とある科学の令和冷戦   作:大体三恵

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サンプルは二つ、荷物は二つ

 東京で、目立たない服装で、目立たない荷物を持ち、目立たない場所で集まっていた。

 

 彼らの多くは、白系ロシア人の社会へ溶け込みながら長く暮らしてきた者だった。

 

 表向きは商人、通訳、船員、技術者、記者さまざまだ。

 

 ソ連という国家を愛している者ばかりではない。

 だが、祖国と呼ぶべき土地から完全に離れられなかった者たちでもある。

 

 とにかくいろいろいるが、いずれも手練れだった。

 

 宗教団体による襲撃が発生したさいには、警察車両の多くが現場へ向かった。

 陽動作戦はうまくいき、警察はあさってへ走り、報道は無駄に群がった。

 

 警視庁が教団本部へ突入した頃には、目的は果たされていた。

 

 目的の品は、まだ研究施設の中だが、必要な人員と装備を持ち込むことができた。

 学舎の園の生徒たちが街を散策するということもあり、陽動を仕掛けなければ一人くらい、日本警察の網にかかった可能性があった。

 陽動の最中、彼らは全てを終えていた。

 

 血液サンプルの入手。

 

 誰のものかはまだわからないが、学舎の園の誰かである。

 検体へ接触できる立場にいた研究者が、注射針から少量を抜き取り、施設内部ではあるが、個人用の保管庫に確保することには成功した。

 成功したとは言ったが、つまり外には出せていない。

 

 研究者本人は頭がよく、施設内の規則にも詳しい。しかし、尾行をかわし、検査を欺き、追跡を受けながら物を運び出せる人間ではなかった。

 彼は工作員というより協力者あり、研究職としては優秀でも、諜報員として受けた訓練は最低限にすぎない。

 

 だから彼らが必要であり、また陽動が必要だった。

 回収に当たった工作員たちのもとには、回収に成功したジェラルミンケースがある。

 

 ケースが開かれた時、部屋にいた全員が息を飲み黙った。

 

 古びた机の上に、小さな保冷容器が置かれ内部には、さらに二重の容器が収められていた。

 

 透明な容器の底にあるごく少量の赤黒い液体が、世界を揺るがすものには見えない。

 

 医療施設なら、日に何百と扱われていても不思議ではない量だった。

 白衣を着た男が、一つ目を照明へかざした。

 続いて、二つ目を確認する。

 

「二つとも間違いありません。協力者から提供された生徒の名前と識別番号と一致しています」

 

「そうか。だが、少ないな……。輸送には問題ないか?」

 

「目視できる範囲ではありません。保存状態にも問題はないので、少なくともシベリアまではこの状況で輸送できます」

 

 老人は机へ近づき、二つのサンプルを、しばらく無言で見下ろす。

 

「同じもの……同じ人物由来で、同質か?」

 

「採取記録上は、同一人物に由来します。採取時期も近い。ただし、完全に同一の状態である保証はありません。一方は注射針から垂れた血液を拭き取ったガーゼ、一つは廃棄容器からの採取ですので」

 

 部屋の隅にいた若い男が口を開いた。

 

「荷物を二つを分けますか?」

 

 老人はすぐには答えず、うなってサンプルを睨む。

 

「同じ経路へ載せれば、管理は容易です。人員も連絡も一系統で済む。発覚の機会も一度だけです」

 

「そして、その一度で全てを失うか?」

 

「分ければ、露見する可能性も増えます」

 

「研究施設から二度持ち出すなら、そのとおりだ。だが、最も危険な場所からは、もう出た。ここから先、二つを同じ場所へ置いておく理由はない」

 

 老人は顔を上げた。

 

「一つの失敗で、両方を失うことの方が問題だ」

 

「片方を囮にしますか?」

 

 別の男が尋ねた。

 

「しない。両方とも本物だ」

 

「ですが、片方へ注意を引きつければ――」

 

「囮だと思った人間は、扱いが雑になる。そういうものだ。連絡が遅れる。判断が甘くなる。危険になれば切り捨てる。最後には、本当に価値のない荷物になる」

 

 彼は机を軽く指で叩いた。

 

「二つとも、国家へ届ける。それが命令だ。経路は完全に分離する」

 

 老人は眼光を光らせ指示を下す。

 

「担当者も、連絡系統も別だ。片方を運ぶ者には、もう片方の予定を知らせない。まず、それぞれを生き残らせる」

 

 白衣の男が、二つの容器を二つのケースに収める。

 指示のもと、工作員が二つに分けられ、それぞれにケースが預けられた。

 

「これ以降、もう一つは存在しないと思え! そのケース一つが祖国を救うと信じて持ち帰るのだ!」

 

 

 + + + + + + + + +

 

 

 弓箭猟虎は、正式に影の護衛へ任命された。

 

「あなたは対象の少し後ろについて、周囲の警戒を担当してください」

 

 教師から説明を受けた猟虎は、それはそれは完璧な笑顔で答えた。

 

「承知いたしましたわ」

 

 内心では泣いていた。

 

 散策組の少女たちが店へ入るが、猟虎は入らない。

 ガラス越しに周囲を確認しながら、学舎の園の生徒でないように振る舞い通行人を装って外で待つ。

 

 少し離れた場所でショーウィンドウを眺めるふりをする。

 そして彼女たちの死角を補い、不審者の手元と足運びを観察する。

 

 影の護衛だからである。

 

 影は本体と一緒にいても、一緒に遊ばないし、買い物をしない。

 

 影はずっと一緒なのに、フェザータッチへ誘われない。

 

 

 

 猟虎本人は、ちょうどその時、少女たちが手にしている紙袋を見ていた。

 通行人らしい表情で、猟虎は食蜂操祈から投げられた言葉を思い出す。

 

「あんたの不始末でしょ〜? 事前に警察へ知らせないで、勝手に活躍しちゃったんだからぁ。見つけた危険は、今度から自分で最後まで監視しなさぁい」

 

「それとこれとは、別問題ではございませんこと?」

 

 暗部とバレた猟虎の反論は、見抜いた食蜂には通じない。

 

「同じということにするの。それを見せないといけないんだから〜」

 

 日本は学舎の園生徒を守るのに不備があった。だが学舎の園の護衛は、異常を報告せずにスタンドプレイをした。ならば元々そういう任務を行う人物であったとする。

 スタンドプレイではなく、見えない護衛としての任務を行っていた。

 猟虎はその見えない護衛を遂行しただけにすぎないという決着である。

 政治的な判断に、反論は認められなかった。

 

 猟虎は今日も、遊ぶ少女たちの背後で、見事なまでに気配を消していた。

 

 この監視カメラ映像を見ていたアメリカ側の担当者は、猟虎の技術を見て思わず感嘆したと言う。

 

「あいつ、同化してやがるぜ!!」

 

+ + + + + + + + + 

 

「護衛、護衛って、こっちばっかり働かせてさ」

 

 御坂美琴は日本政府との協議に駆り出され、さらには外出生徒の護衛まで任されて不満だった。

 

 何かあるたびに、超能力者(レベル5)だからという理由で呼ばれる。

 

「だから今日は、私一人で遊ぶ。異論はないわね? はい決定!」

 

 無論、異論は無かったが、もちろん完全な単独行動も認められなかった。

 

 日本側の警護員数名と、彼らに同行する学舎の園側から変装した監視役が一名。さらに、アメリカ側の人間も、どこかへ混じっている。

 

 いざというとき、集まった人に警告を発する私服警察官もいる

 本人だけが一人で歩いているように見えるだけの、事実上の集団行動だった。

 

 ──私一人のおでかけで、いったいいくらかかってるのかしら? などと美琴は考えてしまう。

 

 白井黒子はその能力の貴重性から別の用務に回されていて、美琴はむしろ機嫌をよくした。

 

「黒子がいないなら、気楽でいいわ」

 

 前日のことを思い出す。

 黒子との、かなり濃厚な接触……いわゆる【内密強化】(ディープコンタクト)が、行われた。

 

 黒子のいつもの猛攻で押し切られた形で、一緒に一つのベッドで一晩寝た。

 抱きつかれていた影響がまだ残り、能力の出力も感覚も、普段より高い状態が続いていた。

 

 電磁的な知覚だけでなく、周囲の形状や人間の位置まで、ぼんやりと空間として捉えられる強化型美琴が向かった先は、限定ゲコ太ストラップとぬいぐるみが販売されている東京お台場だった。

 

 帆風潤子からも購入を頼まれており、重要な任務でもあった。

 水兵帽をかぶり、浮き輪を抱えたゲコ太は、元の世界でもお台場限定であり、学園都市から簡単に出られない美琴たちには手に入れたくてたまらない逸品である。

 残る問題は限定品が残っているかどうかだった。

 

 美琴は混雑を覚悟して店へ向かった。

 転売目的の客が並んでいるかもしれないと気持ちがはやる──。

 

「こちらですか? まだたくさんございますよ」

 

 店員は笑顔で棚を示す先で、水兵帽のゲコ太が、ほとんど手つかずのまま並んでいた。

 

「……人気ないの?」

 

「い、いえ。独特の魅力がある商品だと思います」

 

 店員は答えを選ぶが、美琴はたまたまだろうと自分を納得させる。

 

 美琴はなんなくぬいぐるみを二つ、ストラップも二つ購入した。

 任務完了である。

 

「案外、あっさり買えたわね」

 

 紙袋を抱えた美琴は、満足そうに店を出た。

 時計を見ると予定していた滞在時間は、まだかなり残っている。

 

「じゃ、何か食べよ」

 

 監視役たちは距離を保ったまま、軽食を売る店舗へ向かう美琴の後を追った。

 

 海辺が見える遊歩道デッキを歩き、東京湾を行き交う船と海の向こうには橋を見回る。

 

 軽食を終えた美琴は、飲み物を片手にデッキをゆっくり歩いた。

 

「たまには、こういうのも悪くないわね」

 

 海があるだけで、長く住んだ学園都市とは違うと実感する。

 能力開発の広告もなければ、研究施設の無機質な建物もない。

 

 代わりに、観光客と家族連れ、海を背景に写真を撮る若者たちがいた。

 

 美琴は少しだけ立ち止まり、紙袋の中を確認した。

 

 ゲコ太の水兵帽が、袋の隙間から見えている。

 

「帆風先輩、喜ぶかなぁ」

 

 その声を、近くにいた少女が聞いて見上げてくる。

 

「あの……もしかして、美琴さんですか?」

 

「え? あ、うん」

 

「やっぱり! 御坂美琴さん!」

 

 声が予想以上に大きくて、周囲の人々が、一斉に振り返る。

 

「御坂美琴?」

「え? 本物? 学舎の園の?」

「写真、いいですか!」

「握手してください!」

 

 人が殺到し始め、日本側の私服警官と警護が動いた。

 

「押さないでください! 御坂さんから離れてぇ〜!」

 

「下がって〜、はい。順番に下がってください!」

 

 学舎の園側の監視員も慌てて通信を始めた。

 

 誰もが美琴へ注目し、誰もが近づこうとしていた。興味がないという人でも、足を止めないでこちらを見ている。

 

 その中で、ただ一人、美琴を見ない男がいた。

 

 観光客の群れが動いた瞬間、美琴とは反対方向へ歩き出した。

 

 男は一度も振り返らないず、海沿いの桟橋へ向かっている。

 

 なにかひっかかる美琴は、群衆の隙間からその背中を見た。

 

 今この場で、突然現れた異世界の有名人へ、一度も目を向けないこと自体が不自然だった……いや、見てはいけないものを見ないようにしているように見えた。

 猟虎の見事な動きを見ていた美琴からすると、真逆の異物感を感じた。

 

 美琴は目を細めて能力を広げる。

 

 たえず使っている電磁波が、周囲へ浸透していく……。

 

 それは普段より広く、いつもより繊細で、今日は特別解析する演算力が冴えていた。

 

 前日のディープコンタクトによって高められた感覚が、周辺一帯を立体的に組み上げていく。

 

 ──男の持つ通信機器が、海上の一隻と短い信号を交わした!

 

 電磁波が触れた瞬間。

 

 美琴の身体を、奇妙な感覚が走った。

 

 誰かへ触れられたような、自分の存在が、別の存在へ一瞬だけ重なったような……美琴はその感覚を知っていた。

 

「これって、【接触強化】(フェザータッチ)……?」

 

 能力者同士の存在が触れ合い、互いの情報が混ざり合う感覚──それと同じ反応が、男が乗り込んだ船の内部から返ってきた。

 

 その反応はとても小さく、少なくとも、意識のある人間の反応ではないと感じた。

 

 美琴は理屈ではなく感覚で理解した。

 

 あれは自分たちに関係するものだ!

 持ち去られてはいけない!

 

 美琴には見えなかったが、その瞬間、船内の保冷容器で小さな変化が起きていた。

 暗い容器の内部で、密封された血液サンプルが、ほんの一瞬だけ淡く発光する。

 

「待ちなさい!」

 

 美琴は群衆を押し分けて走り始めたが、船はすでに桟橋を離れ始めている。

 観光船らしい外観のまま、沖へ向かっていた。

 

「持ち去る気ね!」

 

 美琴は手すりの前まで走った。

 障害物のない海上なら、電撃なら間違いなく届く。しかし、船へ無造作に撃てば、船体や乗員へどんな被害が出るか分からない。

 

 磁力で船を引き寄せるには距離がありすぎる。

 鉄砂の剣は集める最中に、周囲一体に電磁力で被害を与えるだろう。

 磁力を使って飛ぶにも、足場となる金属が連続していなかった。

 

「くっ……監視員! 隠れてないで出てきて! あんた、能力は?」

 

 美琴が叫けぶと、柱の陰から、学舎の園側の監視員がぴょんと飛び出した。

 

「ひっ!」

 

 中等部らしい小柄な少女だった。

 

「ねえ、あんた! 能力、何ができるの!」

 

「しゅ、周囲に警告音を出すくらいで……」

 

「どのくらいの範囲?」

 

「普段は二十メートルくらいです! でも、いまは館根お姉様と【内密強化】(ディープコンタクト)したので、距離は一キロくらいまで、ピンポイントで範囲指定できます!」

 

「警告音だけ? 今は役に立たないわね……」

 

「すみません!」

 

 監視員は涙目になり、美琴は申し訳なくなった。

 

 能力そのものが弱いわけではない。

 遠方の指定地点へ警告音を発生させられるなら、避難誘導や救助活動では有用だろう。

 

 だが、逃げる船を止める力ではなかった。

 

「でも、船へ音は出せます!」

 

「それで止まる相手なら、最初から逃げないわよ!」

 

 日本側の警護担当者が追いついた。

 

「御坂さん、何がありました!」

 

「あの船! あれが、私たちの血を運んでる!」

 

 美琴は沖へ向かう船を指し、その指先を追った警護担当者の顔色が変わった。

 担当者が無線へ手を伸ばすが、すぐに船を追える艇は近くにない。

 手順を踏んでいる間にも、船は遠ざかっていく。

 

 しかも周囲には、先ほど美琴へ殺到した群衆が残っていた。

 何十台もの携帯端末が、美琴と海と警護担当者を撮影している。

 もはや、内々で処理できる状況ではなかった。

 

 

 

 エンジン音が近づいてきて、海面を切り裂き、一隻のモーターボートが桟橋へ向かってくる。

 

 操縦しているのは、サングラスをかけた若い男だった。

 隣の桟橋では、本来の持ち主らしい中年男性が返せと叫んでいる。

 

 男は接岸直前に速度を落とし、片手を上げた。

 警護担当者が驚いて前へ出る。

 

「何者だ!?」

 

「その説明、今いるぅ?」

 

 男は美琴を見上げ、軽薄な笑みと共に親指で自分を指した。

 その手には認識(ID)カードがあり、彼の写真が載っている。それと──。

 

「はーい。美琴ちゃん、乗ってく? オレ、これでもCIAやってんの」

 

 CIAの文字があった。

 

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