その夜、佐天涙子は電波を使えなかった。
学舎の園の外部へ向けた無許可の電波送信を禁止されていたからである。
知らないラジオ放送へ話しかけ、曲をリクエストし、そのついでに学園都市の通信端末や音楽配信について説明してしまった件が、臨時議会へ報告されたためだった。
佐天本人としては、尋ねられたことへ答えただけである。
しかし、食蜂操祈から、
「あなたの『尋ねられたから』は、諜報活動力に対してあまりにも無防備すぎるのよぉ」
と説教され、通信機器には使用制限をかけられた。
初春がせっかく改造したデジタルアマチュア無線は、没収されてしまった。
だから使えないから、電波は使わなかった。
代わりに、光を使った。
「……よし」
学舎の園の外周に近い建物の屋上で、佐天は大型の災害用ライトを抱え直した。
学園都市製の非常用投光器である。
瓦礫や煙の中でも光が散りにくく、直進性が高い。出力を最大にすれば、相当な距離からでも視認できるだけの光度を持つ。
もちろん、本来は夜間の捜索や救難信号に使うものだった。
海岸へ向けて音楽を要求するための道具ではない。
佐天は遠くに見える沿岸の明かりを見つめた。
学舎の園と陸地の間には距離がある。
それでも今夜は、こちらを見ようとする人々が集まっているらしく、海岸線の一部だけが不自然に明るかった。
政府施設と報道用の照明が煌々としており、車のヘッドライトが行き交っている。
何かのイベントと勘違いしたような電飾まで見える。
「電波が駄目なら、モールス信号ですよね。」
誰にともなく言った。
元の世界とこちらの世界。モールス信号が同じとは限らない。
モールス信号はアルファベットの書き順と形状から、信号パターンが決められた歴史がある。
ほぼ同じになるだろうが、まったく同じになるとも限らない。
実際、国際標準化を主導した言語の頻度差かもしれないが、元の世界とモールス信号はOとRが入れ替わって、Lは旧アメリカ式で特殊な長い音だった。
いまはそれらを修正したアンチョコを使って、佐天もモールス信号を発信できるようになった。
練習もしている。
佐天は投光器の遮光板を操作した。
一定の間隔で、光が海を渡る。
モールス信号は、学園都市の防災教育で習い、緊急通信訓練の試験も受けている。
佐天は無能力者だったが、それ以外の部分まで平均以下というわけではない。
機械の扱いも早く、記憶力も悪くない。
危険な場面で思い切りよく動ける。
怪談や都市伝説が絡むと判断力に多少の問題が出るだけで、普通に考えればかなり高性能な中学生だった。
光が文章を作る。
〜こちら佐天涙子。
〜昨日の放送を聞いていた人へ。
〜また音楽をお願いします。
最後に、聞きたかった曲名を送る。
「これなら情報漏洩じゃないですよね」
佐天は満足げにうなずいた。
「単なるリクエストですし」
「って、何をしているんですか佐天さんっ!」
背後から聞こえた声に、肩を跳ねさせた。
「う、初春?」
屋上の出入口から初春飾利が駆けてくる。
佐天がライトを抱えたまま屋上の縁へ近づいているのを見て、顔色を変えた。
「そんなところに立たないでください!」
初春は佐天の背後まで来ると、腰へ両腕を回して強引に柵から引き離した。
「ちょ、初春、近い近い」
「落ちるよりいいです!」
「落ちないってば」
「佐天さんは、そう言いながらいつも危ないことをするんです!」
佐天はライトを抱えたまま、初春に後ろからしがみつかれる形になった。
振りほどこうとはしなかった。
初春が本気で心配していることくらいは分かったからだ。
「それに、外部との通信は禁止されたでしょう!」
「電波通信は禁止されたけど、光通信は禁止されてないよ」
「そういう抜け道を探さないでください! そういうところは本当に佐天さんですね!」
屋上の扉が、勢いよく開いた。
「佐天さぁん?」
食蜂操祈が立っていた。
彼女の笑顔が一瞬見えたあと、一回開いたドアが跳ね返って、また閉まった。
ふたたび勢いよく開けられた時、食蜂の顔は怒っていた。
「こわっ! 大魔神!」
その隣では、美琴が肩で息をしている。食蜂の腰を抱いている体勢を見るに、美琴が食蜂を抱えて電磁浮遊で移動してきたようだ。
「沿岸部へ向けて、何か強い光を点滅させているという報告が来たのだけれどぉ」
「さ、災害用ライトです」
「用途を聞いたのではないのよぉ」
「その〜。あはは、音楽のリクエストを」
「御坂さぁん」
食蜂は佐天から美琴へ顔を向けた。
「あなた、同居人に何を教育してるのかしらぁ?」
「……ちょっと待って」
「どうしたのぉ?」
「私は、あんたを運ぶ前…………はあ、結構な距離…………はあ、は、走ってんの」
息を整えている最中の美琴を
本当に食蜂は待ち始めた。
佐天が小さく手を挙げた。
「あの、私の発案です」
「分かってるわよ!」
美琴と食蜂の声が重なった。
黒子は、この場にはいなかった。
翌日も移動要員を務めるため、教師と食蜂によって強制的に就寝させられている。
この騒ぎを知れば確実に起きてくるため、誰も呼ばなかった。
「とにかく、そのライトを消しなさい」
美琴が手を差し出し言った。
「はい。でも、もう送り終わりましたよ。電波も使ってませんし……」
「もっと悪いわねぇ。肉眼で見えるじゃない。サービスしすぎよあなたぁ」
食蜂は呆れモードに入っていた。
そのとき、初春が佐天の腰へ腕を回したまま海岸を見た。
「あれ? 向こう、光ってませんか?」
一同が沿岸へ目を向ける。
最初は、車のヘッドライトが動いただけに見えた。
次に、海岸近くの建物から強い光が上がった。
間を置いて、また点滅する。
「返事だ!」
佐天が身を乗り出す。
初春が腰を抱く腕へ力を入れた。
「乗り出さない!」
「でもモールスだよ、初春!」
「だからって落ちていい理由にはなりません!」
沿岸の別の場所でも光が点滅し始めた。
懐中電灯を振っているだけの者もいる。
明滅の間隔が不揃いで、モールス信号になっていないものも多い。
自動車のライトをつけたり消したりしている者。
テレビ局の照明を使って、こちらへ合図を送ろうとしている者。
弱い光が多かったが、食蜂が持ち込んだ望遠装置で拡大すると確認できた。
「完全に見世物になってるじゃない」
美琴が頭を抱えた。まだ息は整えている最中だ。
「佐天さんが最初に呼びかけたからよぉ」
「音楽を頼んだだけなのに……」
「異世界から来た空中都市が光で話しかけてきたら、普通は大事件なの」
不規則な点滅が海岸線へ広がっていく。
その中で一つだけ、妙に正確な光があった。
港湾地区にある高層建築の屋上。
ほかの光より細く、一定の方向を保っている。
点滅間隔にも乱れがない。
同じ短い信号を何度も繰り返していた。
「待ってください」
初春が佐天から手を離した。
今度は自分から柵へ近づき、望遠装置を操作する。
「初春?」
「静かにしてください。今、読んでます」
佐天が口を閉じ、美琴と食蜂も黙る。
光は単語ではなく、数字と記号を大量に含んでいた。
通常の会話としては不自然だった。
同じ区切り。
同じ前置き。
その後に続く、規則的な文字列。
初春の表情が変わった。
「これ、プロトコルです!」
「プロトコル?」
美琴が聞き返す。
「通信規約です。接続先、変調方式、フレームの区切り、文字コード、誤り検出……全部じゃありません。最初に接続するための最低限の仕様です」
「光でそんなものを送ってきたの?」
「これだけなら送れます。たぶん向こうに、こっちが通信できない理由を推測した人がいるんです」
初春は早口になった。
「私たちの通信機器と、この世界の通信網は、物理的には接続できる可能性がありました。でも、信号の意味づけや認証方法が全然違っていたんです」
学舎の園には、通信設備がある。
受信機も送信機も、演算装置もある。
しかし、線をつないだり、無線を拾えばそのまま外部のネットワークへ参加できるわけではない。
通信する際の規則そのものが異なっていた。
初春なら、外部の信号を長時間観測し、解析し、変換用の仕組みを一から作ることもできた。
ただし、それには大量の演算資源と作業時間が必要になる。
現在、学舎の園の情報処理設備は、内部の点呼、物資管理、設備監視、外部放送の解析を優先していた。
勝手に負荷の高い侵入作業を始めれば、重要なシステムへ障害を起こしかねない。
だから初春は手を出さなかった。
佐天とは違うのだ。
「向こうから仕様を教えてくれるなら、話は別です」
初春は携帯端末を取り出した。
「使っていない端末を一台、完全に内部網から切り離します。そこに変換処理だけを組んで、外部通信設備へ直接つなげば……」
初春は屋上へ座り込んだ。
佐天がすぐ隣へしゃがむ。
「手伝おうか?」
「佐天さんはライトを持っていてください」
「返事する?」
「はい。仕様を受け取ったことと、試験通信を始めることを送ります」
「オッケー、任せて」
二人のやり取りを見て、食蜂が眉を寄せた。
「勝手に始めて大丈夫なのかしらぁ?」
「園内の基幹システムには接続しません。外部から侵入されても、この端末一台で止まります」
「相手が何者か分からないわよ」
「だから隔離します。それに……」
初春は沿岸の光を見た。
「たぶん、向こうも私たちと話したがってます」
美琴と食蜂が顔を見合わせた。
佐天が投光器を点滅させる。
> 仕様受信。
> 試験接続を開始する。
海岸の光が、すぐに返した。
> 了解。
> 待っている。
接続が成立するまで、それほど時間はかからなかった。
初春は受け取った仕様をもとに、信号を相互変換する簡単な中継処理を組んだ。
こちらの通信装置から試験信号を送る。
海岸側の中継点が受け取る。
そこで、この世界のネットワークへ流せる形式へ変換される。
何度か認証に失敗したあと、隔離端末の画面に文字が表示された。
> 接続を確認しました。
「つながった……。インターネットに繋がった?」
佐天が呟いた。
「この世界のものですけど」
初春は端末を操作した。
画面に、検索用の入口らしいページが開く。
幸い、ブラウザは対応できていた。
遡ればHTMLベースは同じである。
厳格な通信規格と違って、HTMLと旧ブラウザに合わせる寛容性に救われていた。
タグ情報が欠落し、いくつかの文字の大きさや色が違うが問題はない。
この世界でHTML5やHTTPSなど使われ始めていたら、接続はなされなかったかもしれない。
遅いながら文字が並び、画像がゆっくりと表示されていく。
ニュースがあり、掲示板へのリンクがあった。
個人が作ったページもちゃんとある。
動画へのリンク。まだ開かない。
確かにネットワークだった。
「お……」
初春の指が止まった。
「重い」
「遅いの?」
美琴が画面をのぞき込む。
「技術そのものが遅れているわけじゃありません。部分的には、私たちの世界の2020年前後に近いものもあります」
「じゃあ、なんで?」
「経路が少ないんです」
初春は接続情報を表示した。
通信経路は、学舎の園から日本の沿岸へ入ったあと、国内の中継点を何度も通っている。
さらに国外の情報へ接続しようとすると、経路が極端に長くなった。
「海底ケーブルが少ない。それに、西側と東側の通信網がほとんど直接つながってません」
「冷戦のせい?」
「たぶん。陣営をまたぐ通信が、ごく少数の経路へ集中してます。迂回路もほとんどありません」
「だから一か所に負荷がかかるのねぇ」
食蜂が画面を見る。
「ええ。設備は新しくても、ネットワーク全体が分断されています。CIDRにも余裕がある……人口に対して、端末が少ないようです」
「初春、サイダーって? シュワーって爽快なやつ?」
「IPv4は使用できるIPアドレスは少ないので……住所に例えると土地は狭いのに一軒屋の家ばかりの街を、仮想上ひとまとめにしてマンションに建て替えて、みんな同じ住所にしちゃえってことです。シュワーっと爽快なのはその通り、この技術でネットが爽快になるんです」
「そっかー。爽快になるならいいね」
佐天が本当に理解してるか怪しいが、初春は作業を続け、いくつかのページを開いた。
大手のニュースサイトは洗練されている。
軍事や研究機関の通信技術も高い。
一方、一般利用者のネット文化は、学園都市の感覚からするとずいぶん古かった。
巨大な掲示板が賑わっていた。
個人運営の趣味のサイトが、まだ主流だ。
日記形式のブログと、個人サイトを緻密に繋ぐ相互リンク。
文字中心のニュースページ。
動画はあるが、誰もが常時配信しているわけではない。
情報は拡散するものの、限られた大手サイトと掲示板へ集まりやすい傾向が強い。
「技術は新しいのに、使い方は十五年か二十年くらい前みたいです」
初春が不思議だという表情で言った。
「世界が別々のまま発達したから、文化も分かれたんでしょうか」
「冷戦継続──コールドキーパー世界らしいわねぇ」
食蜂は肩をすくめ、文明は進むが硬直した文化を見て目を閉じる。
佐天が食蜂のいった言葉に気がつき、首を傾げた。
「コールドなに?」
「
「何ですか、それ」
「情報整理班が、この世界を区別するためにつけた仮称よぉ」
食蜂は端末の画面を指で示した。
「私たちの世界では終わった冷戦を、こちらでは各国が終わらせないまま維持している。冷戦を保ち続ける世界。だから、
「へえ……コールド……ねえ」
佐天は少し考えて答えた。
「冷凍庫みたいなものですね」
美琴が吹き出した。
食蜂は数秒、佐天を見つめた。
「政治学的には最低の感想だけれど、妙に核心を突いているのが腹立たしいわねぇ」
「冷たい状態をずっと保ってるんですよね? じゃあ冷凍庫です」
「世界情勢を家電で理解しないでちょうだい」
初春は会話を聞きながら、接続状態を確認していた。
検索機能が動く。
ニュース記事も読める。
沿岸の映像も見られる。
そして、学舎の園について書き込まれた掲示板が、すでにいくつも見つかった。
「これで、外の情報を直接確認できます。日本政府から説明される前に、各国が何を報道しているかも分かります。ただし、しばらくはこの隔離端末だけです。内部ネットワークへつなぐのは、安全性を確認してからにします」
水を得た魚のように、活躍する初春の目がいきいきしてきた。
これには食蜂も満足そうにうなずいた。
「十分よぉ。お手柄ね、初春さん」
「あのー、私では?」
「反省して、佐天さん」
「はい」