都心から外れた古い雑居ビルの地下に、五十人ほどの男女が集められていた。壁には金色の布が垂らされ、その中央に、目を閉じた50歳ほどの男の大きな写真が掲げられている。
写真の下には、白い衣を着た本人が座っていた。長く伸ばした髪を肩へ流し、額には銀色の飾りを巻き、両手にはいくつもの指輪をはめ、どこかまとまりにかけたスピリチュアルさを醸し出している。
彼は目を閉じたまま、集まった信徒たちの前で長い沈黙を保ち、信徒たちは息を殺して待っていた。
やがて教祖は、ゆっくりと目を開き、天井を見上げた。
「見えました、海です」
信徒たちがざわめいた。
「大いなる海。その向こうから、白き園が現れる。そこには、選ばれた乙女たちが暮らしている。彼女たちは……かわいそうに。偽りの国家に囚われています」
信者たちはそれを学舎の園だと気がついた。教祖の声が低くなる、
「政府は彼女たちを保護すると称し、その力を奪い、軍事へ利用しようとしている。テレビ局は彼女たちを見世物とし、俗世の欲望へ引きずり込もうとしている。しかし、本当は違うのです!」
教祖は両手を広げた。
「彼女たちは、私を求めているのです! 長い年月、私は待ち続けてきました。神は私に、いずれ天より乙女たちが遣わされると告げていた。その乙女たちは人の理を越えた力を持ち、私と結ばれることで、新たな時代を開く」
教祖の近くに置かれたタブレット画面には、学舎の園の少女たちが映っていた。
「見なさい。ついに、私の花嫁たちが現れた」
後方に座っていた若い男が、思わず顔を上げた。教祖が何を言おうとしているのか理解し、男の顔が強張った。
テレビに映っている少女たちの大半は中学生である。
教祖はさらに声を張り上げた。
「彼女たちの中には、神の子を宿すにふさわしい者がいる!」
最前列から歓声が上がった。
それにつられるように、他の信徒も手を叩いた。
若い男は拍手できなかった。
隣にいた中年の信徒が、肘で男の脇腹を突く。
「先生のお言葉だぞ」
「でも、あの子たちは……」
「俗世の年齢に何の意味がある。先生は魂を見ている」
男は口を閉じた。
壇上の教祖は、ますます興奮していた。
「今こそ、彼女たちを救い出さなければなりません。政府の手から。科学者の手から。汚れた世俗の人間たちの手から!」
「お救いください、先生! 彼女たちを!」
「もちろんです」
信者の訴えに、教祖は穏やかな笑みを浮かべた。
「私は彼女たちを拒みません。何人であろうと、この身で受け入れましょう」
拍手がさらに大きくなった。
教祖はその音を浴びながら、満足そうに目を細めた。
信者たちが、教祖を超能力者だと信じている。もちろんトリックがある。
ところが学舎の園の少女たちが現れたことで、教祖はやはり本物だったと狂信が強まっていた。
熱狂が渦巻くなか、部屋の横のドアから入室してきた男が教祖に近づき耳打ちする。
「先生。準備が整いました。車両は裏へ。必要な品も積んであります」
教祖はうなずいた。
「皆さん、神は、私たちへ試練を与えました」
教祖は立ち上がった。
信徒たちが一斉に姿勢を正し、壇の両脇から、教団幹部が木箱を運び込んだ。
箱が開けられると、中には、銃器、警棒、刃物、煙を発生させる道具が収められていた。
室内が静まり返る。
長く教団へ所属してきた者でさえ、実物の武器を目にするのは初めてだった。
「恐れる必要はありません。これは人を傷つけるためのものではない。悪しき力から、花嫁たちを救うための聖具です」
動揺のどよめきと、高揚のどよめきが混じり合う信者たちに向け、教祖は語りかける。
「警察は、政府に操られています。警告には従わないでしょう。私たちが真実を伝えようとしても、妨害してくるはずです。ですから、迷ってはなりません。花嫁たちを確保し、私のもとへ連れてくるのです。目標は、街を見学している一団です」
協力者が壁へ地図を掲げた。この協力者は明らかに日本人ではない。信者たちは怪しんでいるが、
教祖に代わって説明する。
「比較的警備が薄い。中心人物である御坂美琴は、別の区域にいます。狙うべき一段にも、能力者が複数いる可能性があります。ですが、皆さんには先生の加護がある」
協力者は、表情を変えずに答えた。
教祖が満足そうにうなずく。
「そのとおりです」
協力者は続けた。
「無理に全員を連れてくる必要はありません。一人でも確保できればよい。ただし、警察の注意を引きつけてください。大きな騒ぎになれば、政府も真実を隠せなくなります」
協力者、正確にはその背後にいる存在は、教団に少女を誘拐させること自体が、本当の目的ではない。
銃声が響き、警察車両が集まり、能力者が動けば十分だった。
街中へ分散している警察と警備部隊を、襲撃地点へ引き寄せ、通信を混乱させる。
交通を止めて、報道を集中させればなお良い。
教団の協力者の背後には、ソ連の影があった。
その間に、別の場所から将来行われるサンプル回収作戦のための実働隊を配置させる計画だ。
教団は目眩しであり、警察の捜査力や警備能力、監視能力をリソースを取らせるデコイである。
学舎の園の上陸によって、東京には人が集まりすぎ、警察は敏感なっている。
ならば、別の場所へ全員の目を向ければよい。
教団は、失敗することを前提に用意された大きな騒音にすぎなかった。
協力者のそんな思惑を知らない哀れな教祖は、さらに哀れな信者へ告げる。
「花嫁を連れ帰った者は、新世界の最初の使徒となるのです」
ソ連の息と協力者の後押し、そして教祖の甘言によって、信徒たちは立ち上がってしまった。
+ + + + + + + + +
教団の作戦は、精緻とは言い難かった。
荒事のできない者を前へ出し、警察官がそちらへ気を取られた隙に、武器を持った者が別方向から接近する。
なんとも雑だが、雑な作戦が必ずしも無効とは限らない。
「私たちにも会わせてください!」
「政府が彼女たちを独占するのはおかしいでしょう!」
「話を聞くだけです!」
最初に動いたのは、二十人を超える女と老人たちだった。
手には花束や紙袋、宗教団体の名称が印刷された冊子を持っていた。
中には杖をついた老人まで混じっていた。
「危険ですので、下がってください!」
警察官が両手を広げた。
言葉だけなら、少し熱心すぎる見物人と大差がなかった。
相手が屈強な男の集団であれば、もっと強く押し返すこともできるが、前にいるのは女性と老人である。
警察が人数に押され始めたとき、老人が警官たちの間に杖を差し込み、横へこじ開けようとする。
散策組の少女たちは、少し離れた場所で足を止めていた。
「何でしょう、あの方々」
「わたしたちに会いたいみたいですけれど……」
「ご迷惑になりますし、私たちは戻った方がよくありませんか?」
班の護衛役を任されていた少女が、一歩前へ出た。
能力を気軽には使えないが、散策組の護衛役としては十分な能力を彼女は持っている。
「皆さんは、わたくしの後ろへ」
少女は騒ぎを見ながら、同行者たちを庇う位置へ移動した。
警察官も能力者本人が警戒している姿を見て、少しだけ安心した。
だからこそ、全員の視線が数合わせの前へ集まった。
弓箭猟虎を除いて。
猟虎は騒ぎが始まるより前から、別の者たちを見ていた。
路上駐車された配送車の陰に一人、新聞販売所の脇にも一人。
店舗の軒下に二人は歩行者を装いながら、少しずつ距離を詰めてくる。
さらに、通りの向こうに二人いた。
そのうち一人は袖口から黒い棒状の器具を覗かせていた。
最後の一人は手ぶらに見えるが、歩き方が一般人ではない。
猟虎は、これら全員を把握していた。
──ここでわたくしが皆様をお守りすれば、お友達になりませんか、という展開も十分にあり得える!
妄想に駆られた猟虎は、ほんの少しだけ顎を引いた。
「護衛の能力者を先に落とせ」
襲撃者と思われる一人が、隣の男に耳打ちしている。
警察官が一斉に前へ移動し、数人が散策組へ背を向ける。
それを待っていた男が、人混みの間から飛び出した。
手にはスタンバトンが握られている。
護衛である念動力者の意識を奪い、最初に排除つもりだ。
念動力者の少女は、前方の群衆に集中している。
男がスタンバトンを押し付けようと────その腕を、白い手袋に包まれた手が掴んだ。
「乙女の背後から近づくなど、殿方として、あまり感心いたしませんわ」
猟虎は柔らかく微笑んだ。
「……誰だ」
問いかけた次の瞬間、男の視界が反転した。
猟虎は掴んだ腕を引き、踏み込みながら腰を落とす、男は何が起きたか理解するより早く、背中から歩道へ叩きつけられた。
スイッチの切れたスタンバトンが手から離れて、舗装の上を滑っていく。
「なっ?」
念動力者の少女が振り返ったが、その時には猟虎はもう倒れた男を見ていない。
長い鞄を持っていた二人が、同時に動き、鞄が開かれ銃が現れた。
周囲の見物人は、まだ気づいていない。
猟虎は両手を突き出し、手を捻りながら狙う。
彼女の手首には、圧縮ガスによって、小型の射出体を打ち出す銃口がある。背中には脊髄パット兼ねた平たい圧縮ガスタンク。
暗部時代、獲物をなぶるため低威力のその武装は、今は弾丸は仕込まれていない。
破裂音。
射出された圧縮ガスが、のぼり旗の布がはらみ、銃を構えようとした男の顔へ覆いかぶさる。
「うわっ!」
男が反射的に腕を振った。
まだカバンに銃口が収まるライフルの引き金に、指が触れた。
乾いた銃声が響く。暴発だ。
「ぎゃああっ!」
男が自分の足を撃ち抜き、仰ぐように跳ね飛んで倒れた。
この銃声によって、ようやく周囲の空気が変わった。
悲鳴が上がり、警察官たちが振り返る。
散策組の少女たちも一斉に前方の群衆から視線を外した。
陽動役の信徒たちは、銃声を合図に散り始めていた。
警察官は、逃走する集団と武装した男たちのどちらを優先するか、一瞬だけ判断を迫られた。
その一瞬を、猟虎は使い切る。
二人目の銃を持った男が、顔へ絡みついたのぼり旗を引き剥がそうとしている。
猟虎はその懐へ踏み込み、男が気づき銃を向けようとするがあまりに遅い。
猟虎のブーツが、男の手首を下から蹴り上げた。
銃が宙へ飛び、遅れてスカートが大きく翻った。
猟虎は身体を回転させ、その勢いのまま踵を男の側頭部へ叩き込む。
男は声もなく横倒しになった。
三人目が刃物を抜いた。
「このあばずれがっ!」
「その言葉遣いも感心いたしませんわね」
猟虎は半歩下がり、男が突き出した刃を、身体をひねってかわす。
同時に手首を外側から押さえ、肘を反対方向へ折り曲げる。
猟虎の回避運動の回転動作が男の関節に伝わり、姿勢が崩れた。
膝裏へ蹴りを入れ、苦痛に顔が歪む男の姿勢が低くなる。
その後頭部を掴み、近くの配送箱へ顔から押しつけた。
削るような凹むような鈍い音のあと、男は動かなくなった。
四人目が背後から組みつこうとした。
猟虎は振り返らえらず、足音、呼吸を感じ、体を背後の男に預けるように飛ぶ、
肩越しに腕を掴みそのまま前へ投げ、男は空中で一回転し、最初に倒された男の上へ落ちた。
二人分の呻き声が重なる。
「化け物か、こいつ!」
通りの向こうにいた男が叫んだ。
銃を抜こうとする。
猟虎は射出装置を向けた。
男が怯み、車の陰へ身を隠した。
猟虎は撃たない。
男の逃げ道を見ていたからだ。
彼は迷った末、左へ走った。
猟虎は歩道へ落ちていたスタンバトンを爪先で蹴った。
黒い棒が路面を滑り男の足元へ入り、踏みつけて盛大に転倒した。
工事柵へ頭から突っ込み、立ち上がれないほど柵が彼の上にのしかかる。
最後の一人も逃げようとしたが、もう猟虎は追わなかった。
進行方向には、すでに状況を理解した警察官が二人いたからだ。
そこへ念動力が働いた。
身体が宙へ浮く。
「な、何だ!」
護衛役の少女が、ようやく能力を使った。
男は地面から一メートルほど持ち上げられ、手足をばたつかせている。
「武器を捨てなさい!」
男の上着から拳銃が落ちた。
警察官が駆け寄け、男の銃を拾って遠ざける。
状況は終結した。
最初の男が猟虎へ近づいてから、ほんの数十秒で武装した襲撃者は全員倒れ、あるいは拘束されていた。
猟虎は乱れたスカートを整えた。
射出装置を目立たない位置へ戻す。
か、完璧だった。
じ、実に華麗だった。
猟虎は武装集団を一人で発見し、護衛役を守り、銃を持つ男たちを瞬く間に制圧した。
これ以上ないほどの活躍である。
猟虎は、ゆっくりと散策組を振り返った。
もしかすると、感動のあまり抱きついてくる者がいても不思議ではない。
その後は、お友達になりませんかという申し出と、連絡先の交換。
いずれはフェザータッチ初体験。
完璧な計画……の、はずだった。
「あちらへ逃げましたわ!」
「まだ何人かいます!」
「警察の方々が追っています!」
少女たちは、猟虎とは反対の方向を見ていた。
逃げていく女性と老人の集団と、それを追う警察官。
騒然とする群衆と、まだ武器を持っている男がいるかもしれない警戒感。
騒ぎの中心は、完全にそちらへ移っていた。
銃声がした瞬間、少女たちは本能的に身を屈め、直後、逃げ始めた陽動集団へ視線を奪われた。
猟虎が男たちを投げ、蹴り、制圧していた数十秒を誰も見ていなかった。
あまりに華麗すぎ、あまりに完璧すぎた結果である。
「そ、そんな……」
呆然とする猟虎だが、すぐ気が付く。
護衛役の念動力者だけは途中から見ていたはずだった。
猟虎は期待を込めて、その少女へ視線を向けた。
少女は宙に浮かせた男を警察官へ引き渡すことに集中していた。
彼女も、見ていなかった?
弓箭猟虎の華麗なる救出劇は、目撃者不在のまま終了した。