ナズナのアトリエ ~悩める錬金術師とまほろばの神~ 作:匿名設定
わりと可愛らしい娘だな、とキャルロットは思った。
見たところ歳は自分たちとかわらないくらいか。顔は華奢で童顔な印象を受ける。髪は総髪で、この辺ではあまり見ない赤みがかった不思議な色をしていた。全身に傷を負っているようで、布団の中で苦し気に唸っている。キャルロットは義憤にかられた。全く、こんな若い娘にひどい傷を負わせるなんて一体、どこのどいつだ。
「いえ、男です」
隣についていた里人が布団をはがすと、包帯を巻かれた引き締まった肉体が現れた。
「げっ!」
「げ?」
「いや、びっくりしたってこと」
別に男なら傷ついてもよい、という意味ではない。が、不意打ちを受けると気持ちを切り替えるのがなかなか難しい。
ナズナはこの少年と言ってもよいくらいの男の全身に手を当てると、何やら難しい顔をしている。
「ヤマビトの小弥太が言うには、里のはずれで倒れていたのだとか」
看病をしていた男も何やら難しい顔をしている。
「素性はわかりませんが、どうやら侍のようです。今は脱がせておりますが防具を着込み、腰にも鞘を二本差していたそうです。ただ刀は見つかりませんでした。防具には無数の傷がありましたので、戦って失われたかあるいは……」
「あるいは……?」
「魔物か、野盗に奪われた可能性もあるのか、と」
里人は深刻な表情で答えた。
「最近ヤマビトの間で幾人かの不審な連中がたむろしているのを見かける者が増えております。まだ山をひとつふたつ越えた先だということですが、この辺りまで近づいて来ないとも限りません。それに……」
里人は言い澱んだ。どう考えてよいか判断しかねている様子だ。
「この若者が倒れていた周囲に、山犬の足跡がいくつもあったそうです。それが非常に大きく、とても山犬の足跡とは思われない、とか。ヤマビトたちの考えでは、体はおそらく八尺近くあるだろうかと」
「八フィート? 熊でしょそれ!」
キャルロットは驚いて目を丸くした。北欧の方にそれくらい大きな熊が居るらしいが、森の奥へ入らなければ滅多に見かけるものではない。
「その件はまた後で対応を考えましょう」
ナズナが患者に手を当て、目を閉じたまま静かに言う。
「全身の切り傷と打撲、肋骨と脚の一部にひびが入っています。それに、一番深刻なのは肺が潰れて血が溜まっているようですね。このままでは呼吸が出来なくなり、命が保たないかもしれません」
その言葉を聞いて、キャルロットは考え込んだ。
医学の発達した西洋でも、失われた肺の機能を取り戻すのは難しい、直すのが極めて困難な臓器だと言われている。錬金術でもいくつか人体に効く薬を生み出すレシピは存在するが、なにぶん医者ではないのでおのずと限界がある。万病やあらゆる傷に効く不死の薬というのは、錬金術を以てしても今のところ発明されてはいない。
「お医者さんの見立てでは、ですね」ナズナはちょっと微笑んで言った。「でもわたし達は、お医者さんとは違う目で人の身体を見ることができます」
「そうか! マナだね」
キャルロットも納得した様子で手を打った。
「人だけでなくあらゆる生命や物質には、存在に重なり合う形で属性を持ったマナが宿っています。それは時には人が魂という言葉で呼ぶもので、肉体に魂が宿るという考えも、魂に肉体が従属するという意見も、どちらも間違いではありません。人を存在させるためにマナはある程度固定化されるとはいえ、それは常に流転し相互に影響をし合っています。肉体が健康であれば気分も前向きになれるし、気分が落ち込めば体も調子が悪くなる。つまり……」
「肉体が傷を負えばマナにも傷がつく! 傷ついたマナを修復すれば、体もそれに影響を受けて治る可能性が高いってことだね」
「そういうこと。さすがキャロちゃん」
そう言うとナズナは少年にまかれた包帯を解いて、打ち身で痣となり青黒く変色した胸に手を当てた。その手に力を籠めると額に汗がにじみ、ナズナの頬が少し紅潮する。
「ひとまずわたしがこの子の体内のマナを整流します。これで今日明日にも容体が急変するようなことはないでしょう。でもこれは一時しのぎなので、根本的に治療しなければ命が危ないことに変わりはありません」
しばらくすると、少年の様子が変わった。苦しそうだった呼吸が穏やかになり、時折うめき声が漏れるものの静かな寝息を立て始めた。これは身ひとつでマナを操れるナズナの特性であり魔法のようなものなので、キャルロットが羨んだところで決して真似することは出来ない。容体が落ち着いたのを確認すると、ナズナはキャルロットの方へ向き直った。
「ここから先は、キャロちゃんの力が必要になります。錬金術の力が」
「えぇっ! あたし?」
キャルロットが驚いていると、こよりがいつものようにのんびりとした様子で入ってきた。何やら体に似合わぬくらい大きな葛籠を背負っている。
「すみませーん、遅くなりましたぁ」
「ちょうどよかった、こよりちゃん」
よっこらせ、っと声を出しながら葛籠を下ろすこよりにナズナが近づいて身を寄せる。
「わたしはこれから薬の材料を取りに行かなきゃならないの。その間こよりちゃんがこの子の面倒を見てあげて。もし容体が手に負えないようなことになったら、これに頼んでくれれば応急処置はするから」
そう言うと、懐から何かを出してこよりに手渡した。
よく見るとそれは、ナズナの姿を思いっきりデフォルメして二頭身に模った、ナズナの人形見のぬいぐるみであった。こよりがそれを受け取り、匂いを嗅ぎ、愛おしそうに抱きしめたり撫でまわしたりする度に、ナズナがむず痒そうに身をよじるのは気のせいだろうか?
「そうそう、キャロちゃんにも一緒に来て欲しいんだけどいいかな。錬金術で最も効果を発揮する素材となると、やっぱりキャロちゃんに見てもらった方が確実だから」
「もっちろん! あたしも一緒に行くよ」
キャルロットが即答すると、こよりが思い出したように口を開いた。
「ナズナさん。もしお時間があるようでしたら、里長の御父上がひと目お会いしたいと」
ナズナは少年の方を見やると、大きくうなずいた。
「ひとまず、ちょっとは時間が取れるかな。キャロちゃんもちょっと待っててもらってもいい?」
「うん」
キャルロットがうなずくと、ナズナは屋敷の奥へと消えた。
「ナズナはちょっと浮かない顔をしてるね。なんで?」
里長の父親といえば、赤ん坊のナズナを引き取って父親がわりに育てた人だ。ナズナの名付け親でもあり、そもそも彼が生贄の儀式を中止しなければナズナはとっくに殺されていたかもしれない。いわば命の恩人でもあるはずだ。
「容体が思わしくありません」
こよりが答える。
「もうお年ですし、お体そのものがもう大分弱っております。ナズナさんも機会を見つけてはお見舞いに行かれてはおりますが、神成人としての責務を放り出して付きっ切りで看病するわけにも参りません。日々やつれてゆくお姿を見るのはきっと、ナズナさんもお辛いのでしょう」
「そっか……」
神ですら定命を変えることは難しいのだろう。こよりの一件といい、救いたい人も救えない“神”という立場は辛いだろうな、とキャルロットも思う。その点はきっと、欧州でも違いはない。キャルロットの故郷でも、理不尽なことが起きるたびに“神の与えた試練”だと言われてきた。でもそれは結局、全能の神などいないということの証明に過ぎないのだ。
「お待たせー。じゃあ行こっか」
しばらくしてナズナが戻ってきた。もうすっかり元の調子に戻っている。キャルロットは、無理をしているな、と肩をすくめた。