9月1日。
日本中、どこも夏休みが終わった。
空はまだ夏の色を残していた。朝から気温は高く、駅のホームには制服姿の学生たちが、眠そうな顔を並べている。
夏休みの課題を終えた者と、終えていない者と、終えたことにするつもりの者、それぞれが電車の到着を待っていた。
湾岸部を走る高架駅のホームからは、東京湾が見える。
港湾施設、その向こうに開発中の埋立地、さらにそこから先の海上を行き交う船が走る海──の上、海面から不自然なほどきれいに切り取られ、東京湾へ浮かぶ都市があった。
学舎の園と呼ばれる異世界から現れた、女子学生たちの街が、学生たちの視線を浴びながら悠々と浮いている。
「いいなぁ……」
ホームの端に立っていた高校生が、思わず呟き、携帯電話をのぞいていた隣にいた同級生が振り向く。
「いいな、って何が?」
「あそこの学生だよ。もう学校いかなくていいんだろ?」
高校生は、東京湾の上に浮かぶ学舎の園を指した。
携帯電話を
「街ごとって言ってるけど、あれ全部学校の施設らしいぞ。つまり毎日が学校だよ」
「でも授業どころじゃないじゃん。異世界だぞ」
「こっちから見たら向こうが異世界だけどな。」
「先生も少ないっていうし、夏休み延長みたいなもんだろ。羨ましいなぁ」
「そういう発想がでるってことは想像力がないな。政治や外交みたいなことしてるじゃん。働いてるんだぜ」
同級生は呆れた様子で、携帯電話を開いて視線を戻し、メールのチェックを始めた。
羨ましがっていた高校生も自分の端末を取り出す。
ニュースサイトを開いてみると、学舎の園については、毎日のように何かしら報道されている。
けれど、高校生も最近は詳しく見ていなかった。
最初の数日は誰もが夢中だったが、いつの間にか慣れが出ている。
東京湾に突然出現した都市がテレビで報道された時は、映画の宣伝かと思った。それが事実だと思った時は、自転車を漕いで湾岸線を走り回って写真を撮った。
日本政府との交渉シーンなど、世界が変わるんだと渇いたような希望であえぐ様にテレビを見た。
毎日が驚きの連続で、超能力という話題が出れば、自分もできるんじゃないかと学舎の園の遠影をうつした写真を見ながら毎夜うんうんと唸った。
学舎の園の女生徒たちが東京にくると聞けば、意味もなく繁華街を歩き回って、偶然出会えるんじゃないかとあちこち移動した。
学舎の園の女子生徒の血液サンプルが盗まれ、それを御坂美琴が取り戻したという報道を聞いたときは、東京お台場で映画のようなワンシーンが繰り広げられたんだと興奮した。
あまりに情報量が多く、日が経つにつれて、一般人の彼には何が重要なのか分からなくなっていた。
もう一度、あの時の興奮を求め、高校生は検索欄へ入力する。
『学舎の園 現在』
最初に表示されたのは、大手ニュースサイトの特集記事だった。
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【 東京湾の「少女都市」を、世界はどう見ているのか? 】
【 軍事的脅威、技術的奇跡、あるいは未成年者だけの臨時国家 】
学舎の園の出現から、世界各国の見方は大きく変化した。
当初、各国政府の関心は御坂美琴と、同人が使用した巨大飛行兵器に集中していた。
核弾頭を搭載した弾道ミサイルを迎撃し得る個人が、国家の許可を得ず、単独で飛行し、必要と判断すれば即座に行動する少女がいる世界とは?
軍事関係者の多くは、御坂を「個人として存在する戦略兵器」と評価している。
一方、現在では学舎の園を、単なる強力な能力者の集団として見る分析は減った。
各国が注目しているのは、能力そのものよりも、その能力者たちを内包した社会構造である。
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能力者よりも社会構造を注目するとはどういうことだろうか?
高校生は円形の
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アメリカの政府高官は議会答弁で、次のように述べている。
『学舎の園は軍事基地ではない。学校であり、居住区であり、行政区域でもある。我々が対話しているのは兵器体系ではなく、一つの社会である』
ソ連政府の公式声明は、より簡潔だった。
『東京湾に出現した共同体の住民は、国際法上の位置づけが確立されるまで、いかなる国家による強制的取得、移送または軍事利用の対象ともされるべきではない』
英国首相は議会で、学舎の園を「未成年者が運営しているからこそ、成人国家にはより大きな自制が求められる相手」と表現した。
日本政府は一貫して、学舎の園の安全と自治を尊重しながら、住民の生活維持を最優先するとしている。
どの国の声明にも共通する欠落がある。
学舎の園が、最終的に誰の意思によって動いているのかである。
最終決定が一部の生徒によって行われていることは判明しているが、共同体として意見の取りまとめ方法はいまだ不透明である。
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高校生は携帯端末から目を離し、東京湾の方を見た。
遠目には、浮いている意外は街だ。
洒落た低層洋風建築が並び、欧風の街を切り取って飾ったかのような街だ。
あの中で、各国政府が正体を測りかねる政治が動いているとは思えない。
画面へ視線を戻す。
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【 生徒が政府を動かし、教師が責任を負う特殊な統治機構 】
学舎の園では、行政、技術、経済、対外交渉の多くを生徒が担当しているとみられる。
特に食蜂操祈と、その周辺にいる生徒集団は、外交交渉、情報整理、対外広報において中心的な役割を果たしている。
御坂美琴は、軍事的抑止力および緊急対応能力の象徴である。
各校の技術系能力者は、園内設備の維持と日本側技術者との協議を担う。
経済や物流に適性を持つ生徒は、物資要求、配分、在庫管理、店舗運営の再編に関与している。
これだけを見ると、教師は名目的な存在に思えるが、実際には逆である。
日本政府の内部分析を知る関係者は、学舎の園の教師会議について、次のように表現したという。
『教師の誰か一人が君主なのではない。43人の教師会議そのものが王冠である』
教師たちは、日常的な実務を生徒へ広く委任する。
一方で、不可逆的な対外合意、生徒の権利に関わる決定、武力行使、外国への能力者派遣などについては、教師会議が最終的な承認と責任を担うとみられる。
教師は行政官として生徒の上に立っているのではない。
教育者および保護者として、生徒の近くに立ちながら、共同体全体の正統性を支えている。
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「43人で王様? どういう意味だ?」
高校生は首を傾げたので、気になった隣の同級生が画面を覗き込む。
「王様じゃなくて、王冠って書いてあるだろ?」
「表現方法に意味あるの? どう違うんだ?」
「たぶん。ほら、戴冠式ってあるだろ。王冠を被ってるから王様なんだよ。だから……うーん、生徒の誰かが行動するのに当たって、権威と責任は教師にある?」
「わからん」
二人とも記事を読み進めた。
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【
学舎の園について、各国の安全保障当局が当初から抱いていた疑問がある。
御坂美琴が独断で行動した場合、誰が彼女を止めるのか。
御坂美琴は極めて強力な電撃能力を持ち、加えて許可を取らずに巨大兵器を使用し、弾道ミサイルを迎撃した例がある。
食蜂操祈の精神系能力が対抗手段になる可能性はあるが、能力者同士の衝突は学舎の園そのものを破壊しかねない。
この問いに対し、先週、意外な答えが示された。
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スクロールさせると、記事には一枚の写真が添えられていた。
室内の隅で、制服姿の少女が正座している。
茶色い髪の少女で、殊勝にも膝の上に置かれた両手は申し訳なさそうだ。
肩を落とし、見るからにしょんぼりしていた。
少し離れた場所には教師らしい女性が立ち、その横には日本側の職員と、外国代表団の一部とみられる人影があり、その写真の下には説明があった。
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写真は、御坂美琴が事前連絡なしに園外警戒区域へ進出し、日本側警備体制を一時混乱させた後に撮影されたものとされる。
御坂美琴の行動によって危険が回避されたこと自体は事実だったが、教師は結果の正しさと手続の無視は別問題だとして彼女の行動を叱責した。
複数の目撃者によれば、御坂美琴は反論を試みたものの、教師から氏名を呼ばれると黙り、その後、一定時間正座していたという。
国外の情報機関にとって、この光景は重要な意味を持っている。
核兵器級の破壊力を持つ能力者であっても、教師の前では彼女は一生徒なのである。
教師の権威は、能力による強制でも、武器による威嚇でもない。
御坂美琴自身が、自分を叱る権利を教師に認めている。これは非常に重要な社会形態のサンプルと言える。
ある欧州系紙は、これを次のように評した。それをここに引用する
『我々は……世界は御坂美琴を戦略兵器として理解しようとした。だが写真に写っていたのは、教師の指示に従って正座する中学生だった。つまり学舎の園の最大の統制力は、兵器ではなく学校である』
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「はは……戦略級の女の子が、正座してんじゃん」
高校生が半笑いで言って、同級生も釣られて笑った。
「おいおい、先生、強すぎない?」
高校生は写真を拡大した。
その申し訳なさそうな様子の御坂美琴は、世界中の軍隊が警戒する人物には見えなかった。
夏休みの課題を忘れて、廊下で教師に捕まった中学生か、学校の器物を破壊して怒られている少女とか、せいぜいその程度に見える。
画面を戻し、記事の続きを読む。
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【 各国メディアの見方 】
米国の代表的紙面では、学舎の園を「能力によって階級が決まる社会ではなく、学校文化によって能力を抑制する社会」と分析している。
同紙のコラムは、次のように指摘する。
『彼女たちの技術と能力は未来的だが、秩序を支えているのは驚くほど古典的な関係である。生徒は教師に従い、上級生は下級生を保護し、学校ごとの帰属意識が政治組織へ転用されている』
英国の公共放送は、学舎の園を「立憲君主制に似た構造」と紹介した。
『教師会議は日常の政務を執行しない。しかし、教師会議の承認なしに共同体の将来を決定することもできない。四十三人の教師は、政府ではなく王冠に近い』
ソ連国営紙は、より社会主義的な表現を用いた。
『労働と専門性に基づいて生徒が実務を担い、教師集団が未成年者の権利を保護する。これは支配階級の形成を避けた過渡的共同管理体制である』
西欧の有力紙は、食蜂操祈に注目した。
『彼女は外務大臣、情報機関、報道官を同時に務めているように見える。しかし彼女もまた、教師会議へ説明し、承認を得なければならない生徒にすぎない』
日本の論説では、学舎の園を国家と呼ぶことへの慎重論が強い。
『我々は勘違いしてはならない。彼女たちは国家になろうとしているのではなく、学校と生活を維持しようとしている。だが現状がそれを許さず、その結果として、国家に似た機能を持ち始めたのである』
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「学校と生活を維持しようとしたら、国家の真似事になった?」
「生徒会とか文化祭の実行委員会が、そのまま政府になったようなもんじゃない?」
「うわー、その時実行委員会やってたら嫌すぎる〜。文化祭の後片付けと帳簿つけてたら、政府高官がいらっしゃいましたから、お出迎えと交渉しますってんだろ? いやだ〜」
御坂美琴がこの場にいれば、「そう! そうなのよ! わかってくれる?」と手でも握ってきたかもしれない。
そこから始まる物語が──あったかもしれないが、残念ながらここに彼女はいない。
ページを送ると次に表示されたのは、学舎の園の能力と技術について続いていた。
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【 コラム 】 能力と技術――世界が最も警戒し、最も欲しているもの
学舎の園には、現代科学では説明できない能力者が多数存在する。
確認されている能力だけでも、軍事、医療、通信、物流、諜報、産業の各分野を根底から変えるはずである。
園内の技術水準も、現在の日本および諸外国を上回る部分が多い。
各国は表向き、住民の権利と自治を尊重すると声明している。
一方で、水面下では技術協力、能力研究、留学、共同開発、安全保障協力を求める動きが続いている。
ただし、学舎の園側は能力者本人の同意を重視し、身体情報や能力情報の包括的な提供には極めて慎重である。
教師会議が「王冠」と呼ばれる理由も、ここにある。
生徒が優れた技術を持ち、自ら交渉できるとしても、その能力を差し出す判断が本当に本人の自由意思によるものかを、教師たちは確認する。
各国にとっては交渉の障害である。
学舎の園にとっては、王冠は最後の防壁でもあるのだ。
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高校生は次第に読む速度を落とした。
彼女たちは学校へ行かなくていいと、そう思っていた。
だが、記事の中の生徒たちは、授業の代わりに国家と交渉している。
「……これ。もしかして学校行くより大変?」
同級生は、当然だろうという顔をした。
「やっとお気づきになりましたか」
「だってさ、まだ夏休みみたいなもんかと……」
「閣僚級と会う夏休みがあるか。しかも延長だぞ」
ホームへ、電車の接近を知らせる放送が流れ、学生たちが鞄を持ち直す。中には端末を見ているものもいるが、それで背負い直すなどしていた。
高校生はもう一度、東京湾の学舎の園を見た。
遠くから見れば、学校へ行かなくてよくなった少女たちの街だが、記事を読んだ後では、世界中から見られながら、自分たちの学校そのものを守り続けている街に見えた。
高校生は端末をポケットへ入れ、始業式の行われる母校へと向かった。
学舎の園へ行きたいが、高校へ行きたくないという気持ちは、とうの昔に消え失せていた。
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同じ頃、学舎の園では、臨時代表者会議が開かれていた。
長机を囲んでいるのは、御坂美琴、食蜂操祈、レザネリエに加え、各校から選ばれた代表生徒が三人ずつ集まっていた。
机の上には、物資配分表、設備修復計画、日本政府への回答案、各国から寄せられた技術協力要請、店舗再開状況、生徒の健康調査結果が積まれている。
大型画面には、本日の議題が表示されているが、美琴は資料へ目を通していたが、途中から窓の外を見ていた。
何かが考え込んでいるようだが、食蜂はあえて声をかけなかった。
やがて美琴が、手元の端末の日付を確認し、議題がひと段落したところで発言をした。
「ねえ、みんな。ところで今日、9月1日だけどさ」
「ええ、そうね。なにか予定あるのぉ?」
美琴は会議室を見回し、それぞれの不思議そうな目線を確認してから言った。
「学校、始まんないの?」
なにを言ってるんだ、しかし、そうだな。でもなぁ……という空気が部屋を包んだ。
食蜂は、ゆっくりと美琴へ顔を向けた。
「…………御坂さぁん、授業が始まると思うぅ?」
「いや、議題に教育活動の再開準備ってあるし。ほら、ここ。書いてあるじゃん」
「ええ、もちろんあるわね。でもねぇ、それ準備よぉ、御坂さん。今日までに通常授業を再開できると思っていたなら、どの資料を読んでいたのかしらぁ」
「全部読んでるけど、今日じゃないのが、なんか……こう、うん、わかんないけど、夏休みって終わってほしくないけど、9月1日にこんなことしてる違和感がこう、すごくて……」
手をわきわきさせて、なにか上手くいいたいが言えない美琴が言葉に詰まる。
言葉になっていないが、各校の代表たちも「ええ……わかります」とうなづいていた。
必死な美琴の訴えを聞き、レザネリエは腕を組み深く頷いた。
「私としても、始まってくれたほうがよかったが、無理だろうな……。教師43名で、生徒2,643名だ。通常授業へ戻した瞬間、教師が足りない。無理をすれば倒れる」
レザの嘆息を終わると他校の代表生徒が、資料から顔を上げた。
「そもそも、お休み初日からの転移でしたから、まず、夏休みだったというイメージがありません」
これには別の学校の代表が、何度も首を振って頷く。
「分かります。私はもう一回、夏休みが欲しいくらいです」
「それは賛成、一か月とは言いません。もういっそ7連休でもいいです」
さらに別の代表が、疲れた顔で手を挙げた。
「7日以上休むと、復帰した時に資料が倍になってそう」
美琴は机の上の書類を見て、7日後にはどうなっているのか、考えたくもないと投げた。
それを見て、にやつく食蜂が頬杖をつく。
「御坂さんが学校へ行きたいと言うなら、特別授業を組んであげてもいいわよぉ」
「学校始まらなくていい!」
会議室に、久しぶりに学校らしい笑い声が広がった。