とある科学の令和冷戦   作:大体三恵

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〜間話〜
ゲコ太はどこ!


 美琴から見て、いつの間にか学舎の園はずいぶんと変わっていた。

 

 学舎の外……遠影こそ東京湾で変わっているが、内側の建物も、通りも、植え込みも変わってはいない。

 

 変わったのは生徒たちで、そこを歩く少女たちの距離が近い。

 

 少し前までは、人前で手を重ねる程度でも、多少は周囲の視線を気にしていたはずなのだ。

 

 【接触強化】(フェザータッチ)だけでも十分に特別で、相手との親密さを示す行為として扱われていた。

 

 ところが今では、通りの端で額を寄せ合っている二人組がいる。

 あるベンチでは、一人がもう一人の肩へ頭を預け、目を閉じている。

 

 植え込みの陰では、抱き合ったまま長いこと動かない少女たちまでいた。

 

 美琴はそちらを見て、すぐに視線を逸らした。

 

「……あれ、【内密強化】(ディープコンタクト)よね」

 

「おそらく、そうですわね」

 

 隣を歩く黒子が、何でもないことのように答える。

 ──考えてみれば、こいつ、今も私の腕に腕を絡めてるわね。

 と、美琴も現状、自分も近い状態だと思った。

 しかし、程度が違う。

 

「人通りのある場所でやること?」

 

「人目があるからこそ、という方々もいらっしゃるのでは?」

 

「そ、そこまでくると理解できないんだけど」

 

「確かにわたくしも規制事実のためならまだしも、見られたいというのは理解できませんの」

 

「あんたのそれはそれで後で話がある」

 

 アイアンクローを仕掛けた美琴たちの前を、高校生の女子生徒が横切った。

 

 その後ろから別の少女が追いつき、前にいた女子生徒の腕を取る。

 立ち止まらず年上の少女は振り返ることなくその手を引き寄せた。

 

 肩が触れ合うい、耳元で何かを囁く。

 囁かれた側の少女が、顔を赤らめて年上の生徒の顔に顔を近づけ──その後の光景を直視して、言葉にするための勇気が美琴にはなかった。

 

 目を背けた通りの反対側では、制服の違う二人が壁際で向かい合っていた。

 片方の手がもう片方の腰へ回り――。美琴は一秒でまたも顔を背けた。

 

「そろそろジャッジメントの仕事が、本当に風紀のためになりそうですわね」

 

「どんなことしたら、あんたの出番になんのよ」

 

 黒子が美琴の腕へ身体を寄せる。

 

「なんでしたら実践を交えながら──」

 

「あんたが風紀を乱してんじゃないっ!」

 

 美琴が黒子の額を片手で押し返した。

 黒子は残念そうに肩を落としたが、美琴はその腕を解いて突き放すほどではない。

 

「ところでお姉様。本日は帆風さんのところへ?」

 

「そう。頼まれてたものを渡しに行くの」

 

 美琴は手に提げた紙袋を、軽く持ち上げて黒子に見せる。

 中にはお台場限定のゲコ太グッズ、黄色い浮き輪を身につけた海辺仕様が入っている。

 このグッズの世間的な人気はいまひとつだったが、美琴にとってはそんなことは関係なかった。

 

「帆風さんもご一緒に上陸なさればよろしかったのに」

 

「食蜂の護衛やら派閥の取りまとめやらで、ほとんど私用の時間がないんだって」

 

「休日はございますでしょう」

 

「あるけど、自分のためには使ってないみたいね」

 

 食蜂操祈の周囲は、学舎の園がこちらの世界へ現れてからさらに忙しくなっていた。

 

 派閥の生徒たちの安全や、外部との連絡などあるが、食蜂本人の護衛とお世話がある。

 帆風潤子は、そのほとんどへ関わっていた。

 

「本当に、あいつのためなら何でもするのね」

 

「お姉様が黒子のために何でもしてくださるのと同じですの」

 

「既成事実のようにいうな!」

 

 黒子の既成事実を打ち消し、外交委員会の入る棟を訪れる。

 帆風は派閥の生徒たちが使っている応接室にいた。

 美琴たちが訪れると、ちょうど書類の束を別の少女へ渡しているところだった。

 

「こちらは女王への確認前に、先に分類だけお願いいたします」

 

「はい、帆風様」

 

「急ぐ必要はありません。今日は十分休んでからで結構ですから」

 

「帆風様こそ、少しお休みください」

 

「わたくしは大丈夫です」

 

 そう答える帆風の机には、まだ複数の書類が積まれているのを見て、美琴は少し呆れた。

 

「そろそろ仕事の振り分け、考えたほうがいいですよ、帆風先輩」

 

 美琴に声をかけられ、帆風が振り返る。

 

「御坂様。それに白井さんも。ちょうど一区切りついたところです」

 

 帆風はそう言ったが、書類の山は一区切りという量には見えない。

 美琴はその書類の上を超えるように、紙袋を差し出した。

 

「はい。頼まれてたやつよ」

 

「まあ」

 

 帆風の表情が一気に明るくなった。

 紙袋から取り出されたのは、黄色い浮き輪を抱えたゲコ太のぬいぐるみとキーホルダーサイズのマスコットだった。

 

 通常より少しだけ小麦色に日焼けしたという設定の色合いで、片手には小さな水兵帽まで持っている。

 細かい差だが、その差が愛おしいと愛でる帆風。

 

「ありがとうございます、御坂様」

 

 帆風は両手でゲコ太のぬいぐるみとマスコットを受け取った。

 いつもの落ち着いた態度からは想像しにくいほど、目が輝いている。

 

「御坂様の分はございますの?」

 

「もちろん買ったわよ」

 

 美琴は当然のように答え、自分の紙袋からぬいぐるみと──あとは空だった。

 

「あれ?」

 

「どうかなさいましたか?」

 

「いや、私のゲコ太。キーホルダーの方が……」

 

 紙袋を逆さにし、なにも落ちないとわかると鞄を開く。

 探ってみるがゲコ太はいない

 美琴はポケットを探ったが、マスコットが出てくる様子はない。

 

 それでも何かの間違いではないかと、制服の内側まで確認する。

 

「お姉様、どちらをお探しですの。胸元には入らないかと……」

 

「分かってるわよ!」

 

 美琴がポケットから手を引き抜いた時、小さな白い紙片が床へ落ちた。

 

 黒子が先に拾う。

 

「お姉様、これは?」

 

 黒子は紙面へ目を落とす、ヴィンセント・ヴィカーズと書かれた名刺だった。

 

「返して、黒子」

 

「肩書は書かれておりませんわね。電話番号が複数。裏にも手書きの番号が」

 

「返しなさい!」

 

 美琴が奪い取ろうとするが、黒子はテレポートで届かない高さに逃げた。

 

「お姉様。こちらの殿方は、どなたですの?」

 

「ヴィヴィヴィのおっさんよ」

 

 帆風が瞬いた。

 周囲にいた派閥の少女たちも、一斉に美琴を見て、黒子はゆっくり名刺を下ろした。

 

「すでに愛称で呼び合う仲ですの? ヴィンセント、ヴィンス、ヴィカーズ。なるほど。三つのヴィで、ヴィヴィヴィ」

 

「そうよ。それだけ!」

 

 帆風が名刺と美琴を交互に見て、素敵なものを見たと笑顔になって口元を隠す。

 

「まあ……御坂様にもそのようなご縁があったのかと」

 

「帆風先輩も、その本気の反応やめて」

 

 帆風に触発されたのか、周囲の少女たちが小声で話し始める。

 

「まあ、外国の方ですって」

 

「お台場でお会いしたのかしら?」

 

「連絡先をいただいたのね」

 

「年上の男性ですのね、素敵ですわ」

 

「うわああああ……」

 

 勝手に話題の中心となった美琴は、狼狽えながら赤面している。

 黒子は名刺を眺めたまま、ため息をつく。

 

「まあ、お姉様のことですから、色恋沙汰ではないでしょうけれど」

 

 そう言って、確認を終えた黒子は本棚の上から、応接室の床にテレポートで降りる。

 

「分かってるなら、その顔やめなさいよ!」

 

 美琴は黒子から名刺を取り返し、乱暴にポケットへ戻そうとし……ふと手が止まる。

 

「……船。そうだ、モーターボートに落としたのかも」

 

 追跡の最中、美琴は紙袋を足元に置いた。

 観光船へ飛び移る前、ゲコ太の袋をどうしたのか、はっきり覚えていない。

 

「でしたら、警護担当へ確認を」

 

「もう船は持ち主に返したって言ってた」

 

「では、そのヴィヴィヴィさんへご連絡してみては?」

 

 帆風に促され、しばし名刺を見つめる美琴。

 

「絶対しないから」

 

「揶揄っていたわたくしがいうのもなんですが、事務的に確認するだけではありませんの?」

 

 難しそうに考えている美琴の横から、黒子が名刺を覗き込む。

 

「でも、かけたらあいつ絶対調子に乗るし……。いえ、そうね。これは探し物の確認よ」

 

 そう言い訳して、番号を入力する。

 呼び出し音は、一度しか鳴らなかった。

 

『はい、ヴィンセント』

 

「早いわね」

 

『おや、美琴ちゃん?』

 

「なんで分かんのよ!」

 

『日本で名刺を渡した相手は、まだ一人だけだからねぇ、ボク』

 

 なにを勘違いしているのか、なにを期待しているのか、周囲の少女たちがざわめいた。

 美琴は黄色い声に背を向け、声を落とす。

 

「ヴィヴィヴィのおっさん。あんた、ゲコ太拾ってない?」

 

『電話をくれた喜びを味わう暇もないねぇ』

 

「あるの、ないの!」

 

『うん、あるよ。黄色い浮き輪を持ったカエルさん。操縦席の下に落ちてた』

 

 美琴の目が見開かれた。

 

 

「それ! 私の!」

 

『知ってる。大事そうに持ってたから』

 

「だったら、なんで連絡してこなかったのよ!」

 

『それは日本政府経由で?』

 

 言葉に詰まる美琴。

 相手は連絡先を知らず、気軽に常盤台中学校へ連絡できる情勢ではない。

 かならず日本政府経由となり、時間もかかるだろう。

 

『困るでしょ? だから待ってた』

 

 美琴が言葉につまったため、事情を察しているヴィンスはヴィンスなりに配慮をアピールした。

 

「と、とにかく返して」

 

『もちろん。どうやって?』

 

「日本側の警護担当に渡して。あんたが直接持ってこないでよ」

 

『直接は駄目?』

 

「駄目!」

 

『せっかくまた会えると思ったのになぁ。じゃあ、外務省経由にしようか』

 

「外務省?」

 

『アメリカ側から日本の外務省へ返却依頼を出す。そこから学舎の園へ届けてもらえば、身元も経路も明確。安全でしょ?』

 

 美琴は少し考えた。

 個人的にヴィンスが来るよりは、はるかにまともに聞こえる。

 

「そうね。それでいいわ」

 

『了解。品目はどうする?』

 

「ゲコ太」

 

『え、ええ〜……。外交文書にそのまま書くの?』

 

「他に何て書くのよ」

 

『わかった。じゃあ、お台場限定水兵仕様ゲコ太キーホルダー、一点』

 

「ただのゲコ太よ!」

 

『美琴ちゃんがぼくへ電話してまで取り戻したゲコ太でしょ?』

 

「二度とかけないからね! 切るわよ!」

 

『はいはい。またね、美琴ちゃん』

 

「またはないから!」

 

 美琴は通話を切った。

 

 振り返ると帆風と黒子だけでなく、部屋にいたほぼ全員がこちらを見ていた。

 

「な、何よ」

 

「ずいぶん親しげでしたの、お姉様」

 

 黒子が言うと美琴は激昂した。

 

「どこがよ!」

 

「向こうはお姉様からのお電話だと、一声でお分かりになったようですが」

 

「名刺を渡した相手が私だけだったからでしょ!」

 

「名刺を渡した女性が、お姉様ただ一人とは……。いったい、どんな色男なのか」

 

 黒子はわざとらしく額に手をあてて、悩ましいと首を振った。

 

「なんでよ! 違うから、そういう意味に変換しないでよ!」

 

 黒子の挑発に乗ったように、美琴は必死に否定する。

 帆風はゲコ太を胸元へ抱きながら、少し困ったように美琴に向かって笑った。

 

「ですが、見つかってよかったですね」

 

「ま、まあね」

 

 美琴はまだ少し赤い顔で携帯端末をしまう。

 

「外務省経由なら、あいつが直接来ることもないし。これが一番安全でしょ」

 

 黒子は何か言いかけ……少し斜め上を見て考えた後、黙った。

 

「何よ、黒子。文句あるの?」

 

「いえ」

 

「絶対何かある顔してるでしょ」

 

「黒子から申し上げるのは控えておきますの」

 

「気になるじゃない!」

 

「これは食蜂さんへお任せするのがよろしいかと」

 

「なんで食蜂が出てくるのよ」

 

「さあ?」

 

 黒子はにこやかに笑った。

 美琴は不審そうに眉を寄せたが、これ以上追及はしなかった。

 

+ + + + + + + + +

 

 通話の切れた端末を、CIA局の事務室でヴィンスはしばらく眺めていた。

 

 机の積み重なる書類の上には、黄色い浮き輪を抱えたゲコ太マスコットが座っている。

 

 ヴィンスはその頭を指先で、満足そうに軽く突いた。

 ころりと転がり、書類束の横ですでに梱包材とともにセットしてあった小荷物用のケースに収まる。

 蓋を閉め、リボンで縛るとメッセージカードを添えた。

 

 それから、外務省経由の返却手続きを開始するため、端末を操作する。

 途中で手を止め、ヴィンスは小さく笑う

 

「美琴ちゃん。悪いけどこういう記録ってさぁ……、残っちゃうんだなぁ、これが」

 

 そして何の迷いもなく、送信ボタンを押した。

 

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