ある日の昼休み。留学に慣れてきたナリサたちは、佐天と第二食堂へ向かっていた。
第一週のうちに、三人は学舎の園の食堂にも、それぞれ違いがあることを知った。
格式を重んじる学校に近い食堂では、給仕の作法まで整っている。メイド養成専門校の繚乱家政女学校が実地研修をかねている食堂で、中学生と高校生とは思えない世界が描き出されていた。
研究施設に近い場所では、短時間で栄養を摂取できるメニューが多い。完全に効率重視で、いくつかは見た目は拘らない総合食まで用意されている。
ブロック食品はせめて味は担保されているのだろうとナリサは尋ねたが、あまり食べ過ぎないようにそれなりだという答えが帰ってきた。
そして複数校の生徒が利用する食堂は、料理の種類が多く、雰囲気も比較的自由だった。
ナリサたちはここに案内された。
あまりに無難で、三人は三様に胸を撫で下ろした。
「何が食べたいですか? 私的にはおうどんがおすすめなんですよねぇ。学舎の園は出汁が違うんですよ、出汁が」
佐天がうどん推しをしながら、三人に尋ねる。
「辛いものがいいです」
「じゃあカレーうどんがおすすめかな」
カンラヤーは佐天の推しに逆らったが、うどんからは逃げられなかった。
ピムチャナーはせっかくなので、日本らしくそして学舎の園らしい定食がいいと答えた。
そこで廊下の向こうから、常盤台中学の制服を着た少女たちが歩いてくる。
その中央にいる一人を見た瞬間、ピムチャナーの足が止まった。
「……御坂美琴様」
巨大兵器をまとい、東京湾の空を飛んだ雷撃の能力者。
御坂美琴は、数人の生徒と話しながら廊下を横切っていくところだった。
片手には資料端末を持ち、もう片方の手で何かを示している。歩みは速く、周囲の生徒もそれに合わせていた。
ピムチャナーは、声をかけるどころか呼吸まで止めたように見えた。
美琴はそのまま角を曲がって姿を消し、ピムチャナーは見送ってしまった。
ピムチャナーが御坂美琴と食蜂操祈へ強い関心を持っていることは、ラタナシリ王国を出る前からナリサは知っていた。
それはファンというレベルを超えていることも理解している。
国外報道を複数言語で追い、会見映像や声明を保存し、二人に関する記事を分類していた。
ピムチャナーは二人を、異世界から現れた有名人としてではなく、ほとんど英雄として見ている。たんなる超能力への憧れだけでなく、彼女たちの活躍と性格、なにより容姿に惹かれているのだろう。
留学が決まった時も、「御坂美琴と食蜂操祈に会えるでしょうか」と、最初に尋ねていた。
御坂美琴は、ネットワークの管理と警戒任務と日本側との連絡、能力を必要とする突発事案で常に動いている。
食蜂操祈はさらに一段階忙しく、外国政府との協議、文書確認、情報分析、園内調整に追われている。
遠目に見かけることはあっても、話しかけられる状況ではない。
「仕方ありません。御坂様はお忙しいかたですから」
ピムチャナーは自分へ言い聞かせるように言った。
それを見て佐天は頷いた。
「じゃあ呼びますね」
さもなんでもないように、端末を取り出し連絡を取ろうとする佐天を見て、ピムチャナーが固まった。
「こ、個人的に御坂様をおよよ呼びするのですか!?」
「うん、呼んじゃいます。無理だったら無理ってくるから大丈夫ですよ」
そういって佐天は短いメッセージを入力した。
『御坂さん、今ちょっと時間ありますか? 留学生の子が会いたいそうです』
あまりにも軽く、それは放課後に友人を誘う文章だった。
そんな送信から一分も経たず、返信が届く。
「来てくれるって、御坂さん」
「来てくれるのですか!」
ピムチャナーの声が裏返った。
「うん。そろそろお昼だし、運動不足だったから、ちょうどいいって」
数分後、廊下の奥から、御坂美琴が普通に走ってきた。
電撃も使わず、飛行もせず、資料端末を片手に持ったまま、少し急いだ様子でこちらへ近づいてくる。
「佐天さん、待たせた?」
「全然。ごめんね、御坂さん。忙しいところを」
「いいの、いいの。佐天さんなら。それに、ちょうど体動かしたかったし」
美琴は額へかかった髪を軽く払った。
解像度の低い写真ではよくわからなかった美琴の髪の流れ、髪飾り、肌の輝きがはっきりと見え、ピムチャナーは声を失った。
憧れの女性が、当然のように前に立っている。
「こんにちは、留学生のみんな」
佐天がピムチャナーの背中を押す。
「この子。この前から御坂さんに会いたがってたんだって」
わざわざ呼んだ理由として、押し出されたピムチャナーが慌てる。
「えっ、私に?」
美琴のほうも少し驚いた様子だった
ピムチャナーは五か国語を扱え、外交用の挨拶も、自己紹介も、大使相手にだって澱みなくできる。御坂美琴へ伝えたい言葉も、事前に何度も考えていた。
そのすべてが、頭の中の原稿用紙から消え去っていた。
「は、初めまして。ピムチャナー・シリパットです。ラタナシリ王国から来ました」
かろうじて日本語の挨拶が出て、待ってくれいた美琴は
「ピムチャナー・シリパットさんね。私は御坂美琴。まあ、知ってるか」
「はい。非常によく」
「あはは、非常によく知られちゃってるのねぇ、私……」
美琴が少し困った様に頭を掻いた。思ったより気さくそうな人なりで、ピムチャナーが失礼ではなかったかと思っていたナリサとカンラヤーは安堵した。
「ピムチャナー、御坂さんの大ファンなんだよ」
「はい! 握手してください!」
「まあ、ありがとう。あちこち結構、警戒されてることが多くてね。そう言われると気が楽になるわ」
両手を差し出してきたピムチャナーに、美琴は無警戒で右手を出した。
手を固く握りしめられ、これを見られたら……という誰かを気にする視線を美琴が泳がせた時──。
「あらぁ〜?」
ナリサの背後から、ゆっくりと何かを目撃してしまったという声がした。
振り返ると、大袈裟に驚く口元を隠す小型のリモコンが目についた。
学舎の園で最も注目されているといってよい食蜂操祈が、数人の派閥生徒を連れて立っていた。
ピムチャナーが、今度は本当に息を止めた。
「御坂さんたら、今度は留学生を籠絡しようとしてるのかしらぁ?」
「食蜂! 誰が籠絡かっ! 派閥員を連れ歩いてる方がよっぽどじゃない!」
挑発された美琴は、つい手に力を込めて言い返した。
ピムチャナーは遠慮がち、美琴は照れ臭さからふんわりとしていた握手が、熱烈な握手へと変貌した。
「ピュムッ!」
予想外の手の感触に、ピムチャナーは顔を紅潮させて奇妙な声を上げて体が跳ねる。
「食蜂さん! ちょうどよかった。この子、食蜂さんにも会いたがってたんだよ」
ナリサとカンラヤーもつられて顔を多い隠したが、気が付かない佐天が食蜂に手を振る。
「こっちもちょうどよかったわ。留学生のみなさん、お伝えしたいことがあったのよぉ……、大丈夫かしら?」
留学生を探していたわけではないようだが、食蜂はなにか用事があったようである。
伝えたいことがあるようだが、茹で上がってるようなピムチャナーを見て、本当に大丈夫?と食蜂は不安そうだ。派閥員たちも戸惑っている。
「ピュ……だ、大丈夫です」
落ち着いた美琴が手から力を抜き、解放されたピムチャナーは胸に手を引き寄せて問題ないと何度も頷く。
ナリサは解放されたピムチャナーの背に手を添え、食蜂の通達に耳を傾ける。
「おほん。次の休日、園内で合同能力測定を行います」
少し芝居がかった事務的な食蜂の言葉に、美琴が大袈裟に頷いた。
「ああ、あれね。学校ごとにやってた測定を、まとめてやり直すっていう」
「通常の出力測定に加えて、
ナリサたちには、合同能力測定の具体的な内容は伝えられていない。
能力開発に関する情報は、今回の留学で明確に除外されている。
食蜂は三人へ向き直る。
「もちろん、あなたたちを測定へ立ち会わせることはできません」
「承知しています」
ナリサは深く頷き目も伏せがちに答えた。
「悪いわねぇ。実際に見せなかったとしても、測定日に園内へいたというだけで、何を見た、誰から聞いた、どの施設が使われたと、後から各国に疑われる可能性があるのよぉ」
「面倒ね、国際関係って」
「国際関係なんて面倒力の塊よぉ」
食蜂は肩をすくめたあと、真摯な態度に戻って佐天へ向き直る
「ですから佐天さん。三人を連れて、当日は日本へ行ってください」
「日本? 東京に?」
「そうね。観光という名目で、一日園外にいてもらいます」
「えー? 今度の休みは、ぜったい案内しようと思ってた面白いところがあったのに!」
佐天はなにか計画していたのか、とても残念そうだった。
「面白いところですか?」
どんなところか期待を持ったカンラヤーが目を輝かせる。
「常盤台裏の十三階段とか、繚乱家政女学校の透明メイドの廊下とか!」
自信たっぷりの佐天に対し、カンラヤーの目から輝きが消えた。
わかってた、という態度の美琴が目を伏せ、食蜂はこのタイミングで佐天の気を引く発言を挟んだ。
「園外活動に伴う手当は支給されのよ」
「……手当ですか?」
「案内業務としての手当。交通費、食費、施設利用料も経費として処理します」
「行きます。お土産はバナナに入りますか?」
「佐天さん、遠足と経費が混じってるわよ」
慌てた佐天に、美琴が訂正を求める。
「間違えました。お土産は経費に入りますか? 遊園地は?」
「お土産は私費でお願いね。遊園地は教育・文化交流として妥当な行程なら、申請次第かしらぁ」
「申請します!」
こうしちゃいられないと佐天は端末を取り出し、観光候補を検索し始めた。
「みなさん、どこ行きたいですか? 浅草? 博物館? 水族館? ショッピングモールもあるよ。あ、日本の高校とか見てみたいかな?」
「それは一日で全部は無理でしょう」
ナリサが呆れてため息をついた。少し離れた場所では、ピムチャナーが美琴と食蜂を交互に見ている。
「ナリサさんたちも、行きたいところ考えておいてね」
「私たちですか?」
「三人の観光なんだから、三人とも希望出してくださいよ」
「国家代表として適切な場所を──」
「そういうのじゃなくて、ナリサが行きたいところがいいですよ」
ナリサは返答に詰まった。
佐天は、こちらを留学生代表としてではなく、遊びに行く一人として扱っている。
「……少し考えます」
「うん。楽しみにしてる」
佐天は、もう次の予定へ意識を向けていた。
その休日が、ただの日本観光では終わらないことを、この時は誰も知らなかった。