ナズナのアトリエ ~悩める錬金術師とまほろばの神~   作:匿名設定

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第三章 雨降らしの神とナズナの『あとりえ』(1)

「どうやら、破られたようだな」

 男はゆっくりと目を開けた。

 日が傾きかけている。オレンジ色の光が大地を照らし、長く伸びた木々の影が大地を薄墨色に染め上げてゆく。もう少し経てば魔物どもが蠢きだし、世界は闇に閉ざされるだろう。全く、逢魔が時とはよく言ったものだ。風情があると言えば聞こえは良いが、この国の民は大分に言葉遊びが好きな民族らしい。

「これで終わり、というわけではあるまい?」

 もうひとりが口を開く。髪に白いものが混じる中年の男だ。この国の人間の大多数と同じく、南蛮人と比べて小柄な体躯ながら、鍛え抜かれた引き締まった体つきなのが見て取れる。腰に数本の刀を差しているところを見ると、サムライと呼ばれる武人であろうか。単なるそこいらの百姓とは異なり、得体の知れない威厳と威圧感が小柄な身体を何倍にも大きく見せていた。

 山の上に、正体の知れぬ人影が五人。最初に口を開いたローブに身を包んだ男を含め、どれも真っ当な人間とは思えない。

「先に渡した神器はどうした」

「あ、あれは使えるのは一度のみだ。そのことはお主にも先に伝えてあるはず」

「ふん」

「全く、気に入らねえ」傍らにいた男が声を上げる。一行の中では一番若そうな男で、細身ながら肉食獣のようなしなやかな体つきをしている。目つきが鋭く、若者らしい傲岸不遜な態度を隠そうともしない。片頬に傷があるのは相当な修羅場をくぐってきた証だろう。

「そんなチンケな道具に頼ってねえで、一気に殺っちまえばいいんだよ。エミシの里でやったみてえによ」

「急くな。今はまだその時ではない」武人のような中年の男が言った。「目的を違えるな。我らが為すべきは真なる帝を迎えること。神器はそのための必要な手段だ」

「神の道具、ねえ」

 一行の中で唯一の女が言った。この国にしては珍しい長身で、一行の中でローブの男以外では頭一つ飛びぬけている。細身で華奢な印象を受けるが、娼婦のように着崩した着物の間から見える太腿やふくらはぎはバネのように張りつめており、とてもひ弱そうには見えない。

「そんな一度しか使えない道具が本当に神の証明となるわけ?」

「本物の神である必要はない」武人の男が言う。「この国の民に認めさせれば良いのだ。今の穢れた偽りの天子などではなく、正統なる“神”である、とな。ところで――」

「俺は、人を、殺れればいい」

 朴訥とした男が言った。

 年の頃は三十代半ばといったところか。半分眠ったような風貌は穏やかそうで、とても物騒な言葉を吐く人物には見えない。しかし全身が岩のような筋肉に覆われており、素手で人を殺めることなど造作もないように思われた。

「神器は手に入れたのか」

「あるには、あった。しかし、ニセモノ、だ」

 男が差し出した道具を武人が受け取る。光沢のある黄銅色をした金属質の小さな箱で、表面がまるで鏡のようになめらかに磨き上げられている。掌に乗るようなサイズで、飾りらしきものは見当たらない。何の用途に使うのかは見ただけではわからなかった。

「成程、力は感じぬな。仏舎利の核といったところか」

「寺の道具か? 金になるかな」

「まあ、似たようなものだ。こいつはおそらくヒトカタミだろうよ。民間信仰でな、殺した生贄の骨でも入っているのだろう。この辺りには神器を使って人を堕落させた神が、戦いに敗れ逃れてきたという伝承があるからな。力なき無知で愚かな民が神の再来を願い、神器を模して作り御神体として縋り続けたのがこの人形見というわけだ」

「金にゃならねえってわけか。チッ、つまんねえな」若造が言った。「仏像だったら売れんのによ」

「我らは盗賊ではない」武人がニヤリと笑う。「お前の言う“チンケ”なはした金を求めずとも、いずれこの国の富は全て我らのものになる。真なる“神”の下でな」

 武人は小さな箱を握りしめた。力を込めるとそれはまるで粘土細工のようにぐにゃりと潰れ、指の間から骨のかけらのようなさらさらと白い粉が零れ落ちる。どうやら男の推測は当たったらしいが、それにしても金属を握りつぶすとは凄まじい握力だ。

「偽りの神は、死んだ」

 男の手から無残にひしゃげた箱が落ちる。もはや原形をとどめておらず、それが箱であったと想像するのは困難だ。ローブの男は地面に落ちたそれを皮肉な調子で見つめた。この国の民が乞い願った神の哀れな末路、か。自分が生き残るために最も弱いものを犠牲にし、それを神として祀る。だがそうして罪を犯してまで造り上げた神とやらは、自分自身すら守ることは出来ないではないか。もちろん、これを奉じた民すらも。

「これを奪うのに何人、殺した」

「四人、だ。俺は、やさしい」

「おい、南蛮人」若造が白い歯をむき出して嗤う。「そんなツラすんじゃねえよ。怖気づいてんのか。いつもならそいつひとりで村人を皆殺しにしているぜ」

「大義の為だ。多少の犠牲は已むを得まい」武人もこともなげに言った。そこには何の感情の揺らぎも見られない。

「この国では民草と言うてな、民など草のように勝手に繁殖して生えてくるものよ。だからこそ田畑のように雑草を抜き、時には肥やしや水を与え、悪しき芽は間引かねばならない。そうでなければたちまち悪しき病が流行り、田畑そのものが腐り果ててしまう。生きる民を選別し、国という田畑を肥沃に保つのも真なる帝、真なる神の役目よ」

「その為にはどれだけの犠牲もいとわぬ、と? 民を間引くが神の役目か」

「人を生かすのが神ではない。生きるべきものを選び、死すべきものを間引いて地上の秩序を保つ者こそが神よ。お主ら南蛮人とて同じであろう?」

「……」

「お主ら南蛮人がこの東洋へ来て何をしたのか、我らが知らぬとでも思ったか。産業革命とやらで手に入れた武力を以って世界中を侵略し、多くの国を滅ぼして現地の民を奴隷と成した。米や芋の畑を潰し、金になるというだけで何の腹の足しにもならぬ香辛料や綿などの畑へと変えさせ、多くの現地の民を飢え死にさせた。それこそ、『白き神が人々を救いに現れる』という現地の伝承を利用し、お主ら南蛮人が神として君臨して、な。正に過たず、これこそが神の役目よ。そら、この国の現状を見よ」

 闇が大地を侵食し、わずかな太陽が山と山の稜線の間で血のような赤い輝きを放っている。よく目を凝らすと眼下にはちらほらと明かりが見えるが、周囲を照らすほどではなく闇の中に沈もうとしている。言われたところでそこに村があるとは気づかないだろう。アヅマの国は押しなべてこのような感じで、それは幕府が治める首都である東都ですら大して変わらない。

 南蛮人と呼ばれたローブの男は、母国の情景を思い浮かべた。かつてはこの国と同じように闇に沈んでいた都市も、今では錬金術を応用した科学技術によって生み出された街灯が灯り、夜更けでもなお昼のごとき輝きを放ち、人々は文明のもたらす豊かさを享受している。錬金術によって造られた新素材のレンズは細菌という目に見えないくらい小さな生物の存在を明らかにし、病の原因であることを突き止めて治療法を確立させた。産業機械の生み出す高品質の製品は海外にも大量に輸出され、国家に莫大な富をもたらした。人々はもはや飢えることはなく、一流の料理人により世界中から珍味をかき集めて作られたレシピが人々を楽しませている。歌や音楽、踊りを披露する巨大なホールや世界中の珍しいものを収集して研究する博物館など、この貧しい国では見ることはおろか想像することすら出来ないであろう。

 もちろん、そうした文明が植民地からの収奪経済で成り立っているのは男も知っていた。だが、それがどうしたというのだ。世界で最も優れた西洋の文明が世界を支配するのは決して悪いことではない。彼ら現地人は西洋文明の支配を受け入れることによってその利益を享受できるのだから。そのために多少の民が死んだところで、その何倍もの人々が救われるのなら迷う理由はないだろう。そう思っているにもかかわらず彼が民を殺害することに嫌悪感を感じたのは、もっと私的な感情によるものであった。

「いまだにこの国は文明から閉ざされておる。飢饉や疫病が起こる度に何万何十万という民が死に、その度に彼らは我が子や余所者を捕らえては殺し、その魂を人形に縛りつけたものを神と称して崇め命乞いをしておる。愚かなこの国の民どもは喰らうこと生きること、命乞いをすることしか考えておらぬ。もはや知能を持たぬ野の獣と同じよ。到底人とは呼べぬ」

 武人の顔が憎々しげに歪む。実現しない想い、正されぬ正義、思いのままにならぬ世界。全てを一身で背負える気になった人間の、怒りの表情に。

「誰が民をここまで愚かにさせた? それは幕府が、その傀儡である今上帝が、愚昧であるからに他ならぬ。為政者が愚かであるがゆえに民も愚かとなり、ただ生くるだけの畜生と成り果てる。だからこそ我々は真なる帝、真なる神を戴かねばならぬ。その為に多くの民が死に絶えようとも、な」

 ローブの男は答えない。いや、ここにいる誰もが無言になった。南蛮人は口を挟む権利が無いことを自覚していたし、周りにいる者たちもわかっていた。南蛮人を除いて、他の四人は誰もが二十数年前の飢饉を直接または間接的に経験していた。飢饉は天災とはいえ、ここまでの被害をもたらしたのは人災であることを彼らは知っていた。父を、母を、子供を、兄弟を、恋人や親友を、かけがえのない愛する人々を死に追いやったのが誰なのかを知っていたのだ。だからこそ、目的は違えど終局的な目標は誰もが一致していた。

「幕府を、そして今の帝を倒さねばならぬ。たとえどれだけの犠牲が出ようとも」

 武人の言葉に誰もが頷いた。その後を継いで若造が口を開く。

「まあ正直、俺はついでに金を稼げれば文句なしだけどな。お前らは?」

「俺は、人を、殺せればいい。できるだけ、強い奴を」

「あたしは……、さて、何がいいかねえ。ふふふ」

「調子狂うやつだな。そのくらい自分で考えろよ」

「もういい、無駄口を叩くな。そろそろ引き上げるぞ」

 武人がそう言うと、肩をすくめながら一人また一人と闇の中へと消えてゆく。辺りはすっかりと暗くなり、灯火が無ければ足元も見えない。今や完全に魔物の領域となる時間帯だが、この連中が恐るべき力を秘めているのはローブの男にも感じ取れた。彼らに出会った魔物はこの世に生まれたことを後悔することになるだろう。岩男が去り際に武人に近づき、白い歯をむき出して笑った。口元以外に一切の感情が見られないのが一層不気味であった。

「次は、何人、殺せる?」

「逸るな。神器のありかを探り当てるのが先ぞ」武人も歯をむき出して笑った。「見つけてしまえば後は好きにするがよい」

「楽しみに、してる」

 岩男も闇の中に溶けるように消えた。それを見届けると、武人がローブを着た男の傍らに近づいて耳に口を寄せる。

「次は期待に応えてくれるのだろうな、錬金術師どのよ」

「今回は試したに過ぎぬ。神器とやらの力の引き出し方には大体の目途がついた。あと数個用意してもらえれば、より強い力を安定して引き出すことができるだろう。今回とは比べ物にならぬほどの力を、な」

「そうであって欲しいものだな。そも、一度しか使えぬ道具など聞いたこともない」

 武人に鋭い目つきで睨まれ、ローブの男は肩をすくめて言った。

「それも此度のことでわかったことがある。もう何度か試せば、二度三度と神器から力を引き出すことも可能になるだろう」

「そうでなくてはかなわぬ。お主には高い金を払っているのだからな」

 武人はそう言うと、煙のように闇へと消え去った。本当に人が居たのかと思わせるほどに。後にはローブの男が残された。

(……幕府を倒す、か)

 彼らの気持ちはわからなくもない。二十数年前に起きた大飢饉はたしかに天候不順と火山の噴火がもたらしたものだが、被害が極度に広がったのは幕府と各地を治める大名たちが元凶であった。

 近年の商業の発展により貨幣経済が浸透し、借金に苦しむ各地の大名たちは年貢米を売り払って現金に変えてしまっていた。そこに飢饉が起こったため、大名たちには民のために放出すべき備蓄米が残っていなかったのだ。おまけに大名たちが反抗することを恐れていた幕府は、災害によって各地の大名が自滅してゆくのをこれ幸いとばかりに見捨てた。

 こうして大名家の放漫財政と幕府による権力争いのツケを払わされることになった民衆は、民草の言葉通り枯れるように死に絶え、全国で百万人近いともいわれる大量の犠牲者を出した。事情を知っている者たちからすれば、今の権力者たちをことごとく葬り去って新たな国に作り変えようと考えても不思議ではない。

 そしてその想いはローブの男も同じであった。

(愚昧な者が権力の座についてはならぬ。その資格を持った“正しき者”のみが民衆を導くのだ)

 ローブの男はほくそ笑んだ。文明を持たぬ愚昧なる東洋の民よ、せいぜい憎み殺し合うがいい。その闘争の果てに誰がこの国を支配しているか、野蛮で愚かなこの国の民には想像もつかないだろう。

 だが……、

 男は眉をひそめた。たった一つの懸念がしこりのように心に引っかかっている。

 男には自信があった。神器という出来損ないの錬金具の構造を解明し、その力を引き出すこと。自分が正しいと信じているあの愚か者どもを操り、真に“正しき者”にこの国を支配させること。しかし、たった一つの想定外の要素が彼の計画を揺るがせようとしている。

 錬金術で神器とやらの力を引き出し作り上げた怪物、それを屠ったのはあまりにも彼に馴染みのある力――。

(私以外に、この国に錬金術師が居るのか……?)

 しかも、この力を彼は知っていた。間違えようもない。他家の錬金術の体系とは異なる、彼の一族にのみ伝わる術式。だとしたら一族の誰かか、あるいは一族の誰かから技術を学んだ何者かがこの国に来ているのか。

 だとしても、今さら引き返すことなどできるはずもなかった。

彼にも信じるべき正義があった。たとえ肉親同士で殺し合うことになろうとも、いや、神と殺し合うことになろうとも、この計画は進めねばならない。そもそも神など彼にとって、そして彼の一族にとっては愛する者たちを殺した憎むべき敵にしか過ぎなかった。

 錬金術師の、国を造る。

 そのためには手段など選んではいられない。この国に巣食う“やおよろずの神”とやらが私の前に立ちはだかるというのなら、全てをことごとく滅ぼしてやる……!

 

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