ナズナのアトリエ ~悩める錬金術師とまほろばの神~ 作:匿名設定
「目出度、め~で~た~のや~」
周りが体を揺らし、歌いながら囃し立てる。勝負の当事者である長老たちも踊るように体を揺らしながら、歌に合わせてサイコロの入ったカップを振っている。ナズナはいつも通りにこにこと無邪気な笑みを浮かべて楽しそうに歌い、いつも感情に乏しいこよりも少し恥ずかしそうに小声で歌っている。
夏の熱気を帯びた板の間の生暖かい感触と、ナズナとこよりの柔らかく微かに甘い匂い、男たちの鄙びた土の臭いと、少し酸っぱい汗の臭い。強すぎる香水の匂いをまとった西欧の洗練された都会の風景とは異なる、故郷で領民たちと農作業をしていた時のような、どこか懐かしい雰囲気。
キャルロットは幼い頃、皆で歌いながら草刈りをしていたことを思い出した。そういえばオペラ歌手並みに声量のある若者がいたっけ。都会の学校に通い始めてからは一度か二度、クリスマスの時期にしか里帰りしていないけど、みんな元気にしているかな……。
目出度、めでたのや さのよいよい
山の杉も芽吹いたよ
白雪割って芽吹いたよ
鹿の鼻にちょと種つけて
あの子のもとへ運ぶかね
あ、よったれ寄ったれよったれな
さのよいよい
目出度、めでたのや さのよいよい
里の桃も花盛り
嵐に耐えて花盛り
山のお猿にちょと実を持たせ
あの子のもとへ運ぶかね
あ、よったれ寄ったれよったれな
さのよいよい
お山の淵には蓮の花
種を埋めても恨みっこなしよ
あ、よったれ寄ったれよったれな
さのよいよい
最後の文句で賽を振る。今日中に終わるのか心配になるくらいの、随分とのんびりとした競技だ。誰も彼もにこにこと笑みを浮かべながら楽しんでいる様子で、とても里の厄介事を話し合っているようには見えない。
「何だかほのぼのとして、素朴ないい雰囲気の歌だね」
はるか古代、人が洞窟に住み狩りや木の実を拾って暮らしていた頃には個人の富というものはなく、皆が平等で争うこともなく平和に暮らしていたらしい。人類もみんな大昔にはきっとこんな感じだったのだろう。キャルロットがそう言うと、権之助からは微妙な反応が返ってきた。
「素朴ないい歌、か。まあ、南蛮人にとっちゃそう聞こえるのかもしれんが……」
「何よそれ。バカにしてる?」
「そうじゃねえよ。事情を知らねえヨソ者がそう思うのも無理はねえってこった」
権之助は皆に聞こえぬよう小声で言った。
「こいつはな、艶歌なんだよ。杉ってのは男の象徴だ。ここから一番近い村、山ふたつほど離れちゃあいるが、そこでは丸太を削ってでっけえ男の持ちモンを作って、女のモンに見立てた池に投げ込んで子孫繁栄を願う奇祭があるが、その男のモンは杉の木で出来てやがるんだ。つまり杉の芽が出たってのは、成人の若い男を表しているのさ」
「ふうん」
「一方で桃ってのは桃尻って言葉どおり、若い娘の象徴だ。ほれ、お前だって立派なモンを持ってるだろう」
そう言って蹄で尻を叩くようなそぶりを見せる。
「このスケベおやじ! セクハラだよっ」
「いてて! そう怒るなって」
軽くつねられた権之助が悲鳴を上げる。
「まあそんなわけでこれは、若い男女がくっついた、っていう縁起の良いめでてえ歌なのさ。でもよ、それじゃあなんで種を植えて恨みだのなんだのって物騒な言葉が出てくるんだ。おかしいと思わねえか?」
「そりゃあ、まあ……」
「実はな、さらに深読みをすれば、こいつは忌み歌なのよ」
わざとなのか、権之助がさらに声を低める。
「お前の国にもあるんじゃないのかい、争い合う両家の悲恋の話ってのがよ。このまほろばの里も今はヤマビトとヒラビトはうまいこと仲良くやっちゃあいるが、神代の時代からずっと仲良く平和にやってきたわけじゃあねえ。そりゃあこんな食うにも事欠くようなまずしい里だ、生きるために対立し奪い合うことだってあったろうさ。まあそんな中で、ヤマビトの若ぇモンとヒラビトの小娘が恋に落ちちまった」
「ふんふん」
ありがちな話だとは思ったが、人間の情感というのは古今東西、大して変わらないのだろう。
「当然、許される恋じゃあねえ。かなわぬ恋と知った二人は追い詰められ絶望して、ついに淵から身を投げちまったのさ。蓮の花ってのはホトケサン、つまり死人を意味する隠語なのさ。ほれ、その淵ってのが、こないだあのナマズのバケモンがいたあの滝つぼなんだ。あそこはもともと良くねえ陰気が溜まりやすくできてるのさ」
キャルロットは辺りを見回した。誰もが彼女と権之助の会話に注意を払わず、楽し気に歌い踊りだす者までいる。時折笑い声が響き、または残念そうな落胆の声が響く。どうやらゲームの形勢はヒラビトの不利に傾きかけているらしい。
「まあそんなわけで、二人は自ら命を絶っちまった。だがよ、その時にはもう出来てたんだ。生まれてたんだよ、種が」
「……まさか!」
キャルロットの背筋に冷たいものが走る。こんなこと、人として許されるはずがない!
「埋めて殺しちゃったっていうの? 二人の間に出来た赤ちゃんを!」
「そこまでは知らんさ。直接見たわけじゃねえしな」
権之助は肩をすくめた。
「でもよ、生かしておいてもどうしようもねえ、ってのはわからんでもないさ。仮にその子を生かしておいて、両親の死の真相を知った時にその子がどう振舞うのかは誰にも保証が出来ねえ。結局、禍根を残しちまうんだよ。ヤマにも、ヒラにも、その子にもよ」
権之助は遠くを見つめた、と言いたいところだが、そのつぶらな瞳がどこを見ているのかは正直わからない。だがその声音にはどこか他人事だとは思ってはいないような雰囲気があった。
そういえば権之助についてはウリ坊の姿をしているというだけで、中身のおっさんみたいな魂については何も知らない。もしかしたらそうやって理不尽に命を奪われた魂が宿っているのか、あるいはそうした魂の集合体なのかもしれない。
「このまほろばの里ってのは、かつて人間を堕落させた罪で創造神に懲らしめられ、鳳となってこの地へ逃げてきたナズナって神さまが作った里だ。彼女はやがて天界に戻る際、自分を慕って集まってきた人々に言ったそうだ。『必ず助けに来るので、どうかこの地で生き続けてください』、ってな。でもよ、神代の時代からここに住み続けている家系なんてひとつも残っちゃいねえと思うぜ。
十二年前、ナズナがこの里を土砂崩れから救ったのは知っているだろ? そん時に神話の中で名前を聞くだけで今まで誰も見たことがねえ『神器』ってヤツを使ったから、アイツはこの里の開祖にちなんでナズナって名前をつけられた。だがよ、土砂崩れなんてモンは今までに何度もあったんだぜ。その度にこの里は生き埋めになり、飢饉になれば飢え死にし、疫病に倒れ、山火事に焼かれ地震に潰され、侍の軍隊に攻められ野盗どもに襲われては皆殺しにされたり奴隷として売り飛ばされたりして全滅してきたんだ。
それでもわずかに山へ逃げ延びた奴らや、他の里に嫁いだ奴ら、果ては縁もゆかりもねえ迷い人が寄り集まって、ふたたびこの地に住み着き里を作り直してきたんだ。人にゃどうしようもない運命に怯え、弱い者を生贄に捧げて必死で神に命乞いをしながらな。アイツも――」
権之助とともに視線を移す。そこにはいつも通りニコニコと屈託のない、春の陽光のような温かく柔らかい微笑みを浮かべながら朗らかに歌うナズナの姿があった。
「自分が生贄候補だって知っているだろうによ。よくもまあ、あそこまで無邪気に屈託なく笑って歌えるもんだぜ。まあアイツのことだから、全て承知の上でああして振舞っているのかもしれねえけどな」
キャルロットはナズナの笑顔を黙って見つめ続けた。さっきまではあれだけこの里人たちに親近感を感じていたのに、なんだか急に自分だけ別世界に放り込まれたような気がする。わかっている、西洋の価値観が世界の常識なんかじゃない、なんてことは。でも“誰も殺されるべきじゃない”“誰も他人を殺しながら、次は自分の番かと怯えて生きるべきじゃない”と叫ぶことは、甘ったれた西洋人の独善に過ぎないのだろうか……?
「俺が前に言っただろ。ナズナのような神成人、ヒトから生まれたヒトノカミってやつがオレより神格が低いって。それはアレが生贄に過ぎないからなんだ。他人に不幸を押し付けて自分だけ逃れる、その後ろめたさを誤魔化すために、死者の魂を神として祀り上げてるだけなのさ」
「うん……」
あーっ、という悲鳴に似た声が響いた。どうやら決着がついたらしい。
「うーむ、今日はどうにも目の出が悪いわい」
「ふわっはっはっはっ。賽の出目は神の裁定、諦めるがよいぞ」
わざと高らかに笑っておどけてみせたのは、後々に遺恨を残さぬための生活の知恵なのだろう。ヒラビトの中には悔しそうな表情を浮かべる者もいたが、これ以上引きずるつもりはなさそうだった。
「裁定は下った! 山に農地を広げる要望は不可とする! 双方ともよろしいな?」
ヤマ神の巫女が宣言した。
「承知した」
「異議ござらぬ」
「ではこのナズナが」優しい微笑みを浮かべながらころころとした声でナズナが言う。この明るく穏やかな声を聞くと不満を持っていた者も毒気を抜かれ、もう争いごとなどどうでもよくなってしまう。「立会人として双方が合意に至りましたこと、見届けさせていただきました」
「我も、然り。里長として双方、遺恨無きよう宜しく頼む」
里長はそう言うと、ヒラの若者に命じて外から酒樽のようなものを運び込ませた。
「まずは合意に至ったこと、めでたくござる。これはヒラビトよりヤマ神さまへの捧げものゆえ、お納め願いたく」
「や、や、これはご丁寧に。ではヤマ神さまに捧げたのち、お下がりを皆で頂くとしましょうぞ。ちょうどヤマドリを干したものがござるゆえ、まずはそれにて……」