歴史改変能力者は世界の裏を日本に生やしたい 作:無異常世界
二〇〇〇年代の後半。
診療所へ来た男は、最初から「変な場所に入った」とは言わなかった。
「仕事のあとから、足の位置がおかしい感じがするんです」
診察室の前で、看護師は男の問診票をもう一度見た。
転倒なし。
頭部打撲なし。
発熱なし。
薬の変更なし。
「しびれは?」
「ないです」
「痛み」
「ないです」
「目が回る?」
「それとも違う」
男は困った顔で、自分の靴を見た。
「足はここにあるのに、半歩ずれてる感じがするんです」
看護師は、その言い方を直さなかった。
問診票の余白へ、そのまま書く。
足はここにあるのに、半歩ずれている感じ。
「いつからですか」
「昨日の夕方」
「仕事の途中?」
「終わって、外に出てから」
「何の仕事です」
「建物の点検です」
「どこを?」
男は会社名を言った。
看護師の鉛筆が止まった。
会社名ではない。
その次に出た場所の方だった。
古い建物。
地下。
短時間だけ立ち入った。
看護師は一度だけ、壁際の棚を見た。
そこに、普通の診療記録とは別の薄いファイルがある。
「地下へ入った人、他にもいます?」
「三人」
「同じ症状は」
「一人が、ちょっと気持ち悪いって。でももう平気だって」
「残りの二人は?」
「何ともないです」
「分かりました」
看護師はそこで話を切った。
「まず普通の方を見ます」
男が少し意外そうな顔をした。
「普通の?」
「血圧とか、目とか、神経の反応とか。そっちで説明できるなら、その方が先です」
「何か知ってるんですか」
「まだ何も」
「今、場所聞いた時に止まったじゃないですか」
「止まりました」
「何で」
看護師は棚のファイルを取った。
「似た相談が来たことがあるからです」
「ここで?」
「ここではないです」
「じゃあどこで」
「それも、まだあなたに関係あるか分かりません」
男は納得していない顔をした。
看護師はそれ以上説明せず、診察の順番を通した。
採血。
視線。
歩行。
左右差。
普段の病気。
睡眠。
水分。
どれも、飛ばさなかった。
その日の検査だけでは、明らかな異常は出なかった。
それでも男は、廊下を歩く時だけ、時々壁へ手を伸ばした。
身体が倒れているわけではない。
本人だけが、床と自分の位置が合わないような顔をする。
診察のあと。
医師と看護師は、普通のカルテを閉じた。
次に、薄いファイルを開いた。
一番上には、古い書き込みがある。
通常疾患を先に除外。
曝露場所は診断名と混ぜない。
本人の言い方を勝手に直さない。
場所側の確認は別へ回す。
「どこへ回します?」
看護師が聞いた。
医師はページをめくった。
古い連絡先。
新しい連絡先。
消された番号。
横へ書き足された名字だけのメモ。
「前の番号、もう駄目だったよね」
「去年変わってます」
「東生の窓口?」
「そこへ全部投げると、また怒られますよ」
「全部は投げない」
医師は男の記録から必要な部分だけを抜き出した。
何が起きたか。
何が起きていないか。
どこへ入ったか。
他の三人の状態。
今すぐ救急搬送が必要な状態ではないこと。
「本人に聞いてから」
「はい」
「場所の確認だけ継ぎ線」
看護師が笑った。
「その言い方、まだ使うんですか」
「そっちが若いだけ」
「この前、向こうで通じませんでしたよ」
「何て言うの」
「裏回し」
医師が嫌そうな顔をした。
「そっちの方が怪しい」
「どっちも怪しいです」
診察室の外で、男が呼ばれるのを待っている。
二人は笑うのをやめた。
今必要なのは、言葉の由来ではなかった。
* * *
同じ日の夕方。
電話を受けた先には、診察台がなかった。
壁一面に測定機器があり、机の上にはケーブルと記録紙が積まれている。
電話を取った研究員は、送られてきた短い記録を読んだ。
「患者さん本人は来ないんですか」
『来ません』
「症状を直接見た方が」
『医療はそちらの仕事じゃないでしょう』
「そうですけど」
『必要ならこちらから聞きます。今回は場所側です』
研究員は椅子へ座り直した。
「地下のどこまで入ったか、図面あります?」
『施設側へ確認中です』
「使った測定器」
『普通の設備点検です』
「普通って何です」
『あなたに必要な型番は後で送ります』
研究員は少し笑った。
「そっちも慣れましたね」
『前にカルテ一式送れって言った人がいたので』
「俺じゃないですよ」
『同じ所でしょう』
「同じ所でも人は違います」
電話の向こうで、少し間があった。
『それはそうですね』
研究員は机の端にある紙を引き寄せた。
受領項目。
人の記録ではない。
場所。
入った人数。
滞在の順番。
使用機材。
退出後に起きたこと。
その下に、赤い字で一行だけ書いてある。
診断しない。
若い研究員が横から覗いた。
「何です?」
「場所の照会」
「こっちに来るんですか」
「来たから来てる」
「どこの案件?」
「まだ関係あるか分からない」
「東生?」
「入口は」
「じゃあ東生案件?」
研究員は首を振った。
「人は向こう。場所はこっち。現場はまた別」
「面倒ですね」
「全部一緒にするともっと面倒」
「本部とか作ればいいのに」
研究員は、机の上に積まれた紙を指した。
「これ全部、うちが責任持てる?」
「無理です」
「患者の診断できる?」
「無理です」
「現場入れる?」
「俺らだけじゃ無理です」
「じゃあ本部やめとけ」
「今、一瞬で終わりましたね」
「その話、ここに来る人みんな一回はするから」
研究員は受話器を置いた。
それから、施設側へ送る項目を作り始めた。
全部を寄こせ、ではない。
床面の材質。
地下区画の改修歴。
点検時に使った光源。
入退室の順序。
既設の計測器に残っているログ。
必要なものだけだった。
* * *
二日後。
現場へ来たのは、診療所の人間でも、最初に電話を受けた研究員でもなかった。
契約で異常現場へ入る側の人間が二人。
施設側の担当者が一人。
少し遅れて、研究側から機器だけを持った者が一人。
医療側は来ていない。
代わりに、紙が一枚来ていた。
中止条件。
症状が強くなる。
立位が保てない。
本人が続行を拒否する。
それ以外にも普通の安全条件が並んでいる。
現場の男が紙を見て言った。
「医者、来ないの?」
機器を持ってきた研究側が答えた。
「来ません」
「何で」
「医者だからです」
「意味分からん」
「こっちは研究です」
「もっと分からん」
対処側の一人が、地下へ続く扉の前でしゃがんだ。
「分からないままでいいです。今日は誰がどこまで入るかだけ合わせます」
床へ貼られていた古い案内表示を確認する。
施設側の担当者が図面を開く。
「ここから先、設備の配置は変えてません」
「壁は?」
「一部だけ補修」
「床」
「張り替えてる」
「照明」
「去年交換」
研究側が口を挟んだ。
「光源の型、控えます」
「関係ある?」
「分かりません」
「分からないの多いな」
「分からないから測るんです」
対処側は、入口の横へ小さな札を置いた。
人数。
役割。
入った順番。
古い色紐も一本出した。
施設側の担当者が見た。
「それ、今も使うんですね」
「使います」
「何か測れるんですか」
「測れません」
「じゃあ何のために」
「帰ってきた時、入った時と同じものを持ってるか見るため」
「そんなの、ボディカメラで」
「カメラも使います」
「両方?」
「両方」
研究側が横から言った。
「古い方が壊れても分かるし、新しい方が壊れても分かる」
「それ、説明になってます?」
「たぶん」
対処側のもう一人が、先に扉を開けた。
「戻り取ります」
施設側が聞き返す。
「何を?」
「人数と、位置と、本人の認識。出た時にもう一回」
「点呼?」
「それより少し多い」
それ以上は説明しなかった。
入る人間を決める。
今日は三人。
施設側の担当者は入口に残る。
研究側も最初は残る。
対処側の二人と、症状が出た作業員の代わりに同じ経路を知る施設作業員が一人だけ入る。
「本人を連れてこないんですか」
施設側が聞いた。
「今日は連れてこない」
「本人が一番分かるでしょう」
「だから最初に入れない」
「何で」
「もう一回悪くしたくないから」
その答えだけは、すぐ通じた。
* * *
地下は、何も起きていないように見えた。
配管。
灰色の壁。
設備盤。
交換された照明。
一人目が進む。
二人目が距離を取る。
三人目は、自分が前回どこを歩いたかを指で示す。
「ここです」
「その時は何人」
「四人」
「並び」
「俺が二番目」
「先頭は」
名前を聞く。
入口側の紙へ書く。
さらに進む。
途中で、三人目が止まった。
「ここ、前より狭くないですか」
先頭が振り返らないまま聞く。
「見た感じ?」
「いや……歩いた感じ」
「今、足の位置は」
「普通です」
「気持ち悪さ」
「ない」
「じゃあ止まったまま」
研究側へ無線が入る。
『幅、測って』
入口に残った研究側が返す。
「こっちからは測れない」
『分かってる。そっちの記録と、前の図面』
「図面上は変わってない」
『じゃあ今の幅だけ取る』
現場側が測る。
普通の数値だった。
もう一度。
同じ。
「異常なし?」
施設作業員が聞く。
先頭は首を振った。
「測った幅はね」
「じゃあ進む?」
「まだ」
「何で」
「あなたが狭いって言ったから」
「でも数字は普通ですよ」
「数字が普通でも、言ったことは消えない」
一度、入口へ戻ることになった。
退出。
人数。
札。
色紐。
自分がどこを歩いたと思っているか。
三人とも一致した。
施設作業員が笑った。
「これだけ?」
「一回目は」
「何もなかったですよ」
「何もなかった記録が一個増えた」
「それ嬉しいですか」
「嬉しいですよ」
研究側が機器を見たまま言う。
「こっちは変なの一個ありますけど」
全員がそちらを見る。
「何」
「同じ位置で取ってるはずの値が、一回だけずれてる」
「故障?」
「かもしれない」
「じゃあ機器替える?」
「替える。あと、今の機器も捨てない」
「壊れてるかもしれないのに?」
「壊れた記録が必要だから」
二回目。
機器を替える。
入る人間も一人替える。
経路は同じ。
今度は、狭いとは誰も言わなかった。
代わりに、曲がり角を越えたところで、無線の返事が一度だけ遅れた。
「現在位置」
返事が来ない。
もう一度。
「現在位置」
『……聞こえてます』
「位置」
『二つ目の設備盤の前』
入口側の図面と合う。
「体調」
『平気』
「全員?」
『全員平気』
研究側が口を開いた。
「電波のログ、落ちてる」
施設側が言う。
「地下だからじゃないですか」
「そうかもしれない」
「またそれ?」
「それでいいんです」
対処側が無線へ言った。
「その位置で終了。戻って」
『まだ何もしてない』
「遅れが一回。ログも一回。二つ重なったから今日は終わり」
『了解』
研究側が横を見る。
「うちの基準じゃ、一回じゃ再現扱いしないです」
「うちの基準は、再現するまで人を置かない」
「そこ、違いますね」
「違っていい」
「研究としては困る」
「現場としては助かる」
二人は少し睨み合った。
それでも、帰ってくる三人を待つ間に喧嘩は続けなかった。
今は、どちらの正しさを決める場面でもない。
* * *
その夜。
診療所へ戻ったのは、患者ではなく電話だった。
『場所側、反応あり。ただし原因確定せず』
看護師は書き取る。
「本人の仕事復帰は?」
『それはそっちで決めて』
「場所にもう入れない方がいい?」
『少なくとも、同じ地下区画は止めてる』
「他の場所は」
『うちは判断しない』
看護師は少し笑った。
「みんな判断しないですね」
『自分のところはしてるよ』
「そうでした」
電話を切る。
患者本人へ伝えることは多くなかった。
今の検査では、通常医療で急いで処置する異常は見つかっていない。
症状が続くなら再診する。
同じ地下区画には、当面入らない。
別の仕事へ戻れるかは、症状と仕事内容を見て決める。
男は聞いた。
「結局、何だったんです?」
医師は答えた。
「まだ分かってません」
「場所がおかしい?」
「その可能性は、前より上がった」
「病気じゃない?」
「病気が全部否定できたわけでもない」
「どっちなんですか」
「今、どっちかに決める必要があります?」
男は黙った。
「仕事に戻れるかは知りたい」
「それは決めます」
「地下へ行っていいかも」
「それも決められます」
「原因は」
「もう少し待ってください」
男は椅子の背へ体を預けた。
「こういうの、全部見てるところがあると思ってました」
医師がカルテを閉じる。
「全部って?」
「こういう変なの全部」
「ないですね」
「ないんですか」
「少なくとも私は知りません」
「じゃあ、さっきの研究のところは」
「場所と測定に強い」
「今日入った人たちは」
「現場に強い」
「ここは」
「人を診る」
「東生ってところは?」
医師は一瞬考えた。
「昔からある入口の一つ」
「一つ?」
「一つです」
男はしばらく考えた。
「よくそれで回りますね」
医師は少し笑った。
「回らない時もあります」
「駄目じゃないですか」
「だから電話するんです」
* * *
数年後。
別の町。
研究室の壁に、古い連絡先一覧が貼られていた。
一覧と言っても、きれいではない。
診療所。
個人名。
会社名。
資料室。
携帯番号。
固定電話。
消されたもの。
矢印で別の番号へ移されたもの。
「本人退職」と書かれたもの。
「夜間不可」と書かれたもの。
「物は見る、人は見ない」と書かれたもの。
新しく入った研究員が、その紙を見ていた。
「これ、共通の名簿にしないんですか」
先輩が振り向く。
「何の?」
「関係者の」
「誰が関係者?」
「この人たち」
「今日の案件にはね」
「他の日は違う?」
「違う」
「じゃあ毎回探すんですか」
「毎回全部は探さない」
「どうやって」
「知ってる人に聞く」
「それ、非効率じゃないですか」
「非効率」
先輩は即答した。
「でも、うちが全部持つ理由もない」
「事故った時に困りません?」
「困る」
「じゃあ」
「だから、どこに何があるかだけ残す」
先輩は机の端にある端末を開いた。
そこには、患者の全記録も、現場の全図面も、各組織の内部資料も入っていない。
代わりに。
この種類の相談は誰が過去に扱ったか。
どこへ照会したか。
返事が来たか。
どこまで共有してよいと言われたか。
それだけが残っている。
「全部見えないじゃないですか」
「全部見る仕事じゃないから」
「でも、全体像は」
「誰か一人が持ってると思う?」
新人は壁の紙を見る。
「……いないんですか」
「少なくとも会ったことない」
電話が鳴った。
先輩が取る。
「はい」
相手の話を少し聞く。
「それ、うちじゃないです」
新人がこちらを見る。
先輩は机の引き出しから別の紙を出した。
「現場? 物?」
少し聞く。
「物なら、こっちじゃなくて鑑定の方。今つながる人、確認します」
保留。
別の番号へ電話する。
出ない。
次。
つながる。
「久しぶりです。そっち、古い保管品の接触相談まだ見てます?」
新人が小声で聞いた。
「知り合いなんですか」
先輩は受話器を肩へ挟んだまま首を振る。
「一回仕事しただけ」
「それで電話するんですか」
「一回ちゃんと返事くれたから」
それが、この世界では十分なこともあった。
* * *
同じ頃。
別の地域では、診療所を通らずに話が始まっていた。
古い宿の管理人が、設備会社へ連絡した。
設備会社は、自分たちだけで触らず、地域で異常現場を扱う者へ相談した。
その者は、現場へ入る前に地元の継承者へ声をかけた。
継承者は、研究室の番号を知らなかった。
研究室も、その継承者の名前を知らなかった。
それでも案件は止まらなかった。
必要なところだけがつながった。
また別の場所では、能力を持つ若者が仕事中に倒れた。
最初に呼ばれたのは普通の救急だった。
病院で通常の処置を受けたあと、家族が持っていた古い紹介先から、能力者の生活相談を扱う人へ話が回った。
研究は入らなかった。
対処屋も来なかった。
必要がなかったからだった。
さらに別の場所では、異常物品らしいものが運送中に見つかった。
医療は関わらず、保管側と鑑定側と物流側だけで動いた。
全部の案件が同じ入口へ集まるわけではない。
全部の入口が同じ出口へつながるわけでもない。
それでも、完全に孤立しているわけでもなかった。
誰かが自分の手に余るところまで来る。
そこで、知っている名前を一つ出す。
その相手も違えば、もう一つ名前を出す。
紹介された側は、紹介した人間の言うことをそのまま信じるのではなく、自分の仕事としてもう一度確認する。
そうして、線が一本だけ増える。
使われなければ、しばらく眠る。
人が辞めれば、切れることもある。
別の人が働き始めれば、違う場所でまたつながる。
全国を見渡す机はなかった。
全国を一枚で示す地図もなかった。
けれど。
医療には医療の蓄積があった。
研究には研究の測り方があった。
現場には現場の止め方と戻り方があった。
物を扱う者には物の来歴を追う仕事があり、地域には地域で残った手順があった。
必要な時だけ、その隣へ手を伸ばす。
届かなければ、別の人を探す。
同じ組織だからつながっているのではない。
長い間、それぞれが別の仕事を続けてきたから、つなげる相手が少しずつ増えていた。
世界の裏側は、一つの中心から広がった網ではなかった。
あちこちに先に出来た仕事が、困るたびに隣と結ばれていった。
統一されないまま。
それでも、もう孤立してはいなかった。
陰の実力者になりたくて!のシャドウと念能力をクロスさせて現代地球でネットの端々や各地に散見される情報を元にオーラを操る技能を身につけ(あるいは体系そのものをシャドウなりに構築する)て陰実原作と似たような感じで好き放題するというのを考えてるんですが需要ありますかね?今作をエタらせる気は毛頭ありません
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見たい寄りの見たい
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見たい寄りの見たくない
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どちらでもない
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見たくない寄りの見たい
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見たくない寄りの見たくない
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どうでも良い