ナズナのアトリエ ~悩める錬金術師とまほろばの神~ 作:匿名設定
そこは、粗末なあばら家だった。
随分長い間放置されたのか、屋根や壁の一部が崩れてむき出しになり月の光が差し込んでくる。もっとも、今では気にする者は誰もいない。山の中にある小さな庵だ。そこの本来の主がどうなったのか、そこにたむろしている者たちですらわからなかった。
腐りかけた板の間に、男が四人。侍らしき男と、貧しい身なりをした三人の男たちが向き合って胡坐をかいている。
「首尾は?」
「報酬が先だ」
男が答える。四十がらみの恰幅の良い男で、むさ苦しく髭を伸ばし、粗末ないでたちはまるで貧しい農民のようだ。皮をなめした簡素な胴衣と腰に挟んだ太刀がかろうじて普通の生業ではないことを示していた。
「ふん」
侍らしき男は鼻を鳴らすと、床に二枚の小判を置いた。
「そらよ」
むさ苦しい男は何かを投げて寄越した。侍はそれを片手で受け止めるとしげしげと眺めていたが、やがて満足そうに頷いた。
「そんなガラクタに小判二枚の価値があるのかねえ」
「本物だ、惜しくはない」
不思議な形をした物体だ。動物を象ったようにも、動物の体の一部を切り取ったようにも思える。二十センチ程の大きさで筒のような形をしており、材質は乳白色の石を磨いたようにも象牙のようにも見える。彫刻や置き物にしては中途半端だし、道具だとしたら何に使うのだか見当もつかない。何とも表現のしようもない不思議な代物であった。
「おっとそれじゃあ、もうちっとはずんでくれてもいいんじゃねえか?」
下卑た笑いを浮かべながら凄む男たちに、侍は冷たく答えた。
「報酬は事前の約束だったな。お前たちは約束を果たし、儂も約束を果たした。不満か?」
「俺っちはそいつの使い道を知らねえんでね」男は余裕を示すかのように指で耳垢をほじり、ふっと吹き飛ばした。「もし百両の価値があるんなら、分け前に文句を言いたくなるのもわかんだろ?」
「盗み出すのにさも努力したと言わんばかりだな」侍は笑った。「そこの戸の影に二人、それに藪の中に五人か。儂一人を相手にするのに少し臆病すぎやしないかねお頭殿よ」
「て、てめえ……」
脇にいる痩せこけた男が凄むが、声が震えている。中央にいるお頭と呼ばれた先ほどのむさ苦しい男が、脇の男を制してニヤリと笑った。
「まあ俺っちは農民あがりなんでな。無作法は許してくれや。だがな、俺がとこには三十人ばかりおってな、そいつらを食わしてかなきゃならねえんだわ。そのあたりもちっとは汲み取ってもらっちゃあくれまいかねえ」
「随分と食い詰めたものだ。それだけの人手があるなら、山を切り開いて畑でも造るがいい」
侍は肩をすくめて立ち上がるが、ふと思いついたように頭領に話しかけた。
「金を払ってもよい仕事ならあるぞ。何でもする、というのなら」
「あんまり危ねえ橋は渡れねえぞ。俺だってこいつらの命預かってんだ」
「危ないかどうかは、聞いてから判断すればよい」
そう言って侍は、頭領の耳に口を寄せる。
「ここより山ふたつ南に、まほろばという名の里がある。そこを潰したい」
「て、天領じゃねえか!」頭領は顔をしかめた。「里人をひとりふたり攫って売り飛ばせっちゅうならともかく、里ごと潰しちまったら代官が黙ってねえぞ」
「もしやってくれるなら、それこそ百両は出そう。なに、武器はこちらで用意する。事が終わった次第には、お主らを国抜けさせる手はずも整えよう。北の沼田の領地へ抜けてしまえば幕府の犬も追っては来られまいよ。お主らはただ人手だけ集めてくれればいい。三十人もおればあの程度の里、踏みにじるのは苦でもあるまい?」
「し、しかし……」
言い淀む頭領に侍は笑いかけた。
「すぐに返事はくれないでも構わん。だが、あまり待たせるなよ。こちらにも計画があるのでな」
そう言いながら侍はあばら家の戸を開き、ふと男たちの方を振り返った。
「ああそうだ、床下にもう一匹居たな。そいつに言っておけ、何も汚らしい野鼠のように殺されることはあるまい、と」
侍は去っていった。凍りついたような沈黙が流れる。と、床板をベリベリと剥がす音と共に、埃やクモの巣にまみれたひとりの男が現れた。
「ぺっぺっ! くそ、えらい目に遭ったぜ」
「なんだよ弥吉。下からブッスリやっちまえばよかったのによ」
「じ、冗談じゃねえ! いってえ何者なんだあの野郎は。殺されるかと思ったぜ」
床下から現れた男は青い顔をして震えている。
「まあ、わざわざ言う手間は省けたか」
肩をすくめる頭領の男に対し、隣にいた痩せこけた男が尋ねた。
「あいつ、一体何なのですかね。変なガラクタを集めて来いといったり、村を攻めろと言ってきたり。どうやら相当な手練れのようですが、それなら奴らが自分たちで殺った方が早いと思いますがね」
「俺らに責任を押っつけたくなるような理由があんだろうさ。知ってるだろ、宇津木村の件はよ」
「甚一の野郎がそこの出でしたな。確か治水事業がらみとか」
「殿様が始めた事業でよ。度重なる水害に困っていた宇津木村は多くの人夫を出して協力し、工事で少なからぬ犠牲も出た。ところが下流にある藩と水の量がどうとかで揉め事になった途端、一部の商人と宇津木村の連中が許可もなく勝手に工事をして水を奪ったことにされ、工事の金を寄付した商人と村の主だった連中は磔にされちまった。治水工事を行うよう殿様に陳情に行った村は他にもあったんだがな。まあ、侍のやる事なんてそんなもんよ。俺らなんぞ道端の雑草かなんかとしか思っちゃいねえ」
「受けるんですかい、あいつの申し出を」
「そうさな」
頭領は少し考え込む様子を見せた。
「向こうが俺らを利用するなら、こっちも奴らを利用するまでよ。まほろばとやらを潰すのに利があればやる。どうせ俺らにゃ帰る村なんぞ残ってねえし、残っていても帰れねえ。なら、生き残るためにあがくだけだ」
一方、あばら家を出た侍の前に、一人の若い男が現れた。鋭い目つきで、片頬に大きな傷がある。
「七人ほど隠れてやがったから転がしといたぜ。まあ放っといても四半時もありゃ目を覚ますだろうが」
「御苦労。岩鬼はどうした?」
「奴なら別の村に向かっている。血に狂っているからな、ここに連れてきた日にゃあ野盗共を皆殺しにしかねんぜ」
侍はそれを聞いて満足げに頷いた。暴力的な連中を手なずけるには暴力しかない。だが恨みを残しては利用価値すら無くなってしまう。岩鬼と違い、この若造はそのあたりの機微がよくわかっている。
「よいか、この周辺の村にはまだ手を出すな。面倒な事になる」
「なんだ、怖じ気づいたわけじゃあるまいな」
「だから面倒だと言うておる。この辺りは天領じゃ。我らが動けば必ず幕府もしかるべき者を送ってこよう。だからあの野盗どもにやらせるのだ。神器を奪い、その責をあの盗人の集団に押しつける。悉く磔にされてしまえば、よもや幕府もそれ以上は追うまい」
傲慢で残忍そうな若者の表情に、一瞬、同情の色が浮かんだ。
「そうとも知らず、哀れな連中だな」
「すべての者は真なる王、真なる神に仕える民草よ。生くるべき者は我らが決める。どうせ野盗など土地を追われた百姓ども、生かしておいても仕方のない連中よ」
侍は笑いながら、懐から何やら地図のようなものを取り出した。そこにはこの周辺の山々と、その付近にある村の位置が簡潔に描かれていた。
「いいか、要諦はここ。まほろばの里だ」
地図の一点を指し示す。
「武術でいう丹田、いわば“へそ”の位置にあってな。周囲の力が集まる地形になっておる。ここを潰し、穢し、二度と人が住めぬようにしてやれば、周囲は自ずと崩れ去ろう」
「おいおい、そんな重要な場所を使えなくしちまっていいのか」
皮肉な調子で笑う若者に、侍が冷たい声で答える。
「力を持ってよいのは我らが王、真なる神のみ。この神州アズマの地には他にも似たような場所がある。それらを全て潰さねばならぬ」
二人は地図を見た。こんなところに人が住み着くなんてどうかしている、と言いたくなる程に見るからに不便そうな土地だ。おそらく過酷な環境の中で人々は何度も死に、滅び去りながらも、何故かこの地に惹かれて寄り集まり、新たな村を興してきたのであろう。
「特にこのまほろばの里とやらは、憎き恒寿めが若き頃に身を寄せたが為に、褒美として天領となった。そもそも偽りの神たるアマツバラがここに里を作ったと言われておるしな。我らにはわからぬ、人を惹き寄せる力の流れがあるのだろうよ」
侍は地図を強く握りしめた。ぐしゃりと潰れた紙に、血のような赤い染みが広がってゆく。さすがの若者も少し鼻白んだ。この男の妄執は、異常だ。一体なぜ、ここまでの憎悪を募らせることができるのか……?
「まあ俺は、金が稼げればいい」
「だからこそ、お主は信頼できる。期待しているぞ、猿彦よ」
そう言うと、侍の姿がふっと消えた。後には不気味な笑い声だけが木霊していた。
「幻宗斎……」
猿彦と呼ばれた若者は呟く。あの男、真なる神とやらの為に、この国の全てを滅ぼし尽くすつもりじゃあるまいな……。
だとしても、俺の知ったことじゃない。俺は俺で俺のために、俺自身に課された役目を果たすだけだ。肩をすくめてため息を一つつくと、こちらも煙のように姿を消した。
後にはつむじ風と、風に舞う二、三枚の落ち葉だけが残された。