ナズナのアトリエ ~悩める錬金術師とまほろばの神~ 作:匿名設定
大きめの石がゴロゴロと転がる斜面を三人で慎重に降りてゆくと、少し開けた場所に出た。周囲を切り立った崖に囲まれ、とても小さな小川がチョロチョロと流れてはいたが、目に見える滝が無いところを見るとどこかの崖から滲みだしているのか、地面から湧き出しているのだろう。その小川の周囲にはどこから運ばれたのか土があり、銀色の綿毛をつけた白い花が静かに咲き誇っていた。
(これが……、『月凪の谷』?)
まるで月光が液体となって谷底に溜まっているかのようだ。思わず見惚れるキャルロットにナズナが声をかける。
「じゃあ探しちゃおっか。ここは崖に囲まれているし、月の光までなくなっちゃうと本当に探し辛くなっちゃうから」
「俺はその手伝いは出来ん。お前たちが探している間に焚火の準備をしておこう」
二人は素材を探し始めた。すでに陽は地平線の彼方へ沈み、月の光が谷底を静かに照らしている。
「これ全部、四獣草?」
「うん」
「ソウデスカ……」
有り過ぎるのも困りものだ。さすがにこれ全部を見定めるのは難しい。キャルロットは気を取り直した。そうだ、全部を見る必要はない、要は錬金術に使える最適な素材を早々に見つけ出せばよいのだ。
「最低でも三十本は必要だから、がんばろー」
「……ふっ!」
キャルロットは膝から崩れ落ちた。
「まあまあ、わたしも一緒に探すから」
結局、月が崖の向こうに隠れるギリギリのところで、何とか素材を集めることができた。
「うぐぐ、こ、腰が痛い」
「キャロちゃん、大丈夫?」
相変わらずナズナは小憎らしいくらいにケロッとしている。一体、何を食べたらこんな風になれるんだか。
ナズナに腰を揉んでもらいながらキャルロットは考えた。そういえば南洋の島国には、大きな荷物を頭に乗せて運ぶ女性たちがいた。他にも水の入った大きなバケツを二つ繋げて頭で運ぶ小さな子供など、一見すると体を壊しそうな力仕事をしている人は大勢いる。そういう人たちは特殊な体の構造をしているのだろうか?
おそらく異なるのは体の構造などではなく、体の使い方なのだろう。東洋では体に芯があるという考え方をする。その芯を地面に対して垂直に保てれば姿勢が安定し、外からの力に対して強くなるのだ、と。
キャルロットの故国ではほんの百年前まで普通に使われていた全身を覆う鎧に対し、実は儀礼用で実戦で使われることはなかったとか、逆に昔の人は現代人より遥かに力が強い超人だったという説を唱える人がいる。これらの説は多分どちらも間違いで、産業革命以降の人々は便利な生活の中で、体の使い方をすっかり忘れてしまっているだけなのだろう。
「寝るのならば寝るがいい。俺が見張りをする」
焚火に薪をくべながら焔が言った。この谷間には大きな木はないので、道中抜かりなく枝を集めてきたのだろう。
「そういえば先程のことだが……」
「うぇい……?」
鈍い痛みで思わず変な声を返すキャルロットに構わず、焔はナズナに問いかけた。
「妙な事を言っていたな。大きな狼がどうとか……」
「ええ」ナズナが答える。「先日里へ運び込まれた怪我人の周囲に、大きな狼の足跡があったそうです。なんでも足跡から想像すると、大きさは八尺くらいあるとか」
「ふうむ。そいつはもしかして、青白い毛並みをしていなかったか?」
「姿を見た者はおりません。足跡のみで」
「そうか」
深刻な表情を浮かべる焔に対し、キャルロットがわざと明るく話しかけた。
「ねえ、もし良かったら話してくれない? その狼とやらに何かインネンがあるんでしょ」
「ちょ、ちょっとキャロちゃん!」
慌てるナズナをキャルロットが押しとどめる。
「ナズナだってそう思うでしょ。あたしたち、一晩をここで一緒に過ごそうとしている。ならば変な疑いを持ったままでいるより吐き出した方がスッキリするし、お互いに信頼関係も生まれるんじゃないかな」
キャルロットは焔を真っすぐに見据え、真剣な表情で言った。
「言いにくいことを随分と率直に話すな。南蛮人というのは皆、こうなのか?」
焔は肩をすくめた。
「だが、嫌いじゃない。俺としても無条件に信用される方が薄気味悪いからな。そう、俺は敵ではない。少なくとも最近この辺りにたむろしている野盗共とは無関係だ。まあ、信じるかどうかはお前たち次第だが」
「野盗、ですか?」
「もっと北の方だ。二、三十人は居る。さっき口にしたくらいだから、噂は聞いているのだろう?」
「ええ、でもそんなに数が多いとは思っていませんでした」
「うん、盗賊の類でないことはわかったよ。信じてあげる」キャルロットが口を挟んだ。どうやらまだ納得はしていない様子だ。「でも、そのバケモノみたいな狼を狙っている理由は何なの。それも、仲間も連れずにね。それじゃあ倒すどころか返り討ちに遭っちゃうよ。理由次第ではあたしも焔を手伝ってもいいしさ」
「それはダメだ」焔はかぶりを振った。「これは俺の……、個人的な復讐だ」
「復讐?」
「俺の村はあの狼にやられた。生き残ったのは俺一人だ。これで俺が独りで行動していることに納得できるか?」
「ごめん」キャルロットは悄然として目をそらした。「無神経な事を聞いちゃったね」
「かまわん。俺の判断で、俺が話した。それだけのことだ」
焔はふと気づいたかのように言った。
「怪我人と言ったな。ということは、そいつは生きているのか?」
「ええ。わたしたちは彼を治療する薬の材料を探しに来たんです」
「そうか」
焔は考え込む様子を見せた。三人はしばらく無言で焚火の火を見つめ、パチパチと枝の爆ぜる音だけが響く。キャルロットは赤く照らされた焔の顔を見ながら、勿体ないな、と思った。ちょっとオジサン入ってはいるが端正な顔立ちで、目鼻立ちがあまりはっきりとせず愛嬌のある顔の人が多いアズマ人の中ではかなりのイケメンだ。ナズナもかなりの美人だが、二人を並べるとちょっと歳は離れているけどお似合いの美男美女の夫婦のようにも見える。もしその鋭い目つきさえしなければ、かなりモテそうな気がした。
恨みや憎しみは有るべき人の可能性を奪ってしまう。村が全滅したということは、結婚していたとしても妻や、もしかしたら子供も命を落としたかもしれないということだ。野獣にやられるのも、飢饉や疫病で命を落とすのも、理不尽な死という意味では大して違いはない。復讐心の渦巻く焔という存在自体が、キャルロットには変えなければいけないこの世界そのもののように思えた。
「すまぬが、俺をそいつに会わせてもらいたい。あの狼を見ているやもしれぬ」
ナズナとキャルロットは思わず顔を見合わせた。
「容体が安定した後なら構いませんが、何も見てはいないかもしれませんよ。彼の怪我はたぶん高いところから落下したもので、気を失っていたようですから」
「それでも構わぬ。今はワラにでもすがりたい」
二人は頷いた。事情を聞いた以上、断る理由はない。
焔の厚意に甘えて、二人は休むことにした。身を寄せ合って膝を抱え、いつでも動けるような格好で目を閉じる。
「ねえ、ナズナ」
少し離れた場所で見張りに立つ焔を横目で見ながら、ナズナに話しかける。
「ん?」
「焔のこと、信用できる?」
「多分。キャロちゃんと同じ匂いがするよ」
「あたしと?」
「守るべきものがあって守ってる、そんな感じがする」
ナズナはキャルロットに微笑んだ。
「キャロちゃんがこの国に来たのは、錬金術がうまく上達できなくて悩んでたからじゃない。錬金術を捨てたくなくて、守りたくて悩んでいたからこんな遠くまで来たんじゃないかな。だからわたしも、キャロちゃんなら、って思えたんだ」
「そう……、かな」
学校で錬金術を学びながら、錬金術師への道を進まない者はいくらでもいる。錬金術の知識を生かして科学者になったり、起業家の道を選ぶ者もいる。でもキャルロットは錬金術そのものが好きだった。優秀な兄や姉、師匠である憧れの叔父さんのように、『良き錬金術師』になりたかった。それが彼女の“守りたいもの”だったのだろう。仮に錬金術の知識を生かして起業家になり、巨万の富を築いたとしても、彼女は決して満足できずに人生を後悔したに違いない。
だとしたら、焔の守りたいものって何だろう? 全てを狼のバケモノに奪われた彼が……。
キャルロットはもう一度ナズナに声をかけようとして、やめた。急に眠気が襲ってきて目を閉じる。ナズナの柔らかな優しい匂いを嗅いでいると、不意に故郷の光景が瞼の裏に浮かんできた。兄様と姉様は今頃どうしているだろうか。妙な自信に満ちたあの二人のことだ、悩みも迷いもなく錬金術にうちこんでいるに違いない。それに、師匠である叔父さんは今頃何をしているのだろう。修行に出るとだけ言い残してきたが、弟子に見限られたと思って落胆してはいないだろうか。
「んぐぐ……こよりちゃん、……そこ、キッツ……」
時折発せられるナズナの珍妙なうめき声を聞きながら、キャルロットの意識は安らかな闇の中へと落ち込んでいった。