イギリス政府が、学舎の園の少女二人について統一された見解を持つことはなかった。
首相官邸には首相官邸の見解があり、外務省には外務省の見解があり、軍には軍の見解がある。
情報機関も一枚岩ではない。
さらに王室周辺、大学、新聞社、古くからの会員制クラブ、外交官の私的な夕食会が、それぞれ勝手に考え、互いの話を聞き、話半分に疑いながら別の誰かへ伝えていた。
したがって、日本政府が公開した短い映像についても、イギリス国内では複数の分析が同時に進んでいた。
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英国の情報機関の一部門。その会議室では、白井黒子の空間移動能力が検討されていた。
「接触中の人物を伴って移動できる」
分析官が映像を止めた。
「船上へ移動したあとも、白井黒子は御坂美琴との接触を維持しています」
「緊急離脱のためだな。優先させている。いや、一人だけを送れる可能性もあるな。その直後、も一人と飛べばワンアクションだ」
軍出身の職員が、細かく行動をシミュレートして言った。
「では、なぜ御坂の方から手を重ねた?」
別の分析官が尋ねた。
画面の中で、美琴が黒子に握られた手へ、反対の手を添えている。
「接触の確実性を高めた……とか」
「片手で足りる能力なのでは? 少なくても帰るときにはそうしていた」
「……不安だった」
「どちらが?」
「両方だろう」
会議室の端で、若い職員が資料をめくった。
「白井は御坂を『お姉様』と呼んでいます」
「姉妹なのか? 姓が違うぞ」
「異母姉妹、養姉妹、義姉妹という可能性も」
「同じ学校の上級生をそう呼ぶ制度かもしれません。閉ざされた学校の制度とは、時として我々の想像以上のことを要求します」
何人かが、自国の寄宿学校を思い浮かべて黙った。
苦々しく思い出している表情のものもいる。
「結論は?」
議長が尋ねた。
「空間移動に必要な接触である可能性が高い。ただし、それだけでは説明できない親密さが存在する可能性も排除できません」
「うむ、わかった。外交上の利用価値は現時点ではないな」
答えは即座だった。
「二人の関係が姉妹でも、友人でも、恋愛関係でも、イギリスの交渉条件は変わらない。弱点として利用すれば、学舎の園全体から敵視される危険の方が大きい」
「ならば、調べる必要はないな」
「意識する必要もありません」
分析官は一拍置いた。
「興味はありますが」
「記録を消しておけ」
「この
「その発言の
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その夜、セント・ジェームズ地区の会員制クラブでは、同じ映像が三度目の上映を迎えていた。
壁には歴代の政治家、提督、外交官の肖像画が並んでいる。
弱々しい暖炉の火は季節に合わなかったが、誰も消そうとは言わなかった。
その火で、紅茶のためとろとろになるまでお湯を沸かしているのだから、当然とも言える。
「二人のスクールガールは姉妹に5ポンド」
元外交官が賭けると、大学教授が首を横にふる。
「姓が違うぞ」
「だから倍率が良いのだよ」
「私は学校の伝統的な呼称に10ポンド」
「それでは手を握る理由が説明できない」
「空間移動の安全措置だ。間違いない。シンクタンクもそう予想している」
「御坂嬢の方から両手で包んでいるが?」
「異世界の安全基準は我々と異なるかもしれん。能力を解き明かす糸口になるかもしれんぞ。たとえば……触れ合うと力が高まる」
賭けに参加しない給仕が、何も聞いていない顔でグラスを置いた。
テーブルの中央には、非公式の賭け帳が開かれていた。
一、実の姉妹、またはそれに準ずる家族関係。
二、学校制度上の姉妹関係。
三、護衛対象と護衛役。
四、空間移動能力の運用上、継続接触が必要。
五、親しい友人同士。
六、特別な恋愛関係。
七、学舎の園では一般的な社会的距離。
八、上記の複数が同時に成立している。
最後の項目だけ、倍率が低かった。
「八番はいささか卑怯ではないか?」
「現実は、たいてい分類表より複雑だ。君も長い人生で知っているだろう?」
「しかし、それでは賭けにならん」
「では六番に一点で賭けたまえ」
「少女同士だぞ? ありえないだろう?」
「それが否定材料になるのか? きみも聞いたことくらいはあるだろう。そういう恋愛関係を」
「我々の社会では、少なくとも公的な会談であそこまで密着するのは珍しい。いかん、いま想像してしまった」
「我々の社会では珍しい、だ。知らない、どこからきたかわからない存在の社会ではわからん」
東洋文化を専門とする老教授が、葉巻を灰皿へ置いた。
「彼女たちは異なる世界から来たと主張している。日本語を話し、日本の制服に似た服を着ているからといって、社会習慣まで我々の日本と同一とは限らない」
「少女同士の恋愛関係が公的に承認されている世界かもしれないと?」
「あるいは、恋愛と友情を我々ほど明確に分けない文化かもしれない。言語として、どちらかが存在せず、あるいはシニフィエが重なり合っている可能性もある。」
「学校ごとに擬似的な家族制度がある可能性もある。そうだ。だからこその結束だろう」
「能力使用者と同行者が、精神安定のために身体接触する慣習かもしれん」
「御坂嬢が白井嬢の能力を安定させているという可能性は?」
「逆もある。白井嬢が御坂嬢を落ち着かせている」
誰かが映像を巻き戻した。
美琴が黒子の手へ自分の手を重ねる。
「確かに、御坂嬢の方が慰めを求めているようにも見える」
「いや、慰めているな」
「よし、賭けるか?」
「うけよう!」
こうして、国家安全保障とは直接関係のない議論が続いた。
だが、その過程で彼らは、ほかの国が見落としていた可能性を次々に挙げていた。
学舎の園には、異なる家族制度があるかもしれない。
友情と恋愛の境界が異なるかもしれない。
能力者同士の接触には、技術的または心理的な意味があるかもしれない。
制服や言語が似ていても、社会規範まで同じとは限らない。
言語が同じようでも、言葉の概念や意味が違うかもしれない。
少女たちの振る舞いを、この世界の日本人女子中学生の常識だけで判断すべきではない。
これほど多くの推測が並びながら、彼らは異文化理解のために議論しているのではなかった。
すべては賭けを楽しむためだ。
それでも、結論だけを見れば、かなり真っ当な文化人類学的考察になっていた。
「──ところで女王陛下も、これについてお尋ねになったそうだ」
クラブの奥で、それまで黙っていた老紳士が、葉巻タバコの煙を吐き出し言った。
室内が少し静かになった。
「何をおっしゃったので?」
「映像をご覧になって、あの二人はどういう関係なのかと」
「女王陛下が? まさか、そんなふむこむなど……」
国家元首の言葉は軽くない。尋ねたら確認せねばと、動くものがいる。
相手も答えなければと、努めてくることもあり、それが大きな負担や問題になることもある。
「正確には、『二人について伺ってよろしいのかしら』と」
数人が姿勢を正した。
「それは、どのような意味で?」
「二人の関係か、あの不思議な力についてか、もしかしたら見た目通りの年齢か、という意味かもしれんな」
老紳士は葉巻を置いて、グラスを傾けた。
「陛下は、質問なさっただけだ。まあ誰も確かなことを申し上げられなかったが」
「では王室も六番を排除していない」
賭け帳へ新しい注記が加えられた。
・王室も関心を示したとの未確認情報あり。
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翌日、外務省の非公式な昼食会では、クラブで出た仮説の一部が、出所を失ったまま話題に上った。
「学舎の園の社会習慣が、こちらの日本と同じとは限らない」
若い外交官が言った。
「制服と日本語に引きずられすぎている、ということか」
「はい。家族制度、学校文化、同性間の距離感、能力者の行動規範。言語ですら発音が同じだけで、意味が違うなど。どれも確認が必要です」
上司は資料を読んだ。末尾には、次の一文があった。
・学舎の園の構成員について、外見上の類似のみを根拠に、現代日本社会と同一の価値観・制度・対人関係を持つと仮定してはならない。
「ところで、君自身はどれだと思う」
聞き方が軽かったので、若い外交官は見解か、賭けにのるかの質問かわからなかった。
さすがに公務中なので、賭けは行われなかった。
しかし、ランチタイムに改めて行われた。