ナズナのアトリエ ~悩める錬金術師とまほろばの神~ 作:匿名設定
一行は朝食を済ませてから形依神社を出た。
山芋はすりおろして片栗粉と混ぜて蒸したのち、キノコの出汁の利いたすまし汁仕立ての団子汁となった。出汁の染み込んだとろろ団子のもちもちした食感が面白く、正直とろろの苦手なキャルロットもこれなら美味しく食べられると思った。意外とナズナは料理が上手だ。神さまが料理上手というのも変な話だが、粗末な食材でも大抵のものは美味しく食べられるものに仕上げてくれる。
午後のよく晴れた青い空に、白い雲がところどころにぽっかりと浮かんでいる。田んぼの稲も青々としていて順調に育っているようだ。ナズナが雨を降らせた効果はてきめんだったらしい。夏だし盆地の暑さは相当なものになるが、今のところ過剰な火属性の増加は見られない。このままいけば今年のうちは安泰だろう。周囲の山の中からは、うるさいくらいの蝉の声が響いてくる。
会合は山で行われるらしい。
北東側に八剱岳という険しい連山があり、名前の通り険しい八つの山を中心に大小の山々がアヅマの南北に連なり東西を隔てている。東西を行き来するには南北の海沿いへと大きく迂回せねばならず、古くから東西の勢力がお互いに侵攻するのを防ぐ防壁の役割を果たしてきた。
その中でもまほろばの里の北側に接する男鹿峰と呼ばれる山に、大社と呼ばれるヤマ神を祀る神殿がある。もっとも貧しいまほろばの民の築く社はたかが知れており、形依神社より若干大きいくらいで大社というイメージから想像すると肩透かしの印象を受けるだろう。東西と南側にも小さな分社があり、本社と合わせてまほろばの四方を取り囲み守護している。
祭神は正式な名前は大中津国彦という尊岐環命の部下で、アズマへの使者として天界より下ったとされているが、民族学者によれば元々この地方を治めていて尊岐環命に臣従した土着の豪族の一人だという。真偽はともかく、まほろばの民からは山そのものを形作る擬人化された環境マナの象徴としてあがめられており、成人の男が代々巫子として仕え、男鹿峰という名前にもかかわらず猿の面をつける習わしである。
大社は山の中腹にあり、険しい山道を登らねばならぬ上に基本的には女人禁制である。そこでより麓に近い弓霊山(男鹿峰の山裾の一部だが、女人禁制の建前を守るために別の山ということになっている)に小さな社を築き、そこでもヤマ神を祀ると同時にちょっとした集まりのための集会場にもなっている。
「して、ご用向きのほどは」
口火を切ったのはヤマビトの長老である。
白いものが交じったひげを蓄えた気難しそうな小男で、普段山を駆け回っているせいかがっしりとした逞しい体つきをしている。長老とはいうが、それほど老いているようには見えない。山での生活は過酷なので、長く生きる者は少ないというのは後で聞いた。
広間にヤマビトとヒラビトが五人ずつ相対している。それを見守るのは里長とナズナ、こより、権之助と、キャルロットの五人(?)である。部外者であるキャルロットが見学を認められているのは異例だが、先ごろ山で起きた怪異を解決したことはナズナの口から知れ渡っている。明らかに目立つ容姿も、ヒラビトはちらちらと盗み見ている様子が感じられるが、ヤマビトにとっては特に興味を引くわけではなさそうだ。日頃怪しげな姿をした怪異や魔物を見慣れているからだろうか。
「単刀直入に言おう。山の地を少し分けて貰いたい」
ヒラビトの長老も応じる。こちらは痩せてはいるが、長老というほどの歳でもない。長老というからには当然、普通は里でも歳老いた者がその地位につくが、二十数年前の飢饉によって老人の多くが命を落としたことがいまだに尾を引いている。里で老人と呼べるものはもはやナズナがおじいちゃんと呼び慕う今の里長の父親、つまりだいぶ前の里長くらいだが、体の自由が利かなくなりもう滅多に人前には姿を現さぬ。
「困る。ヤマビトにも生活がある」
「飢えへの備えを怠ってはならぬ。此度の――」
と、ナズナを指し示し、
「日照りは神成人さまが収めて下すったとはいえ、またいずれ起こるやもしれぬ。その時に備え、食料を増やしておきたいのだ」
「田畑を広げたところで、日照りが来たらそこも干上がるであろう。何も変わりはせぬ」
「なんの。量を多く作ればその分、日照りでも残る物が多かろうし、多く採れれば保存し翌年以降の災害にも備えられるではないか」
「山の不作は平地で補い、平地の不作は山で補う。それが古来よりの掟だったはず。今さら田畑を広げるために山を削るのは筋が通らぬ」
双方、譲る気はない。
ナズナも里長も、考え込むような様子で双方の言い分に黙って耳を傾けている。二人ともどちらか一方に味方する訳にはいかない。里長はいかつい顔をしたいかにも真面目そうな四十代後半の壮年の男で、赤子の頃のナズナを引き取った義理の父親でもある。一度ヤマビトが里長になった後で、再び里長に選ばれた。もともと人口が少ないのでどうしても、人望があり厄介事を引き受けられる人間となると限られてきてしまう。
次第に双方の主張が熱を帯びてくる。ヤマビトもヒラビトも同じまほろばの里の住人ではあるが、アズマの島国では利権を争う村同士の対立が激化し、殺し合いになることもあるという。キャルロットがハラハラしながら見守っていると、急に扉が開いて奥の間から猿の面をつけて毛皮を着た中肉中背の人物が入ってきた。
「まあ、お久しゅうございます」
ナズナの鈴の音のような、しかしどことなくのんびりとした声が響き、一同が我に返ったように頭を下げる。皆が毒気を抜かれたような顔をしているのを見て、キャルロットは合点がいった。なるほど、あれがヤマ神の巫子か。おそらくは里人たちが興奮して争いにならぬよう、あらかじめ里長を含めた三人で登場するタイミングを計算していたに違いない。猿の面をつけたヤマ神の巫子は軽く会釈をすると、皆の前にどっかと腰を下ろした。
「ヤマ神さまのご神託にござる。此度はヒトノカミ様によって苦難は除かれており、さらに山を侵食するのは合点がゆかぬ。“否”との仰せにござる」
「お言葉にはござりますが、ヒラ神さまよりもご神託を受けておりまする。山へ田畑を広げよ、と」
ヤマビトの長老の言葉にこよりがこっくりと頷く。どこまでが神でどこまでが人の意志なのかはわからないが、もし神に意思があるとすればヒラ神はそう言うより仕方がないのだろう。
「これではらちが明かぬ」
はじめて里長が口を開いた。
「ならば神さま同士の意志にお任せしようではないか。ヤマとヒラの長老同士で競っていただく。真に神の意志ならばお二方を通して裁定が示されよう。ヤマもヒラも依存ござるまいな」
「異存なし」
「然り、然り」
「ならば此度はヒラビトよりの申し入れによるため」と、ヤマ神の巫子が何やら筒のようなものを取り出した。「託宣笏により我らヤマビトの手で裁定方法を決めるものとする。両者共よろしいな」
「異存なし」
「然り、然り」
託宣笏とは大仰な言い方だが、要するにくじ引きに使う棒っ切れである。巫子は棒切れの入った筒を芝居がかった様子で大きく振り回すと、ヤマビトの長老に一本引くように促した。
「……双六にてござる」
「裁定は長老殿同士による双六と相成った! 双方、異存ござるまいな」
「ござらぬ」
「然り、然り」
「スゴロクって何?」キャルロットは隣に座っているこよりに聞いた。「サイコロを転がして勝敗を決める遊戯です」こよりがそっと答える。「元々は昔の貴族の遊びでしたが、賽の目は天の采配ですから、今では神の意志を問う神事でよく使われます」
「遊びで大事な物事を決めちゃうんだ」
キャルロットはちょっと首をかしげたが、たしかに殴り合ったり熱湯に手を突っ込んだりして決めるよりはよっぽど平和的かもしれない。少し離れた場所に座っていたナズナが寄ってきてそっと耳打ちする。
「双六でよかったよ。お相撲とかに決まってたら、ヤマビトさんたちの方が強い人が多いしどうしても不公平感が出ちゃうから」
しばらくして、大事そうに布に包まれた木の盤とサイコロ、木のカップといくつかの駒のようなものが巫子の手で運ばれてきた。巫子がカップをひっくり返して中を見せる。
「このとおり、細工はござらぬ」
「ない、ない」
「然らば、参る」
賽を入れて振ると、先攻はヒラビトの長老と決まった。