血液サンプルを取り戻したことにより、なぜ奪われたのかが問題になっていた。
研究施設の責任者は会議室へ呼び出され、警備記録が徹底的に洗い直される。
調査は研究者の私的な連絡にまで及んだ。
サンプルが施設から持ち出されたという事実は、警備体制そのものへの疑問を意味していた。
さらに問題は異世界から現れた少女たちに由来する、国家間の均衡を変えかねないものだった。
日本政府は、表向きには海上で起きた騒ぎの説明を求められながら、その裏で自国の研究機関へ入り込んでいた穴を塞ぐことに追われていた。
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そしてアメリカは、別の意味で頭を抱えていた。
中央情報局長官は、報告書の一行目を読んだところで顔を上げた。
「どういうことだ? この名前は何だ」
向かいに座っていた幹部は答えに困窮した。
長官はもう一度、書類を見ると、今回の血液サンプル奪還に関与した要員の氏名が記されていた。
ヴィンセント・ヴィカーズ。
別名、ヴィンス。
長官の顔が険しくなる。
「あいつはアフリカだかに送ったはずだろ!」
「正確には東アフリカ方面の連絡拠点です」
「どこでもいい! なぜ東京にいる!」
長官が報告書を机へ叩きつけた。
ヴィンスの直属上司は、慎重に言葉を選んだ。
「学舎の園に関する騒ぎで人手が不足しまして……臨時に呼び戻しました」
「だからといって、最重要人物の近くになぜ送った!」
「送っていません。事務局に配属させました」
上司は手元の書類をめくった。
「車両手配、通信記録の整理、各班の報告書の取りまとめ。すべて内勤です」
「わかった。……ではなぜ、そいつが東京湾でモーターボートを操縦している?」
「それは……おかしいですね」
責任者である上司も、冷や汗を拭いながら書類を見直した。
「新橋の現場への資料搬送許可は出ています。しかし、搬送後は事務局へ戻る予定で……」
「戻らなかったのか。それでお台場へ行った。……なぜだ?」
「本人の説明によりますと」
上司は一度、言葉を止めて言葉を選ぼうとしたが諦めてそのまま言葉を発した。
「近くで面白そうなことをしていたから、と」
「クビにしろ」
「ですが、彼の行動で血液サンプルを奪還に成功しています。御坂美琴が対象を発見した直後、徴発した……いえ、借り受けた追跡手段を提供しました。逃走船へ接近し、奪還を成立させています」
長官は椅子へ深く座り直した。
「所属を名乗ったそうだな。公衆の面前で、日本の警護官の前でも」
「認識カードまで明瞭に」
長官は額を押さえた。
「何を考えている」
「御坂美琴を乗船させるには、身元を明かした方が早いと判断したそうです」
長官は絶句して頭を振り、報告書の続きを読んで……数秒後、読む手が止まる。
「御坂美琴へ個人の連絡先を渡した……だと?」
「将来的な情報共有のためと、本人は申しております」
「局の連絡窓口ではなく? なぜ彼女は受け取った?」
「名刺を捨てるような教育を受けていなかったものと考えられます」
長官は本日数度目の絶句した顔を見せた。
そしてヴィンスの顔写真が載る資料を叩いてから、机の上に叩きつけた。
「あの少女に落ち度を求めるな。こいつが悪い!」
「その点には同意します」
規則違反は明白だった。
無許可の現場へ移動と行動、民間艇の強引な借り受け、はては不必要な所属の公言に最重要人物への個人的接触。
極め付けは非公式な連絡経路の構築。
処分理由だけなら、いくらでも並べられるが、同じ報告書には、もっと大きな事実が記されていた。
ソ連による血液サンプル搬出を阻止し、学舎の園側最重要人物との即時協力に成功。
国家的損失を防止したわけだ。
長官は書類が散らばるテーブルの端を、苛立ちのリズムの指で叩きながら低い声で尋ねた。
「まとめる。ヴィカーズが規則どおり事務局へ戻っていた場合、どうなっていた? 追跡手段の確保が遅れた可能性があるな。そうなればサンプルは? 日本の海上保安庁で対処できたか?」
「サンプルは失われていた可能性が高いかと」
「つまり、命令違反が正解だったと?」
「結果だけを見れば」
苦しい事実を並べていた時、扉が開いた。
報告担当者が新しい書類を持って入ってくる。
「失礼します。ヴィカーズ要員への聴取結果です」
「本人は何と言っている?」
「事務局の担当業務は、現場へ向かう前にすべて終わらせた。残業扱いを希望しています」
長官は何度目かわからない絶句の顔を見せ、しばらくしてやっと目を閉じた。
「やつをアフリカへ戻せ」
直属上司が小さく咳払いした。
「ですが、学舎の園関連の現場経験を持つ要員として、今後も必要になる可能性が」
「では事務局へ閉じ込めろ」
「機密施設で、物理的に職員を閉じ込めるのは少々問題が」
「そいつを自由にしておく方が問題だ! 私にこれ以上の心労を与えるな! 学舎の園だけで、もういっぱいなのだっ!」
長官の怒声が、会議室の外まで響いた。
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大統領へ報告が届いた時、執務室には国家安全保障関係者が集まっていた。
大統領は書類を受け取るより先に、報告者の顔を見た。
「血液サンプル一点を奪還しました」
大統領は手をひとつ叩いてから立ち上がった。
「やったぞ! ソ連の鼻先から取り返したんだな!」
豪快な笑い声が執務室へ響く。
「正確には、御坂美琴の協力による共同奪還です」
「同じことだ! 細かいことはいい! いや、細かくない! 学舎の園とアメリカの初めての共同作業だ!」
大統領は机を叩いて喜ぶ。
「少女たちを守った。ソ連の企みを潰した。実物も手に入れた。完勝じゃないか!」
補佐官たちは顔を見合わせた。
なぜか誰もすぐには同意しなかった。
この周囲の異様な様子に気がつき、大統領の笑い声が少しずつ小さくなる。
「……何だ? 諸君らのその顔は? あのソ連にしてやったのだぞ?」
国家安全保障担当補佐官が、別の資料を差し出した。
「問題がいくつかあります」
「いくつだ。少しくらい……」
「現時点で、重大なものが七件」
「多いな」
七件もあれば、一つや二つ、目をつぶれないものがあるのでは? と身構える。
「まず、現場要員が公衆の面前でCIA職員だと名乗りました」
大統領の笑顔が止まった。
CIA職員と御坂美琴が共同でサンプルを取り戻したという第一報は聞いていたが、そこまでは大統領の耳にははいっていなかった。
公然と秘密裏では話が違いすぎる。
「何と?」
「録画されています。観光客、報道関係者、日本側警護要員。そのほか、現場にいた多数の民間人です。すでに複数の放送局と通信社が所持しています」
笑顔を失った大統領は、ゆっくり椅子へ戻った。
「ほかは」
「御坂美琴が、『自分たちの血が船で運ばれている』と公衆の前で発言しています」
「まさかそれも録音されているのか?」
「あります。確認できているだけで三十七件です」
「削除できるか」
報道担当者が首を横へ振った。
「無理です。映像内で実際に保冷容器が回収されています」
「中身は見えていないのだろう?」
「その後、日本側が研究施設の内部調査を始めています」
「日本め、内向きで先走りを……偶然だと言え」
「ソ連側工作員が武装した状態で拘束されています。全員が偽造身分証を所持していました。日本でもそう報道しております」
「観光好きの偽造犯だ。そいつらが御坂美琴氏の手荷物を盗んで逃走した。なぜか銃をみな持っていただけだ」
必死に穏便になりそうな
「大統領。それは無理があります」
大統領は机へ肘をついた。
事実を並べるたび、指で机を叩き始める。
「わかっている。つまり我々は、秘密作戦に成功した。だが、その秘密作戦が世界中に撮影された。CIA要員が自分からCIAだと名乗った。ソ連が少女たちの血液を盗んだことまで漏れた。日本の研究施設から盗まれたことも?」
五つの打音が終わり、国務長官が頷く。
「まもなく結びつけられるでしょう」
執務室は静まり返った。
先ほどまでの大勝利が、わずか数分で外交問題、広報問題、情報管理問題へ姿を変えていた。
ソ連は当然、関与を否定するだろう。そして日本は研究施設の警備責任を問われる。
学舎の園は、自分たちの身体情報が国家間で奪い合われていたことを知り、そしてアメリカは、それを以前から察知していたのかと追及される。
大統領は椅子の背へ身体を預けた。
「で、メガホンみたいなそのCIA要員は誰だ」
「ヴィンセント・ヴィカーズ。問題の多い現場要員です」
CIA長官が苦い顔で答えた。
これが六つめの問題かと、大統領は覚悟した。
「今回の功績は極めて大きいです」
「結果はともあく、行動は処分できるか」
「したいとは思っています」
「できるかと聞いた」
CIA長官は沈黙した。
大統領は再び書類を見ると、そこには七件目の問題が記載されていた。
「御坂美琴へ個人の連絡先を渡したとあるが?」
「その点については、現在調査中です」
「調査中? なぜ渡したのか、そいつから聞いているか?」
「次の機会に備えて、と」
大統領は数秒黙り…………そして、吹き出した。
「いいじゃないか!」
大統領は再び立ち上がった。またも笑顔が戻っていた。
「少女との連絡経路を確保したんだろう?」
「正式なものではありません」
「君は細かいな、使えれば同じだ!」
「情報機関ですので、はっきりさせておきたいので」
大統領はまだ笑っていた。
だが、周囲の誰も笑っていないことに気づき、少しだけ表情を引き締める。
「それで、どうするのかね、諸君。各部署の提案は?」
報道担当者が答えた。
「まず、ソ連による工作活動について、日本政府と共同発表するか協議します。血液サンプルは表現をぼかします」
「いいだろう。CIA要員は民間のアメリカ人協力者だったことにできるか?」
「無理です。本人がCIAだと名乗っています」
「冗談だったことにしろ」
「認識カードを提示しています。その直後、本当にサンプルを回収しています」
「では、変わったCIA職員だったことに」
「それはたしかに事実ですが、そのようには公表できません」
大統領は再び笑いはじめたが、今度は途中で止めた。
「我々は勝ったはずなのになぁ……」
大統領の寂しげな自嘲に、誰かが小さく答えた。
「勝ちました。ただし、後始末も勝利に含まれます」
大統領は机の上の書類を眺めた。
サンプル奪還したソ連工作網を、公然での劇的な摘発。
遠影とはいえ、船上での御坂美琴との共同作戦も撮影された。
戦果としては申し分ないのだが、その下には、情報漏洩から始まり、無許可行動に外交摩擦、報道対応という文字が並んでいる。
「ヴィカーズを呼べ」
CIA長官が顔を上げた。
「大統領自ら聴取を?」
「いや。顔を見ておきたい。こんな大勝利と大問題を一度に持ってくる男が、どんな顔をしてどんなことを言ってくるの気になって仕方ない」
CIA長官は、深いため息をついた。
「おそらく、反省しているようには見えないでしょう」
「なおさら見たい。この部屋の中でなら、ぶっ飛ばせるからな。諸君らも一発づつ殴っていいぞ」
アメリカは勝利した。
だがその勝利を、誰にも知られず手に入れるはずだったアメリカの計画は、完全に失敗していた。
レディたちへ迷惑をかけまいとしたアメリカだったが、そのアメリカのCIA局員がアメリカへ迷惑をかけているのであった。