「でも、思った以上に平和で拍子抜け──いえ、安心しましたわ」
黒子は、少し焦げた髪の先を指で整えながら、安堵したように言った。
「あー、平和よねぇ」
私も窓の外を見て、気の抜けた声で同意した。
資材を積んだ台車が通り過ぎ、向かいから来た別の生徒が道を譲る。
互いに頭を下げ、少し笑い合う。
「学園都市にいた頃でしたら、こうしてお茶を飲んでいる間にも、何か一つくらい起きておりましたもの」
黒子の方は風紀委員として、学園都市中の騒動へよく駆けつけていた。
小さな喧嘩や窃盗ならいいけど、能力を使った暴行に発展したり、窃盗品が危険物なんてこともある。
学生同士の抗争なら可愛いもので、表へ出せない事件まで発生したこともある。
それと比べれば、学舎の園は異様なほど平和だった。
世界ごと見知らぬ海上へ放り出され、帰還方法は不明。
物資は不足し、教師も職員も少ない。
外には、常識も歴史も違う国家が存在している。
それでも、暴動は起きていない。
食料は足りているから、奪う者もいない。
不安につけ込み、他人を支配しようとする者も、今のところ表には現れていない。
「結局、お嬢様の集まりなのよね」
「それは褒めていらっしゃいますの、お姉様?」
「褒めてるし、安心したし、よかったなと思ってるわよ」
学舎の園の生徒は、全体的におっとりしている。
もちろん、能力者であり、名門校の生徒でもある。
プライドは高く、その場で解決を求める傾向がある。
意見が衝突すれば、決闘じみた能力勝負へ発展する者も少なくない。
でもこれって、やめなさいとなるけど、たんなる犯罪とは少し違うのよね。
陰で物資を盗み、他人の弱みを握り、混乱に乗じて利益を得る。
そうした方向へ走る生徒はいない。断言できるほど、いない。
仮に危険なことをする者がいても、私のように一人で突っ込み、敵も味方も巻き込んで問題を解決しようとするタイプ。
レザ先輩のように、自分の思想を優先し、成功すれば正しかったことになると考えるタイプ。
どちらにせよ、金銭や快楽のために弱者を踏みにじる種類っていないのよねぇ……。
「やけっぱちになる人が少ないのは助かりますの。普通なら、もっと荒れてもおかしくありませんわ」
「自分がみっともないことをする方が耐えられないんでしょうね」
「誇りというものですの」
「面倒くさいだけ、とも言うけど」
少なくとも、その面倒くささが秩序を守っていた。
配給へ二度並ぶのは恥ずかしいとか、他校の備品を盗むのは家名の恥とか。
困窮したからといって、弱い生徒を脅すなど論外。
お嬢様としての意地が、非常時の倫理へ変換されている。
「特定の誰かに対して、みなさん、不満がないわけではございませんけれど」
「それって食蜂のことでしょ」
私はすぐに察した。
食蜂操祈は今、常盤台中学の最大派閥を率い、現在は学舎の園の対外交渉を担っている。
アメリカとの会談後には世界へ向けて演説まで行い、外から見れば、学舎の園を代表する中心人物の一人だった。
当然、それを気に入らない者はいる。
常盤台の中にも、他校にも、なぜ食蜂なのかという声がある。
なぜ常盤台ばかりが表へ出るのか?
より年齢が高く、優秀な生徒が揃っている枝垂桜学園などの高校生が良いのでは?
端的にいえば、自分たちの学校の方が優れているでしょ、とか。
まあとにかく、食蜂が学舎の園全体の代表であるかのように振る舞うのは不愉快だ。
大小様々、そうした声は確かにあった。
「最大派閥っていっても、常盤台の中で最大だもんね。数だけなら他校の方が大きいとこ、いくつもあるし」
「四十人にも届かない小集団ですもの」
常盤台中学そのものが、二百人ほどしかいない。
その中では大勢力でも、学舎の園全体から見ればあまりに小さい。
他校には、百人単位で研究分野や寮、家同士のつながりを共有する集団もある。
それらは常盤台中学のような派閥とは形態が違っていたり、そもそも派閥と呼ばれていないところもある。
人数だけを見れば、食蜂派閥より大きな集団はいくつも存在していた。
それでも、食蜂を引きずり下ろそうという動きは起きていない。
「気に入らないとは言っても、やめろとは言わないのよねぇ」
「自分たちにやらせろ、とも申しませんわ」
「だって、やりたくないもの」
私は身も蓋もなく言った。
学舎の園を構成する五校は、同じお嬢様学校でも性格が違う。
常盤台中学は、能力開発だけでなく、対外活動や社会貢献、交流行事へ比較的力を入れている。
慈善活動を始めて、外部施設への訪問。ここまでは他校もやっている。
能力を利用した支援、他校や企業との共同催事、このあたりになってくると偏りがでてくる。
加えて常盤台のカリキュラムは、人前へ出ることを想定している。。
外部との窓口を任せるなら、五校の中では確かに適していた。
「御坂さんや食蜂さんを外へ出せる時点で、常盤台は対外活動向きですの」
「私は違うと思うんだけど? 対外活動とかしてなかったし」
「お姉様は、別の対外活動をなさっていたでしょうに……」
「どういう意味よ、黒子」
「外へ飛び出していくという意味ですの」
「あんたもでしょうが!」
「わたくしはお姉様と違って、
まあ確かにそうなんだけど……と、私は口籠る。
とにかく、別の学校は、学力と研究を重視している中学があって、そこでは今、外の国家など半分どうでもよいといった素振りを学校全体が行っている。
接触強化〈フェザータッチ〉の数値し、学内のスパコンに入力中で忙しいから、というクラスが平然とある。
内密強化〈ディープコンタクト〉となる境界と条件やら、能力者同士の接触面積と出力変化あたりになると、沼にハマって数日寝てない学年とかあるらしい。
学年よ、一学年まるまるが寝不足になってるとか、これこそお嬢様による犯罪行為じゃない。
そしてAIM拡散力場の変質、そして転移そのものの原因になってくると、もはやマッチ棒で夜の山の探索をしてるようだと、笑いながら言ってる学校がある。
怖い。
とにかくそういった研究材料が多すぎる。
対外交渉へ代表を出せと言われても、実験の途中だから後にしてくれと答えかねない。
「昨日も、廊下に測定器を並べてましたの」
「通る生徒全員に、手をつないだ時の感覚を聞いてたわね」
「抱擁時の心拍数も募集しておりましたわ」
「よ、よく協力するわよね、みんな……」
経営や経済を重視する学校は、外に目を向けているが別の意味で忙しい。
外貨獲得の方法という差し迫った問題から始まり、学舎の園が今後、日本やアメリカとどのような取引を行えるか。
売電による収入をどのように管理するか。
園内だけで使う独自通貨を作るべきか、日本円を採用するべきか。
船や昇降機の費用を、援助、借款、前払い、共同事業のどれとして処理するか。
彼女たちは外交の壇上へ立つより、帳簿と資料の山へ埋もれる方を選んでいた。
「外貨獲得計画の草案、もう十二案あるらしいわよ」
「昨日は九案でしたの」
「増えてるじゃない……」
「眠っていない方もいるそうですわ」
「そっちはそっちで止めた方がいいわね」
そして、五校の中には、常盤台以上にお嬢様らしさを重視する学校もある。
一見、外へでる部署のようで、外へ出すには、いささか扱いが難しい。
いわば様式、形式の研究と実践の学校だ。
日本の官僚へ、身分と家格を確認してからでなければ話せないと言いかねない者もいる。これはお高く止まっているのではなく、その格と家風に合わせたもてなしをなさねばという気負いに近い。
これはまだいいのよね。
会談前に相談したときは冷戦が残る世界情勢より、冷静ならば仮設の茶会場へどの花を暖かく飾るかで議論を続けていた。
とにかく対面が強固すぎて、この非常時にある意味で、最も動じていない学校だった。
「なぜかそんな学校なのに、実験には協力的なのよね」
「研究校の方々から頼まれて、楽しそうに抱き合っておりますの」
「キャッキャッうふふしながらね」
作法重視学校生徒が着物姿で、見つめ合いながら手を握り合っている。
研究肌の生徒が真顔で数値を記録し、実験に付き合っているお嬢様たちが楽しそうに笑う。
妙な光景だが、本人たちは至って真剣だった。
「要するに、みんな別のことで忙しいのよ」
面倒なので、私がまとめた。
「食蜂が目立つのが気に入らない。でも、自分が代わりに記者会見をして、アメリカ大使と話して、世界中から質問されたいかって聞かれたら、あんたどう?」
「遠慮いたしますわね」
「そうね。私もそう。だから文句だけで終わる」
食蜂も、それを理解しているはずだ。
反発を完全に消そうとはしていないし、不満を言う自由はむしろ残す。
ただし、実務上の成果を積み上げ、他に代わりがいない状態を作っておく。
まったく、いかにも食蜂らしいやり方よ。
「それで済んでいるなら、平和なものですわ」
「ほんとにね」
私は改めて、静かな店内を見回した。
風紀委員の仕事がなくなったわけではない。
店舗の無断使用と能力実験の騒音がせいぜい。
許可を取らずに、能力測定を装った決闘を始めた生徒の制止。
小さなトラブルはあっても、事件と呼べるものはほとんどない。
注意ですんで、書類を書くような事件がないらしい。
「この数日で行った処理は、能力での器物破損が一件。初春一人でも暇なくらいですの。機材を持ち込んで、学舎の園のネットワーク改善だけやってますのよ」
「電話番ですらないのね……」
初春飾利は、現在も情報整理や通信設備の管理へ頻繁に呼ばれている。
それでも風紀委員としての当番に入れば、端末の前で菓子を食べながら、紛失物の照合をしている時間の方が長い。
佐天涙子が横から余計なことを始めなければ、本当に何も起きない日もあるらしい。
「そういえば初春さんたち、今日はプールへ行くと言ってましたわね」
「ああ、営業してない屋内プールを借りるって話?」
「はい。設備点検を兼ねた、ささやかな息抜きだそうですの」
「あー、いいわね。プール」
私が天井を仰ぎみてそう言うと、黒子は……ふっと笑った。
そして椅子の横へ置いていた鞄を持ち上げる。
「こんなこともあろうかと、水着を用意してありますの」
「へえ。用意いいじゃない」
「お姉様の分も」
黒子は鞄から、見覚えのある水着を取り出した……え?
……私の、分?
「……なんで、あんたが私のも持ってんのよ」
「こんなこともあろうかと」
「理由じゃなくて、どうやってって意味よっ!」
次回、プール回。