ナズナのアトリエ ~悩める錬金術師とまほろばの神~ 作:匿名設定
「ナズナ、あぶない!」
言うが早いか、ナズナの体が宙を舞った。暗闇の中に白い装束を身にまとった少女の姿が蝶のように浮き上がると、綺麗な弧を描きながらまるで鳥の羽のようにふわりと地面に舞い降りた。それを見てキャルロットは、心の底から美しいと思った。母国にいる一流の曲芸師でもこう上手くはいくまい。お転婆な自分と違っておとなしそうな顔をしているのに、一体どこでこんな体術を覚えたんだか……。すると、だいぶん遅れてナズナが居た場所を丸い何かがころころと転がっていった。
―軟体生物、『不仁』。ぷにぷにと弾力のある球状の体に目と口がついている、奇怪極まる魔物の一種だ。洋の東西を問わず世界中どこにでも生息しており、ところによっては『賦荷』『婦二』『冨児』などとも書く。苦役を逃れようとして死んだ人の霊が形を成したものとか、二股をかけて呪われた男の末路だとか色々と言われてはいるが、真偽のほどは定かではない。地方によっては黄金色に輝く個体を『黄金冨丹』と呼び、富の象徴として珍重するところもあるらしい。倒すとまれに不仁不仁玉という弾力のある物体を落とし、感触を好む者は枕の材料にしたり子供の玩具になったりもするが、野生種は時々青臭いものがあるのでキャルロットはあまり好きではない。
「えい!」
ナズナが飛び込んで来た不仁を白扇で打ち上げると、すかさずキャルロットが回し蹴りで追い打ちをかける。不仁はころころと転がりながら森の奥へと消えていった。もとより倒すつもりはない。縄張りに入り込んでしまったのはこちらの方だ。しかし、今はここを通らなければならない事情があった。
「こよりちゃん、わたしの後ろに!」
「は~い~」
およそ緊迫感とは無縁な間延びした声でこよりが答える。巫女姿のこよりは動きにくい長袴を身に着けているし、そもそも戦闘の経験がない。自覚はしているので素直にナズナの後ろに隠れ、時折弱った不仁を森に向かって軽く蹴飛ばす。
「数、減らないね……」
「……うん」
(おかしい、何かが……)
不仁は元々強い魔物ではないし、群れたとしてもたかが知れている。少なくとも今のように、犠牲を恐れず遮二無二突っかかってくるような真似はしないはずだ。
……がさり、がさり……。
悪い予感が当たったようだ。森の奥から凄まじい威圧感と共に、妖気のようなものが流れ出してくる。
「……これは!」
草をかき分けて現れたのは、不仁の頭に不釣り合いなほど小さな人様の身体を持つ魔物であった。それは全身に力を込めると、肉体を誇示するかのように威圧的なポーズを取り始めた。
――松千代不仁――。同種の魔物を操ると言われる、所謂ヌシ個体と呼ばれる変異体である。特に松千代不仁は数々のコンテストで肉体美を披露してきた強敵である。
「うわっ、ヤッバっ! めっちゃ強そう!」思わず声をあげるキャルロットに対し、こよりが冷静なツッコミを入れる。「……本気で言ってます?」
「ごめんねっ!」
そう叫ぶと間髪を入れずナズナが動いた。松千代ポーズで威圧し続けるヌシに足払いをかけると、くるりと一回転して白扇を打ち込み吹き飛ばす。見た目は普通だが、もちろんただの白扇ではない。軽いのに異様といえるほどの頑丈さを持ち、打たれたものは強風に吹き飛ばされたような不可思議な衝撃を受ける。松千代不仁は弾き飛ばされてころころと地面を転がり、木にぶつかって止まった。筋肉が全てを解決するほど世の中、甘くない。
「ひとまず、終わりかな?」
あれだけしつこく襲いかかってきた不仁の群れが、潮の引くがごとく森の奥へと消えていく。ヌシが一瞬で倒されたのを見て、とてもかなわないと悟ったのだろう。後に残された松千代不仁に、子犬ほどの大きさの小さなウリ坊が飛びかかってゆく。
「それっ! ワン、ツー、ワンツー!」
ぷにっ、ぷにっ、ぷにっ、ぷにっ……
器用に後ろ足で立ち上がり、前足をリズミカルに撃ちこんでゆく。松千代不仁は既にグロッキーだが、とてもウリ坊の打撃が効いているようには見えない。
「とどめだっ! ストレートォぉっ!」
ずぶずぶずぶ……
柔らかい餅のような不仁の体に半身がめりこんでもがくウリ坊を、すかさずキャルロットが首ねっこを掴んで持ち上げる。
「はいはい、アンタはいつまでも遊んでなーい」
「なんだよ、俺だって戦ってんじゃねえか!」
抗議をするように暴れていたが、キャルロットの胸に抱かれるととたんに大人しくなった。可愛い姿に似合わず、声も態度もまるでおっさんである。
「だいぶ時間が経っちゃったね、急ごう」
ナズナが指をくるくると二回ほど回すと、宙に漂っていた青白い蛍のような光が、優しい暖かな陽の光となって前方を照らす。獣や魔物を怯ませる青白い光とは異なり、魔物の気を落ち着け戦意を失わせる効果があるようだ。キャルロットは、このくらいなら自分の錬金術でも出来る、と思った。漂泊草と雷虫を組み合わせれば何とかなるだろう。だが、何かが違う。ナズナの操る錬金術には、とてもかなわない、と思わせる何かがあった。全く悔しくない、と言えば嘘になるけど、どちらかと言えば全く違うフィールドに立っている印象が強い。例えるなら、同じボール競技でも野球とサッカーの違いのようなものだ。だが不思議なことに、投げたボールと蹴ったボールがゴールではどちらも違和感なくミットにすぽんと収まっている。ナズナはそれを「環境マナの捉え方の違い」と言うが、環境マナを数式で理解してきたキャルロットにはまだちんぷんかんぷんだ。
かなわなくて当然―、キャルロットは不敵な笑みを浮かべた。そうでなくては価値が無い。あたしはその為にこんな東洋の果てまで旅をして来たのだから。
水のにおいがする。
小川のせせらぎの音がする方へ一行は進んでゆく。黒い木々がわずかに通れる道の上に覆い被さるように茂っている。東洋の森は怖い、とは聞いてはいたけど、なるほどなと思った。まるで森そのものが生きているような錯覚さえ覚える。この世とあの世の境目、生者と死者の境目―、その境界は容易に動き、周辺にいるモノを容赦なく呑み込もうとする。キャルロットの母国では、大型船の建造や工業機械の燃料源として木は切り倒され、彼女が生まれた十六年前には森と呼べるようなものはもうほとんど残ってはいなかった。横暴な国王に対して立ち上がった勇敢な義賊の話を子供のころに聞かされたが、根拠地として立て籠った森というものが理解できなくて何度も母親に聞き返したのを覚えている。
「ここってヤマビトが通る道だっけ?」
「うん」
ナズナの返答が妙に腑に落ちた。ここはケモノ道だ。人というケモノが通る道。わたしたち自身が世界を構成する細胞のひとつだという現実。
マホロバの里はヤマビトとヒラビトで構成されている。山に挟まれた狭隘の地で、山を切り開いた狭い平地に人が住み着いて造られた小さな里だ。もちろん好き好んでこんな辺鄙な場所に住み着いたとは思えない。平地で採れるわずかな収穫ではとても足りず、山の恵みで補うことによってなんとか暮らしている。その中でも平地に居を構える里人をヒラビトと呼び、山に生活基盤がある者をヤマビトと呼ぶ。同じ里人同士だからもちろん交流はあるし、お互いに持ちつ持たれつで協力しながらなんとか里を維持してはいるが、お互いの領域にむやみに踏み込まないのが暗黙の了解だ。
でも、ナズナは違う。
こうしてヤマビトの領域に踏み込んでも何も言われないし、誰も気にも留めない。これがナズナ付きの巫女であるこよりでは、ヒラ神の巫女を兼任している以上何らかのおとがめがあるだろうし、異邦人の自分ならばなおさらだ。ここまで無造作にヤマビトの領域に踏み込めるのはナズナ以外に―
「あー、ごんすけもいけるか」
「なんか言ったか?」
ウリ坊が答える。名を権之助というモノカミ‐付喪神の一種だ。万物に神が宿るという文化の無い国から来たキャルロットにはイマイチ理解できない存在だが、妖精のようなものかと納得することにしている。何らかの別種の魂がウリ坊に憑いているらしいが、一向に猪に成長しないところを見ると本体は死んでるのか生きてるのか、憑かれているので歳を取らないのか、それとも定期的に年頃の別のウリ坊に憑きなおしているのかは誰も知らない。
「近いね。足元に気をつけて」
こよりの手を取りながら、ナズナは川べりの滑りやすい石を踏みしめながら慎重に道を下ってゆく。今の季節、さほど水量は無いが、高低差があるので水の流れは速い。
「ああ近いな、こっちだ」
「アンタにわかるの?」
「バカにすんなよ。俺だって神だ」
権之助はキャルロットの腕の中からぴょんと地面に飛び降りると、二本足ですたすたと歩きだした。四つ足のほうが速いんじゃ、などと余計なことをキャルロットは言わない。ごんすけは拗ねると後がいろいろと面倒くさい。
少し歩くと、突然覆い被さっていた木々が切れた。青白い月の光が差し込み大地を銀色に照らし出している。一瞬、平地に出たのかと錯覚を起こしかけたがそうではない。そこでヒトのけもの道も途切れていた。切り立った崖になっていたのだ。滝、というほどの規模ではない。それほどの水量ではない水が岩肌を舐めながら滝つぼへと落ち込んでいたが、音からすると大した高さはなさそうだった。
「ナズナさん、あれを」
こよりが前方を指さす。滝の上で男の子が膝近くまで濡らしながら、月の光に照らされ放心したように立ち尽くしていた。
――神隠し。
このところ失踪しかける子供が相次いでいる。事件が起きるのは決まって夜中。寝ているさ中に夢遊病のように起きだし、村を出て山の奥へ行こうとする。親やたまたま通りかかった里人に止められるが、本人は何故起きて山の奥へ行こうとしたのか全く記憶にない。今のところ犠牲者は出ていないが、やがて行方不明となる子供が出るのは時間の問題であった。
ナズナにはある予感があった。この二、三日、嫌な“気”が山のふもとの一か所に染みのように急激に広がっていた。正直、このアヅマの島国では珍しいことではない。この地の環境マナは流れる雲のように不安定で、そうした“気”、環境マナの乱れは周囲の影響を受けて霧散してしまうこともあれば、雷雲のように急激に発達して嵐を引き起こすこともある。それは人には制御できるものではなく、一定の方向性を持ったとき、あるいは方向性を持たせて制御したいと人が念じたとき、それは神となる。
アヅマの国には八百万(やおよろず)の神がいる。八百万とは、無数の、という意味である。そのほとんどが祟り神なのは、それだけこの島国の環境が過酷だということだ。
ナズナはその原因を突き止めるため、今日明日にもここへ赴き原因を探る予定であった。里で子供が一人姿を消したと騒ぎになった時、あらかじめ目星をつけていたからこそ、ここまですんなりと追ってこられたのである。
まだ五つか六つであろうか、虚ろな目をした男の子は川の中を抵抗も受けずまるで魚かアメンボのようにすいすいと進むと、何かに導かれるように両手を広げながら滝つぼめがけて崖から飛び降りた。
「ナズナっ!」
キャルロットが叫ぶが早いか、ナズナはためらいもなく男の子を追って断崖から身を躍らせる。周りが慌てて駆け寄る中、権之助が鋭く制した。
「待てっ! お前たちが飛び込んでも二次被害が起きるだけだっ」
「おぉ、ごくたまーにはマトモなことを言うね」
「ったく、南蛮娘はいつも一言余計なんだよな」
権之助はどこにあるのかわからん肩をすくめると、鼻をうごめかして闇に包まれた森の一角を指さした。
「あっちから滝つぼまで下りられそうだ。急ぐぜ」
「がってん!」
四つ足になって駆けだす権之助をキャルロットが追う。こよりはナズナが飛び降りた断崖を見つめていたが、やがて不安そうなため息をつくと目を閉じた。
(……どうかナズナさん、ご無事で)
両手の指を組み合わせて、巫女の一族に伝わる邪気を払うという護身の印を結ぶと、こよりは身を翻して二人の後を追った。