第一回ということは、第二回、第三回……
第一回の会談は、すべての問題を結論まで進めず、翌日に再び協議することでまとまった。
「必要であれば、今後は我々が学舎の園へ伺うことも検討します」
首相が提案し、これには教頭も少し困ったように答えた。
「申し訳ありません。学舎の園は、原則として男子禁制です」
三人の日本側代表が、同時に黙った。
唖然というほどではないが、理解した上で判断しかねるという顔だろう。
「現状では、男性を園内へご招待することはできません」
「…………それは首相であっても、ですか?」
外務大臣が、その厳しさがどれほどかと確認した。
「はい」
教頭はきっぱりと言った。
美琴は今度は食蜂の操作ではないと確信する。
学舎の園では、男子禁制はあまりにも当然の規則だった。
分下首相は数秒考えたあと、小さく微笑んだ。いつも笑っているように見えるけど。
「承知しました。当面、会談はこちらで続けましょう」
「ご理解に感謝します」
双方が立ち上がりかけたところで、美琴が声を上げた。
「あ、ちょっと待って。最後に一つだけいい?」
首相が振り返る。美琴を子供と思っているのか、政治家の顔をしていない。
その顔は、実家のおじいちゃんみたいだなぁという印象だった。
「何でしょう」
「華央国って、こっちではいうんだっけ。私の世界では違うけど」
日本側の空気が変わった。
首相の顔も、政治家の顔に戻った。
美琴は、その変化に気づかないまま続けた。
「ミサイルを撃たせちゃって悪かったから、ちょっと謝罪だけはしたいのよね」
外務大臣が、ゆっくりと椅子へ座り直した。
話を聞きましょう、という意図ではなく、腰が抜けたかのような動きだった。
「しゃ、謝罪ですか」
「うん。領空に入ったことは、まあ、こっちへ来たばかりで事情も分からなかったし、あんまり悪いとは思ってないんだけど」
「お姉様。それはあまりにも……」
黒子が止めようとした。
政治的な問題からではなく、呆れたから止めようとした。
「でも、撃たせちゃったのは悪かったでしょ。ああいうのって、タダじゃないだろうし」
官房副長官が、手元の資料へ視線を落とした。
そこには、華央国側から断片的に伝わってきた、黒い巨大兵装と三人の少女に関する情報がある。
「御坂さん、でしたか?」
首相が慎重に尋ねた。政治家の顔をしている。
「そのミサイルは、あなたに対して発射されたものなのですか」
「正確には、私が使ってた装備に、かな」
「その装備というのは」
「それは明日でいいでしょ」
美琴はあっさり言った。
「今日はもう終わりなんだし。ただ、謝る気はあるって伝えてほしいの。できれば直接」
日本側の三人が、短く視線を交わした。
「謝意を伝えること自体は可能です」
外務大臣が答えた。力が戻ったのか、弱々しいながらも立ち上がる。
「ただし、華央国との直接接触については、経緯を詳しく確認したうえで調整する必要があります」
「分かった。じゃあ、また明日」
美琴はそれで話が終わったものと思い、黒子の方を向いた。
日本側にとっては、会談の最後に最大級の案件が追加された瞬間だった。
+ + + + + + + + +
──同時刻。
学舎の園の一角にある空き店舗では、佐天涙子がラジオの前へ座っていた。
スピーカーからは、雑音混じりの日本語が流れている。
「やー、手作りラジオもおつなもんだねぇ」
デジタル化が進んだ学園都市、または元の世界の日本では、ラジオは防災ラジオかカーラジオくらいしかない。ネットでラジオを聞く時代だった。
娯楽のない佐天は、音楽くらい聴きたいと、有り合わせの機器でラジオを作り上げていた。
となりの椅子では、初春が廃部になったアマチュア無線部の機器の最終調整を行なっている。
『こちらは、海上に出現した区域にいる方々へ呼びかけています。応答が可能であれば、短い信号だけでも送ってください。あなた方の安全を確認したいと考えています』
一定時間を置いて、同じ文章が繰り返される。
「これ、ずっと呼びかけてるよね? 返事しなくていいのかなぁ」
佐天が手作りラジオを指して言った。
「だからといって、勝手に返事をしていいわけではありません」
初春飾利は通信機器の前で、困り切った顔をしていた。
「今、御坂さんたちが正式に日本政府と交渉してるんですよ。外部との連絡は全部、窓口を通さないと」
「でもさ。こっちにいるのが軍隊でも怪物でもないって、誰かが言った方がいいんじゃない?」
「それを決めるのは佐天さんじゃありません」
「はーい」
佐天は再びラジオのスピーカーへ耳を近づけた。音質は悪いが、割れているほどではない。
『あなた方が拘束されている場合、返答できる範囲で構いません』
「閉じ込められてると思われてるよ、初春」
「外から見たら、そういう可能性も考えますよ」
「だったら、違うって言うだけでも……」
「佐天さん」
「わかりましたー」
佐天は初春にたしなめられ、仕方なく周波数調整のドライバーを回した。つまみがないので、ネジを回す操作法である。
手動なので手探りの調整だ。雑音とわずかな音声と、ギターの音──
雑音が消え、スピーカーから、軽快な音楽とともに、妙に陽気な男の声が流れててきた。
「きたきた、これ、こういうの!」
佐天はノリのいい曲に舞い上がった。
『ヘーイ、夜空の迷子たち! 聞こえているかな?』
流暢ではあるが、どこか癖のある日本語だった。
『海の上へ突然現れた、ミルキーウェイからこぼれ落ちた子猫ちゃんたち! こちら、君たちのためだけに放送中!』
佐天は目を輝かせた。
「お、おおおおーぅ! 子猫ちゃんって、絶対こっちのことだよね。わたしたちのことだー」
「無視してください、佐天さん」
初春飾利は通信機器の画面を確認しながら答えた。
学園都市側の規格は自動認証を前提としたデジタル方式だったが、送受信回路そのものは広帯域対応だった。
初春はこの認証部分を迂回し、変調方式だけを旧式のアナログへ変更した。
アナログFM・SSB送信機へ入力するため、回路図や説明書がいるのにそれがないから手間取ってしまった。
技術系の学校はアナログ送信機を一から作ろうとしているが、たぶん学園都市のプライドかなにかだろう。
学園都市の悪い癖が出ているともいえる。
「どう考えても怪しい放送です」
『君たちが宇宙人でも、未来人でも、海から来た人魚でも構わない! 音楽が好きなら、僕たちはもう友達さ!』
「友達だってさ」
「その友達は、発信元を分からないように何重にも中継しています。あ、や、し、い、です!」
「ラジオって、そういうものなんじゃないの?」
「普通の放送局は、所在地を隠しません!」
放送は数時間前から、一定の間隔で周波数を変えながら流れていた。
最初は英語だった。
やがて日本語が混じり、次第に日本語の割合が増えていった。
民間ではない誰かが聞いていると予想し、反応を待っている。
初春には、そうとしか思えなかった。
『さあ、謎のレディース! 聞きたい曲はないかい? 退屈な夜には音楽が必要だ! リクエストを送ってくれれば、僕が電波に乗せて届けよう!』
佐天が、はっとした顔で自分のスマートフォンを取り出した。
画面を操作するが、通信サービスには接続できない。
あの異変以来、学舎の園の内部ネットワークから外に接続することができない。
無線だ、有線だ、という話ではない。きっとなにもかも、帯域も規格もプロトコルも、なんならポートの振り分けも違うからだ。
まずキャリアが違っていて、こちらの世界で契約もしていない。
「初春ぅ」
「駄目です」
「まだ何も言ってないよ」
「その顔は、絶対に何かします」
佐天はスマートフォンの音楽アプリを開いた。
一覧には、再生できない曲名が並んでいる。
「私、端末に音楽が一曲も入ってないんだよ」
「今は音楽どころじゃないでしょう」
「ストリーミングで聴いてたから、ダウンロードしてなかったの。ネットが切れたら、本当に一曲も聴けないんだよ」
「だからって、正体不明の放送へ返事をする理由にはなりません!」
「初春さん。音楽なしは寂しいから、リクエストしたいんです!」
「言葉を丁寧にしても駄目です!」
ぶーたれながら、佐天はラジオへ耳を寄せた。
『シャイなのかな? 大丈夫! 名前を言いたくなければ、言わなくていい! 好きな曲を一曲、それだけでも構わない! これからいう周波数にあわせてくれ! 周波数は──』
「ほら、名前も言わなくていいって」
「それを信用するんですか?」
「曲のリクエストだけなら、秘密も漏れないよ」
「私たちが日本語を理解していることが漏れます」
「もう日本の人と交渉してるんだから、それくらいは分かってるでしょ」
「その放送をしているのが、日本の人とは限りません!」
初春の指摘に、佐天は少しだけ黙った。
だが、スピーカーから新しい曲が流れ始めると、すぐに顔を上げた。
「でも、このまま音楽なしは嫌だなあ。いや、流れてるけどね、知らない曲が」
「園内にCDを持っている人くらいいますよ」
「私が聴きたい曲を持ってるとは限らないじゃん」
「探してからにしてください」
「リクエストする方が早いよ。それにこっちの世界にも、同じ曲があるかわかるよー」
「佐天さん! まだテストしてません!」
佐天はアマチュア無線機器のマイクへ手を伸ばした。
初春がその手首をつかむ。
二人はしばらく無言で押し合った。
「曲名だけ」
「駄目です」
「名前は言わないからさー。テスト、テストだよ」
テストと言われて、初春も気がついた。
どこかでアナログの電波を受信しているかどうか、テストするには相手がいる。
佐天の手作りラジオは近すぎる。
このDJは、今、十分に離れたところにいて、受け取れる状態で待機している。
呼びかけて、彼が反応してくれればテスト成功である。
「絶対ですよ。学校のこととか言わないでください」
「やったー。うん。初春、大好きー」
初春は通信経路を限定し、送信出力と範囲を最小限に絞った。
こちらの位置を正確に逆探知されにくくするためだった。もっとも、周囲に電波の網を貼られていたら、かなり絞り込まれることだろう。
「五秒です」
「短くなぁい?」
「曲名だけなら十分です」
「じゃあ、いくよ」
佐天がマイクを握る。
初春が送信回路を開いた。
「こちら、学舎の園の佐天涙子です!」
「佐天さん!」
『――オーケー!』
ラジオから流れていた音楽が、唐突に小さくなった。
DJが即座に反応した。
『聞こえたよ、サテン・ルイコ! 素敵な名前だ!』
「本当に返事したよ! テスト成功〜!」
「佐天さん、送信を切りますよ!」
「待って、まだリクエストしてない!」
佐天は慌てて曲名を告げた。
DJは、聞き取りやすいように一音ずつ繰り返した。
『その曲だね? ところで、君たちのところには音楽がないのかい?』
「違います。私がスマホに入れてなかっただけです」
「説明しなくていいです!」
『スマホ? 小さなラジオかな?』
「電話です。というか、通信端末で、音楽も聴けて――」
初春が送信を切ろうとする。
佐天が初春の腕へしがみついた。
「ちょっと待って! 向こう、スマホ知らないみたい!」
「だから説明しないでください!」
『その携帯電話に、音楽を入れておけるのかい?』
「入れられます。でも、私はいつもストリーミングで聴いてたから、端末にはダウンロードしてなかったんです。音楽なしは寂しいから、リクエストしたくて」
初春が両手で顔を覆った。
『ストリーミング。へい、それはどんな素敵な星のスキルなんだい?』
「ネットにつないで、その場で配信される音楽を聴くんです。月額でいろんな曲が聴き放題になってて。ダウンロードっていっても、買い切るんじゃなくて、オフラインで再生できるようにしておく方です」
『SO、クール……。つまり、アルバムどころか、一曲ずつ買わなくてもいい?』
「契約してる間は、ですね。曲そのものを所有してるわけじゃなくて、聴く権利があるっていうか」
「佐天さん!」
初春が佐天からマイクを取り上げ、送信を切った。
部屋に静寂が戻った。
「曲名だけって言いましたよね!」
「でも向こう、スマホもストリーミングも知らなかったんだよ?」
「知らない相手に、どうして一から説明するんですか! 佐天さんの好奇心で、外部に情報を流さないでください!」
「そんな大した情報じゃないよ。音楽の聴き方だけじゃん」
「その音楽の聴き方を可能にする通信網と、料金制度と、著作権処理の仕組みまで話したんですよ!」
佐天は口を閉じた。
数秒考えたあと、申し訳なさそうに目をそらす。
「……曲、流してくれるかな」
「そこですか!」
ラジオからDJの声が戻ってきた。
『サテン・ルイコ! 学舎の園から届いた、記念すべき最初のリクエストだ!』
軽快な前奏が流れ始める。
知ってる曲に、佐天の顔が一気に明るくなった。
「初春、流してくれた! これも情報だよ! 私たちの世界と同じ曲が、同じタイトルである!」
「喜んでる場合じゃありません!」
『学校で暮らす君と、そちらにいる友達へ。この曲を送ろう!』
初春の動きが止まった。
「……今、学校で暮らすって」
「学舎の園って言ったからじゃない?」
「学舎の園ってだけで、学校だと理解していることになりますよ」
二人はラジオを見た。
DJは何事もなかったように音楽へ戻っている。
佐天も、ようやく笑顔を引っ込めた。
「もしかして、最初からいろいろ知ってるのかな?」
「だから怪しいと言ったんです」
「でも、まだ学校ってことと、私の名前と、スマホのことくらいだよ」
「それだけでも十分すぎます!」
「中学生とは言ってないし、人数も言ってないよ」
「次に聞かれても、絶対に答えないでください」
「分かってるって〜」
佐天はそう答えながら、流れている音楽へ耳を傾けた。
三日ぶりに聴く、知っている曲だった。
+ + + + + + + + +
遠く離れたどこかの通信施設で、佐天の声が何度も再生されていた。
分析官の一人が、聞き取った日本語を紙へ書き出す。
SATEN RUIKO.
その下に、判明した事項が箇条書きで並んでいた。
・学舎の園。
・日本語を母語とする若い女性。
・携帯式多機能通信端末。
・民間向け高速通信網。
・音楽の即時配信。
・定額契約による多数の著作物へのアクセス。
・端末への一時保存。
・購入ではなく、契約期間中の利用許諾。
「曲を一つ送っただけで、ずいぶん話したな」
後ろに立つ男が言った。
「本人は、情報を渡したつもりがないと思われます」
分析官は録音を巻き戻した。そう巻き戻した。
少女の明るい声が、もう一度再生される。
『音楽なしは寂しいから、リクエストしたくて』
「日本政府の用意した人間ではないな」
「即興で話している。隣には、通信技術に詳しい別の少女がいる」
「そちらの名前は」
「まだ取れていない」
別の分析官が、音楽配信制度に関する報告書を机へ置いた。
「こちらの民生通信では想定されていない形です。曲を一つずつ販売するのではなく、膨大な楽曲群へのアクセス権を期間単位で売っている」
「そのシステムの場合、著作権者への分配はどうなっているんだ?」
「不明です。ただし、個々の再生を記録できる通信基盤がある可能性が高い」
「携帯電話で、それを行う?」
「本人は当然のこととして話しています」
男は、佐天の名前が記された紙を見下ろした。
日本政府が首相を送り込み、正式な交渉を始めている一方で、都市の内側には、外から流れてきた音楽に反応して自分から話しかけてくる少女がいる。
統一された情報統制は、まだ成立していない。
残された時間は少ないだろう。
「放送を続けろ」
「次も音楽番組ですね?」
「そうだ。変える必要はない。政治の話をすれば、警戒される」
男は録音された少女の声を聞いた。
「彼女が欲しいのは質問ではない。音楽だ。娯楽だ」
分析官は、新しい資料の表紙へ分類を書き加えた。
CIA内部資料。
学舎の園所属。非公式接触対象、佐天涙子。
最初に名前を持った、都市内部の声は音楽のリクエストだった。
冷戦世界では、科学こそそれなりに発展していますが歪つです。
ネットは掲示板文化が主流で、まだSNSは内輪でメッセージを送り合うくらいのぎりWeb2.0です。
また、テレビはまだアナログで解像度は低く、それでも液晶テレビです。ワンセグは災害時用にと、日本だけデジタル化が先に行われたという設定で、帯域はほとんど軍用などに使われてます。
……ところでいま、web2.0って言って通じるかな?