ナズナのアトリエ ~悩める錬金術師とまほろばの神~ 作:匿名設定
翌朝、少年はすっかり良くなり起き上がれるようになった。
「本当にありがとう。あんたらは命の恩人だ、この恩は一生忘れない。もし生きてまた会うようなことがあれば何でも言ってくれ。必ず恩は返す」
「もう行くのか?」
旅支度をする少年に焔が声をかける。
「ああ、兄者や父上、母上、膳頭や鶤上の生き残りを探さねばならぬ」
「手がかりも無いのにか?」
「しばらくこの里に逗留し、状況を見極めてはいかがでしょう? ヤマビトの中には、何か見聞きしている方がおるやもしれませんし」
ナズナの提案に、少年は素直に頷いた。
「全くその通りだ。すまぬがしばらく世話になる」
「変わり身、はっや!」
思わず声に出したキャルロットに、少年は真面目な顔で答える。
「過ちは正すに如くはなし、と親父殿はいつも言っていた」
「『改むる』ですけどね」と、こより。
「その通りだ、お前が正しい。もう覚えた問題ない」
「ナズナ、この子大丈夫かな? 頭打ったとか」
キャルロットに小声で言われ、返答に窮するナズナに少年が言った。
「次郎紅丸だ。紅丸でいい」
「怒らないんだ」
「俺は自分が未熟なことを知っている。だから何を言われても自分の糧にする」
と、素直なのか馬……、単純なのかよくわからないことを言う。
「それで、狼については本当に見てはいないのだな」
「すまんが、見てない。それにどうして狼などが出てくるのだ?」
ナズナは事情を話して聞かせた。三日前に彼が里の入り口で倒れていたこと、戦があったかのように全身傷ついて命も危うかったこと、倒れていた周囲に巨大な狼の足跡があったこと、とある事情によりその狼を焔が追っていること、など……。
「そういうことか。いや、役に立てなくてすまないが、崖から落ちた後の記憶がほとんどないんだ。そもそも、なんでそいつは俺のことを喰わなかったんだろうな」
「そうか、分かった。気にするな」
焔は肩をすくめた。あまり残念そうに見えないのは、はじめからあまり期待はしていなかったのだろう。
「それで、どうして崖から落ちたのだ? 何やら戦闘があったらしいが」
「そうそう、あたしもそれが知りたい。戦って落とされたってこと?」
「あなたは膳頭か鶤上の方なのですか?」
矢継ぎ早に質問が飛ぶ。紅丸はどう話すべきか悩んでいたようだが、しばらくして口を開いた。
「まず、戦闘があったのは確かだ。崖から落ちたのは転げてしまった俺の不注意だが、敵が襲ってこなければそんなことにはならなかったので、敵に落とされたともいえるな、うん。そして俺の家名については、言えない。すまないが、みだりに話してはならぬと親父殿に固く禁じられている。人に語る時には偽名を使え、とな」
「偽名は使わんのか」
「使わん。俺は嘘がヘタだ。嘘をつくくらいなら黙ってろとも言われた」
「なるほどな」
焔は呆れたように首をそらした。まったく、息子のことをよく理解している父親だ。
「いや、おふくろ様だ。親父殿もおふくろ様には勝てんし、俺たち兄弟もいつも怯えていた」
微かに震えだした紅丸に、ナズナが微笑んで言う。
「でも、大好きなんだよね。眠っているとき、かか様と呟いていたよ」
「本当か?」
紅丸はさも驚いたように目を丸くした。
「だったら内緒にしておいてくれ。俺が三つの歳にはもう、おふくろ様か母上様と呼べと厳しく躾けられたんだ。かか様などという子供っぽい呼び方をしたのがバレたら、一体どんな目に遭わされることやら」
(どんな親子だよ……)
現代ならば毒親だの虐待だのと言われるのかもしれないが、西洋と東洋では教育観が異なる。特に侍の家庭は西欧の大貴族のように厳格だと言われているので、名ばかり貴族のキャルロットがどうこう口を挟むものでもないのだろう。
「もしよかったら、あなたが戦った戦闘について詳しく教えていただけますか。もしかしたらこの里にも危害が及ぶかもしれませんし、わたしには里の皆を守る責務がありますから」
「あんたは村長か何かなのか?」
焔と同じようなことを聞く紅丸に、ナズナが答える。
「一応、神さまと呼ばれています。この里には、人を神として祀る風習があるのです」
「ふうん、世間には俺の知らない風習がいっぱいあるんだな」
ひとしきり感心した後、紅丸は話し始めた。
「そう、あれはひと月ほど前のことだったか。俺たち鶤上と、膳頭の者たちに密命が下された。俺は下っ端だし若いので、一体誰が命じたのか、詳細は全く知らされてない。ともかく俺たち選ばれた十五名ばかりが密書、本物はひとつで残りは偽物だそうだが、それを持って帝のおわす平都を出て、東の――」
「密書! そんな重要な事、ここでペラペラと喋っちゃっていいの?」
「そもそも自分の家名は鶤上だと告白してますが」
キャルロットとこよりに相次いで言われ、紅丸はしばらく考え込むように首をひねっていたが、やがて頭を抱えて呻きだした。どうやら自分が盛大に自爆したことに気づいたらしい。
「すまん、聞かなかったことにして……く……れ」
「ごご、ごめんねっ。わたしが余計なことを聞いちゃったから……」
なぜか責任を感じて慌てるナズナをよそに、焔が冷静に言った。
「俺は今聞いたことは忘れた。紅丸、要点だけ話せ。敵は何者で、どのくらいの数がいて、戦った場所はどこだかわかるか?」
「敵は、わからない。ただ襲ってきた連中の中に九尾の見知った顔の奴が居たので、九尾の連中が関わっているのは間違いない。敵の中に人は四、五人ばかりで、あとは人だか獣だかよくわからん魔物と、イタチや蟷螂の魔物みたいなのが無数に居たな」
ナズナとキャルロットは顔を見合わせ、頷いた。間違いない、この間遭遇した魔物は、その戦場から流れてきた生き残りの個体だったのだろう。
「場所については、見当もつかない。そもそもここがどこだかもわからないんだ。山の間を縫うような道だったが、深い霧が出ていたので目印になるようなものは何も……」
「わかった。紅丸、礼を言う」
焔はナズナの方に向き直った。
「して、どうする。彼は話せる事は話したようだが」
「いくさのあった場所なら、わたしの方で地脈を追うことで特定できます。マナが穢されている可能性が高いので、一度キャロちゃんと見ておこうかな」
「何かの手がかりが残されているかもしれないしね」
キャルロットはそう言いながら、ふとある考えが頭に浮かんだ。あまりに突飛なのでもはや妄想の類に過ぎなかったが。
かつて故郷で甚大な被害をもたらしたドラゴン討伐に従軍したとき、前線から離れた後方にいたにもかかわらず、肌が痛くなるくらいのマナの乱れを感じた。その時はドラゴンによって生じたマナの乱れだと思っていたが、もしかしたら全くの逆で、マナの乱れに引き寄せられるように呼応してドラゴンが現れていたのだとしたら……?
あたしはドラゴンについて、勘違いをしていたのかもしれない。いや、これは妄想であり、確証があるわけじゃない。でも、もしマナの不自然な乱れによってドラゴンが現れていたのだとしたら、ドラゴンとは破壊的な力で強制的にマナの乱れを元に戻そうとする、自然界の自己修復機能そのものの化身なのかもしれない。
キャルロットは妄想を振り払うように激しくかぶりを振った。いずれにせよ、マナの乱れが凶作や疫病などの災害を引き起こすことはわかっている。ナズナがマナの穢れを浄化する仕組みを錬金術に応用できれば、故郷でも大勢の人々を助けることができるに違いない。
「俺もついて行ってもいいか。兄者や父母、鶤上や膳頭の生き残りを探さねばならぬ」
焔も応じる。
「すまぬが、俺も同行したい。そこにもあの狼の痕跡が残されているやも知れぬ」
「もちろん、喜んで!」
こうして四人で行くことが決まった。
いつまでも権之助ひとり(一匹?)に留守番を任せておくわけにもいかない。こよりは一行の無事を祈ると、形依神社へと帰っていった。