ナズナのアトリエ ~悩める錬金術師とまほろばの神~   作:匿名設定

22 / 34
第四章 神と忌巫女と変えるべき世界(7)

 どこかで金属の音が鳴り響いている。

 洞窟の中で、赤い燈明が燃えている。湧き水で出来た池も、天井から延びるつららも、何もかもが赤く染まる。赤、あか、赤、血の赤。

 目の前で赤い袴を穿いた巫女が手にした鈴を振っている。それで思い出した。ああ、わたしは儀式を受けるんだっけ。魂縫いの巫女にわたしは選ばれた。叔母さんは死の病に侵され目の前でふらつきながら、必死で儀式を行おうとしている。魂縫いの巫女は生涯独身で通すから、叔母さんに子供はいない。だから一族の中でわたしが選ばれた。これは大切な役目。一族に課せられた責務。でも、背負うべき罪って一体、何?

 水に囲まれた円形の岩場で、鈴を鳴らしながら少女の四方を巫女が取り囲む。正面に立つ巫女が魂縫いの巫女で、周りを取り囲んでいる巫女は補佐役に過ぎない。誰もが能面のような面を被っており、その表情はうかがい知ることは出来なかった。

 正面の巫女が鈴を近づけ、こよりが平伏する。チリン、チリンという生易しい音色ではなく、シャリン、シャリンという魂を削られるかのような大きな音だ。思わず顔をしかめるこよりの前で、魂縫いの巫女が狂ったように鈴を鳴らしながら激しく踊り始める。

 こよりの身体が、びくり、とのけぞった。

「……う、あ、あああ……」

 目の前にすやすやと寝入る幼子の姿が浮かぶ。その小さな柔らかい首に自分の手が伸びる。どくん、どくん、と脈打つ首に手をかけ力を込めると、小さなのどぼとけがぐしゃりと潰れた。その子がうっすらと目を開ける。

 どうして、ぼくをころすの……

 目の前に男が現れた。無残なほどに痩せこけた様子を見るに、飢えてこの里へ迷い込んだのだろう。眠りの薬湯を飲ませてあるので、しばらくは目を覚まさないはずだ。心臓に狙いを定め、小刀を振りかざす。しかし痩せこけているせいか、狙いを誤って肋骨に阻まれたちまち熱い血が噴き出した。

「ぎゃあああっ!」

 魂切るような悲鳴があがる。すると周囲にいた巫女たちが棍棒を手に一斉に哀れな犠牲者に殴りかかった。たちまち頭骨が砕け、腕が奇妙な方向にひしゃげる。目玉が飛び出し、びくんびくんと痙攣した後にようやく動かなくなった男の躯の、血の滴る口がゆっくりと開いた。

 なぜ、わたしを、ころした……

 悲鳴を上げながら腕を擦るも、ぬるぬるとした生暖かい血の感触は消えない。夢中で爪を立ててかきむしると、たちまち皮膚が破れてこより自身の血が滲んできた。男もいた、女もいた。老人もいたし、生まれて間もない赤ん坊もいた。誰も彼もがこよりの目の前で、こよりの手にかかって息絶えながら、同じ言葉を口にしていた。

 どうしてころすの

 どうしてころすの

 どうしてころすの

 どうしてころすの

 どうしてころすの

「嫌っ! いやああぁぁーっ!」

 絶叫を上げてもがくこよりの頭を、魂縫いの巫女である叔母がふらつきながら手でむんずと掴んで地面に叩きつけた。額が割れ、顔に血が滴る。それでも暴れ続けるこよりの四肢を巫女たちが押さえつけると、叔母が彼女の頭を潰すかのように地面に押しつける。顔が歪み、息ができない。奇怪な呪文がうねるように響き、薄れゆく意識の中でただ願ったのは、このまま死ねればいいのに、という想いだけだった。

 不意に、頭を押さえていた力が抜けた。

 こよりはゆっくりと身を起こす。無数の死者、無数の躯の上で。

 叔母は枯れ木のような痩せこけた腕を天へと伸ばし、後ろにひっくり返るようにして事切れていた。

 謝罪も、許しもなかった。ただ、慣習だった。誰もが他人に死を、悲しみを、絶望を押しつけてしまわなければ生きてゆけなかった。ただ、そうした人の弱さを背負う人間が必要だったのだ。そして叔母は恨みつらみもなく、ただ家系というだけでそれを背負い、家系というだけでそれをこよりに押しつけて死んだ。

 着物を胸元まで着崩し、こよりは目を見開いたまま呆然と座り込む。額の血と混ざりあった赤い涙が頬を伝って流れ落ちる。肩で切りそろえた艶のある黒髪はいつの間にか、銀色がかった白髪へと変わっていた。

 

(そんな……!)

 キャルロットには、こよりにかける言葉が見つからない。

 こんなおぞましい所業が許されてよいのであろうか。これを、間違っている、ということすら余所者には許されていないのか? だが、わかってはいる。どんなに正義や人道を説いたところで、生きるために親の肉を刻んで売り、行き倒れた母子が路上で腐ってゆく様を横目に見ながら泥を啜って生きてきた人々の心には、何一つ響かないということを。

「で、でも、こよりは人を殺してなんかいないんでしょ?」

 そう口に出すのが精一杯だった。

「わかりません」

 こよりがかすかに首を振りながら答える。感情の見られないその虚ろな目はもはや涙を流すことすら忘れてしまったようだった。

「私には歴代の巫女が犯してきた殺人の記憶が、私自身の記憶として刻みつけられている。苦しみながら息絶える幼子の表情も、マレビトの心臓に小刀を突き立てたときの熱い返り血も、私自身が行った悪行としてこの身に刻みつけられているんです。全ては言葉によらず次世代の巫女に、儀式の詳細を受け継ぐために。今こうしていられるのも実は幸せな夢を見ているだけであって、目が覚めたら本当は私がナズナさんを殺し……」

「もうやめよう、こよりちゃん!」

 鋭くナズナが制した。その声音には有無を言わさぬ響きがあった。

「疲れているんだよ、ずっと働き詰めだったから……。今度はこよりちゃんがちゃんと眠るまで、わたしが傍についていてあげるから」

「大丈夫ですよナズナさん。もう、馬鹿な真似はしませんから」

 こよりは寂しげな微笑みを浮かべる。

 キャルロットは息を呑んだ。ナズナに肩を抱かれて身を翻したこよりの胸元に、いくつもの大きな傷が残されているのがちらりと見えた。二人の姿を飲み込んで襖が静かに閉まり、後にはキャルロットだけが残された。

 とても部屋へ戻る気にはなれない。キャルロットは膝を抱えて縁側に座り込んだ。相も変わらず青い月が辺りを静かに照らしている。蒸し暑さは相変わらずではあったが、彼女は逆に寒気すら感じていた。嫌な冷たい汗が腋を滑り落ちる。

 産業革命以降、少なからぬ西洋人が東洋を訪れた。植民地として侵略に来た側面もあったが、それだけではなかった。特に知識人たちは怯え、逃れるために東洋を目指した。《桃源郷》シャングリラ幻想――、急速な文明化によって失われた大切なもの、人として失ってはいけない素朴さや人間性、人の温かさや緩やかな時間が東洋には残されていると、勝手な幻想を抱いたのだ。

 それが間違いだということはキャルロットにもよくわかる。このアズマの国には四季があり、美しい手つかずの自然がある。だが、四季があるということは、それだけ環境が過酷だということだ。もし一日のうちに四季の変化が起きたら、この国はとっくに砂漠と化している。ただゆっくりと一年かけて変化するだけで、環境マナの流れが極端であることに変わりはないのだ。

 この国の人口はせいぜい一千万人程度と見られている。そして先の大飢饉では八十万人ほどの人々が亡くなった。四季の豊かなこの国は、その程度の人口すら抱えきれない。これが桃源郷の現実の姿だった。

(あたしはこの国に、何をしに来たんだろ……)

 先ほどの問いが、再び頭の中を駆け巡る。

 西洋文明と正義とやらを押しつけにきたのか。それとも身勝手な原始共同体の幻想を投影して、臭いものにフタをし褒めちぎるだけで見て見ぬフリをするのか。ナズナに適当に錬金術を教え、もう十分だと思った時点で、はいさようならとこの国を去るしかないのは自分でもわかっている。でも大勢の人が死に、大勢の人が苦しんでいるのを救いたいと思うことは傲慢なのだろうか?

 師匠ならどうしただろう。良き錬金術師であった叔父さんなら。

「起きてたんだ」

 ふと横を見ると、ナズナが立っていた。

 キャルロットが無言で頷くと、ナズナはキャルロットの横に静かに腰を下ろした。もう異臭は消え、柔らかなナズナの匂いはどこか懐かしいような感じがした。ふたりはしばらくそうやって寄り添い、無言で月を見つめていた。

「こよりは、寝たの?」

「うん、ぐっすりと。寝たのか、寝てくれたのか」

 微妙な言い回しをする。こよりは聡いから、色々と気を回してしまうのだろう。

「ねえ、こよりの胸元……」

「あ、見えちゃったんだ」ナズナが答える。

「胸だけじゃない、手首にも、足にも、体中のあちこちに。あの子は何度も自分で命を絶とうとしてきた。少し見つけるのが遅かったのなら、もうこの世にはいないような深い傷もあった。最近は落ち着いてはいるけど……。わたしはね、怖いんだよ。わたしのために、こよりちゃんがこの世から消えようとしていることが」

 ナズナの声は震えていた。

 月明かりの中で、ナズナの頬を光るものが伝うのが見えた。わずか五歳でこの里を救ったこの優しい神さまは、どんな想いでこの里を守り続けたのだろう。どんなに強大な力を操ろうと、この国の全ての人を救うことなどできやしない。いや、それどころか一番近くで寄り添ってくれるたった一人の大切な人ですら救えないのだと、ずっと無力感に苛まれ続けていたのではないだろうか。

「ねえ、キャロちゃん」

 ナズナはキャルロットの方に向き直った。その目にはもう涙は無く、声も震えてはいなかった。その目にはただ、静かな決意だけが宿っていた。

「わたしに、錬金術を教えて」

「……うん」

 わかっている、そんなのは初めからの約束だ。でも、ナズナはそんなことを言ってるんじゃない。その本当の意味をキャルロットは正確に理解していた。

 この子は、世界を変えようとしているんだ……!

「悔しいけれど、神器はわたしにしか作ることも使うこともできない」ナズナはうつむいて拳を握りしめた。でも次の瞬間、強い決意を秘めて顔を上げる。

「でも、錬金術で作った道具ならば誰もが使える! 誰もが自分で自分を守ることができる! どれほどの災害に見舞われようと、人が人の力で乗り越えてゆくことができる! ……わたしは、変えたい。この世界を、誰も殺すことも殺されることもなく、誰も怯えて暮らすことのない世界、神さまに命乞いをしなくても生きてゆける世界へ!」

 そこまで言うと、ふっ、と息を吐く。気負った様子を脱ぎ捨てて照れくさそうに笑うと、いつものナズナの調子に戻った。おっとりとして、優しくて、どこかすっとぼけた調子のいつものナズナに。

「わたしは、“神さまのいらない世界”を作りたいんだ」

 キャルロットも笑顔を浮かべた。

 あたしは何を悩んでいたんだろう。傲慢だの偽善だの、そんなバカバカしいものどうだっていいじゃないか。叔父さんならば笑って言っただろう。「キャルロット、良き錬金術師になりなさい」って。ならば、やるべきことはひとつだ。

「うん。変えよう、世界を。“神さまのいらない世界”へ」

 かつて地上に楽園を築いたアマツハラの神々のように、もう一度、地上を楽園に変えるんだ。

 ――今度は、人自身の手で!

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。