ナズナのアトリエ ~悩める錬金術師とまほろばの神~ 作:匿名設定
「あ、目が覚めたね」
ナズナが嬉しそうな声を上げる。床に臥せっていた少年がうっすらと目を開けると、激しく咳き込み始めた。ナズナがこよりと共に少年の体を横にして盥を当て、背中を優しく撫でさすると、少年は赤黒い血の塊のようなものを吐き出した。
「うん、出たね。これでもう大丈夫」
そう言って少年の胸に手を当てる。体内にマナの力が行き渡り、通常は治らないはずの傷ついた肺の細胞が元に戻りかけているのが感じられた。他の打ち身や骨折も急速に治りつつある。これならば後遺症が残ることもないだろう。しばらくおとなしくしていればの話だが。
キャルロットも寝ぼけた頭で体をフラフラと傾かせながら、少年が目覚めるのを待っていた。あの後、里に帰り着くなりナズナと相談しながら即行でレシピを作り、徹夜で調合して薬を完成させた。さすがにわずか一晩で、見たこともない素材を使ってエリキシル剤を作ったのは生まれて初めてだ。
「こ、ここ、は……?」
そう呟くと、少年は何かを思い出したように急に叫んで起き上がった。
「いかんっ! げほっ……、あ、兄者ッ!」
童顔で女の子のような顔をしているのにものすごい力だ。ナズナとこよりが押しとどめかねていると、隣に控えていた焔が少年の体を掴んで引き倒した。
「お前も戦士ならば、まず状況を把握しろ」
焔の低く力強い声を聴いて、少年は正気を取り戻したようだった。
「う、頭が……、すまねえ。混乱して自分のことが、思い出せねえ。ここは、どこなんだ?」
「ここは、まほろばの里だよ」
「まほろ、ば?」
ナズナの言葉を聞いても、少年はピンとこない様子だ。無理もない、知る人ぞ知る隠れ里だ。五年に一度、開祖を救った感謝の意として幕府より形ばかりの品が下賜されるが、それを持たされた地元の代官ですら道に迷って辿り着けぬことがあるくらいだ。この辺りの出身でなければ、まほろばの名を聞いたこともないのは当然であった。
「俺の名は、紅丸。そう、紅丸だ。戦があって、霧が出て……、魔物と、膳頭や鶤上の皆が、崖から……」
「狼は見たか」
「狼。なんだ、それは……」
「そうか」
失望したのかどうか、その低い冷静な声音からは窺い知ることは出来なかった。
「質問はそのくらいにして、少し休ませてあげよう。もう大丈夫たと思うけれど、この子は私が看てるから」
「そんな! ナズナさんも夜通し働いているのですから、少しは休んでください」
そう言うこよりに、ナズナが微笑みかける。
「わたしは大丈夫。それよりこよりちゃんは二日も寝ずに看病してたんだから、少し休んでて」
穏やかな声だが、有無を言わせぬ雰囲気があった。自分の体を気遣っているのがわかっているので、こよりもそれ以上は反論せずに一行と共に部屋を出た。
「解せんな」
部屋を出た途端、焔が呟いた。何やら考え込むような仕草を見せる。もっとも焔の場合、いつも考え込んでいるような雰囲気だが。
「狼のこと?」
気にすんな、狼はきっと見つかる! キャルロットがそういって励まそうとした矢先、こよりがぽつりと呟くように言った。
「膳頭と鶤上、どちらも古い家名ですね」
「気づいたか」
「私のお仕えする神様は皇室の系統ではありませんが。巫女の一般教養として、一応」
こよりは顎に人差し指を当て、考え込むような仕草をした。いつもながらの無表情な無関心を装ってはいるが、どことなく推理ゲームを楽しんでいるような雰囲気を醸し出しているのは気のせいだろうか。
「膳頭は皇室の調理人、鶤上は皇室の厩を管理してきた家系ですね。元々は奴隷として帝の牛車を引いていたなんて話もあります。膳頭も料理を作る役割だけでなく、毒見役もやらされていたそうですから、大昔の奴隷の一族だったとみて間違いないでしょう。もっとも、今でも皇室に仕えているのかはわかりませんが」
「俺が居た村に出入りしていた商人の元締めが、鶤上という姓を名乗っていたらしい。興味があって尋ねたことがあるが、そいつも主についてあまり詳しくは知らないようだった。ただ……」
「ただ、どちらも武人の家系としては聞いたことがありません」
こよりの言葉に、焔が大きく頷く。
「分家して新たに姓を興した家のことまではわかりませんが。少なくとも、戦国の世に武名を挙げた中に膳頭と鶤上はありません。武器を取ったとしても、せいぜい足軽止まりだったでしょう」
「それなのに、あの小僧は武士の格好をしていた」
「解せませんね」
キャルロットは思わず、クスッと笑みを漏らした。なんだかこよりが生き生きとしている。忌巫女の件があって以来、こよりがまた発作を起こして病んでしまうのではないかと案じていたが、この様子なら今のところ心配はなさそうだ。
しかしこよりがこの手の謎解きが好きだとは知らなかった。こよりがよく読んでいる『孫子』とか『呉子』とかワケワカラン書物も、きっと東洋で人気の推理小説か何かに違いない。
「なんだか……、楽しそうだね」
「気のせいでーす」
照れたようにそっぽを向くこよりを見て、焔は不思議そうに首をひねっている。
「おう、ガキんちょは目を覚ましたかい?」
廊下の向こうから権之助がとことこと歩いてくる。手には何か奇怪なものを二、三匹ぶら下げていた。
「……なんだ、コイツは」
警戒するというより奇妙な目で見やる焔をしり目に、権之助は手にしていたものをこよりに差し出した。
「ほれ、イモリガエルだ。黒焼きにしてガキんちょに食わせてやんな。こいつは精がつくぜ」
「あんた、猪じゃなくて猫なんじゃないの?」
呆れるキャルロットに、こよりも冷静に権之助に応える。
「毒がありますからね。変じて薬になるものですが、体への負担も大きいのでもう少し回復してからにしましょうか」
一方、ナズナの方も首をひねっていた。
(なんだろう、この感覚……)
どうも常人とは異なる、奇妙なマナの流れがある。穏やかな寝息を立てる少年の額に触れ、胸に手を当てる。下腹部、腰、さらに下にさがって足や、そこからまた上半身に移動して腕を触り、手を握る。今のところ順調に回復している。意識の混濁も一時的なものだろう。それなのに、この不安さえ覚えるような不可思議な感覚は何なのだろうか。
ナズナはキャルロットにやったように、握った少年の掌を通じてマナを送り込んだ。静かに、密やかに。これでエリキシル剤によって修復された体内のマナが活性化され、明日にも普通に歩けるようになるだろう。
だが、そうした中で一点だけ、爆発的にマナを通してしまう部分がある。ナズナはマナを送りながら、本当にこのまま通してしまってよいのか不安になった。ナズナはもちろん。キャルロットのようなマナを通しやすい特異体質とも異なる、生まれながらの特質ともいえる何かが少年にはあった。
(神の……残り香……)
アラヒトガミではない。かといってただの人間でもない。もし仮に魚から人になった人物がいたとしたら、長い年月の後に子孫に鱗一枚だけ生えてきてしまっているような、そんな不思議な感覚……。
「……か、か……さま……」
うわ言を言いながら手をぎゅっと握り返され、ナズナはふと我に返った。
童顔の少年だが、実際に年齢もナズナより下だろう。元服もしているかどうかも怪しい。その年齢でも武士の子ならもう立派な大人なのかもしれないし、農民の子でも女の子は十二、三歳で嫁に出されることも珍しくはない。それでも親が恋しくなるのは仕方のない年齢なのだろう。ましてや、戦いで傷つき生死の境を彷徨ったような少年には。
ナズナは両手で少年の手をそっと包んだ。
ナズナはみなし子だった。両親は彼女をこの里に置いて、姿を消した。里の人々は彼女を温かく迎え入れ育ててくれたし、こよりとは本物の姉妹のような気持ちで接してきた。でも、どこかで本能的に家族というものを求めてきたのかもしれない。数え年で僅か五歳で神として崇められ人々を救い見守る中で、そうでもしないと人としての自分の存在が途切れて、この世から消えてなくなってしまうような気がしたのだ。
(母さまは無理でも、お姉ちゃんならなれるかな)
ナズナは少年の寝顔を眺めながら、ずっと、ずっと手を握り続けた。