バラバラと舗装を叩く大粒の雨。どんよりと厚く黒い雲が夜空を覆っていた。深く降りた夜の帳のその中を、暗く重い風を切りながら走る黒い影がひとつ。時折迫り来る戦闘用ドローンや銃弾を斬って払って破壊しながら、1歩で数メートルを飛ぶようにして走る男だ。
生命の気配の一切しない崩壊し風化する多重高層都市の残骸。苔むし、ボロボロとひび割れた旧世紀からのアスファルト舗装の道路。冷たい雨に濡れ、男の踏み出す1歩ごとに飛沫を上げてズボンの裾を湿らせた。
─────いい加減、雨を吸った服が重たくなってきやがった。
逃避行という名の命をかけた鬼ごっこが始まって既に2時間。追っ手の数はかなり減ったが、残ったひとりがかなり手強い。それに。
─────
長く戦い続けた男の持つ武器。白と黒の長物のその柄にあるディスプレイに表示されるゲージを見る。
「─────逃がさないよ〜!」
「ちっ……しつけーなぁ」
叫ぶのは鬼ごっこの鬼の方。男の背後から戦闘用ドローンと共に追ってくるのは金髪の少女だ。走る歩幅は短くとも、両腰に備えた
「当たれぇ!」
「ちぃ─────っ」
「避けた!?ねぇー、まだ疲れないのー!?」
「いやいや、これでも結構疲れちゃってるんだよね。だからやめにしないか。これ以上の、無駄な戦いはさ」
「んー……?」
「いや、何言ってるか分かりませんみたいな顔されても困るんだよ!……って、あっぶね、かすったじゃねぇか!」
「当たらなきゃ意味ないんだよなぁ」
「いや当たったら流石に死んでるぜ。あと顔狙うんじゃねぇ。せっかく伸ばした髭が台無しになっちまうだろうが!」
「…………うん、似合ってないし消したげるよ」
「るせぇ!そのうちなぁ、この髭が似合ういい男になるんだよぉ!」
少女の放つ弾は空中で微かに軌道を変える。そのうちのひとつが早口に捲したてる男の頬のスレスレを光弾が掠める。ある程度整えられた男の髭が僅かに焦げた。
─────そろそろ決めとくか……?
「まだまだ行くよ〜」
「なぁっ。てっめぇ弾幕増やしやがったなぁ。術式あるから避けれるとはいえ大変なんだからなぁー!」
「─────ん、術式?」
「あっ、やべっ」
「……へぇ?術式ねぇ。登録3番、干渉発動、いけっ!」
「─────あっ、まって切れる!干渉術式はなしだろっ。まだ対策してないからほんとに……、ほんとに術式の効果切れるぅ!?」
「いつ仕込んだのか知らないけどさだ、そんなもん切れちゃぇ!」
少女の目元のインプラントが青く光る。風の音が遮る小声の音声入力を、しかしドローンは受け取った。途端、少女の周りを飛び交っていたドローンが動きを変える。男に向かって速度をあげる直線の動きだ。
「まさかっ」
「そのまさか!展開、開始っ」
加速に使われたエーテルの光が軌道の軌跡を空に描き、そして男の周りに4機のドローンが集まった。ひとつは頭の上に、みっつは彼の周りに等間隔で。それらはやがてお互いを赤い誘導レーザーで結びあい、その間を淡い光の壁とする。彼を覆う三角錐を作ることで干渉術式が完成させる。
「これでっ!」
「こなくそぉ……っ!」
男が焦った声を漏らす。こめかみの当たりからガラスの割れるような音を耳にしたのだ。インプラントから聞こえるそれは、彼を守っていた“術式”の効果があっけなく消滅してした証。
その様子を見て少女は理解した。これ幸いと追撃の手を強め、瞳を青く光らせる。脳内インプラントを使用したエーテル通信によって本部への連絡を始めた。
「第4偵察局装備科へ、ドローン追加発注!」
『こちら第4装備科、もうこれ以上は無理!』
「─────なんで!?」
『貴方が全部使い潰したからよ!』
「なら、どうすればいいってのよ!」
『知らないわよっ。今、他の装備科に掛け合ってたとこっ』
「ならっ」
『失礼、こちら第1装備科。第4副局長へ。司令室から連絡を受けた。こちら、射撃型高機動ドローンDC-4-SF7を20機まで貸与可能』
「ひと世代前の。でも、充分ね。現在地まで大急ぎでよろしく!」
『了解。手配完了。……190秒後、現着する。健闘を祈る』
「ありがとねっ」
『軍事部に貸し作りやがったわね……?……はぁ、仕方ないか。がんばって帰ってきなよ!』
「了解!」
話しながらも放たれ続ける弾丸。走る足を止めることのない男は次々と迫る射撃を勘で避けていく。右へ、左へ、上へ。時に瓦礫を飛び、壁を走り、空で身を翻していく。
「なんで当たんないのぉ!?」
「男の感だ!」
「そんなけったいな話がっ。いけっ!」
「うへぇ、今度はドローンが増えたか……っ」
空の彼方、女の背後から新たなドローンが20機現れる。グレーの塗装と
それを見た男は理解する。やつらにとってひと世代前の旧式でも、それは彼一人を殺すのに申し分ない戦力だと。故に、彼は掃射の始まるその直前、一際距離の離れたその瞬間に立ち止まった。
「……。よしっ、タンマー!本気でタンマぷりィーーず!」
「─────はぁ!?」
男の突然の行動に、顔をしかめた少女が足を止めた。拳銃とドローンの照準を向け、しかし油断することなく距離を詰め始める。
「ほんとに止まってくれるのな」
「そりゃあね。私とあんたの仲だもの」
「
「うっさい。……で、このタンマで何をするのかな〜?」
「─────そりゃ不意をついて逃げの一択だろ」
「……うん、とりあえず、わたしの優しさを返せ?」
飄々と言い切った彼めがけて一斉にドローンが動き出す。20mmの鉄の雨が、アスファルトを砕きながら彼へと殺到した。
再び走り出す男。しかしそれは逃走ではなく、回避に近い動きで。ついに弾の当たらない意地らしさに、少女が声を荒らげた。
「そろそろ捕まってよぉ!N.N.R.A.にいるんじゃもうデートいけないじゃん!」
「デートって、荷物持ちさせられるだけだろ!」
「そんなことないよ!」
「んじゃお前、家族とはいえ女に囲まれて女物の服山ほど持って、挙句の果てにランジェリーショップに連れ込まれる俺の気持ちにもなれよ!」
「その後スイーツ食べに行ったら機嫌よくなるじゃん!」
「それ、俺の奢りなの忘れんなよ!俺の楽しみとかおもちゃ売り場しかなぇんだかんな!?」
「……う……。い、いーじゃない!どうせ家族だってみんなに色目使って四六時中誰かとイチャイチャして、男冥利に尽きるってもんだ……、とかよく言ってたじゃん!」
「─────それ俺の真似なら似てねぇぞ?」
「はぁーーー!?唐変木女たらしのヤニカスヘタレ童貞のくせに生意気!」
「ど、童貞ちゃうわっ!」
ふと男が強く地面を蹴り、大きく後ろへ飛んだ。女の視線が追いつくより早く、ドローンが反応し標準を向ける。しかし。
男が手に持つの白と黒の銃剣、カシャリと音を立てるかなりの大きさのそれをしっかりと両手で保持し、その剣先を─────否、銃口を驚愕を浮かべた少女へと向けていた。
─────エーテルの残量からして、撃てるのはあと3回。そのうちの1回をここで使ってしまう。そうしないと、こいつからは逃げられない。
「おい、死んでくれるなよ!」
「───っ!?」
少女の視線が彼へと追いついた時。射撃をやめたドローンが回避のために四散し、元から残っていた4つのドローンがプログラムに基づいて少女の前に防御術式を張る。
向けられた銃剣の白と黒の剣先が音もなく2つに開き、そこへ大気中のエーテルを凝固させた2本の仮想砲身が固定され、そしてついに現界する。電気を帯び3m程になった仮想砲身だ。続いて、長く伸びた砲身の間を等間隔で拡大と加速の術式が付与されていく。
男の戦闘服、第6技研局製専用装備“ペンドラゴン”が呼応するように変化する。ブーツの踵からはバンカーが展開され、黒のコートの展開部からはアンカーが射出され、男の体をその場に固定する。頭部には男のインプラントに連動した仮想ディスプレイが眼前に投影された。
轟々という吸気音。そこから放たれる一撃は、エーテルを圧縮した仮想砲身をレールに見立て、貯蔵の圧縮エーテルをさらに圧縮した光弾を拡大と加速をもって強化しながら撃ち放つ。言わばエーテル式電磁投射砲。
「童貞馬鹿にしたこと後悔しなっ!─────っ!」
「っ、きゃぁ!」
刹那、白い閃光が亜音速で放たれる。加速と拡大を繰り返した結果の光弾は、射出されれば光の帯のようにも見える。圧倒的な速度と熱量をもって、光は少女へと殺到した。
呑まれるようにして巻き込まれたドローンは毟られ引き裂かれるようにして爆炎を上げ爆ぜてゆく。触れる雨粒は蒸発し、プラズマを発して消えてゆく。人ひとりに向けられる火力ではない暴力の塊に、必死虚しく少女の防御術式の層を次々と焼き割られていた。
「ぐ、ぬぉぉ……!」
時間にして約5秒間の砲撃、反動によりバンカーとワイヤーは破壊され、身体は後方へと吹き飛んだ。急激なGにより体は軋み、全身に施された保護や強化の術式が唸りをあげる。
それが終われば放たれた光の帯も、展開されていた仮想砲身も半透明なエーテルの粒子となって空気へと溶けていった。
刀身を閉じた銃剣から強制排熱が始まり、全身に展開していた身体強化の術式の影響で酷く身体が熱っぽく感じる。戦闘服に装着されている非常用放熱装置から大量の蒸気が発生していた。
「流石に、堪えるな……っ」
視界に広がるのは落ち着く様子のない土煙と余波で砕けたアスファルト路面。男は慣性で飛んでいる体を休ませるようにして着地と同時にしゃがみ込んだ。
「────まだ……」
「……いや、マジかよ……」
「まだまだ、だよ〜っ」
風に乗って煙が晴れたそこには、なおも金髪の少女がその両脚で確かに立ち続けていた。
しかし、当然無傷とは行かなかった。彼女を守った4機のドローンは消失し、追加の防護の術式の展開に使っていた左腕は肉が毟り抉れ、親指の付け根以外が削り取られている。全身にも、飛来したアスファルトの破片によって至る所で肉が裂けて血濡れが拡がっていた。咄嗟に体の後ろに隠したのか、右手こそほぼ無事で白い拳銃を握れているものの、それを構える力すらなさそうだ。
頭部からの流血にさえぎられて左目は空いておらず、残った右目も真っ赤に充血している。
「私は……あなたを……っ!」
「お、おい、無理すんな!」
「うっさい!……ぐっ」
「っ───もう、やめとけよ。俺は、お前たちを─────」
雨音と遠方からの破砕音だけが響く中、付近を漂っていたエーテルが痛みを堪えつつも限界を迎えて膝を着く少女に、悔いたような低い男の声。
そして、周囲を漂っていた膨大なエーテルが、突如として光を帯び。
「─────なんだ!?」
「─────ぎゃぁ!?」
─────ついに光は止まらず勢いを増し、相対していたふたりを包み隠した。
△
草原。広大で、見渡す限りに丈の低い緑の広がる丘陵地帯。北と南へ目をやれば、どこまでも続く草原で東の少し遠くには、朧気に黄色い浜と青い海が見える。どこまでも続くこの海岸線は、大陸北東部の特有の光景だった。
長い年月を馬車や旅人が歩いた軌跡が、草を根絶やし茶色い土を踏み固めたのだろう。硬くしっかりとした道として、それが遠くまで続いている。西から延々と続くそれは、あるところで二手に分かれていた。それぞれ、東の海へ行く道と、まだ見えぬ遠く離れた南の街へと続く道。
「うわぁ、すっごいですね!」
その道を東へ向かう男女の姿があった。なだらかな丘陵を撫でるように流れ行く潮風を受け、黒い外套の裾をはためかせる金髪の男と、その風を大きく広げた小さな身体で受けながら景色を楽しむ女だ。
前を行くのは、口をへの字に結び無感情に歩みを進める男。黒い外套にすっかり身を覆った彼は、腰には反りのあるサーベルを佩き、背にはかなりの荷が詰められているであろうリュックを背負っている。
「あっははっ、風がきっもちぃー!」
一方で景色を楽しみ、歩みを止めて遠い海を見渡す女は、金の刺繍が入った真新しい純白のポンチョとストロベリーブロンドの髪を風にたなびかせ、端麗ながらまだ幼さの残る顔に飛びっきりの笑みを浮かべている。その背には木の枝をそのまま切り出し表面を整えただけに見える無骨な背丈ほどの杖があった。
「あっ、待ってくださいよフェルドさーん」
「……お前を待っていたら、いつまで経っても目的地に着かんな、アデーレ」
気がつけばそれなりに離れていた2人の距離。離れた距離を取り戻そうと小走りで走り寄る女、アデーレ。そんな彼女に構うことなく歩き続ける男、フェルド。
「アデーレ、景色を楽しむのもいいが、また野宿する羽目になるぞ」
「うぇ、野宿はあんまりしたくないですね」
「なら、街の宿を訪ねねばな。このままゆっくりしていては、今夜も野宿だぞ。……そうだな、足はやに歩けば夕刻ごろに次の街に着けるはずだ」
「まだまだ遠いなぁ」
「そういうものだ」
フェルドが浅く振り返り、外套から苦笑を覗かせた。そんな彼の顔を見上げて、しかし口を尖らせてそっぽを向くと。
「それにしても、旅人っていうのも大変ですね。歩いてばっかりだし、ゆっくりベットで寝れませんし、寝てると虫や獣がよってきますし、それにお風呂は入れませんもの」
「贅沢を」
「贅沢じゃありませんよ」
「贅沢だよ。庶民の暮らしを見てみろ」
「……だって私、それが当たり前だったんですから。だからか、こうして旅というものをしてみると、なかなかに辛いものが……」
「なんだ、悔やんでいるのか?」
小走りのアデーレが追いついたところで、フェルドはふいに足を止めてジッとアデーレの顔を見やる。
「侯爵家を出奔してまで着いてきた旅路。
「うっ……」
「どうする、今ならまだ引き返せるぞ?」
「……すみません……。無理を言って着いて来ているのに、不躾なことを」
「かまわんさ。─────それに」
露骨にテンションの下がるアデーレを見て、ニッといやらしく笑うフェルドが続ける。
「俺も野宿はあまり好きじゃない。この時期はまだ夜は冷え込むしな。寝るのはやっぱり、柔らかい寝具と、雨風しのげる屋根の下に限る」
「な、なんですかそれ……。フェルドさんも野宿は嫌なんじゃないですか」
「あぁ、嫌だ。だが、旅をする以上、いちいちそんなことを憂いていられないぜ」
「はーい」
「よし行くぞ。今から行く街、ラーセンにいい宿屋を知っている。あそこは飯も美味いしベッドもいい。そして何より、風呂もある」
「やったぁ! よし、早く行きましょうフェルドさん」
あっという間に走り出したアデーレは、フェルドの横を抜きさってだんだん遠く離れていく。それに呆気を取られて置いていかれたフェルドは、しばらく彼女の後ろ姿を見送った。
離れていく小さな背中に疲れたように笑い、やがて柔らかい笑みを浮かべる。そして満足したように、東へと全力疾走する彼女を放って南へと歩き出す。
─────遠くで微かに光った
topic:エーテル
正式名称は“A-tale”。第一管理区(旧USA)にて発見された、P.U.を象徴する新技術。素粒子以下で全ての“存在”を構築する最小の存在。