歴史改変能力者は世界の裏を日本に生やしたい 作:無異常世界
第一話
機械室の扉が閉まると、七月の光だけが外へ切れた。
涼しいわけではない。空調機そのものが熱を吐いている。送風機の低い唸りが床を伝い、作業靴の底から足へ上がってくる。
それでも直射日光がないだけで、相良拓真にはだいぶましだった。
「もう一回、回してもらえますか」
制御盤の前にいた大野真吾が片手を上げた。
「はいよ」
送風機が立ち上がる。
一定だった回転音へ、少し遅れて細い金属音が混じった。
一度。少し間を置いて、また一度。
拓真は点検口の前へしゃがみ、ライトを差し込んだ。
「ベルトじゃないな」
「軸?」
「そこまでじゃないと思う。止めて」
真吾が停止操作をする。
音が落ちていく。羽根の回転が遅くなり、完全に止まるまで待つ。
拓真はカバーを外した。
目立った破損はない。ベルトにも異常は見えない。
ライトの角度を変える。
「……ここか」
固定部に、わずかな遊びがあった。
締め直して、カバーを戻す。
再起動。
二人でしばらく聞いた。
さっきまで混じっていた音は、もうしない。
「当たり?」
「たぶん。もう少し回して、出なければ」
数分待ってから、拓真は点検票へ書き込んだ。
異常音あり。固定部増し締め。運転確認、異常なし。
それだけだった。
原因があって、調べて、手を入れる。それで結果が変わる。
一度で分からないことはある。分解しても分からず、メーカーへ聞くこともある。原因だと思ったものが外れて、最初から調べ直すこともある。
けれど、分からないことと、原因が存在しないことは違う。
拓真が普段触れている世界は、だいたいそういうふうにできていた。
* * *
昼休み。
真吾がコンビニのパンを片手に、スマートフォンを拓真の前へ置いた。
「今日のやつ」
「何が」
「幽霊」
「また?」
「お前こういうの好きだろ」
画面には地下駐車場が映っていた。
深夜らしい。奥の照明が二つ切れている。
撮影者が何かを呟きながら歩いていくと、柱の陰から白い人影が半分だけ現れる。
悲鳴。
照明が一度明滅する。
次の瞬間、人影はいない。
二十七秒。
「どう?」
「もう一回」
拓真は最初から見た。
二回目。
三回目は人影が出る少し前で止めた。
指で戻す。
「ここ」
「どこ?」
「照明」
「点滅してるな」
「その前。人が出る直前だけ、画面全体のノイズが飛んでる」
真吾が顔を寄せた。
「圧縮じゃなく?」
「それだけなら分からない。でも、こっちも変」
拓真は最初まで戻した。
「防犯カメラっぽく撮ってるけど、手前の柱がずっとこの位置に入るようにしてる。人影が出る場所もここ」
「最初から合わせてる?」
「たぶん」
投稿者のプロフィールを開く。
過去の投稿を遡る。
一年前。二年前。三年前。
短い映像作品。合成。特殊効果。撮影素材。
同じ地下駐車場を使った動画も見つかった。
元の投稿には、試作、と書かれている。
真吾がパンを一口かじった。
「はい、解散」
「解散」
「毎回ちゃんと潰すよな、お前」
「潰したいわけじゃない」
「じゃあ何」
拓真はスマートフォンを返した。
「潰れないやつが見たいから」
真吾が笑った。
「夢があるのかないのか分からんな」
「本物なら、普通に本物って言うよ」
「幽霊でも?」
「幽霊でも」
「怖くね?」
「怖いかどうかは、その後だろ」
真吾は少し考えてから、首を振った。
「俺は偽物でいいわ」
「何で」
「本物だったら仕事中に出るかもしれんだろ」
「それは嫌だな」
「ほら」
二人で笑った。
けれど拓真は、さっきの動画をもう一度だけ見たかった。
偽物だと分かったからではない。
もし違っていたら、と一瞬でも期待したからだ。
人が消える。
説明がつかない。
調べても、撮影者の仕込みにも、映像編集にも、錯覚にも、機械の故障にも戻らない。
その先が見たかった。
能力者でもいい。
怪異でもいい。
妙な物でも、場所でもいい。
ただ一度だけ起きた奇跡より、もっと欲を言えば、その方がいい。
昔からそれを扱ってきた人間がいる。
危ないから近づくなと教える人間がいる。
逆に、それを仕事へ使っている人間もいる。
誰かが失敗したせいで決まりができて、次の世代は理由も半分知らないまま守っている。
自分が名前も知らない人間同士が、そこで揉めたり、助けたり、騙したりしている。
こちらが見ていなくても。
こちらが知らなくても。
勝手に続いている。
そんな世界の裏側が、本当に一つくらいあればいい。
拓真が欲しかったのは、昔からそういうものだった。
* * *
午後の点検を終えた頃には、外の暑さが少しだけ落ちていた。
駅まで歩きながら、拓真はスマートフォンでさっきの動画のコメント欄を流し見した。
《ガチだろこれ》《編集なら影おかしくない?》《場所特定した》《三年前の動画の転載》《元これ》
もう答えは出ている。
その下では、それでも本物だと言い張る人間と、騙された人間を笑う人間が言い争っていた。
拓真は閉じた。
本物を信じたいわけではない。
本物があってほしい。
似ているようで、そこはかなり違う。
信じるだけなら簡単だった。
動画を疑わない。噂を疑わない。偶然が続けば意味があると思う。説明がつかなければ、その空白へ好きなものを入れる。
そうすれば、世界は今より少し不思議に見えるかもしれない。
けれど、それでは意味がない。
調べられても残ってほしい。
疑われても消えないでほしい。
自分が信じなくても存在していてほしい。
だから、見つけた怪談を自分で潰す。
何度やっても、最後には普通の世界だけが残った。
駅前では、期間限定のホラーイベントの広告が大きく貼られていた。
黒い廊下の奥から、顔のない女がこちらを見ている。
拓真は少し足を緩めた。
面白そうだとは思う。
作り物だから嫌い、というわけではない。
むしろ作り物は好きだった。
怪談も、ゲームも、小説も、映画も。
存在しないものを、存在したら面白い形まで作り込むことができる。
だからこそ、ときどき余計に思う。
これだけ人間が何百年も、ないものを考え続けてきたのに。
現実の方には、本当に何もないのか、と。
* * *
「ただいま」
「おかえり。手、洗って」
台所から母の真由美が返した。
居間では父の浩一がニュースを見ている。大学から帰っていた理央は、ソファの端でスマートフォンを触っていた。
拓真が手を洗って戻ると、テレビでは山間部で撮影された奇妙な発光現象が紹介されていた。
雲の下が、青白く光っている。
画面の端には大きく『謎の発光』と出ていた。
理央が拓真を見た。
「好きそう」
「昼にも同じこと言われた」
「じゃあ好きじゃん」
「もう説明ついてるやつだろ、これ」
画面が切り替わった。
遠方の人工光。低い雲。湿度。撮影機器の露出。
専門家が可能性を説明している。
浩一が言った。
「終わったな」
「何が」
「お前の夢」
「毎回終わってる」
真由美が味噌汁を置きながら笑った。
「昔から変わらないわね」
「何が」
「そういうの見つけて喜んで、自分で調べてがっかりするの」
理央が顔を上げる。
「分かる。兄ちゃん、信じたい人じゃないんだよね」
「違うな」
「面倒くさい方」
「どういう方だよ」
「本物じゃないと嫌な方」
拓真は少し考えた。
「それはそう」
「めんどくさ」
否定できなかった。
浩一がテレビを消した。
「で、本当にあったらどうするんだ」
「何が」
「幽霊でも何でも。点検先で出たら」
拓真は箸を止めずに答えた。
「作業止める」
理央が笑う。
「逃げるんじゃないの?」
「まず触らない。設備の異常かもしれないし、俺が勝手に判断する話じゃない。上に連絡する」
「そこだけ急に仕事」
「仕事だからな」
浩一が頷いた。
「それが普通だ」
「本物だったら?」
「本物でもだよ」
拓真は味噌汁を一口飲んだ。
「本物の幽霊だから勝手に触っていい、にはならないだろ」
「夢がない」
「お前までそれ言うのか」
理央が笑った。
少しして、真由美が何気なく聞いた。
「そんなに本物が欲しいの?」
「欲しい」
即答すると、三人の視線が集まった。
自分でも少し笑う。
「いや、俺が幽霊になりたいとか、能力欲しいとかじゃなくて」
「能力はいらないの?」
「貰えるなら欲しいかもしれないけど、それだけなら別に」
「じゃあ何がいいの」
理央に聞かれ、拓真は言葉を探した。
能力者がいる。
秘密組織がある。
説明不能な場所がある。
そう並べるだけでは、昔から考えていたものと少し違う。
「俺が知らなくても、あるやつ」
「何それ」
「たとえば、本当に変なものを扱う仕事があったとしてさ。俺はその会社も、人も、何も知らない。でもどこかでは普通に仕事してる。新人が失敗して怒られたり、昔の事故のせいで変な決まりが残ってたり」
理央が箸を止めた。
「設定細かくない?」
「例だよ」
「絶対その辺まで妄想してるじゃん」
「してるけど」
「してるんだ」
拓真は構わず続けた。
「俺が見に行った時だけ存在するんじゃなくて、見てない間も勝手に続いてるやつがいいんだよ」
浩一が眉を寄せる。
「お前が知らないなら、あってもなくても同じじゃないのか」
「違う」
今度も、答えはすぐ出た。
「知らなくてもあるなら、その方がいい」
言ってから、自分でも妙なことを言っていると思った。
けれど、そこだけは昔から変わらない。
自分が中心である必要はない。
自分だけが秘密を知る必要もない。
むしろ、自分なんか関係なく続いていてほしい。
自分が一生知らない能力者がいてもいい。一度も行かない場所に、本当に説明不能な何かがいてもいい。自分が名前を聞く前に死んだ人間が、何十年も前にそれと関わっていてもいい。
後から断片だけを知って、
そんなものが、本当にあったのか。
そう思いたい。
真由美が苦笑した。
「まあ、趣味なら好きにしたら」
「趣味っていうか」
「今のところ趣味でしょ」
それはそうだった。
今のところ。
この世界には、そんな裏側はない。
怪奇映像は作られる。都市伝説は増える。陰謀論も、宗教的な体験も、説明のつかない偶然もある。
未解決の事件だってある。
けれど、調べれば再現できる超常法則が出てくるわけではない。
何十年も本物の異常を扱ってきた組織が、実は社会の裏で活動しているわけでもない。
少なくとも拓真は、あると信じるに足るものを一度も見つけられなかった。
そして、それはたぶん、隠すのが完璧だからではない。
本当に、ないのだ。
そのことを一番認めたくない人間の一人が、たぶん自分だった。
だからこそ、認めていた。
ないものを、あることにはしない。
* * *
風呂を済ませ、自室へ戻る。
ベッドへ寝転がってから、拓真はしばらくスマートフォンを眺めていた。
昼の動画とは別の怪談が流れてくる。
古いトンネル。立入禁止の建物。消えた集落。正体不明の音声。
一つ開いて、閉じる。
もう一つ開く。
自治体の記録。昔の航空写真。ニュース記事。撮影者の過去投稿。
少し追うだけで、だいたい輪郭が見える。
全部を否定できるわけではない。
分からないものは、分からないまま残る。
けれど、分からないから本物になるわけでもない。
拓真はスマートフォンを伏せた。
天井を見る。
今日も何もなかった。
昨日もそうだった。
たぶん明日も、仕事へ行けば原因のある故障を探して、休憩中には作り物の怪談を見て、家へ帰る。
それを嫌ってはいない。
仕事は嫌いではない。家族とも普通に暮らしている。世界が壊れてほしいわけでもない。
ただ。
この世界が、みんなの知っている現実だけで全部終わっていることが、どうしようもなく物足りなかった。
一枚めくった下に、もう一つくらいあってほしい。
自分のためではなく。
自分が知らなくても。
勝手に続いている、本物が。
「……一個くらい、あってもいいだろ」
誰に聞かせるでもなく呟く。
返事はない。
当然だった。
拓真は枕元の充電器へ手を伸ばした。
スマートフォンへ端子を差そうとして――止まった。
何かが聞こえたわけではない。
文字が見えたわけでもない。
誰かに教えられたわけでもなかった。
ただ、自分の指をどう曲げるかをいちいち考えなくても分かるのと同じように。
今まで一度も知らなかったはずのことを、唐突に理解した。
過去へ行ける。
改稿前verだけ見て切られたら困るんですが、消した方が伸びると思いますかね?
-
消した方が伸びる
-
消さない方が伸びる
-
どっちでも良い