ナズナのアトリエ ~悩める錬金術師とまほろばの神~ 作:匿名設定
キャルロットの体がふわりと宙に舞い、前のめりに倒れる。一瞬、幼い頃に小屋に積まれた干し藁の山に飛び込んで遊んだ時のことを思い出した。おそらくナズナが手前に引き倒したのだろうが、強引に引っ張られたような衝撃はまるでなく、背中から地面に倒れたナズナの胸の上にごく自然に倒れこんだ。
直後、頭の上をしゅうしゅうと音を立てて炎の塊が通り過ぎる。それは地面に落ちて爆発を起こすと、叢が黒い煙を上げ始めた。
「ナズナ! 大丈夫?」
「う、うん。それより……」
二人は飛び起きると、そのまま左右に分かれて身を躍らせた。その瞬間に、二人が倒れていた場所に二発目の炎の球が飛んできた。爆発音とともにたちまち周囲に焦げた匂いが立ち込める。
(この攻撃は、一体どこから?)
キャルロットは背筋に冷たいものが走るのを感じた。彼女は一度だけ似たようなものを経験したことがある。
あれは忘れもしない三年前、国王の軍隊や大勢の人々と行動を共にした時だ。国家の正式な討伐戦だったから、もちろん今よりもはるかに規模が大きかったし、最前線に出ていた兄様や姉様と違って、見習い錬金術師だった自分は後方支援に配属され、怪我人の手当てや物資の輸送に回っていた。でも、無数に運ばれてくる怪我をした住民や兵士たち、瓦礫の山と化した無残な都市の残骸を見て、よく兄も姉も共に生き残れたものだと不思議に思うくらいだった。
でも、ここはひんがしの果て、アヅマの国だ。ここにアレがいるわけが、あんな奴がいるわけがない――!
「ナズナ、上!」
叫ぶが早いか、ナズナがふわりと横に飛んだ。一瞬遅れてナズナが立っていた場所に風の力がつむじ風となって襲いかかり、周囲の草を粉々に引き千切る。今までに聞いたこともないような獣の咆哮が響き、巨大な影が空から舞い降りて二人の前に立ちはだかった。
「ドラゴン! な、なんで……?」
翼を広げた姿は五、六メートルはあろうか、巨大な翼に剣すらはじく固い鱗に覆われた体、鋭い牙と爪にムチのようにしなる太くて長い尾。以前に見た数十メートル級の甚大な災害をもたらすドラゴンよりは随分と小さいが、姿形は紛れもなくドラゴンだ。
「あれは“どらごん”、と言うのですか?」
きょとんとした表情でナズナが言う。まるで緊張感が感じられない。天然とはいえ、呑気にも程があるだろう。
キャルロットは錬金杖を構えた。息つく暇もなく次の攻撃が襲いかかる。鞭のような尾が地面をえぐり、横に振り回される。彼女はかろうじてかわしながら、自分の身体が重くなってゆくのを感じていた。恐怖で足がすくみ、筋肉が強張ってうまく動けない。かつての記憶がよみがえり、いつもの実力を発揮することができない。
辺りに火が回り始めた。炎と煙が周囲から迫ってくる。このままだと焼け死ぬのは時間の問題だろう。
ナズナが宙を舞った。直後、ドラゴンが一瞬怯んだように見えた。白扇がまるでブーメランのように弧を描きながらドラゴンの鼻を打ち据える。ナズナは挑発するようにドラゴンの周囲を動き回り注意をひきつけながら、キャルロットに呼びかけた。
「あれ、頭がさっきのトカゲに似ています」
キャルロットはハッとした。なるほど、頭の形がドラゴンとはビミョーに違う。鋭く大きな牙を持ってはいるが、あの頭は紛れもなくさっき地面に転がっていたトカゲの亡骸と同じものだ。
それでわかった、さっきから錬金術の気配がしていた理由が。
(……あれは、錬金術で造り上げた魔物だ!)
おそらくドラゴンを模して造り上げたのだろう。地面に散らばっていた死体は、残酷な実験の哀れな犠牲者というわけだ。そう思うと、急に体が軽くなったような気がする。強敵とはいえ本物のドラゴンほどではないし、相手が錬金術ならまだ馴染みがある。
「杖よ、水を呼べ!」
水属性をぶつけるのは炎属性に立ち向かうときのセオリーだ。だが、単にぶつければいいというものでもない。それに周囲に延焼が広がっているせいで、水属性へと転じるマナが極端に少なくなっている。それらを全て使い尽くしてしまえば、火の勢いに手がつけられなくなってしまうだろう。既に炎の端は森にまで到達し、木の枝を焼き始めている。キャルロットには目算があったが、仕損じれば延焼は山全体に広がり里にも被害が出るだろう。
「ダメ! 動きが速い!」
かわす間もなく、ドラゴンの尾による攻撃を杖で受け流す。この程度で壊れるほどやわな錬金具ではないが、受け流したにもかかわらずキャルロットの身体は四、五メートル近く吹き飛ばされた。地面で一回転して何とか立ち上がるが、息が荒く弾んでいる。顔を上げるとナズナが弾き飛ばされるのが見えたが、こちらはふわりとうまく地面に着地した。しかし、どうにも攻めあぐねているようだ。
「ナズナ! アイツの足を止められる?」
「やってみます!」
ナズナはそう答えると、懐からコインのような小さく平べったい何かの道具を取り出した。それを額に押し当てて呟く。
「祖親たる国産土命、国産土女姫命の御名において、まほろばの守り神たる神成人のナズナが謹んで申し上げる。……ヤマガミさま、力を貸して!」
ポンと指で弾くと、それはくるくると回転しながら宙を舞い、ナズナの手の甲にぽとりと落ちた。
直後、体が浮くような衝撃と共に、まるでコインがひっくり返るように周囲の地面がひっくり返った。土を被せられ行き場を失った炎が、地面の下で白い煙を上げながら燻り始める。キャルロットが呆然と見守る中、炎による攻撃を一瞬で台無しにされたドラゴンが怒りの咆哮を上げながらナズナへと襲いかかった。
「顎よ、縛せ!」
地面から巨大な岩が突き出て、裂け目にドラゴンの巨体を咥え込む。身動きの取れなくなったドラゴンが悲鳴のような鳴き声を上げた。キャルロットは思わず「うわ!」と驚きの声をあげるが、感心している場合ではない。彼女は錬金杖を構えなおすと、杖に意識を集中させた。
(……お願い、上手くいって!)
杖の先端に水玉が生じる。それは急激に膨らみ大きな玉となり、ドラゴンに向けて一直線に飛んで行った。
「いっけぇーっ!」
水の球は狙い過たずにドラゴンの顔に命中した。
ドラゴンは怒りの咆哮を上げるがもう遅い。火属性に対抗するには水属性。それは単純に、相反する属性をぶつけて対消滅させようという生易しいものではない。万物に宿る環境マナは常に様々な属性を帯びながら流転し循環しているのだ。
ボンッ!
異様な音が響いた。
押さえつけていた岩から外れ、ドラゴンが白い煙を吐きながらゆっくりと地面へと崩れ落ちる。体内に入った大量の水は錬金術の力で炎属性と反応して風属性へと変化し、瞬時に何十倍もの体積をもつ気体となって体を内部から圧迫した。ドラゴンの体がはじけ飛ばなかったのは単に運が良かっただけなのだろう。しかしその衝撃は相当のものだったはずだ。倒すには十分すぎるくらいだろう。
「……ふう」
「やったねキャロちゃん、すごいよ!」
ナズナがぱたぱたと駆け寄ってくる。「これが錬金術の力なんだね」
「ふふん。ま、まあね」
キャルロットは得意げに胸を張るが、胸の動悸はいまだに治まらない。正直、ここまで上手く行くとは思わなかった。ドラゴンの口に直撃しなければ、貴重な水属性のマナを失った挙句に窮地に追い込まれていただろう。
しかし、大好きな錬金術を褒められて悪い気はしない。なにせ圧倒的な神器の持つ力の片鱗を見せられたのだ。錬金術も負けず劣らず役に立つところをナズナに見せなければ、彼女も興味を失ってしまうだろう。
「それじゃあ地脈の流れを元に戻したら帰ろっか。このままだとまた山嵐が起きちゃうから」
そう言うと、ナズナが倒木に向けて何かの言葉を唱え始めた。すると周囲のマナの流れが変わったのがキャルロットにも感じられた。意図的に土属性のマナを堰き止め火属性の力を増幅させていたものが、様々な属性へと変化する循環の一部に取り込まれてゆく。これならば地面の下で燻っている火も消え、倒木もやがて朽ちて崩れ大地の一部と化すだろう。
「ドラゴンの死骸はどうしよう。また明日来て埋めて―」
キャルロットがそう言いかけると、ナズナが激しく首を振った。珍しく感情を露わにした様子にキャルロットが戸惑っていると、二人の目の前でドラゴンの死骸が歪んで崩れ、炭の粉のような細かい黒い塵となって風に吹かれ飛び去ってしまった。
「……あっ?」
「神器の力が使われたのは感じていました」
目を見開いて呆然とするキャルロットに、ナズナが悲しげな声で言う。
「人の身でどうやって神器を使ったのかはわからない。キャロちゃんも感じていたように、錬金術を使い何らかの方法で無理やり力を引き出したのかも。でも、神の身体を持たずに神器の力を使うと、こうなるの」
「そ、それって……?」
キャルロットは頭をぶん殴られたような衝撃を受けた。そういえば最初に出会ったとき、ナズナはこう言っていた。「神器の力は私にしか引き出すことができない」、と。だとしたら、結局また振り出しに戻ってしまったということなのか。神器の力は神にしか使えない、錬金術に応用すれば死ぬことになる。苦労して東洋の果てに来たのは全部ムダだったのだ、と。
「ううん。やり方が、考え方が間違っているだけ」
ナズナが一語一句、吐き出すように言う。まるで自分自身に言い聞かせるかのように。
「私が、キャロちゃんを守るから。絶対に、こんな事にはさせないから」