華央国との会談当日。前日のこともあり、御坂美琴の調子はよくなかった。
それでも白井黒子の空間移動に同行し、日本政府が用意した会談場所まで問題なく移動できた。
ただ、時折、握れば掌へ爪が食い込む自分の手を見ていた。
「お姉様。やはり、緊張していらっしゃいますの?」
黒子が横から美琴の顔を覗き込んだ。
「うん。まあ少しね。謝罪するわけだし、緊張するなってのが無理ね」
「ご心配には及びませんわ。何があろうと、この黒子がお守りいたしますの」
「そうね。頼んだわ」
美琴は黒子の背を軽く押し、その手応えを感じる。
黒子は興奮気味だったが、それはそれでいつもどおりだった。
少し後ろを歩く食蜂操祈だけが、美琴の視線の意味を知っている。。
「御坂さん。今日は、謝るだけでは駄目よぉ」
「分かってる」
「華央国側は、あなたを戦闘映像の中でしか知らないの。攻撃する意思がないことだけでなく、今後も話し合える相手だと示す必要があるわぁ」
「そうね。分かってる」
黒子の手を握り、会談場へ向かう。
会談場所は、日本政府の船上に設けられた会議室だった。
学舎の園と華央国のどちらにも属さない場所であり、警備と記録を日本政府が担当する。
室内の奥には、学舎の園を示す旗と華央国国旗が並べられていた。
学舎の園は国家ではない。
そのため日本側は国旗と呼ばず、代表旗という言葉を使っている。
だが、報道映像の中では、二つの旗が対等に並んで見えた。
華央国側の出席者は、駐日代表部の外交官、軍関係者、技術分析官、そして、美琴が会うことを希望していた戦闘機操縦士だった。
年齢は三十歳前後の男性で、軍人というよりスポーツマンのような顔立ちで、濃紺の華央国空軍制服を身につけ、背筋をまっすぐ伸ばしている。
名は、林雪峰大尉。
学舎の園が華央国上空に出現した際、スクランブル発進した戦闘機の操縦士である。
美琴のA.A.A.を追跡し、最も鮮明な映像を記録した人物でもあった。
華央国では、あの黒い兵装を八角龍と呼んでいるという。
八方向へ機械腕を広げ、空を翔け、ミサイルの間をすり抜ける黒い龍。
正式な兵器識別名ではなく、最初に映像を解析した技術者が使った俗称が、そのまま軍と報道へ広まったものだった。
林大尉は、美琴が入室すると立ち上がったが敬礼はしなかった。
代わりに、深く頭を下げる。
美琴も頭を下げ、アメリカとの会談と同じように、誰も手を差し出さなかった。
「御坂美琴です」
「林雪峰です」
通訳を介して、短い挨拶が交わされた。
林大尉は、映像で見た美琴よりもさらに幼いことに驚いているようだった。
だが、その驚きを態度には出さない。
美琴の方も、戦闘機の操縦士に対し、もっと荒々しい人物を想像していた。
実際の林大尉は落ち着いた軍人で若々しく、休日はラグビーでもやっているような青年に見えた。
「最初に、謝らせてください」
着席した後、美琴が言った。
「あの時、私はあなたたちの領空を脅かすようなことをしてしまいました。事情があったとはいえ、勝手に飛んで、ミサイルまで使わせてしまいました。その……ごめんなさい」
食蜂が隣から、わずかに姿勢を変えた。
この会談では、食蜂による精神読取は許可されていない。
それでも相手の表情や呼吸から、ある程度は感情を推測できる。
「謝罪を受け入れます。ただし、私個人としては、あなたに謝罪を求めるつもりはありませんでした」
林大尉が答え、頭を下げていた美琴は、はっと顔を上げた。
「どうして?」
「我々が先に、あなたを攻撃対象として識別したからです」
華央国側の外交官が、少しだけ林大尉を見た。
食蜂がこれに納得するような反応からして、予定された回答より踏み込んでいるらしい。
「あなたは領空へ異常な飛行で接近した。所属不明。呼びかけにも応じない。武装している。軍人として、迎撃する以外の選択肢はありませんでした。しかし、あなたは我々の戦闘機を撃墜しなかった。こちらは攻撃をしたのにです」
「それは……撃ち落とすなんてこと、してはいけないと……」
「状況がわからなかったからですね。こちらもそうです。だから映像を何度も確認しました」
その言葉に、美琴の顔が引きつった。
A.A.A.で飛んでいる姿を、複数の角度から何度も見られている。
戦闘記録として当然だと分かっていても、落ち着かなかった。
「華央国では、あれを八角龍と呼んでいます」
「よい名だと思いますの!」
黒子が目を輝かせ、美琴の隣に寄り添った。
「黒き龍を従え、大空を翔けるお姉様! 実に見事な呼び名ですわ!」
「我が国では、すでにその名で定着しています」
華央国の技術分析官が真面目に言った。
「そう……」
美琴は諦めた。防空を脅かせ、国の威信に傷をつけるようなことをした美琴に、訂正する権利などなかった。
謝って許してくれた華央国の方が、遥かに寛大なのだから、名称がちょっと気になるなんて言えるはずもない。
そして会談は、予想していたより穏やかに進んだ。
華央国側は、A.A.A.の技術情報を直接要求しなかった。
学舎の園側が開示しないと分かっているからでもある。どうやって島が浮いているかの技術どころか、発電システムすら日本やアメリカに開示しないのだから、迷惑料だといって追求するわけにもいかないのだろう。
代わりに、今後、美琴や他の能力者が華央国領域へ接近する場合の連絡方法や窓口について話し合われた。
「次に会う時は、ミサイルを撃たれずに済みそうね」
「次も空で会うのですか?」
美琴が安心していうと、林大尉が少しいたずら気味に尋ねる。
「いやぁ、そういう意味じゃないけど」
「私は、もう一度あなたと飛びたい」
美琴が目を瞬かせた。
林大尉の顔は真剣だった。
「なにそれ、追いかける側として?」
「可能であれば、貴女の隣を」
通訳が訳し終えた後、黒子の眉がぴくりと動いた。
食蜂の口元には、わずかな笑みが浮かんだ。
「よくついてきたもんね。戦闘機ってあんなふうに動けるとは思ってなかったわ」
美琴は、映像の中の戦闘機を思い出した。
失速しないように、いや失速しているのに落ちず、食いつき飛びながら、何度振り切っても追ってきた機体。
性能差を埋めるため、美琴の進路を読み、距離を維持し、最後まで映像を撮り続けていた。
「普通なら、もっと早く諦めると思いますよ」
美琴の言葉を聞き、林大尉は一瞬だけ迷った。
「諦めなければ付いて来れる技量ってわけね、すごいじゃん」
林大尉は黙った。
軍人として称賛を受けることには慣れているはずだった。
だが、自分が追跡した相手から直接評価されることまでは想定していなかったらしい。
「貴女も、あの八角龍も、すごかった」
「出会いは最悪だったけど。次に空で会うなら、撃ち合いじゃない方がいいわね」
「はい」
林大尉の返答は短かった。
ただ、その目には、会談開始時とは違うものがあった。
こうして会談終了後、公式撮影が行われた。
最初に、双方の代表団全員が並ぶ。
次に、代表教師と華央国外交官。
最後に、美琴と林大尉が呼ばれた。
「八角龍の当事者同士ですので、こちらへお願いします」
日本側の撮影担当者が、床へ印を示す。
その背景では、学舎の園の代表旗と華央国国旗が交差している。
美琴と林大尉の二人が、その前へ並ぶ。
美琴は少し落ち着かなかった。
昨夜から、自分の身体について考え続けている。
隣にいる林大尉は生身の人間だ。血が流れ、骨と肉がある。
だが、自分は違う。と、そう考えてしまう。
「もう少し中央へお願いします」
日本人カメラマンが言った。
二人が半歩ずつ近づく。
「はい。ではお二人、握手をお願いします」
「あ、はい」
美琴は反射的に右手を差し出した。
林大尉も手を出した。
二人の手が触れ、しっかりと握られる感覚。
美琴は一瞬だけ、林大尉の手へ意識を集中した。
自分の手も、彼と同じように温かいはずだった。
林大尉から見れば、何の変哲もない握手である。
美琴の中身に光る空洞があることなど、知るはずもない。
撮影機のシャッターが連続して切られた。
カメラの閃光が、交差する二つの旗と、握られた手を照らす。
数秒後、美琴は手を離した。
ただそれだけだった。
「ありがとうございました」
カメラマンはレンズを外し、美琴はどちらへともなく小さく頭を下げ、林大尉も礼を返した。
誰も、その場では問題にしなかった。
黒子を除いて。
「握手。お姉様が、殿方と……」
黒子が呟き、その顔がツインテールごと固まっている。
「なに言ってんのよ、黒子。ただの記念撮影でしょうが」
「アメリカ大使ともなさらなかったのに! 外国人男性として初めてお姉様のお手に触れた人物が、華央国の軍人!」
黒子が騒ぎ、美琴が困る様子を見て、食蜂は口元を手で隠していた。
「食蜂! あんた、笑ってるわねっ!」
「だ、だってぇ御坂さん、今のでまた一つ世界情勢を動かしたわよぉ」
「握手しただけでしょうが」
「そう思っていられるのは、今だけねぇ」
何を想定しているのだろう。
美琴は食蜂の考えがわからなかった。
学舎の園へ帰還し、食蜂は手をひらひらさせ、迎えでた派閥員に囲まれて去っていく。
その様子を見て、しばらく食蜂の言った意味を考えてみるがわからない。
黒子が騒ぐのはわかるけど、儀礼的な握手がそんなに問題になるとは思えなかった。
たしかに、カメラマンから「握手を」と言われた時、美琴は反射的に手を出してしまった。
昨日のことがあって、上の空だったのは事実だ。
だが、それで握手が世界情勢に影響するとは思えない。
「ねえ、黒子。私が握手するくらい問題ないわよね」
「大問題ですのっ!」
「聞いた相手が悪かった」