昼になったころ、黒子のとなりで私は広場のベンチで完全に干からびていた。
「……もう駄目」
背もたれに身体を預け、空を仰ぐ。
頭上には、雲一つない青空が広がっていた。
学舎の園がどこか知らない世界の東京湾上空に浮かんでいるという事実さえ無視すれば、夏休み最初の日曜日としては申し分のない天気だった。
「お姉様、しっかりなさってくださいまし」
隣に座る黒子も、いつもの半分ほどしか声に張りがない。
「あんただってぐったりしてるじゃない」
「わたくしは、お姉様と共に叱責を受けたという事実を、二人の共同作業として噛み締めておりますの」
「あ〜、あんたはいつもそうね。変なところに喜びを見つけないで」
さらに隣では、食蜂が日傘を差したまま、こちらへ寄りかかっていた。
「どうして私まで、常盤台の寮監に二時間も説教されなければならないのかしらぁ。別寮よわたしぃ」
「一緒に乗ってたからでしょうが」
「私はあなたの暴走を監督するために同行したのよぉ」
「一番後ろから私たちを押し潰してたくせに」
「搭乗部の設計不良ねぇ」
「三人乗りじゃないのよ、あれは……」
食蜂と喧嘩してるつもりだけど、お互い元気がなくて愚痴の言い合いみたいになってる……。
演算のしすぎで、電池切れになった時より動きたくない……。
私たちは日の出より少し前、学舎の園に帰ってきた。
上海へ向かう海上から引き返し、学舎の園へ着地した時には、広場にも校舎の屋上にも、眠ることを諦めた生徒たちが集まっていた。
私たちがA.A.A.から降りると歓声が上がった。
それはよかった。
問題は、その歓声をかき分けて寮監が現れたことだ。
そこから先は……もう思い出したくない。
無断外出に危険行為。
緊急時における逸脱行為。
正体不明の兵器への無断搭乗。
領域外への飛行。
所属不明の軍用機との接触。
外国らしき地域への接近。
飛来したミサイルへの介入。
どれを取っても、並べるだけで頭が痛くなる。
それでも、私たちは思っていたほど厳しく処分されなかった。
怒られたけど。
寮監には、危うく魂が身体から抜けるくらい絞られた。
ただ、処分という話になると、教師たちの態度は急に曖昧になった。
理由の一つは、私たちが持ち帰った情報だった。
A.A.A.には、飛行中に受信した大量の電波情報が残されていた。
日本側の航空管制信号をはじめ、Fー15Jが使用していた識別方式。
軍用レーダーの走査パターン。
地上局同士の通信にアナログテレビ放送、そしてなぜかある携帯端末向けのデジタル放送。
上海で浴びせられた大量の探索波と通信信号に、ミサイルの誘導方式まである。
そのほか、私にもまだ分類できていない形式の信号が山ほどあった。
何も知らないまま取り残された学舎の園にとっては、外部世界と接触するための最初の手がかりだった。
無鉄砲で、大迷惑で、下手をすれば全員を危険に巻き込む行動だった。
けれど、成果だけは大きすぎた。
もう一つの理由は、教師たち自身も、私たちが何をしてしまったのか実感できていないことだと思う。
外国らしき場所へ無断で侵入し、軍用機に追跡された。
地対空ミサイルを撃たれた。
最後には核兵器らしきものまで飛んできた。
言葉にすれば、とんでもない。
外交問題、ギリ領空侵犯。くわえて国際的な責任。
先生たちも、それくらいは理解している。
でも、まだ実感が追いついていない。
昨日まで、私たちは学園都市の中にいた。
外国というものは、地図やニュースや旅行計画の中にあるものだった。
それが一晩で、海の向こうからミサイルを撃ってくる存在になった。
先生たちも生徒たちも、その変化を頭では理解している。
けれど、自分たちが国家同士の問題の中心にいるという感覚までは持てていない。
たぶん、私も同じだった。
「それでは、皆に報告しよう!」
広場の中央から、よく通る声が響いた。
ベンチへ沈んでいた私は、重い頭を起こした。
即席の演台に立っているのは、レザネリエ=サディス=ダイヤライン。
常盤台中学3年生で、制服を着ているけどスカートの下は乗馬ズボン。常盤台は服装規程が厳しいけど、スカートの下に履くものは厳しくない。
髪はセミロングで、男性的なところがあり、彼女は常盤台の王子様と人気がある。
実際、東欧東欧ダイヤライン皇国では立派な貴族だ。
しかし乗馬ズボン……私も短パン履いてるけど、あれっていいんだって気がする。
生徒たちの前に立つ彼女は背筋を伸ばし、まるでこの日のために何年も準備してきたと言わんばかりの顔をしていた。
「生徒諸君! 安心したまえ!」
レザは片手を広げた。
広場に集まっている生徒たちが、一斉に彼女を見る。
「食料、飲料水、医薬品、生活必需品、いずれも当面の備蓄がある! 発電設備も正常だ。太陽光、風力、地熱その他の再生可能エネルギー設備は、昨夜の異常発生後も問題なく稼働している!」
ざわめきが少し収まった。
「上下水道も健全! 廃棄物処理施設、浄水設備、再資源化設備も異常なし! 循環システムは正常に稼働した!」
得意げだった。
もの〜〜〜〜すごく得意げだった。
「私たちは孤立した! だが、孤立と無力は同義ではない!」
生徒たちの間から拍手が起きる。
「秩序を保ち、各校が協力し、資源を適切に管理すれば、学舎の園は維持できる! 慌てて買い占めたり、食堂から食料を持ち出したりする必要はない! むしろ、そうした行為こそが我々の安全を損なう!」
今度は、さっきより大きな拍手だった。
「どの口で言ってるのかしらぁ」
食蜂が、私の肩へ顎を載せたまま呟いた。
「何か知ってるの?」
「別にぃ」
「その言い方は絶対知ってるでしょ」
「あの子が非常時に備えて、ずいぶん熱心に物資や設備を集めていたことくらいよ」
「それなら立派じゃない」
「非常時の意味が、少し違っていたのだけれどねぇ」
「どう違うのよ」
食蜂は答えず、意味ありげに笑った。
レザが準備していたのは、災害で学園都市から切り離された場合への備えではなかった。
もっと自主的に、かなり計画的に、そして乱暴に学舎の園を外から切り離すための準備だったらしい。
私はそこまで食蜂から聞かされていなかったけれど、あの演説を聞いていると、なんとなく想像はついた。
「実行してないなら、結果的には、全部役に立ってるじゃない」
「本人もそう思っているでしょうねぇ」
「何か問題ある?」
「ないわよぉ。だからこそ、どの口で言っているのかと思っただけ」
食蜂は演台のレザを眺めた。
「自分で孤立できるよう準備していた子が、突然本当に孤立して、皆へ落ち着けと言っているのだから」
「……ああ」
それは確かに、少し言いたくなる。どの口が、と。
レザの演説が続く間、広場では別の話題も広がっていた。
食料や水より、むしろ能力について話している生徒の方が多い。
昨夜から能力の出力が上がったとか、以前できなかったことができたとか。
射程が伸びたと驚いてる子がいれば、計算が速くなったと喜んでる子がいる。
能力が安定したという声が一番多い。
そんな話が、あちこちから聞こえてくる。
それらとは別に、これからどうなるのか。家族と連絡が取れない。元の世界へ帰れるのか。
そう不安がっている生徒もいる。
けれど、思ったより少ない。
今のところ電気も水もあるし、寮の食堂も開いている。
建物も壊れていない。
空から見れば大事件でも、園内にいる限り、日常はそれほど壊れていなかった。
しかも、能力が強くなったという話まである。
不安より、好奇心の方が勝っている子も多い。
「御坂さん」
食蜂が私の耳元で言った。
「あなたも、もう気づいているのでしょう?」
「何に」
「昨夜の私たちのことよぉ」
私は前を向いたまま答えなかった。
黒子も黙っている。
大陸から飛んできた、核弾頭を搭載していたらしいミサイル。
あれを無力化したのは黒子だった。
でも正確には、黒子だけの力ではない。
「黒子、あのミサイルの時、どこまで分かってた?」
黒子は少し考えてから答えた。
「説明が難しいですの」
「違ってても構わないから」
「わかりましたの。最初は、ミサイルの外装を分解するつもりでした」
黒子の能力なら、触れた物体を空間移動させられる。
外装を構成する部品を一つずつ別の場所へ飛ばせば、内部を露出させられる。
そのうえで、弾頭と推進部を切り離す。
それが最初の計画だった。
「ですが、お姉様が構造を解析した途端、内部が見えたのです。ああもちろん、目で見たわけではございません」
黒子は自分のこめかみに指を当てた。
「頭の中へ、直接入ってきたという方が近いですの」
私が電磁波を使ってミサイル内部を探った。
金属外装の向こうの誘導装置。複雑だが整ってる配線。
電源に弾頭を固定している基部。
構造を一つずつ読み取った。
そこまでは、いつもの私の能力だ。
その情報が黒子へ伝わった。
私が解析した構造を、最初から知っていたかたちになる。
「しかも内部に、自分の手を入れられる気がしたのです」
「実際には触ってないわよね」
「はい。ミサイルの外側へ手を置いただけですの」
高速で飛翔するミサイルへ接近し、黒子は外装に触れた。
本来なら、その外装だけが能力の対象になる。
けれど、あの時の黒子は、外側の金属板を越えて、その奥にある部品へ直接触れたように感じた。
「お姉様が見つけた基部へ、腕を差し込むような感覚でした」
黒子が右手を前へ伸ばす。
「外装を分解する必要がないと分かりましたの。中にある部品だけを、直接移動させられると」
「それで、弾頭の基部を飛ばした」
「信管と起爆系統を固定していた部分ですわね」
黒子が転移させたのは、ミサイル全体ではない。
弾頭の内部にある、ごく一部の構造だった。
それを海上の別座標へ移動させたことで、起爆系統が物理的に断絶し、ミサイルは推力と制御を失い、海へ落ちた。
「そんなこと、今までできた?」
「できませんでしたの」
黒子は即答した。
「物体の内部構造を認識できたとしても、外側から内部の特定部品だけを対象にするなど、演算負荷が大きすぎます」
「でも、できた」
「お姉様の認識が、わたくし自身の認識として使えました」
私たちは顔を見合わせた。
単に能力の出力が上がっただけではない。
私が見たものを、黒子も見た。
食蜂が処理した情報が、私の電磁感覚を整理した。
黒子の空間把握が、A.A.A.の機動へ反映された。
三人が密着していた間、能力と認識の境界が曖昧になっていた。
「寝てる時に私と黒子が抱き合ってた時も、感覚が広がった」
「お姉様から抱きしめてくださったことは、生涯忘れませんの」
「そ、それは、寝ぼけてただけよ」
「否定されても事実は変わりませんの!」
「食蜂と組み合った時にも、同じことが起きた」
「私に抱きついた時ねぇ」
「喧嘩してたのよ!」
「形式としては抱擁に近かったわぁ」
「違う!」
食蜂は楽しそうに笑った。
その笑顔のまま、少しだけ声を落とす。
「そして三人が重なったら、A.A.A.が完全に起動した」
「……そうね」
偶然が重なっただけ、と言い切るのは難しい。
佐天さんの能力発現。
園内の生徒たちの能力上昇。
私と黒子。
私と食蜂。
そして三人で密着した時の、異常なまでの能力連結。
「力が大きくなってる」
私は言った。
「たぶん、私たちだけじゃない」
「でも、単純なレベル上昇とは違うわねぇ、これ」
食蜂が感想を述べる。
「あなた自身の電撃出力が何倍にもなったわけではない。白井さんの移動距離が突然十倍になったわけでもない。変化、といいのかしらぁ?」
「能力の使い方が広がったとか?」
「能力同士の境界が弱くなった、と考える方が近いかもしれないわぁ」
「人と接触すると、そうなるわけ?」
「そうねぇ。それも、誰でもよいわけではなさそうね」
私たちは、なんとなく周囲を見た。
ちょうどその時だった。
「では、もう一度お願いいたしますわ!」
広場の一角から、婚后光子の声が響いた。
見ると、婚后さんを中心に、湾内さんと泡浮さんが並んでいる。
三人とも、妙に真剣な顔をしていた。
「どうしたの、あれ」
「朝から検証しているみたいですの」
黒子が言った。
「婚后さんたちも、三人で身体を寄せた時に能力が上がった気がしたそうですわ」
「三人で?」
婚后さんが両腕を広げる。
「今度こそ、明確な差をお見せいたします!」
「婚后さん、あまり大きな出力は危険ですよ」
湾内さんが注意する。
「分かっておりますわ。植木鉢を動かす程度に留めます」
「先ほども同じことを言って、三つ先の花壇まで倒しましたけど」
泡浮さんが静かに指摘した。
「それは風向きの問題ですわ!」
三人は相談した末、肩を寄せ合った。
婚后さんが中央。
湾内さんと泡浮さんが左右から腕を回す。
抱き合っていると言えなくもない体勢だった。
「では、参ります!」
婚后さんが扇子を振る。
圧縮された空気が放たれ、地面に置かれた空の植木鉢が浮き上がった。
植木鉢は数メートル飛び、用意されていた布の上へ落ちる。
「先ほどより飛距離も伸びて、精度が高まってましたわ!」
「わたくしの能力制御も、少し滑らかになった気がします」
湾内さんが水筒の水を空中へ浮かべる。その数は6つ。
分割して制御するとき、湾内さんは4つが最大だった。
細い水流が三人の周囲を一周した。
劇的ではないけど、顕著な変化といえる。
「私も、持続時間が伸びています」
泡浮さんが、近くのベンチの脚が、ほんの数センチ地面から浮いている。一回目の発動から、まだ効果が続いているのだろう。
「成功ですわ!」
「普段もできますよね」
「ですが今日は、三人同時に能力を使っています」
「昨日まで試していないので、比較できません」
「もう一度! 今度はもっと強く抱き合って!」
「婚后さん、検証条件が変わってしまいます」
「ですが、御坂さんたちは密着度が重要だったのでしょう?」
三人の視線が、こちらへ向いた。
周囲にいた生徒たちの視線まで、一斉に集まる。
「ちょっと待って」
私は立ち上がった。
「誰がそんな話を広めたのよ!」
「佐天さんですわ」
黒子が即答した。
「佐天さぁん!」
広場の向こうで、佐天さんが露骨に顔をそらした。
その周囲では、別の生徒たちまで二人組や三人組になり、手を握ったり肩を組んだりしている。
「接触すると能力が上がるとのお話ですが、本当でしょうか?」
「私たちも試してみようよ」
「抱き合わないと駄目らしいわ」
「手を繋ぐだけじゃ変わらなかった」
「これって仲の良さも関係あるんじゃない?」
「だったら、あの二人は絶対上がるでしょ」
どんどん話が変な方向へ広がっている。
「皆、これからのことをもう少し心配しなさいよ……」
私が呟くと、食蜂が肩を揺らして笑った。
「電気も水も食事もある。建物も無事。おまけに能力が強くなったかもしれない。危機感を持てという方が難しいのではなくて?」
「外国からミサイルを撃たれたのよ」
「それを知っているのは、一部の教師と私たちくらいでしょう?」
「先生たちだって、いまいち実感してないし」
「それなら、生徒が夏休みの催し物くらいに考えるのも無理はないわぁ」
婚后さんたちは、もう一度三人で抱き合っていた。
「今度こそ、明確な数値を出しますわ!」
「測定器がありません」
「体感でも構いません!」
「それは検証とは呼べませんよ」
再び風が吹く。
先ほどより強い。
けれど、婚后さんが張り切ったせいなのか、三人で抱き合った効果なのかは分からない。
「やはり、少し強くなっていますわ!」
「本当でしょうか」
「A.A.A.や白井さんの件と、同じ現象なのでしょうか」
湾内さんが首を傾げる。
泡浮さんも、浮かせたベンチをゆっくり地面へ戻した。
「似ている気はします。でも、御坂さんたちほど劇的ではありません」
「人数だけではない?」
「能力の相性でしょうか」
「親密度かもしれませんわ!」
「それはどうやって測るんですか」
三人の話し合いは、すぐに行き詰まった。
何か言いたかったけど、私も答えを持っていない。
抱き合えば能力が強くなるとか単純な話なら、まだ分かりやすかった。
私たちに起きたことは、能力が強くなったというより、三人の間にあった境界が一時的に消えたようなものだった。
演算力が上がったというより、演算しなくてもすむ土台ができていたというほうが気分的に近い。
私の解析を、黒子が受け取り使った。
黒子の空間認識を、私が感じた。
食蜂の情報処理が、その二つを繋いでくれた。
そして、過去に一度しか動かせなかったA.A.A.が現れた。
婚后さんたちの現象が同じものなのか。
それとも、園内全体で起きている能力上昇の一部にすぎないのか。
今はまだ、分からない。
ただ一つ確かなのは、学舎の園が別の世界へ移っただけではない。
私たち自身も、昨日までと同じではなくなり始めていた。