とある科学の令和冷戦   作:大体三恵

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花か、と触れられた国。冷たい、と触れられなかった国

 華央国政府が、日本からの緊急連絡を受け取ったのは、第一回会談が終了して間もなくのことだった。

 

 事の重大さからすると、連絡の内容は短かった。

 

[ 学舎の園側の代表として会談へ出席した御坂美琴という少女が、華央国へ謝罪の意向を示している。そして可能であれば、直接話したいと希望している。詳細については、翌日以降の会談で確認する。 ]

 

 華央国政府の会議室では、翻訳された文面が大型の机へ置かれたまま、誰もすぐには声を上げなかった。

 

 最初に口を開いたのは、外交を担当する国務委員だった。

 

「この文面、一字一句、間違いないのだな」

 

「日本政府からの正式な連絡です。3ヶ国語をつかい同内容で送られてきています」

 

「我が国のミサイルを無力化した本人が?」

 

「華央国へ謝罪したい、と本人が発言しています」

 

 また沈黙が落ち、しばらく誰も声を上げなかった。

 今度の沈黙は、警戒ではなかった。

 

 喜びを表へ出してよいのか、誰も判断できなかったためだった。

 

「悪くない。うむ、悪くないぞ。いや、非常に良い」」

 

 軍事委員会の幹部が、ようやく感想を述べた。

 隣の国務委員も、無言でうなずき否定しなかった。

 

 学舎の園は、日本の東京湾へ出現した。

 最初の正式交渉相手が日本になることは仕方がない。当然というより必然だ。

 

 だが、日本の次にはアメリカが出てくる。

 世界の大半はそう考えていた。

 

 日米関係は強固で、太平洋における軍事的影響力は計り知れない。

 

 そこに未知の技術を巡る競争が飛び込んできた。

 

 どれを考えても、華央国は日本とアメリカが作る枠組みの外へ追いやられる可能性があった。

 

 ところが、当の学舎の園側から華央国の名が出た。

 謝罪という形ではあるが、それでも、誰からも呼ばれず、遠くから見ているだけよりはるかに良い。

 

「謝罪を受けること自体は重要ではないですね」

 

 外務部の高官が言った。

 

「重要なのは、彼女たちが我が国を交渉相手として認識していることです」

 

「こちらから接触を求めるのと、向こうから名を挙げるのでは意味が違う。こちらを彼女たちは見ている。意識している。」

 

「これで日本政府も、我々を無視はできません」

 

 会議室の空気が、少しずつ明るくなった。

 もちろん、御坂美琴という少女への警戒が消えたわけではない。

 華央国は、ほかのどの国よりも彼女たちの危険性を知っていた。

 

 スクリーンへ、日本政府が公開した公式映像が映される。

 

 船上へ出現する二人の少女。

 長い髪を二つに分けた少女が、もう一人の手を握っている。

 日本側の発表によれば、長い髪の方が白井黒子。

 

 空間を移動する能力者だと衝撃の自己紹介した。

 

 茶色い短髪の方が御坂美琴。

 テレビのテロップには常盤台中学の生徒と書いてある。

 華央国の分析官は、映像を一時停止した。

 

「顔を拡大します」

 

 画質は、日本のテレビ放送から取得したものだった。

 

 それだけなら、ほかの国と条件は変わらない。

 だが、華央国には別の映像がある。

 

 領空侵犯機へ接近した戦闘機が撮影した、高画質の軍用記録映像だ。

 黒く巨大な異形の装備、その中央にいた、三人の少女の姿。

 

 撮影距離は一定ではなく、映像も激しく揺れていた。

 それでも、ほかの国が持つ断片的な資料よりはるかに鮮明だった。

 なによりただの接触ではない。多段の攻撃を捻じ曲げ、回避し、無効化した連続性のある一連の映像である。

 価値は計り知れない。

 

 二つの映像が並べられる。

 

 一方は、日本の首相と向き合う制服姿の少女。

 もう一方は、巨大兵装の中央で空を飛ぶ少女。

 

「髪形は一致」

 

「顔の輪郭も一致してると言えます」

 

「身長は誤差の範囲内か?」

 

「耳の形状、眉の位置、目の間隔も同一人物である可能性を支持します」

 

 解析結果が順に表示され、国務委員がスクリーンを見上げた。

 

「つまり、我が国へ謝罪したいと言っている少女が、あれに乗っていた可能性が高い」

 

「極めて高い、とデータから判断します」

 

「迎撃ミサイルを受けた者か……。それで、ミサイルを撃たせて悪かったと?」

 

「日本側の伝達では、そのように発言したとされています」

 

 軍人たちの表情が複雑になった。

 領空侵犯して、迎撃を必要とする事態を起こしたことへの謝罪ではない。

 

 高価なミサイルを消費させたことが申し訳ないなど、理由だけを聞けば、あまりにも軽い。

 

 だが、少なくとも彼女は華央国を、名前のない敵として扱ってはいない。

 撃たれた側でありながら、撃った側にも事情があると考えている。

 

「これは…………本当に、ただの学生なのかもしれんな」

 

 誰かが呟いた。

 

「ただの学生が、あの兵器を動かしますか?」

 

「学生であることと、危険であることは両立するだろう? こっちが素手で、子供がナイフを持っていたら油断すべきではない」

 

 軍事委員会の幹部はそう言って、記録映像へ目を向けた。

 華央国空軍の戦闘機が、黒い異形を追っている。

 華央国が戦略的価値を認め、莫大な対価と外交的譲歩を積み重ねて手に入れたソ連製の最新鋭機である。

 

 その機体でさえ、黒い兵装の無茶な機動へ完全には追随できなかった。

 ただし、ほかの機体なら、撮影できる距離へ近づくことすら難しかっただろう。

 

「撮影した操縦士は、現在どこにいる」

 

「基地で待機しています」

 

「彼を会談へ出せるか? 実際に彼女を見た者だ。彼女が謝罪したいというなら、撃った側の人間と話させるのも悪くない」

 

「政治家より先に軍人を出せば、威圧と受け取られる可能性があります」

 

「正式代表としてではない。事実確認のための同席者と登録しろ」

 

 軍事委員会の幹部も考え込んだ。

 操縦士は、御坂美琴を敵機として追った。

 ミサイルが殺到する中、それでも落ちなかった黒い兵装が、突然あり得ない方向へ加速したところまで目撃した。

 

 本人も、聞きたいことは多いはずだった。

 ──聞きたいことが多いと危ないな、と国務委員は気がついた。

 

「操縦士には、余計な発言をしないよう教育しておけ」

 

「承知しました」

 

「ただし、必要以上に発言を縛るな。相手が少女だからといって、用意した文章を読み合うだけでは意味がない」

 

 国務委員は、もう一度、日本側から届いた文書を見た。

 

「直接話したいと言ったのは、向こうだ。ならば、我々も直接答えよう」

 

 声には、隠しきれない満足があった。

 彼の背後で繰り返し流れる公式映像の中で、白井黒子は御坂美琴の手を握り続けていた。

 

 華央国の分析報告書では、それを空間移動能力による緊急離脱を可能とするための継続的接触と記載していた。

 

 美琴がもう一方の手を重ねたことについても、接触面積を増やし、転移時の確実性を高める行動の可能性と分析している

 

 華央国の政府と軍にとって、女子生徒同士が手を握ることより、首相の前から一瞬で消えられる能力の方がはるかに重要だった。

 

 

+ + + + + + + + +

 

 ソビエト連邦──。

 モスクワでは、同じ報告が異なる温度で読まれていた。

 

「島の少女は、華央国を指名したそうだ」

 

 ソ連共産党中央委員会の会議室で、外務担当書記が言った。

 誰も聞き返さなかった。

 聞き間違いであってほしいと考える者はいたが、もはや確認する意味はない。

 机の上には、日本政府から各国へ伝えられた会談概要が置かれている。

 

・学舎の園側代表の御坂美琴が、華央国への謝罪を申し出た。

・日本政府は、今後の直接対話を調整する。

 

 その二行だけで、この室内を陰鬱にさせるに十分だった。

 

 ソ連指導部は、学舎の園が最初に日本と接触することを受け入れていた。

 当然だ、必然である。

 地理的な優位性があり、言語も一致し、日本政府が現場を押さえている以上、最初の交渉を他国が奪うのは難しい。

 

 問題は、その次である。

 ソ連は、次の主要な交渉相手がアメリカになると予測していた。

 腹立たしいが、理解できる順序だった。

 

 その後にソ連。

 この会議室にいるものたちは、これを目論んでいた。

 

 少なくとも、世界を二分する超大国の一方として、完全に無視されることはないはずだ。

 ──そう考えていた。

 

 ところが、呼ばれたのは華央国だった。

 

「これは…………謝罪のためだ」

 

 軍参謀の一人が言った。

 

 慰めるような言葉だった。

 

「領空侵犯と迎撃があったという特別な経緯がある」

 

「分かっている」

 

 外務担当書記は答えた。

 

「華央国が我々より重要だと判断されたわけではない。だが、重要でないから問題がない、という話でもない」

 

 室内は室外に飛び出したいほど寒々としていた。今は夏だが、外が極寒の冬でも飛び出したいくらいだ。

 

 なさけなく怒鳴る者はいない。

 意味なく机を叩く者もいない。

 

 華央国が指名されたことへ露骨な嫉妬を示せば、ソ連自身の立場が弱く見えてしまうだおる。また、学舎の園という存在もそう見るだろう。

 

 それ以上に、この一報は怒りより冷たい不安をもたらしていた。

 

 学舎の園は、ソ連を知らないのでは?

 

 この世界の冷戦構造すら、つい先ほどまで把握していなかった可能性がある。

 

 アメリカを知らない可能性もあるが、米軍基地があり、同盟国だ。すぐに情報が日本から届けられるだろう。

 

 それでも最初の二つの窓口が、日本と華央国になった。

 

 意図的にソ連を避けたわけではないのだが、だからこそ悪いと言えた。

 避けられたのではなく、まだ選択肢として認識すらされていない。

 

「アメリカは動く。もう動いているのだろう?」

 

 国家保安機関の長が言った。

 

「日本政府への圧力ですね」

 

「それだけではない。学舎の園内部との独自接触を試みている可能性もある」

 

「証拠は? なにかそれを示すような報告が?」

 

「まだない。だが、やつらはやる」

 

 実際に、アメリカはすでに佐天涙子との通信に成功していた。しかしソ連は、その事実を知らなかった。

 知らないまま、それでもアメリカならやると予想していた。

 その予想が正しいことが、さらに室内を冷たくした。

 

「華央国は、我々の戦闘機で映像を撮影した。我々の最新鋭機でな」

 

 軍参謀が苦々しく言った。

 

「最新鋭機輸出を承認したのは我々だ」

 

「その結果、彼らは世界で最も鮮明な映像を持っている。だが売らなければ、別の問題になっていただろうな」

 

 理解していても、愉快な話ではなかった。

 ソ連が華央国との関係維持のために渡した最新鋭戦闘機が、今は華央国を学舎の園へ近づける切り札になっている。

 

 彼らは映像を持ち、撃った当事者を持から、謝罪を受ける理由を持つ。

 

 ソ連には何もなかった。

 

「日本政府を通じて、正式な接触を再度要求する。いや、繰り返し要求しているのだな?」

 

 外務担当書記が頭を抱える

 

「はい。待たされている状態です」

 

「国際調査団の設置についてはなんと」

 

「日本は検討するとしか回答していません」

 

「では国連を使う」

 

「それこそアメリカが主導権を取る可能性があります」

 

 議決数や、息のかかった諸国家の問題ではない。学舎の園が日本の東京湾にあって、米軍基地が近隣にあるならば、次に接触するのはアメリカであろうという論調になるのは確実だ。

 それを覆す材料は、今のソ連にはない。

 どの道を選んでも、ソ連が最初にはならない。

 会議室の出席者たちは、その事実を理解し始めていた。

 

「日本国内の経路を使うべきでは?」

 

 国家保安機関の長が、静かに言った。

 思い当たる節のある何人かが彼を見る。

 

「どの経路だ」

 

「日本の政界には、我が国との関係を維持してきた者がいる」

 

「社会党か。共産党か」

 

「それだけではありません」

 

 長官は、一枚の資料を机へ出した。

 日本人政治家の経歴書だった。

 現職の国会議員で、複数回の入閣経験を持つ重鎮だ。

 

 公には親米でも反米でもなく、日本の自主外交を主張している。

 その一族は、帝政ロシア時代からロシアの外交官、貴族、軍人と私的な関係を持っていた。

 革命後も、その縁は完全には切れなかった。

 

 政体が帝国からソビエトへ変わっても、一族は「ロシアとの窓口」であり続けた。

 

「彼を使うのか」

 

「使う、という言い方は正確ではありません」

 

「では、頼むのか」

 

「さらに正確ではない」

 

 国家保安機関の長は、政治家の写真を見下ろした。

 

「彼自身が、日本とロシアの関係を守るために動くよう、事情を理解させる」

 

「理解させるか……迂遠だな。では、接触を拒否された場合は」

 

「対日工作網の一部が露見する可能性があります」

 

「彼が日本政府へ報告すれば?」

 

「長年維持してきた政界経路が失われます」

 

「アメリカ側へ流れればどうなるかね?」

 

「日本における我々の戦略そのものを再構築する必要があるでしょう」

 

 聞いてみると最終手段に近かった。

 その政治家は単なる協力者ではない。

 

 日本政府の内部、保守政界、旧家、財界を結ぶ、数少ない対露窓口だった。

 学舎の園のためだけに動かして失敗すれば、その後の対日戦略が吹き飛びかねない。

 

「……まだ早いな」

 

 軍参謀が言った。

 

「アメリカの正式な動きを見てからでも遅くない」

 

「その頃には、アメリカ人が少女たちへ星条旗を配っているかもしれん」

 

 外務担当書記が乾いた声で答えた。

 冗談だが、冗談としては、誰も笑えない冗談だった。

 言った本人ですら、気まずくて失礼──と、タバコを吸い始める。

 

「華央国との会談が実現すれば、ソ連が三番目に選ばれる保証はない。四番目すらあやしいだろう。イギリスも動いている。フランスもだ。日本が国際調査団を受け入れれば、個別接触自体が難しくなる」

 

 軍参謀が言い終えると、沈黙が続いた。

 

 やがて、中央委員会書記の一人が資料へ手を伸ばした。

 

「接触の準備だけ進めろ。実行だけはするな」

 

 国家保安機関の長が、明確な指示に顔を上げる。

 

「承知しました」

 

「ただし、日本政府がアメリカの代表団受け入れを決めた場合は、再度ここへ上げろ」

 

「華央国との会談が先に決まった場合は?」

 

 書記は少し考えた。

 

「その場合もだ」

 

 つまり、どちらが起きても切り札を検討する。

 

 そこまで追い込まれているということだった。

 

+ + + + + + + + +

 

 

 日本政府の公式映像について、ソ連の分析官も報告書を作成していた。

 

 白井黒子が御坂美琴へ密着している理由は、[ 緊急時の空間転移に備えた身体接触 ]とされた。

 

 御坂美琴が白井黒子の手へ自分の手を重ねた行動は[  相互の精神的安定、および転移時の接触確認 ]と分析された。

 

 報告書を読んだ軍人も、党官僚も、それ以上の意味を考えなかった。

 

 ソ連指導部にとって問題なのは、二人の少女が互いにどのような感情を抱いているかではない。

 その二人が日本の首相と会い、華央国の名を口にし、それでもソ連の名を一度も呼ばなかったことだった。

 

 華央国では、次の会談へ誰を出すかが話し合われている。

 ソ連では、呼ばれるためにどの切り札を失う覚悟が必要かが話し合われている。

 

 赤い二つの国が見ていた未来は、まったく異なっていた。

 

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