ナズナのアトリエ ~悩める錬金術師とまほろばの神~ 作:匿名設定
霧が、少しずつ晴れてゆく。
墨絵のような色彩が、急速に色合いを帯びてゆく。森の黒ずんだ深緑と、道に面した藪の青々しい明るい緑。道端にはいくつもの紫色をした小さく可憐な花が風に揺れていた。
あの時と同じだ、と紅丸は思った。無数の敵に囲まれ、父や母や兄、一族のものと離れ離れになったあの時と。
「ここって、まほろばの南だよね。ということは、盗賊たちとは無関係?」
「かもね。でも、いくさの終わった後には関わっているかも。人の手でないと、ここまで何も無くならないから」
ナズナの言う通り街道にも山の中にも、人や魔物の死体は残されてはいなかった。打ち捨てられた刀剣の類も見つからない。ここが戦闘があったところと同じ場所だとはにわかには信じられないほど、きれいさっぱりと無くなっている。回収する価値もないと見たのか、数本の折れた矢が木々や地面に突き立っているのが、わずかにかつての戦闘の名残をとどめていた。
「野盗共が金になりそうなものを攫っていったか、あるいはその敵とやらが証拠を消すために始末したか、だな」
そう言って、焔は地面に跪いて何かを見ている。
「馬の足跡がある。明らかに全力で駆けた跡だ。ここが紅丸の言っていた場所で間違いないだろう」
「そもそも九尾とは何者なのですか」
ナズナの問いに、紅丸は困ったように頭をかいた。
「うーん、もう言ってしまってもいいだろうな。俺が後でおふくろ殿から縛られたり殴られたり吊るされたりすればいいだけだから」
「怖っ! それって、ホントに母親なの?」
「当然だ。当然だが……、正直に言えばあまりおふくろ殿との思い出はないんだ。ガキの頃は剣の稽古でさんざ殴られたり突き飛ばされたりしたものだが、俺は筋が悪いと諦められたようだ。二年ほど前からは、兄者の宗城と付きっ切りで稽古をしている姿しか思い浮かばぬ」
「そうか、それで……」
かかさま、と寝言をつぶやいた意味が分かった。紅丸の母親が息子を愛していなかったかどうかは定かではない。でも本人は愛されているという実感があまりなかったからこそ、重傷を負い臥せっていたときに、ナズナの手のぬくもりに本能的に“一般的な”母親の愛情を求めようとしたのではなかったのか。
「大丈夫、おねえちゃんがついてるから」
「は?」
突然言い出したナズナを、紅丸も、キャルロットや焔も、目を丸くして呆然と見つめている。ナズナは照れを隠すかのように、妙にうわずった声を張り上げた。
「ささ、さぁーみんな、早いとこ色々と調べちゃおうっ! わたしはその間にマナの穢れた場所を探しておくから」
「それはよいが、まずは九尾とやらが何者なのかを聞かせてもらえるか」
焔がズレまくった話の流れを強引に修正にかかる。
「そうだな。九尾というのは俺たち鶤上や膳頭と同じく、御三家として帝を守護してきた家系だ。古い時代には帝の寝所を守っていたといわれる、御三家の中でも最も格式が高いはずの家系なんだが」
「でも、こよりは鶤上も膳頭も、元々は奴隷の家系だったと言ってたよ。ということは、九尾も奴隷だったんじゃない?」
不思議そうに問うキャルロットに、紅丸は淡々と答えた。
「大昔のことは、知らん。俺も見てきたわけじゃないからな。あくまでも、親父殿やおふくろ様が子守歌代わりに、俺に聞かせてくれた昔ばなしに過ぎん。ただ事あるごとに、お前は誇り高き鶤上の一族だと聞かされてきた。それに親父殿は分家に過ぎんが、祖父の兄君である宗家の方では実際に帝に拝謁した者もいるらしい」
「まあ確かに、奴隷の身分で家名を名乗るのもおかしな話だ。過去にいずれかの時点で功を立て、名字帯刀を許されるようになったのかもしれぬ。だが、そんな九尾がお前たちを裏切り襲いかかった、と」
焔は深く考え事をするように腕組みをしている。
「そうだ。いや、おそらくは、だ。敵の中に小次郎がいた。九尾の従者をしている男だ。あの男が主の許可も得ず、独断で行動しているとは考えられない」
「そうか……」
キャルロットは紅丸と焔の会話の邪魔をしないよう、そっとナズナに尋ねた。
「ねえ、帝って誰? この国のエンペラーってこと?」
「一応、この国で一番偉いと言われている人だよ。今は幕府の将軍様がこの国を治めているけど、名目上は帝が将軍様を任命したことになってるんだ」
「ふうん、教皇みたいなものかな……」
キャルロットの故国でも、教皇は宗教の最大権力者として全ての教会を統べ、絶大な権力を握っていた。多くの場合は国王の親族がその地位に就き、国家間の戦争に介入したり、欧州全体や諸外国をも巻き込む大戦争を引き起こしたこともあった。やがて宗教戦争が起きて教会はいくつもの分派に分かれて弱体化し、産業革命以降に少しずつ民主主義が広がるにつれて教皇の権威は有名無実と化してしまったが、帝というのも同じようなものなのかもしれない。
ナズナは地面に手を当て、目を瞑ったままキャルロットに話しかける。
「まずは私たちでマナの穢れを払い、地脈を整えちゃおう。でないと――」
「まずは安全を確保してからってことね」
キャルロットはニヤリと笑い、焔と紅丸に呼びかける。
「焔、紅丸! なんか来るよ!」
「ああ、わかっている。紅丸、やれるか?」
「やるしかないなら、やる。まあ、少し心もとないが」
紅丸の腰には一本の木刀が差してある。彼は戦いで全ての太刀を失ってしまったし、まほろばの里には野盗共と戦うための自衛用の槍などはあるが、それも僅かで基本的に鎌や鋤などの農具しかない。里長の家には恒寿より直々に賜ったという、胴切り綱安という名の名刀があるが、小太刀なので屋外の戦闘用としてはあまり使い物にならない。
「気は進まんが、殺してもいいんだな」
「獣や魔物なら仕方あるまい。人ならば、捕えよう。何か知っているかもしれん」
周囲を囲む森の奥から、魔物の気配がひたひたと押し寄せてくる。紅丸が木刀を腰だめに構えた瞬間、藪の中からいきなり巨大な蟷螂のような姿をした昆虫型の魔物が次々と襲いかかってきた。
ズドッ!
凄まじい音が響いた。
紅丸は横殴りに木刀を叩きつけながら、超人的な力で前へと突進した。直撃を受けた魔物の三匹が、千切れた腕や足とともに七、八メートルは吹き飛んで倒れた。
「ヒュウ♪」
キャルロットが思わず感嘆の口笛を吹く。西洋人より体ははるかに小さいのに、恐ろしいまでの力だ。おそらく身長ほどの長さのクレイモアを叩きつけたところで、ここまで相手を弾き飛ばすことなど出来ないだろう。もっともキャルロットの故郷では戦闘の中心が銃火器へと変わり、そもそも大剣の使い手などほとんどいなくなってしまったが。
一方の焔は、さすがにこの距離では弓は使えない。彼は脇差を引き抜くと、魔物の懐に飛び込んで次から次へと刺してゆく。派手さはないが、こちらも相当の手練れだ。
「あたしも、負けてらんないねっ!」
キャルロットは攻撃をかわしながら、魔物を道の上へと引きつけた。大輪の花のような姿をした何かを投げ込んだ途端、たちまち轟音と共に炎の花びらが開き、爆炎に巻き込まれた魔物が次々と倒れてゆく。
「やるな、錬金術師」
「そっちもね!」
仲間が大勢倒されながらも、魔物はひるむ様子もなく襲いかかってくる。まるで何かに操られているかのようだ。
「見ろっ、アイツだ! 襲われた時にもいた奴だ!」
森の奥から次々と現れる、人とも狼とも猿ともつかぬ魔物……。肉体の崩壊が進んでおり、耳や腕が黒ずんでちぎれ落ちているものもいる。それらは甲高い咆哮を上げると、周囲の魔物が一斉に呼応した。
「あんたの探している狼ってアイツか?」
「違うな。あれはただのバケモノだ」
奇怪な姿をした魔物は次から次へと湧いてくる。総勢三十体以上はいるだろうか。目の前の魔物を切り捨てた焔が、さすがに荒い息をつきながら呟いた。
「さすがに……、まずいな」
「うん、数が多すぎるね」
正面の魔物を白扇で吹き飛ばしたナズナが、キャルロットに向けて叫んだ。
「地脈の流れを元に戻します! お願い、キャロちゃん!」
「よし、任せて!」
ナズナの言葉を汲んだ三人は、彼女を取り囲むように円陣を組んだ。押し寄せる魔物を蹴倒し弾き飛ばす中、ナズナは地面に手を当て片手で印を結びながら何かの呪文を紡ぎだす。
「天つ満つる力、天より降りし産土の御力よ。古の盟約によりて有るべき姿、為すべき円環へと復せ。――鋭!」
マナの流れが、変わった。
まるで管の詰まりが取れたかのように、莫大なマナが大地を揺らし、山野を駆け抜けてゆく。地響きと振動に人も魔物も驚いていると、周囲一帯の何もかもが、草も、木も、みるみるうちに眩いばかりの光の中へと包まれ、姿かたちでさえおぼろげにかすんでゆく。
不意に、弾けた。
爆発的な光の中で、三十体以上居た歪な姿をした魔物が溶けるように崩れ、黒い粉となって飛び去ってゆく。
「な、なんだ? 一体、何が起きた」
周囲を包んでいた光が消えた。人も、魔物も、あの奇怪な姿をした怪物以外は誰一つ傷ついた様子もない。周囲の魔物を操っていた力も解けたのだろう。まるで夢から覚めたかのように、蟷螂の怪物が潮の引くがごとく次々と森の奥へと姿を消していった。
「さあ、早いとこ調査を終わらせちゃおっか」ナズナが手で埃を払いながら立ち上がり、まるで何事もなかったかのように平然と言った。
「おそらく元々地脈が傷ついて乱れていたところを、神器と錬金術の力を使って無理やり捻じ曲げたんじゃないかな。正常な流れに戻したからもう大丈夫。……たぶん」
「い、いや待て待て。一体、何なんだアンタは! 本当に人間なのか?」
ケロリとしているナズナに、狼狽した様子の紅丸が詰め寄る。いつも冷静であまり感情の起伏が見られない焔も、さすがに驚きを隠せない様子だ。
「神、と言っていたな。まさか今のが、神の御業だというのか」
「えーと、よくわかりません。わたしは子供の頃からこうやってきたし、歪んでいたものを元に戻しただけだから、そんなに驚くことじゃないと思うんだケド……」
「いやいや、十分驚くでしょ」
照れたように言うナズナにキャルロットがツッコミを入れる。
「神成人の風習は俺も聞いたことがある。他にも同じ風習を持つ村がいくつかあるしな。だがあれは生贄の風習であり、生きている人間を神として祀っているのは聞いたことがない。少なくとも、俺は」
「まあまあ。とりあえず手掛かりを探してみようよ。もう日にちも経っているから人が残ってるとは限らないけど、どこかへ逃げたのなら痕跡だけでも見つかるかも」
「それは、そうだ」
キャルロットの言葉で冷静になった二人は、協力して四人で行方不明者の痕跡を探し始めた。しかしそれらしきものは何も見つからず、徒労のままに日が暮れた。
「食い物はこれしかない。まあ、そこいらに転がっている魔物の肉を食うよりマシだろう」
野営の焚火の炎を眺めながら、焔は干した肉のようなものを差し出した。
「随分と臭いがきついな。何なんだこれ?」
「熊の肉だ。まあ、力はつく」
なんだかんだ言いながらも平気でかじりつく紅丸を横目で見ながら、キャルロットは遠慮することに決めた。ナズナも手を出す気はないようで、心ここにあらずといった様子で遠くの山の一点を見つめている。
「気づいたか。さすが、神だ」
焔の言葉に、ナズナはちょっと困惑気味だ。
「そういう言い方はちょっと。なんだか“バケモノ”だと言われているみたいで……」
「じゃあ、“和の錬金術師”というのはどうだ?」
「それならいいです。キャロちゃんとお揃いだね」
ご満悦な様子のナズナに、キャルロットが口を添える。
「どうせなら、二人のスーパー美少女錬金術師っていうのはどう?」
「自分で言うか? まあ、二人とも美人だとは思うが」
意外な言葉が紅丸の口から飛び出し、キャルロットは目を丸くした。
「アンタがそんなこと言うなんて、驚いたわ」
「おふくろ様に言われていてな。思ったことを正直に口にしなさい、と。でないと俺みたいな朴念仁は一生独り身だとも言われた。ところで朴念仁ってなんだ?」
そう言いながらも、紅丸は山の方にあごをしゃくってみせる。
「でも、殺気、という程じゃねえぞ」
「なになに、何の話?」
興味津々のキャルロットに焔が低い声で答える。
「山の向こうに俺たちを見ている奴らがいる。襲ってくる様子はないようだが、俺たちの行動を見張っているのだろう。紅丸を襲撃した一味かもしれんし、何かを知っているのやもしれんが、さて……」
「どっちにしろこの距離じゃ、お互いに何も出来んだろ」紅丸は大きなあくびをひとつすると、ゴロリと横になった。
「戦っている最中から見られていた。なら、ナズナがバケモノを吹き飛ばすところも見ていたはずだ。あんなもん見せられたら、俺なら絶対にいくさを仕掛けようとは思わないな、うん。……熊、美味かったよ」
そう言うと静かな寝息を立て始めた紅丸を、焔は感心したようなあきれた調子で眺める。
「こいつ、若いのに大した度胸だよ。まあ、何かあったら飛び起きる自信があるのだろうが……。俺が寝ずの番をしているから、お前らもこいつを見習って今のうちに寝ておけ。見張られているのには気づかないふりをしろ。後々面倒なことになる」
そんなことを言われたら、寝られるものも寝られなくなるだろう。キャルロットは不安を感じながら、まんじりともせず夜が明けた。