ナズナのアトリエ ~悩める錬金術師とまほろばの神~ 作:匿名設定
「では、お話を承りましょう」
翌朝、形依神社の拝殿に奇妙な面々が集結していた。
八月も半ばを過ぎると微かに秋の気配が漂ってくる。よく晴れた青空だが、さすがに山の向こうにかかる雲は夏の入道雲だ。田んぼの稲は順調に出穂を迎え、小さな白い花を咲かせ始めている。ナズナが骨を折った甲斐があって、この分なら今年は豊作になりそうだ。
「お話も何もないやい! あとは拳で語るんだ! ボクの阿呂把流格闘術を見せてやるっ」
目の前の童子は、時代遅れの熱血学園ドラマか格闘マンガのようなセリフを吐いた。だからといって、一緒に熱血してやる義理はこれっぽっちもなかったが。ナズナはふと、気になったことを尋ねた。
「ゆうべはどこに泊まったのかな? 里の中でそのまま姿を消しちゃったけど」
「そこいらの納屋で寝たぞ。三日三晩、ずっとそうだったしな。慣れてるからへっちゃらだ」
「えぇっ! こよりちゃん、泊めてあげなかったの?」
驚くナズナに、こよりは童子を睨みつけながら答える。
「当たり前です。道場破りを歓待したなんて話は聞いたことありません」
と、ふと何かを思いついたように本と筆を取り出した。
「子供向けの説話としては、アリですね。『道場破りに来たそのチビで短気で単細胞な武芸者は、思わぬ歓待を受けて自らの狭量と愚かさを思い知り、恥じて故郷へと逃げ帰ったのでした』、と」
「勝手な話を作るなっ! ボクは逃げ帰ったりしないぞっ!」
ぷりぷりと怒り出す童子に、こよりも静かに冷たい怒りの表情を浮かべている。
「大体、なんだよチビって。お前だって大して背はかわんないじゃないかっ」
「私はまだ成長途中ですので。あなたはもう止まっているでしょう」
こよりと童子のバトルを眺めながら、キャルロットは理解不能な様子で首をひねった。
「成長が止まるってどういうこと? こよりもこの子も若いから、もっと背が伸びてもおかしくないと思うんだけど」
当然の問いに、ナズナが困ったような笑みを浮かべる。
「あはは、そう見えるよねえ。でも多分、この子は本物だよ。ごんちゃんと同じくらいの歳なんじゃないかな」
「推定で二百歳前後ですね」
こよりの言葉にキャルロットは目を丸くした。
「うっそ! ていうかコレがそんなジーサンだって事の方がショックなんだけどっ?」
「いや、コレとか言うなよ。最初に言っただろ、人は見た目じゃねえってな」
思わぬ形で巻き込まれた権之助が口を尖らす。
キャルロットは嘆息した。ついには童子まで神になってしまった。こうなると外でキャッキャとはしゃいでいる子供たちまでことごとく神に見えてくる。それも、キャルロットの何倍も生きてきた老人に。
「でもよ、なんで道場破りなんかしてんだ?」紅丸が不思議そうな顔で尋ねた。「神ならお前にだって社があるだろうによ」
「……ない」
「ん?」
「だから無いんだっ! ボクはそんなの無くてもへっちゃらなんだ!」
「じゃあここを奪い取る理由もなくないか?」
「納屋に泊まってもへっちゃらですからね」
「ぐぎぎ……ぎ……」
紅丸とこよりに相次いで言われ、童子は顔を真っ赤にして返答に窮している。一方のナズナはというと、童子を憐れむような悲しげな表情を浮かべていたが、やがて小さなため息をひとつ漏らした。
「で、どうする。このままだと今後の話すら進まぬが」
「仕方ありません」
焔の言葉にナズナが答える。
「応じましょう」
「は?」
意外な言葉に皆が呆然としてナズナを見つめる。こよりが何やら叫び声を上げかけるのを片手で制し、にんまりと笑みを浮かべる童子にナズナは言った。
「いつ、どこで勝負しますか? 山ふたつ越えてゆけば……」
「いや、ここの境内がいいぞ」
童子は得意げな様子で言った。
「この村のみんなに見てもらうんだ。アンタみたいなおサボり神より、ボクのほうがずーっと強くて頼りになるってことをなっ」
童子は満足した様子で立ち上がると、踵を返した。
「勝負は明日の朝だっ。言霊だかんなっ、もう逃げることは出来ないぞっ。これでこの社は明日からボクのものだから、オマエがボクの代わりに村を出て野宿するんだっ」
童子は胸をそらしながらドスドスと足音を立てて拝殿を出て行った。
「ナズナさん、よろしいのですか?」
心配するこよりに、ナズナは童子の去った方を見つめたまま悲しげな声で言った。
「あの子、祟り神になりかけてるよ。どっかで、誰かが止めてあげないと」
「放浪神ってやつだな。まあ、よくあるこったが」
ナズナに続けて権之助が口を開く。
「放浪している間に大地の淀んだ陰気や人の持つケガレに触れ続けるとな、人に害をなす祟り神ってやつになっちまうんだよ。そのケガレをうまいこと祓えりゃいいんだけどな、無理なら廟を建ててその下に本体ごと封じ込めるしかねえんだ」
「ごんちゃんも昔は放浪神だったんだよね」
「ああ。俺の場合は偶然この社に住み着いて、ここの祭神のおこぼれで一緒に祀られているうちにうまいこと浄化されたがな。そうでなきゃ今頃は人食い猪のバケモノになって、どこぞの山奥で退治され封印されていたかもしれねえぜ」
「そうなんだ。そこらじゅうフラフラしている神さまってそんなに多いの?」
キャルロットの質問にこよりが答える。
「そんなに多くはありません。むしろあの童子のように、自然物から生じた神で放浪しているものは極めて稀です」
「え? どういうこと」
「人由来のものではない気がします。緑と、それに……」
言い淀むこよりを引き継いでナズナが言った。
「木や岩などを人が拝むことで生まれた神さまって、普通はその場所に居つくんだよね。たぶんあの子は大地との結びつきを強く感じるから、もともとは木や草の精霊だったんじゃないかな」
「そっか、ドライアドみたいなものかな」
ドライアドはキャルロットの故郷で語られるニンフの一種で、美しい姿をした木の化身だと言われている。木が枯れればドライアドも死ぬため、自然を傷つける人間に罰を与えて懲らしめたりするらしい。もっとも天罰など恐れなくなってしまった現代の人間には罰など与えても効果はなく、今では自然も失われドライアドを見たという人もいなくなってしまった。
「人が拝めば擬人化されちゃうから、人の姿を取るのは珍しくはないんだけどね。あの子は核に人の気配を感じるから、人の姿を取っているのはそれが主な原因かな。多分、女の子だよ。二百年前の」
「それは分かったが、本当にやる気か? あいつは強いぞ」
焔の言葉にナズナは力強く頷く。
「あの子はここに助けを求めてきた。それが運命であり縁であるというのなら、無碍に突き放すこともできません」
「ナズナさん、信じています。たとえどんな結果になっても、こよりはずっとナズナさんについていきますから」
深刻な様子で目に涙を溜めているこよりの頭を、ナズナが優しく撫でた。
「こよりちゃん、大げさだよ。大丈夫、わたしは絶対に負けないから」
「なあなあ、ここはひとつ賭けといこうじゃねえか」
腕組みをしている焔に、権之助がちんまりと寄り添って声をかける。
「俺は秘蔵の宇瑠虎栖伍意蜜甘藷を賭けるぜ。それで――」
「わかった。ナズナに一票だ」
「俺も乗ったぜ! ナズナに一票な」
話に勢いよく割って入った紅丸にキャルロットも続く。
「あたしも! もっちろんナズナに一票ね」
「お、おいお前ら。それじゃあ賭けにならねえじゃねえか」
狼狽する権之助にこよりが静かに言った。
「言霊ですからね。言い出しっぺには責任を取っていただきましょうか。私ももちろん、ナズナさんに一票です」
「トホホ……」
がっくりとうなだれる権之助にナズナが声をかける。
「ごんちゃんはあの子の応援をしてあげて。でないと可哀そうだから」
「これでは話し合いもあったものではないな。明日にするか」
焔の一言でこの日は解散となった。
ナズナの様子はいつもと変わらなかった。拝殿を清め、マナの乱れがないか里の周囲を見回り、里人が小屋を建てる前に祈祷を行い、里長の父親を見舞ったり、里の子供たちの面倒を見つつ農作業を手伝ったり、こよりが清書した札に念を込めたりなど神さまとしての雑務をこなしつつ、一日の終わりに体を清めて眠りについた。