ナズナのアトリエ ~悩める錬金術師とまほろばの神~ 作:匿名設定
「いい? じゃあ通すね」
形依神社の拝殿の奥、といっても小さな神社だし、単にナズナが寝起きして雑務を行う寝室兼事務所のような狭い部屋に過ぎないのだが、なんでもここがこの地で地脈と天脈をつなぐ『へそ』のような位置にあるらしい。そこに神社を建て要となる神を置くのは、マナを制御する意味においては確かに理にかなっている。
キャルロットは今、ナズナとひざを突き合わせるように正座して向かい合っている。ナズナの差し出した両手に軽く手を添え、目を瞑りゆっくりと息を吐いた。肩、胸、腕、手……。ゆっくり、ゆっくりと力を抜いて意識を指先から頭頂、足の指先まで降ろしてゆく。自らがパイプとなり指先から水が全身を通って抜けていくような感覚をイメージすると、途端に痺れるような何とも言えない感覚が全身を包む。
「うっひゃああぁぁ! いいっ、ナズナこれ気持ちいいよぉ」
「おいおい、朝っぱらから何をヘンな声出してやがるんだ」
外から権之助が顔を出す。朝から風呂でも浴びていたのか、ウリ坊がいっちょ前に肩に手ぬぐいを乗せたまま部屋に入ってきてナズナの横にちょこんと腰を下ろした。黙っていると可愛らしいのだが、中身がおっさんなのがどうにも気になる。
不思議な感覚だった。熱いような冷たいような、透き通った風が身体の中を吹きぬけてゆくようなくすぐったい感覚もある。数回ナズナの施術を受けてきて、キャルロットにはそれが大地のマナの通り道、地脈を通じて噴き出してくる様々な性質をもった環境マナであることに気づいていた。それがナズナの身体を通じて増幅され、キャルロットの身体を通り抜けて大気へと拡散し、草木や動物、人などあらゆるものと相互に反応し合いながらあるものは風となって循環し、あるものは大地へと吸収されてふたたび大地を廻る。
季節は廻り、天の気は廻り、地の気は廻る。水の気は天から地へと滴り、再び天へと廻る。大地は興り、気は満ち、やがて枯れては凍てつき、ふたたびほどけて興る。人気も同じように興り、栄え、枯れはててから再び興る。
わたしたちは“循環”しているという世界の原理。
「はい、お疲れ様でした」
ナズナが微笑みながらキャルロットに触れていた手をゆっくりとおろした。
「これ以上はもう必要はない、かな。あんまりやりすぎちゃうとクセになって、私がいないと通らなくなっちゃうから」
ナズナに言われるとなんだかそんな気になってくる。ただキャルロットには、昔の感覚をほぼ取り戻せたという自覚があった。叔父の発明した道具のせいでマナへの感受性を失っていたが、その原因はもちろん彼女自身にあった。道具というのはただ使うだけではダメだ。道具そのものの性質を理解し、どう利用し向き合ってゆくのかを考えなければ、それは簡単に自分自身を鈍らせてしまう。そう、かつて神器が人々を堕落させたように。以前に抱いた思いはキャルロットの中で確信へと変わっていた。きっと古代の人々は神さまに頼りすぎてしまったのだろう。
自分はもう大丈夫。これだけでもひんがしの果てへと来た甲斐はあった。だが、もちろんここで西の果ての故郷へ帰るつもりなどない。なにせ無理を言って家出同然に国を飛び出して来てしまったのだ。神器の作り方を学ばねば両親にも、兄や姉にも、何より錬金術の師匠である叔父さんに顔向けができない。それに、ナズナに錬金術を教えてあげるという約束もある。
ナズナはどうして錬金術を学ぼうとしているのか……。
神器というこれほどまでに強力な道具を生み出すことが出来るなら、わざわざ西洋の錬金術など学ぶ必要はないように思える。以前にそう思って聞いては見たが、いつかは話すと言われて明確な答えを得られなかった。でも確信があるわけではないが、その理由の一端はわかるような気がする。神器はなぜ普通の人には使えないのか、そして無理やりその力を引き出して造られたドラゴンがどうして炭の粉のようになって崩れ去ってしまったのか。
「ナズナ、ちょっといい?」
キャルロットはナズナの手を取った。少しひんやりとした、白くなめらかな少女の手だ。一見、何の変哲もない手のように見えるが、キャルロットにはもうわかっていた。ちらりとナズナの方に目を向けると、彼女はどこかいたずらがバレたときのような困惑したような微笑みを浮かべている。
「そうか、錬金窯……」
「ええ、その通りです」ナズナが答える。「私の身体はマナを集め、増幅させて属性を一定の方向に制御できるの。普通の人には扱えないくらいのマナを」
なるほど、普通の人間に神器を扱えないわけだ。
ナズナは一見普通の女の子に見えるが、おそらく根本的な部分で身体の構造が人とは異なっているのだろう。彼女の身体は膨大な量のマナを集め、通すことができる。いわばナズナ自身が錬金窯と同じ役目を果たしているのだ。それも、見たこともないくらい高性能の。
もし普通の人間が錬金窯に飛び込んだらどうなるか。もちろん、無事では済まない。それは自然界ではあり得ないくらい人工的に濃縮された高濃度のマナを浴びれば、人自身が持つ環境マナが人の形態を保てぬほどに変質してしまうからであり、あの人工物のドラゴンが塵となって崩れ去ったのもそれが理由だ。
また錬金窯には同時に、一定の目的を持たせた術式が組み込まれているというのもある。だからこそ錬金窯を扱う際には万が一にも中に落下した場合を考慮したマナ防護服を着ることがあるが、そこには調合の目的に合わせた術式を無効化する術式を逐一組み込まなくてはならない。これが結構評判が悪く、錬金術を学ぶ学生は防護服を着るのが義務化されており違反をすればヘタをすると退学処分だが、ベテランの中には面倒くさがって防護服を着ない人が結構いる。
でも多分、ナズナは錬金釜に落ちても無傷だろう。術式すら自分の身ひとつで操れるなら、お風呂に飛び込んだくらいにしか感じないのではないか。
「お話し中すみませんナズナさん」
いつの間にか部屋の外にこよりが来ていた。
「イチャイチャしているところを申し訳ありませんが、里人より陳情が来ております」
二人は慌ててつないでいた手を離した。女の子同士だし別に隠すほどのことでもないのだが、こよりの言い方に妙なトゲがある。ノックは無理でもせめて先に声をかけて欲しいところだったが、そもそも周囲からのマナの通りを良くするために襖も障子も開けっ放しにしていたのだ。こよりも声をかけづらくて困っただろう。
「陳情って……、ああ、例のやつだよね」
黙ってこよりがうなずく一方、キャルロットは不思議そうに小首をかしげる。
「陳情って、それもナズナの仕事なの? 普通は村長さんの仕事のような気がするけど」
「うん、里の運営とかみんなで決めるようなことは里長さんの仕事だけど、自然のこととか人ではどうしようもないことが起きたら私がなんとかしなきゃ」
傍らに座っていた権之助が二本足で立ち上がる。そういえば、すっかりその存在を忘れていた。この姿を最初見たときは驚いたものだが、もうすっかり見慣れてしまった。
「最近はどこもカラッカラだもんな。こんな空梅雨じゃあ夏が思いやられるぜ」
「そんなにひどいの?」
確かに乾燥はしている気がする。表を歩けば土ぼこりがひどいし、地面もひび割れているようだ。だが普段のこの季節がどんな気候なのか、この国に来たばかりのキャルロットにはよくわからない。
「そっか、よくわかんないよね。いつもは毎年この季節になると、ひと月くらいずっと雨が降り続いたりするんだよ」
「えーと、わたしの国みたいなもんかなあ」
キャルロットの母国では、一年の半分近くを雨か霧に覆われている。といっても大半が霧なので降水量は思ったよりも少ない。最近の都会では空が霧よりも工場の出すスモッグに覆われ、貴重な晴れ間も失われつつある。
「この国の農業は水田が主で、水の量は死活問題です。空梅雨でも逆に雨が長引いても多くの民が苦しみます」
と、こよりが言う。この国では経済の大半を米の流通が占めており、その上に殆どが水田で作る水稲を育てている。大量の水の使用を前提とする農業資本主義ではわずかの日照りが文字通り命取りとなってしまうだろう。
どうやら以前にとっちめたナマズの神さまはサボっているか、自らの居る水源も枯れかけているのだろう。“無から有は生み出せない”のは、錬金術も神も同じだ。
「うーん、難しいところだよね。できればもう少し自然に任せたかったけど」
「自然に任せないと何かまずいことでもあるの?」
首をひねるキャルロットにナズナが言った。
「自然に循環しているマナを無理に捻じ曲げると、後で色々と問題が起きるんだよね。でも今回は仕方がないかな」
「近隣の村々も雨乞いの儀式を行ってはおりますが、効果は微々たるものです」
いつもとろんとした声で話すこよりも、今回はどことなく声音に深刻さが混じっている、……ような気がする。もっともこよりが心配するのも無理はない。ここ十年ばかりは気候も安定してきているが、その前には何度も飢饉が起きている。その悲惨さは子供たちにも何度も話し伝えられ教訓とされてきたのだ。
「雨乞いの儀式ってアレ? 焚火を焚いて雨が降るよう祈るってやつ」
「うん、ほとんど効果は無いんだけど、マナ的には理にはかなってるよね」とナズナがにっこりと微笑みを浮かべながら、空を差して手を優雅にひらひらと動かす。そのゼスチャーがわかったようで実は何を表現しているのかよくわからないところがなんとなく面白い。
「ほら、木は土属性が強く固定されているでしょう。それを燃やして煙を天に撒くことで空気中にある水属性のマナを大地に誘引している、いわば空中に人為的な水脈を作って大地まで流すことで雨を降らせるんだ」
「でも火属性の混じったマナを空気中に撒けば水属性のマナを遠ざけちゃうんじゃないの」
「そうなんです。そこがこの民間信仰の問題点で……」とナズナがこめかみに人差し指を当てて考え込む。「でも、キャロちゃんなら雨を降らせられるんじゃないかな」
「いやいや、雨乞いなんてやったことないし」
キャルロットは即座に否定した。ナズナの言いたいことはわかる。大気中にある属性ごとのマナの総量がわかれば、より効果の高い確実な方法で同様に空気中に水脈を通すことができる道具を作れるだろう、ということなのだろう。だが叔父さんが発明したマナ測定器は故郷に置いてきてしまっていた。もちろん原理は理解しているので錬金窯さえあれば似たようなものを作ることはできるだろう。もしもナズナが望むならば、叔父さんが発明した道具を自分が作ってみても良いかもしれない。
ナズナの考えていることが、キャルロットの感じたとおりのものであるならば。
だがまだその時ではない。今はこの国が持つ環境マナを肌で感じ取ることが重要だ。中途半端にまた道具に頼っては、せっかくマナへの感受性を取り戻したのに元の木阿弥になってしまうだろう。
「というわけで、実際に現場を見てみようと思いまっす」
「何が、というわけで、なのかはわからんが」なぜか得意げに胸を張るキャルロットに権之助が答える。
「現場を見なくちゃはじまらんわな。特に“れんきんじゅつし”ってやつはな、だろ?」
「こよりちゃんもおいでよ」
「わたしは……」
ナズナの言葉にこよりが一瞬、ためらうような表情を見せる。その様子にキャルロットはどこか引っかかるものを感じたが、その違和感が何なのかはその時はよくわからなかった。
「じゃあ惣助さんの田んぼを見てみよっか。ここから一番近いし」
そう言ってナズナが元気よく立ち上がる。それを見て権之助がすかさず言った。
「おやつは一両までだぜ」
「それ、大金ですから」こよりがぽつりと言う。
「どれだけおやつ買うつもりですか」