店の中が静かになる。
拓真は、その問いが妙に残った。
変な物だから。
普通ではないから。
だから、それだけを理由に全部へ通用する権限が一つ必要になる。
そう考えると、確かに分かりやすい。
けれど、灰色の布を今日借りる人間と、余り谷の道を毎日使う人間と、古い記録を残す寺崎と、金を出す狩野では、欲しいものが最初から違う。
一つにした方が、かえって何かを落とす。
* * *
話が動いたのは、寺崎が灰色の布の紙を二枚に写し始めてからだった。
「何してる」
店の男が聞く。
「一枚はここ」
「もう一枚は?」
「私が持ちます」
閉めたい男が少し満足そうな顔をした。
「じゃあ資料館で管理するんだな」
「違います」
すぐ否定された。
「布は持ちません。売る許可も出しません。昨日どこから来て、今日どう使われたかの写しだけです」
狩野が覗き込む。
「物が外へ行っても、ここに来歴が残る」
「そうです」
「それ、売る時に見せてもらえます?」
「何で」
「本当にここを通った物か分かるから」
寺崎は嫌そうな顔をした。
「商売に使うんですね」
「記録は使うために残すんでしょう」
「あなたの使い方だけじゃありません」
「知ってます」
「分かってなさそう」
店の男が吹き出した。
狩野は笑わない。
「じゃあ、見せるかどうかは寺崎さんが決めればいい」
「当然です」
閉めたい男が言う。
「でも、それだけじゃ危ない物は止まらん」
材木を扱う男が返した。
「止めたいなら、お前は借りなきゃいい」
「他人が怪我するだろ」
「じゃあ、危ないって分かってることは渡す」
店の男が紙を叩いた。
「貸す時に口で言う。紙も付ける。途中で別の奴へ渡すなら、そいつにも言う」
「守る保証は?」
「ない」
「駄目じゃないか」
「保証なんか誰ができるんだよ」
店の男は灰色の布を畳みながら言った。
「だから、守らなかった奴の名前は残す」
材木を扱う男が嫌な顔をした。
「俺もか」
「お前もだ」
「まだ事故ってない」
「紙外しただろ」
「俺じゃない」
「途中で渡したのお前だろ」
「そこまで俺かよ」
狩野が口を挟んだ。
「それ、俺は欲しいですね」
「何が」
「誰に渡したか」
「また値段か」
「信用です」
「同じだろ」
「だいたい同じです」
寺崎がため息をついた。
拓真は笑った。
閉めたい男だけは笑わなかった。
「山の方はどうする」
その一言で、全員の視線が少しだけ奥へ向いた。
店の外から、余り谷の山が見える。
寺崎が答えた。
「山は山です」
「布と同じ紙にしないのか」
「しません」
「何で」
「布を返せば、山の沢が減るんですか」
男は黙った。
「山で決めたことは、山を使う人たちの紙に残す。布のことは布の紙に残す。関係が見つかったら、その時に繋げます」
狩野が言う。
「俺は山いらないです」
材木を扱う男がすぐ返した。
「俺はいる」
「だから分ければいい」
店の男が言った。
「やっと一個合ったな」
誰と誰が合ったのかは、よく分からなかった。
ただ、一枚へ全部を書く案は消えた。
* * *
夕方までに、店の板の周りへ紙が増えた。
余り谷の奥へ入る前に、外から沢筋を見る紙。
灰色の布へ付ける、継ぎあり、片寄せるな、と書いた紙。
店の帳面には、誰から買い、誰へ貸したか。
寺崎の手帳には、持ち込まれた日と紹介元と、今日起きたことの写し。
狩野は自分の手帳へ、店の場所と灰色の布のことを書いた。
寺崎は、それを見て言った。
「勝手に私の名前を書かないでください」
「書いてません」
「本当ですか」
「店のことだけです」
店の男が言う。
「俺の名前まで勝手に広げるなよ」
狩野が頷いた。
「場所と、ここを通ったってことだけにします」
「それならいい」
「何がいいんだよ」
また少し笑いが起きた。
昼からずっと揉めていた閉めたい男は、最後まで納得したわけではなかった。
「俺は、もっと止めた方がいいと思ってるからな」
帰る前に、そう言った。
店の男も頷いた。
「俺は使える物は使う」
材木を扱う男が言う。
「俺は明日も借りる」
寺崎は手帳を閉じた。
「私は残します」
狩野は灰色の布を見る。
「売るなら声かけてください」
「売らん」
「値段次第でしょう」
「帰れ」
「また来ます」
誰も同じ考えにはならなかった。
それでも、狩野が店を出る時、店の男は呼び止めた。
「待て」
「何です」
「昨日みたいに、何するか分からん物が来たら、お前のとこで見るか」
狩野は少し考えた。
「物による」
「何でもじゃないのか」
「何でも買ってたら俺も潰れます」
昨日、自分が言ったのとほとんど同じだった。
店の男は嫌そうな顔をした。
「じゃあ、分からん時に一回聞く」
「聞くだけなら」
「金取るなよ」
「内容による」
「もういい、帰れ」
狩野は今度こそ帰った。
拓真は、その背中を見送った。
寺崎が横から言う。
「また嬉しそうですね」
「分かります?」
「分かります」
拓真は店の板を見る。
同じ印は付いていない。
同じ帳面でもない。
誰か一人の許可欄もない。
山のことを聞くなら、この辺の人間がいる。
昔の記録なら寺崎がいる。
物を売るなら店の男がいる。
もっと先へ回すなら、狩野という男がいる。
怪我をすれば、医者へ行く。
盗んだ物なら、普通に警察の話になる。
何も一つにはなっていなかった。
けれど、完全にばらばらでもなくなっていた。
次に何か変な物が来た時。
誰へ聞けばいいかを知っている人間が、昨日より少し増えた。
「こういうのが、欲しかったんですか」
寺崎が聞いた。
拓真は少し考えた。
「たぶん」
「組織みたいなの?」
「いや」
拓真は首を振った。
「むしろ、今の方がいいです」
「何で」
拓真はすぐには答えなかった。
自分なら、根っこのことを少し知っている。
この世界に、こういうものが生まれる余地を作ったのが自分だということも知っている。
けれど、灰色の布を誰が使うべきかは知らなかった。
余り谷の道を明日閉めるべきかも知らなかった。
狩野へ何を売っていいかも知らなかった。
寺崎が何を残すべきかも、自分が決めることではない。
今日、そのどれも自分の答えを待たずに動いた。
「俺が知らなくても、次に回るから」
やっとそう答えた。
寺崎は少しだけ考えた。
「でも、相良さんもここにいますよ」
「はい」
「箱も運んでるし」
「はい」
「じゃあ、知らなくてもいいけど、働いてください」
拓真は笑った。
「何運びます?」
店の男が奥から声を上げた。
「そこにある普通の箱!」
「普通なんですか」
「開ける前から疑うな!」
拓真は箱を持ち上げた。
重かった。
少なくとも、それは今のところ、ただの荷物だった。
店の板の裏では、山のための紙が揺れている。
棚の下には、灰色の布と一緒に注意書きが畳まれている。
寺崎の鞄には別の写しが入り、狩野は自分の手帳を持って谷を出ていった。
どれにも、同じ名前は付いていなかった。
それでも、次に何かが起きれば、また誰かが誰かを呼ぶ。
そのたびに、必要な分だけ線が増える。
誰も、「世界の裏側を作ろう」とは言っていなかった。
ただ、人が自分の仕事と都合のために、隣の誰かへ繋がり始めていた。
ここまででちゃんと面白いですか?
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面白い寄りの面白い
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面白い寄りの面白くない
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どちらでもない
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面白くない寄りの面白い
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面白くない寄りの面白くない