「へえ。
佐天が差し出した研究報告書を覗き込むと、見出しには美琴が知らない用語が印字されていた。
・残基同期=シンクロレジドゥ=synchro-residue
「通りで、どう逃げても隠れても見つかるはずだわ。あははははー」
美琴は乾いた笑いを上げながら、自分の背中へ抱きついてぶら下がっている黒子の額を、ぺしっと叩いた。
「ああんっ」
黒子が床へ落ちが、すぐに美琴の太ももにしがみつく。
「お姉様。そのように邪険になさらずとも」
「報告書を読んでるの。離れなさい」
「白井は読書の妨げにならぬよう、静かに密着しておりますの」
「妨げにしかなってないってのっ!」
美琴はもう一度、黒子の頭を軽く叩いた。
それでも黒子は離れない。
佐天は二人を見比べながら、報告書の続きへ目を落とした。
「そうなんですよ。でも、こうなるのって、よほど
美琴の指が止まり、船上で黒子と行った接触を思い出す。
あれを軽い接触だったと言い切るのは、さすがの美琴にも無理があった。
黒子は美琴の脚に頬を寄せたまま、得意げに胸を張る。
「
「誰もあんたの愛情表現について聞いてないから」
「まあ、先週は内密ならぬ濃密でしたけど。ぐふふふふ」
「やっぱり、そうなんですね」
佐天が深く頷き、美琴は顔を赤くして報告書で半分ほど隠す。
「違うから、お願い。言わないで……」
「御坂さんがそこまで言うなら」
佐天は口元を緩めながらも、それ以上の追及は控えた。
代わりに報告書を指で示す。
「【内密強化】の後って、相手の存在情報が少し残るらしいんです」
「存在情報? それってどんな?」
「位置とか、体調とか、能力演算の癖とか。普通なら分からないはずのものが、しばらく感覚として残るんですって」
「それで黒子は、私がどこにいても分かったわけ?」
「愛ですの」
「
黒子が調子にのったので、美琴は即座に否定するため新用語を利用した。
美琴が脚を振ると、黒子はようやく離れた。
ただし、床へ座り込んだまま、美琴を見上げている。
「でも、白井さんは今、そこまで症状が強くないんですよね?」
佐天が尋ねると、黒子は自信ありげにツインテールの右側を払って見せた。
「お姉様の位置なら、今でもいついかなる時も正確に把握できますの」
「はいはい」
黒子の戯言を一蹴するように、佐天は報告書を一枚めくった。
「白井さんの場合、テレポートが関係してるかもしれないそうです」
「どういうこと?」
「テレポートするたびに、自分の身体座標を演算し直してるじゃないですか。その時に
黒子は満足そうに微笑んだ。
「あら、まあ……。つまり、白井のお姉様への想いは、
「そこまでは書いてないと思う。私の方も、今はそこまで黒子の居場所が分かる感じしないけど」
美琴は黒子を無視し、報告書を受け取った。
「時間が経って薄れたんじゃないですか?」
「それにしては急に消えた気がするのよね」
「何か別の強い接触をしませんでした?」
思い当たる節があるのか美琴が急に黙り、それを見逃さない黒子の目が細くなる。
「お姉様。そういえば先日、食蜂さんとベッドの上で組んず解れつになっておられましたわね」
「言い方! ゲコ太を奪い返そうとしてただけよ!」
「途中からは、食蜂さんを押し倒しておられたと記憶しておりますの」
「向こうがくすぐってきたからでしょうが!」
佐天が何度か瞬きをした。
「なるほど、白井さんとの
「なるほどって! 上書きぃ!?」
「一つの相手との情報だけが残るわけじゃないみたいです。別の相手と強く同期すると、それまで残っていたものが分散したり、薄れたりする可能性があるって」
「じゃあ、私が黒子に同期固着しかけてたのが、食蜂のおかげでリセットされたってこと?」
「まだ同期固着とまでは決まってませんけど、近い状態だったかもしれませんね」
美琴は黒子を見て、黒子も美琴を見る……。
「危なかったわね。黒子、あんたに依存するところだったのよ」
「今からでも遅くございませんの!」
黒子が飛びかかろうとした瞬間、部屋の扉が開いた。
「さっきから、人の名前を勝手に症例へ使うのはやめてくれるぅ?」
いつもの優雅な微笑で、派手な身振りして、食蜂操祈が立っていた。
ただし、扉を開けた食蜂の視線は、最初から美琴だけへ向けられている。
「御坂さんがこの部屋にいるのは分かってたけどぉ、まさか私の悪口大会をしてるとは思わなかったわぁ」
食蜂の聞き逃せない発言に、美琴が眉を寄せる。
「待って。何で私がいるって分かったのよ」
「何でって」
食蜂は即答しかけ、口元に指を当てて少し考え込み、そして告げる。
「……それは何となくよぉ」
「能力で調べたってわけ?」
「あなたには
食蜂は、ようやく自分の発言の意味に気づいたようだ。
室内が静かになるなか、佐天だけが報告書へ視線を落として説明する。
「食蜂さん。それ、
「違うわよぉ。私に限って、そんな自己管理力の低い現象が起きるわけないでしょう?」
「でも、御坂さんの位置が分かったんですよね」
否定する食蜂だったが、佐天の追求は止まらない。
「偶然よぉ。そう、偶然〜」
「そう偶然ね。なーんか、嫌な感じ。じゃあ私は行くから」
美琴が食蜂の横を通り、廊下へ出ようとしたその時──。
食蜂の手が無意識に動き、ドアを開けようとした美琴の制服の袖を指先でつかむ。
黒子の表情から笑みが消え、食蜂自身も、袖をつかんだ自分の手を見下ろした。
「……これは違うのよぉ」
「何が、な・に・が・、違いますの?」
嫉妬からなのか黒子の声が低い。
「ちょっと待って、怖いんだけど」
美琴が袖を引くが、食蜂の指は一瞬だけ離れることを拒んだ。
本人が意識して、ようやく手を放す。
その様子は見ていた佐天は、ふむ……と科学者のような口ぶりで報告書を読み直した。
「かなり症状が似ています。いま一番危ないの、食蜂さんじゃないですか?」
「い、嫌よぉ!」
食蜂の返事は、ほとんど悲鳴だった。
次の瞬間、食蜂は黒子の両肩をつかんでいた。
「白井さん! いまからテレポートしまくって、初期化してくれなぁい!?」
「お断りですの」
「即答!?」
「そもそも、わたくし自身がテレポートすることで初期化されるのであって、運ばれる側にも同じ効果があるとは限りませんの」
黒子の突き放すような推論に、佐天もたしかに……と頷く。
「白井さんは自分で座標を演算し直してますけど、食蜂さんは運ばれるだけですからね」
「試すだけ試しましょうよぉ! お願いっ!」」
必死な食蜂は、冷めた目の黒子の肩を揺さぶった。
「御坂さんとなんかとそんなことになるなんて、耐えられないわ!」
「なんかとは、どういう意味じゃ、こら」
美琴の額に青筋が浮かぶ。
食蜂はそちらを向き、一瞬、怯えたような顔をする。
だが、すぐにいつもの挑発的な笑みへ戻った。
「こわぁい」
「誰のせいよ!」
「御坂さん、そんなに私があなたに依存してるのがいいのぉ?」
食蜂はわざと甘い声を出し、美琴へ一歩近づいた。
「嬉しくて怒ってるのかしらぁ」
「ぶっ飛ばすわよ!」
「ほらぁ。そんなに意識しちゃってぇ」
「意識させてんのはあんたでしょうが!」
佐天は報告書から顔を上げた。
挑発したいのか、美琴の反応を確かめたいのか、食蜂自身にも整理できていないらしい。
「食蜂さん、今のも症状かもしれませんよ」
「ち、違うわよぉ!」
「否定するたびに御坂さんの顔を見てます」
食蜂の逃げる視線が、美琴を追うように見る……と、慌てて佐天へ戻す。
「見てないわよぉ! これは、これは違うの!」
美琴は騒ぐ食蜂をしばらく訝しむ目で眺めた。
よく見れば目の下に、ごく薄い隈がある。
うっすら化粧で隠しているが、知っていれば分かる程度には残っていた。
「よく考えたら、あんた、ろくに寝てないのもいけないんじゃない?」
「寝てるわよぉ。……三時間くらい?」
全員が黙った。
現在、食蜂は学舎の園内部の調整に追われている。
派閥の管理は以前からとして、教師や職員との連絡や外部情報の整理は彼女の仕事である。
最近は、これに護衛計画が加わり、さらに食蜂と美琴でないとしらない心理掌握でなければ処理できない問題がある。
加えて本人しか判断できない案件も多く、帆風がいくら支えても、食蜂自身が眠らなければならない時間まで肩代わりすることはできない。
佐天は報告書の該当箇所を指でなぞった。
「残基同期が薄れる主な条件は、時間経過と睡眠。それから、同期相手を意識しない時間を作ること……」
「なによ。食蜂、全部できてないじゃない」
「忙しかったんだから仕方ないでしょう?」
食蜂のなけなしの抵抗を見て、黒子は腕を組んだ。
「つまり食蜂さんは、睡眠を取らず、お姉様のことを考え続け、残基同期を自ら維持なさっていたと」
「言葉の選び方が悪いのよぉ!」
根をあげる食蜂に、美琴はため息をついて当然の助言を口にする。
「休みなさい、食蜂……」
「私が休んだら、誰が全体を見るのよぉ」
「三日くらいなんとかなるでしょ。私も手を出すから」
「長いわよぉ、それ」
「じゃあ五日」
「ちょ……増えて……その交渉方法、どこで覚えたのかしらぁ!」
食蜂は続けて反論しようとしたが、美琴が近づくとまた視線が無意識にそちらへ引かれてた。
それを佐天に見られ、言葉を失う。
「……三日。わかったわ、三日だけ休むわぁ。それで十分でしょう?」
食蜂はついに観念して、膝の上に手をおいてだらんと肩を落とした。
食蜂操祈が三日間のまとまった休暇を取る。
その事実は、学舎の園の内部では小さくない出来事だ。
派閥の生徒たちへ仕事を割り振り、教師へ連絡し、外部との面会予定を延期する。
世界へ説明するため、食蜂はエントランスホールへ集まった関係者の前へ姿を見せた。
日本側の連絡担当者と、その隣に派閥の生徒がずらりと並ぶ。
その日、施設案内の取材へ入っていたテレビ局のカメラも、ホールの端に置かれていた。
「急な予定変更で申し訳ないわぁ。ちょっと御坂さん力とか御坂さん分を、たーっぷり抜くために、しばらく休むわぁ」
食蜂はいつもと変わらぬ笑顔で告げ、ホールが静まり返った。
美琴が目を向いて振り返り、派閥員たちが目を閉じ、カメラマンだけが、職業意識によって撮影を続けていた。
「食蜂、今の言い方なによ!」
「私の中に残ってる御坂さん由来の情報を抜くんだから、御坂さん分で合ってるじゃなぁい」
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食蜂の発言は一時的に話題となった。
アメリカ合衆国。ある能力者研究を担当する政府系研究機関。
会議室の大型画面では、食蜂の発言が英語字幕つきで再生されていた。
『I need a few days off to thoroughly get the Misaka factor—or the Misaka component—out of my system.』
「この翻訳は正確なのかね?」
「ほぼ直訳に近いです」
「本人は本当に“成分”という表現を?」
「日本語では、さらに曖昧です。御坂さん力、御坂さん分、と」
研究員が資料を切り替える。
御坂美琴と白井黒子の接触後、美琴の知覚能力が一時的に拡張された可能性があるという資料だ。
並んで食蜂操祈が御坂美琴の位置を、能力を用いず察知したという未確認情報もある。
接触した能力者同士に、感覚や能力特性の残留が生じるという学舎の園側の説明は、これらと関係していると思われる。
「接触時に、何らかの物質が移動している可能性は?」
「汗、唾液、皮膚常在菌、ホルモン、微量タンパク質。候補は多いですね」
「未知の媒介物質であれば?」
「能力者特有の生体因子か?」
別の研究員が、ホワイトボードへ書き込んだ。
・Exchangeable Ability Factor? 交換可能能力因子?
「能力者同士は、濃密な接触によって何らかの成分を分け合っていると考えられる。そして体内へ残った他者由来成分が、知覚や能力へ一時的な影響を与える」
主任研究員がメガネを外し、ゆっくりと結論を読み上げた。
「食蜂操祈の休養は、その代謝と排出に必要な期間かもしれないな。それが御坂分か……」
彼らの推測は、本質へ近づいていた。
だが彼らは、能力者同士が分け合っているものを、いまだ物質だと信じていた。