ナズナのアトリエ ~悩める錬金術師とまほろばの神~   作:匿名設定

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第四章 神と忌巫女と変えるべき世界(6)

 その夜更け――

(あっついだろ……)

 キャルロットは蚊帳の中で着物の胸のあたりをはだけながら、はしたない恰好で団扇を片手に布団の上に寝そべっていた。

 寝巻はナズナに借りたものだ。こういう時、着物は有り難い。ネグリジェの方が涼しいかもしれないが、ナズナに合わせると胸の辺りがちょっと緩くなる。同い年で魚や野菜ばっか食べているのにどうして差がつくのかキャルロットには納得がいかないが、その点では大きさを気にせずに済む着物は実に平和だ。

 どうにも眠れない。今日は一日中、暑い暑いと言っているような気がする。布団の上で汗まみれになってもがいていると、どうしても昼間のことが思い出されてしまう。こよりは何故、毬を見ただけで動けなくなってしまったのか。いや、多分毬ではない。どこか虚ろな目は毬を見つめているようで見てはいなかった。きっと彼女は、顔を上げるのが怖かったのだろう。

 こよりが呟くように言った言葉、『忌み巫女』の意味がわかれば、何が起きたのか少しは理解できるのだろうか。

 キャルロットはため息を一つつくと、諦めたようにもぞもぞと身を起こした。もう今晩は寝るのは無理だ。外の風に当たれば少しは落ち着くだろうか。蚊帳の中からごろんと転がるように外に出ると、ちょっと悲鳴のような声を上げかける。床の染みかと思ったらよく見るとカナブンだった。危うく体で踏み潰すところだった。追い打ちをかけるかのように部屋の隅にへばりついていたウマオイが、キャルロットの目を覚ますのが義務だと言わんばかりにギチギチとデカい鳴き声を上げ始める。

「はいはい、ごくろーさま」

 名ばかり貴族の農家の娘だ。この程度の虫には慣れている。喚き散らす大型のバッタのようなそれをむんずと掴むと、縁側に出て庭にポンと放り投げた。妙に青白い月の光が冷たく空間を照らしている。キャルロットは疲れたように縁側に座り込むと、生暖かい夜風を浴びながら何をするでもなくぼんやりと足をぶらぶらと振っていた。

「いやああぁぁっっ!」

 奥の方から悲鳴が響き渡った。

(……な、何?)

 慌てて立ち上がると、悲鳴の聞こえた方へと走り出す。小さい神社だ、すぐに辿り着くかと思ったが、暗闇のせいか壁に阻まれなかなか辿り着けない。ようやく悲鳴の聞こえた部屋らしき場所の前に行き着くと、廊下の真ん中に権之助が腰を下ろしてちんまりと座っていた。

「おう、起こしちまったか」

「ちょ! ど、どういうこと?」

「心配ねえ、いつもの発作だ。お前さんがここに来てからはしばらく治まってはいたんだがな。まあナズナが面倒を看ている。呼ばれるまで放っといてやれ」

「そ、そんなこと言ってる場合じゃ……!」

「やめとけよ。アイツも……、こよりだって客人に無様な姿を見せたくはないだろうさ。ここはナズナに任せるんだ」

 一方、ナズナは悲鳴が聞こえるとすぐさま跳ねるように飛び起きて、こよりの部屋に飛び込んでいた。

 狭く簡素な板の間の真ん中に敷いた布団の上で、こよりは半身を起こしながら荒い息をつき激しく咳き込んでいる。おそらく過呼吸を起こしているのだろう、ナズナが寄り添い背中をさすろうと手を添えると、こよりが泣き喚きながらナズナの身体にしがみついてくる。

「嫌だ、もう嫌だぁ! 殺したくないっ、もう誰も殺したくない!」

「こよりちゃん、大丈夫だよ! わたしは死んでないから。誰も死んでなんかいないから……」

「……え、ぐっ!」

 不快で奇妙な酸っぱい異臭とともに、ナズナの身体を生暖かいものが濡らす。こよりがナズナの身体に向かって吐瀉物をぶちまけたのだ。だがナズナは嫌がるそぶりも見せず、まるでそれが役目であるかのようにこよりが嘔吐するのを自分の身体で受け止めながら、優しく背中をさすり続けた。

「……嫌だ、いやだ、嫌だ……いやだ」

「大丈夫だよ、こよりちゃん。……もう誰も、あなたに……そんな事させないから」

 大粒の涙が頬を伝って、泣きながら呟くこよりの頭の上にぽとりと落ちた。

 ――暫くして。

 襖の向こうからナズナの声が聞こえた。

「ごんちゃん、盥と手ぬぐいを持ってきて。水を張ったのと、乾いたもののふたつ」

「おいきた!」

 権之助が立ち上がりながら、キャルロットの動きを制する。

「だ、だって! あたしも手伝わなきゃ……」

「今は、その、時じゃねえ」

 権之助は静かに言った。

「今のアイツは、人間に怯えているんだ。そんなときにおめえが入っていったら、せっかく落ち着いた発作がまたぶり返しちまう。であれば人じゃねえ、神であるナズナと俺が行くしかねえのさ。おめえの善意は気持ちだけ貰っとくから、今は部屋に戻って素知らぬフリをしていてくれ」

 権之助はそう言うと、盥を取りに姿を消した。後にはキャルロットだけが残された。

「……ッ!」

 悔しさに思わず手を強く握り締める。たった数か月だけど、自分がこの里の一員になったような気がしていた。それと同時に、それが思い上がりであることも熟知していた。こよりに何があったのかは知らないけれど、それでもまさか自分が身近な人に対して、ここまで無力な部外者であると思い知らされるとは思ってもみなかった。

(……あたしは、どうしてこの国に来たんだろう)

 とても自分の部屋へと戻る気にもなれず立ち尽くしていると、すっと襖が開いた。

「……あ」

「ナズナ……」

「ごめんね、起こしちゃって」

 どこかで着替えたのだろう。寝る前よりも一層簡素な、少し丈の短い寝巻に着替えている。そこはかとなく異臭がするのは、水浴びをしても臭いまではなかなか落ちなかったのか、あるいは部屋の中から漂ってくるのだろう。

「こよりは、大丈夫?」

「うん、落ち着いたからもう大丈夫」

 ナズナはちょっと舌を出して悪戯っぽく微笑んだ。少し前ならばナズナらしい無邪気で可愛らしい仕草だと思っただろう。でも今はそれがとても痛々しく見えた。いつもにこにことしたナズナの無邪気な微笑みや、こよりの感情に乏しい無表情の下には一体、どれだけの苦しみが隠されていたのだろうか。

「ねえ、ナズナ」

 重たい雰囲気の中、キャルロットが口を開く。聞いてはいけない質問だとわかっていた。それを聞いてしまえば引き返せないことも。でもキャルロットは、このまま無力な部外者になるつもりはなかった。無責任な観光気分で済ますつもりなら、こんな世界の果てまで旅をする理由はない。

「……“忌み巫女”って、何なの?」

 ナズナが息をのむのがわかった。聞かれるのはわかっていただろう。だが予想してはいても、現実に突きつけられるのとは違う。キャルロットの真剣なまなざしから、口だけのごまかしでは済まないことはナズナにもわかっていた。

「えっと、……」

 ナズナが言い淀んでいると、襖がすっと音もなく開いた。

「……こよりちゃん? ちゃんと寝てなきゃダメだよ!」

 思わず叫んだナズナを制し、落ち着いた表情でこよりが言った。

「いいんですよナズナさん。私が直接話します。その方が多分、私も救われるような気がするから」

 いつもののっぺりとした話し方とは違う、ナズナのひとつ下とは思えないほど落ち着いた声だ。こよりの普段の話し方に若干の違和感を感じていたキャルロットには、ようやく合点がいった。多分、この話し方こそがこよりの本来の人格であり、普段ののっぺりとした話し方は、自分を守るために演じている虚像なのだろう。

「私は神成人を生み出す“魂縫いの巫女”。本来ならナズナさんを殺して神にする役目を負った巫女なのです」

「……!」

 神成人信仰についてはキャルロットも今までに聞いたことがあったし、権之助からも聞かされた。それが生贄を捧げるおぞましい風習だということも。だが実際に神成人のナズナと交流するうちに、遠い昔の蛮習だと勝手に思い込んでいたのかもしれない。

「私の実家である大祝主(おおはじり)家は代々、一族の女性が魂縫いの巫女を務めてきました。口減らしの幼子や里に迷い込んだマレビトの命を奪い、その魂を人形見と呼ばれる人形に縫いつけて神として祀る。魂縫いの巫女とはいわば神を生み出す聖なる巫女であると同時に、殺人を行う忌み巫女でもあるのです」

 淡々と語るこよりの隣で、ナズナが何度も口を開きかけては諦めたように閉ざす。何とかこよりを止めようとしているようだが、もう止められないことは彼女もわかっているのだろう。

「忌み巫女に触れられた幼子は、次の生贄にされると噂されています。だからタネさん――昼間のあの母親の行動を私は咎めることができません。子供を喜んで生贄に捧げる親などいないし、大切なものを奪われる悲しみは私もよくわかっているつもりですから。それに――」

 こよりが一瞬、言葉を切った。キャルロットがごくりと唾を飲み込む音が妙に大きく響く。

「それに、魂縫いの神事は神を生み出す聖なる儀式であると同時に、殺人という大罪を犯す忌み事です。だから、言霊にすることができません。もちろん、文字として残すことも。しかしそれでは神事の詳細が伝わらず、一代で絶えてしまう。そのために、大祝主の一族にはある呪いがかけられています。アマツハラが去ったあとの神無き時代より続く、おぞましい呪いが」

 青白い月明かりがこよりを照らす。和人形のように冷たい色をした肌は、まるでこの世の人では無いように感じられた。この時、キャルロットは初めて気がついた。西洋だと当たり前のようにあるので気づかなかったのだ。黒髪かナズナのように少し赤みがかった濃いブラウンの髪色が多いアズマの人々の中にあって、こよりだけが少し銀色がかった白髪だった。

「大祝主の一族の中で巫女になる運命を背負った女の子が、魂縫いの巫女の役目を継ぐ儀式を受ける中でその呪いが発動します。私は九つのときにその儀式を受けました。歴代の巫女が長い間生贄を殺してきた記憶、感触、罪の意識に至るまですべてを私自身の記憶として植えつけられる、呪いの儀式を」

 

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