ナズナのアトリエ ~悩める錬金術師とまほろばの神~ 作:匿名設定
「こよりちゃんもキャロちゃんもおつかれ~」
控えの間で、幾分ぐったりとした様子のナズナにこよりが答える。
「私は色々と片づけをしていきますので、お二人はここで休んでいてください」
「いつもごめんね、こよりちゃん」
「お仕事ですから」
無表情のままそう言うと、すぐに広間へと引き返してしまった。なんだか疲れ知らずの鉄人のように見えてくる。今頃大人たちは酒盛りで酔っ払っているだろうに、そんなところに戻って大丈夫なのだろうか。
「こよりちゃんなら大丈夫だよ」ナズナがこともなげに言う。「こよりちゃんは“ひゃくせんれんま”だもの。わたしなんかよりよっぽど優秀だよ」
言い方がなんだか、本当に意味が分かって言っているのか心もとない。
「それにしても」キャルロットが顔をしかめながら投げ出した脚をさする。前回の神事に続きまた正座だ。こんなことが続くと、本当に脚が変形してしまいそうな気がする。「遊びで里の重要な物事を決めるなんてはじめて見たよ。これで双方がきれいに納得するってのも不思議だよね」
「納得しないと生きていけない、ってのがホントのところかな。ごんちゃんから聞いたと思うけど、この里は昔はお互いに争っていたこともあったから」
「ありゃ、聞こえてた?」
「みんなには聞こえてないから大丈夫。言霊はマナに乗るので、わたしにはどうしても聞こえちゃうんだよね」
「そうなんだ」
聞きたくないことも聞こえてしまうのでは、それはそれで随分と辛い気がする。キャルロットはふと思ったことを口にした。
「こないだナズナが雨乞いをした時、たしかに雨雲の間に雷神さまのお姿が見えたんだよね。ということは、ヤマ神さまやヒラ神さまにも実体みたいなものがあるの?」
「あるよ。キャロちゃんも一度お会いしてるよ」
「……は?」
「“どらごん”みたいなのと戦った時があったでしょ。あの時、倒木の場所を教えてくれたおじさんが居たけれど、あれがヤマ神さま」
「マジか!」
いくら八百万の神が居る国だからって、人の姿をした神さまがそんなにホイホイそこらじゅうを歩き回っているものなのか? これでは気づかずにゴブレイつかまつってる可能性もあるのではないか。
「じゃあさ、いっそのこと神さま同士で勝負して重要なことを決めてもらうってのはどうかな。その方が文句や不平不満も……」
「それダメ」
ナズナが珍しく口をへの字に曲げて即答する。
「やっては見たことあるんだよね。だけどさあ……」
(やったんかい!)
キャルロットは心の中で思わずツッコむ。
(本当に、ヘンな国……)
「こりゃヒトノカミ! お主まさか寝ておるのじゃあるまいなっ!」
「ひゃ、ひゃひゃいっ!」
耳元で怒鳴られ、思わず声が裏返ってヘンな言葉が口をついて出る。どうやら知らぬ間にうつらうつらとしていたらしい。
「全く、神に調停を頼んでおきながら何たる態度よ! しっかりと眼を見開いて我らが勝負を見届けねば、祟ってやるからそう思え」
「まったくじゃ、儂も祟ってくれようぞ!」
「井戸に山ほどのトンガラシを入れてくれるわい」
「儂は味噌汁に山ほどのトンガラシを入れてくれるわい」
ひとしきり怒りをぶつけた後、ふたはしらの神さまは盤に向き直った。どうやら将棋をしているらしい。
「はぁい、ごめんなさい……」
そう言って殊勝に反省し悄然としているように見えるが、実は密かにあくびをかみころしている。
(もう三日三晩、飲まず食わずで休憩もせず徹夜だよ。いっくら神さまだからって、ちょっとは生身のこっちの身にもなってよ~)
思わず心の中で愚痴をこぼすが、神々同士で勝負してもらおうと発案したのはナズナだ。今更逃げ出すわけにはいかない。でないと祟りで激辛の水と味噌汁を飲まされる羽目に陥るだろう。
問題は、自分の思いつきのせいで巻き添えを食った人たちがいることだ。
ふとこよりの方を見やると、座っていられるのが奇跡だと思えるほどに身体があっちこっちフラフラと傾いている。既に意識が飛んでいるようで、白目をむいて後ろにのけぞる様はちょっとしたホラーだ。
(あっちゃー……)
ヤマ神の巫子の方に目を向けると、こちらもガクガクと身体が揺れている。つけている猿の面のおかげで表情は読み取れないが、その面も傾き顎からよだれが滴っている様子を見ると、こちらもまともに意識が保ててはいないのだろう。
「こりゃダメだ。こよりちゃん、バックレよう」
ナズナがこよりの耳元に口を寄せてささやく。気配を察して意識を取り戻したこよりが、目を赤く腫らしながら力強くうなずいた。
「賢明なご判断でーす」
二人でヤマ神の巫子の方をキッと見やる。首をガクンガクンと垂れていた巫子が、異様な視線を感じて飛び起きた。二人に気づくと、激しく同意とばかりに首を縦に何度も振った。それを見たナズナとこよりも、決意に満ちた目をして首をゆっくりと縦に振る。
三人は、共犯者となった。
勝負に夢中の神々を残して、彼らは姿を消した。後にぽつんと残された人形――、人形見。ナズナの魂を込めた、お手製の身代わり人形である。本来は殺めた生贄の魂を宿させる御神体で、おどろおどろしい由来にも関わらずナズナのそれは随分と現代的な、自分の似姿を模った二頭身の可愛らしいぬいぐるみである。こよりの座っていた場所には随分と自分に似せたおかっぱ頭のこけしがちょこんと置かれ、ヤマ神の巫子の座っていた場所には猿の面をつけた小さな藁人形が置かれている。だが、勝負に夢中な神々がそれに気づく様子はない。
暫くして――
「ほれ! 今ヒラ神の足が先に土俵を割っておったじゃろう! 確かに見たな、ヤマの巫子よ」
十分な休憩を取ったからだろうか。ヤマ神の巫子が澱みなく答える。
「いかにも。失礼ながら、ヒラ神様のおみ足が先に土俵の外へ出たように見受けられまする」
その言葉を聞き、怒った様子でヒラ神が言う。
「お主、ヤマ神の巫子じゃからというて贔屓をしておるのじゃあるまいなっ! ならば儂の巫女にも尋ねると致そうぞ。どうじゃ、こより。どちらの足が先に土俵を割っておったか?」
こけしだ。答えるはずもない。
「うぬぬ、そうか。ならばヒトノカミはどうじゃ?」
ぬいぐるみだ。答えるはずもない。
「ぐぬぬ、ならば致し方もなし」
だがどうやら、神々には“何か”が聞こえているらしい。
「しからば、今一度の勝負じゃ!」
「ふはは、何度差しても同じことよ」
両者は再び四股を踏み始めた。
「さあー、どっこいどっこい」
「どっこいどっこい」
暫くして――
「――、と。どうじゃ巫女よ、儂の歌は。感動で涙がちょちょ切れるじゃろう」
「素晴らしいお歌でーす」
いつもの、のっぺりした調子でこよりが答える。
「その間延びした話し方は何とかならんか。あまり褒められているような気がせんのじゃが」
「ならば儂の歌はどうじゃ。ヒラ神の歌なんぞよりよっぽどよかろう。それこそ、涙がちょちょぎれてしまうじゃろう?」
得意げなヤマ神にこよりが応じる。
「甲乙つけ難いでーす」
「その間延びした話し方は何とか……。そうじゃ、ヒトノカミよ、お主はどうじゃ? 感動的な歌じゃったろう」
「なんの、儂の歌の方が上手かったじゃろう?」
ぬいぐるみだ。答えるはずもない。
「そうか、そうか」
「そうか、そうか」
しかしふたはしらの神々は、さも満足気な様子で頷いた。
「お主はどうじゃ、ヤマ神の巫子よ」
ワラ人形だ。答えるはずもない。
「そうか、そうか」
「そうか、そうか」
神々は満足したようだ。一体、何が聞こえているというのか……?
「ならばもう一首。今度の題目は『山桜』といたそう」
「承知した。次も負けんぞ」
暫くして――
「うぬぬ、今日は出目が悪いわい」
「ふわっはっはっはっ。賽の出目は神威じゃからな。ヒラ神よ、お主は近頃ちとサボりすぎて、力が衰えておるのじゃあるまいな」
「ぐぬぬ、何たる暴言よ。ならばもう一勝負と参ろうぞ。ヒトノカミよ、異存はあるまいな」
ナズナは手にしていた扇をパタンと閉じると、これぞ神威と思わせる可愛らしい微笑みを浮かべながら口を開く。
「無論でございます。このナズナがしっかりと見分役を相勤めますので、ご存分に競うて下さりませ」
「聞いたか、ヤマ神よ」
「ああ、かかってくるがよい」
ヒラ神が賽を振るうカラカラという音が響く。ナズナは耳に心地よい鈴の音のような声を張り上げて歌いだした。
「目出度、め~で~た~のや~」
「あ、さのよいよい、っと」
ノリノリの様子で踊りながら、掛け声とともにヒラ神が賽を振り下ろした。
暫くして――
「あ、お疲れ様でーす」
こよりが顔を上げ、声をかけた。
襖が開き、控えの間にナズナが入ってくる。交代で休んでいるとはいえ、エンドレスな神々の争いに付き合わされてさすがに疲労の色が隠せない。
「……交代、お願いします」
「よしきた!」
座って索餅を頬張っていたヤマ神の巫子がナズナとハイタッチをして、野草を煎じた薬茶を喉に流し込みながら立ち上がり猿の面をつけて交代に部屋を出てゆく。ナズナは疲れ切った様子で這うようにこよりの脇へと移動すると、力尽きたように仰向けに寝っ転がった。
「ナズナさん、大丈夫ですか?」
心配そうに声をかけるこよりに向かって、ナズナが絞り出すような声で答える。
「……こよりちゃん。もう神さま同士の直接対決はやめよ~」
暫くして――
「此度の裁定について、ヤマ神さまとヒラ神さまのお言葉をお伝えします」
広間に十数人の人々が集まっていた。ナズナにこよりとヤマ神の巫子、里長に双方の長老と、当事者と思われる十人余りの人々。両手をついてひれ伏す彼らを前にナズナが厳かに口を開く。
「ヒラとヤマの境界石がヒラ側に一尺三寸ずれていた件については、風の神のいたずらということで不問にする。境界石は元通りの位置へと戻し、ヤマ側の当事者は今回の騒動で里を騒がせた償いと和解の証としてヒラ側に炭一俵を送り、ヒラ側は答礼として芋一俵を送るものとする。双方、異存はございませんか?」
「異存ござらぬ」
「神さまのいたずらであれば、やむなし」
「ならば此度はこれで手打ちといたしましょう。皆々さま、ごくろうさまでした」
ナズナはいつも通り満面の笑みを浮かべ、こよりやヤマ神の巫子と共に前のめりにバッタリと倒れた。
「ど、どうなされた神成人さまっ?」
「巫女どの、しっかり! あっ、巫子どのおぉーっ!」
「そ、それはエグイね」
「でしょ? お祭りがあったからなんとかひと月ほどで終わってくれたけど、他の予定がなかったら一年でも二年でも対決を続けてたんじゃないかな」
確かにそんな奇妙な争いに何日も付き合わされると思うと、考えただけでも背筋がぞっとする。いっそのこと神々同士で血みどろのバトルを繰り広げてくれた方がまだマシかもしれない。
「でも、これで飢饉に備える手が無くなっちゃったね」
ヒラビトが敗れた以上、田畑を山の方に広げることはできない。今ある農地を工夫してなんとか凌ぐ他はなさそうだった。
「なんの、まだまだ。ここでキャロちゃんの出番ですよ」
ナズナが悪戯っぽく微笑む。
「そっか、錬金術を教える約束だったもんね」
「そうそう、そうですよ」
キャルロットも笑いながら、頭がフル回転を始めた。こんなに面白いことが他にあるだろうか。困難? 上等じゃあないの。苦労が大きければ大きいほど燃えてくるのはきっと、苦難の時代にも錬金術を手放さなかった一族の血筋なのだろう。
農地を広げられないのであれば、稲の品種を改良するしかない。錬金術で種もみを改良し、より乾燥に強く、病気や冷害に強く、収穫量の多い品種を生み出す。土壌の改良もセットで考えてもいいかもしれない。でも、本当にそれだけだろうか? 農地を広げられないというのは、あたしの思い込みじゃあないだろうか。
例えば弱い日の光でも成長する新たな作物を育てたらどうだろう。幸いにして、ここは税金が免除されている天領だ。年貢のために必ずしも田を広げて年貢米を作る必要はない。むしろ暗闇でも育つ作物ならば、狭い盆地でも立体的に地下へ農地を広げることができる。
それに、山へ農地を広げるのも不可能と決まったわけじゃない。要はアイデアを出し、それを実現する技術を確立すればよいのだ。ヤマ神が自ら「面白い! 是非、山の土地を使ってくれ!」と言い出すくらいの、ものっすごい画期的なアイデアを。
「ナズナさん、お待たせしました。形依神社へ帰りましょう」
襖の向こうからこよりの声がする。どうやら片付けは終わったらしい。
「宴会はまだ続いているのかな」
「始まったばかりですからね」キャルロットの問いにこよりが答える。「しかしあまり長居はしないでしょう。お酒が入ると不測の事態が起きないとも限りませんから。そのあたりは里長さんと巫子さんにお任せしてよろしいかと」
「利害を犯したとかなら難しいけど、今回は要望が通らなかっただけだもんね。お酒が入ってカッときちゃう人はいないんじゃないかな。念のため、勘気や陰気を飛ばせるよう建物に少し風のマナを通しておこうかな」
いくつかの呪法を施し、ナズナと一行は建物を出た。
早々に勝負がついてくれたおかげで、まだ日が高い。
「あっつ~」
額の汗をぬぐいながら思わずキャルロットは呟いた。さすがに盆地だ。夏は暑く冬は寒い。周囲の山々から響く蝉しぐれの中、一行は何てことはない会話をしながらうち解けた様子で田んぼのあぜ道を歩いていた。
この地にたどり着いてから数か月。もうすっかりこの里にも馴染んだ気がする。先ほど集会場となっている社で囃子歌の裏の意味を聞かされたときは一気にヨソ者に戻った気がしたが、こうして農地を歩いていると、情景は違えど故郷の領地を歩いているような気がしてくる。貧乏貴族だった彼女の実家は農民と大して変わらず、父と母は今でも農作業に汗を流しているはずだ。
時が止まったかのような、のんびりとした時間が流れている。産業革命の真っただ中にいる西洋とは雲泥の差だ。どちらが良いのかは一概には言えないが、豊かさと引き換えに失ってしまったものが確かにこの国には残っている。
子供たちのはしゃぐ声が響く。農作業の手伝いを終えた子供たちがかくれんぼや毬をついて思い思いに遊んでいる。キャルロットは幼い子供の頃を思い出した。彼女は幼いころから活発で、体中泥んこになって遊んだものだった。優秀な兄や姉とも幼いころはよく遊んだものだが、姉はともかく兄はいつもむっつりと不満そうな顔つきでいたのを覚えている。
なんでも「環境マナの感覚を肌で覚えるために外遊びは必要なんだ」と呟いていたが、遊びですら勉強の一環だなんて大変だな、と同情したものだ。
ふと、視界の端を何かが横切った。
「おねえちゃん、とってーっ!」
幼い子の呼びかける声が響く。
以前は綺麗な色に塗られていたのだろう。泥にまみれた小さな毬がこよりの足元に転がってきた。中に入っている小さな鈴が、ちりん、とかすかな音を立てる。
「……こより?」
こよりの足が止まった。
身動きもせず、凍りついたように毬を見つめている。目を見開き、呆然としながらかすかに震えているように見えた。
「……あっ」
キャルロットと話していたナズナが気づき小さく叫ぶと、こよりの足元に駆け寄って毬を拾い、寄ってきた女の子に微笑みながら手渡した。
「ありがとう、おねえちゃん!」
元気のよい女の子の声が響く。異変が起こったのはその直後であった。
女の子の母親だろうか、近くで草刈りをしていた小太りの農婦が魂切るような絶叫を上げると、体型に似合わぬ凄まじい速さで突進するように駆け寄り、横抱きに女の子を抱え上げて叫んだ。
「巫女さまっ、申し訳ございませんっ!」
そう言うと、娘を抱いたまま逃げるように走り去った。
一体、何が起こったのか。呆然として見送ったキャルロットがこよりに視線を移すと、依然として硬直したように動かない。唇だけがが何かを言いたげにかすかに震えている。ナズナはというと、悄然としてうつむいたままだ。
「……な、何アレ? 感じ悪ーい」
キャルロットが何とか絞り出すようにそう言うと、凍りついていた時が動き出した。
「ご、ごめんねこよりちゃんっ! わたしが先に……」
そう言いながら肩にすがりつくナズナをなだめるように、その手を握りながら優しい声でこよりは答えた。
「いいんですよナズナさんも、キャロさんも」
その声はいつものように間延びした声ではなく、別人かと思うほどに歳に似合わず落ち着いた、全てを諦めたかのような穏やかで静かな悲しみに満ちた声であった。
「わたしは、“忌み巫女”ですから……」