ナズナのアトリエ ~悩める錬金術師とまほろばの神~ 作:匿名設定
「この社の祭神、ナズナです。準備はよろしいですか?」
「ポロコックルだ、覚悟しとけっ!」
「……コロボックル?」
首をひねるこよりに童子が叫ぶ。
「ポ・ロ・コ・ッ・ク・ル、だーっ! おいそこのコケシ頭っ、次に言ったらタダじゃ済まないぞっ!」
こよりは、やれやれ、といった調子で肩をすくめた。コロボックルに何か恨みでもあるのだろうか?
里人はヤマビトも含めてほぼ全員が朝から形依神社に集まり、わいわいと騒ぎながら事の次第を見守っている。なにせ娯楽の無いこんな山間部の里だ。皆が何が起こるのかわくわくしながら見つめているが、何が始まるのか把握しているものはナズナ達以外は誰もいない。
これが祭りならば、何日も前から噂を聞きつけた旅商人がちゃっかり食べ物や飲み物の出店を出すこともあるのだが、今回はいきなりの出来事であったし、そもそもまほろばの里にまで辿り着ける商人など滅多にいない。人々の中にはかすかに甘い汁を出す何かの茎をクチャクチャと噛んで、事が始まるのを待っていた。
息詰まる緊張感の中で、こよりが勝負の開始を告げる鈴をチリンと鳴らした。
「おりゃ!」
童子が一気に踏み込み、一瞬でナズナの目の前まで距離をつめた。
「……ッ!」
そのまま体当たりにきたかと思うと、咄嗟にかわしたナズナの目の前で体を沈め、反り返るように変則的な拳を打ち出す。さらに流れるように回し蹴りが一発、二発……。水車のようなそれを白扇で受け止めると、ナズナは後ろに飛んで距離を取った。
(この子……、強い!)
再び童子がナズナに追いすがり、無数の突きを繰り出す。ナズナはそれを蝶のように舞い、最小限の動きでふわふわと受け流すが、明らかにナズナの方が押されている。すかさず童子が放った回し蹴りを白扇でガードするが、それでも四、五メートルは吹き飛ばされたあとでふわりと足から着地した。
「……なかなか、やりますね」
「ふん、ここまでボクの攻撃を凌いだのはオマエが初めてだ。おサボり神にしてはなかなかやったと褒めてやる。でも、すぐに終わりだっ!」
童子が動いた。
無尽蔵に繰り出される攻撃は、まるで体力の限界など無いかのようだ。攻撃の度に「あぁ!」と悲鳴のような声が群集から漏れる。ナズナの方が不利であることはもはや誰の目にも明らかになりつつあった。同時に、童子の圧倒的な強さも。
「あいつ、強いな!」
紅丸の言葉に、焔も頷く。
「阿呂把流とか言っていたな。確かに開祖といわれるイヅチノカミは戦神とも雷神とも呼ばれ、国産土命と国産土女姫命がこのアズマの島国を造った際に、勝手に巣食ってしまった邪悪な魔物をことごとく滅ぼしたといわれている。そんなイクサガミが創始した技だというのなら、あそこまで強いのもうなずける」
「随分と詳しいんだな」
「旅先で聞いた話だ。俺も放浪神のような根無し草なんでな」
焔の事情を知らない紅丸はちょっと首をかしげたが、それ以上追及するつもりはないようだ。
「こより、大丈夫?」
こよりは真っ青な顔をして勝負の行方を見つめている。握りしめ続けた拳は血の気が引き、指が真っ白になっていた。このまま失神するのではないかとキャルロットが手を差し伸べようとすると、彼女は絞り出すような声で答えた。
「ナズナさんは……、負けません。この私がついているんです。絶対に、ぜったいに……、負けたりなんかしませんっ!」
こよりは目に涙を浮かべて叫んだ。
「ナズナさんっ、私がついています!」
あーっ! という悲鳴が周囲からあがる。童子の拳がついにナズナの体を捉えはじめた。身をよじったり払ったりして勢いを殺してはいるが、もはやかわし切れずに為す術もないかのように思われた。童子の膝蹴りがナズナの腹部に向けて突き上げられ、かろうじて相手の膝に白扇を突き立てて後方に逃れるも、ダメージは免れなかったのか微かなうめき声を漏らす。
もはやナズナの敗色は濃厚であった。童子が勝利を確信したかのような笑みを漏らす。
「サボったりするからこんな目に遭うんだぞ。ボクみたいに各地を放浪して、少しは修業を積んでくるんだね」
その時、周囲を囲んでいた群集から一斉に声が上がった。
「ナズナ様、がんばれーっ!」
「そうよ、神成人さま。そんな悪ガキやっつけちゃえ」
「ナズナ様、俺たちがついてるぞ!」
「お姉ちゃん、必ず勝って!」
周囲の喚声にたじろいだ童子が、思わず叫び声をあげる。
「な、なんだよ、なんだよみんな! これじゃあボクがワルモノみたいじゃないかっ!」
周囲が盛り上がる中、ひとり悄然としていた権之助が呟くように言う。
「おっと、俺はナズナの応援をしちゃいけないんだったな。まあ、頑張ってくれガキんちょ。俺の蜜芋のために」
「そんなやる気のない応援なんかいらないやっ!」
童子はそう叫ぶと、空中高く飛び上がった。すさまじい勢いで回し蹴りを放つと、たちまちつむじ風が起きて大きく円形に地面がえぐられる。
「……これは?」
「これは神事だ。この土俵から一歩でも外に出たら負け。どうだ、これでもうちょこまかと逃げられないぞっ」
「そんな! 一方的なルールの変更なんて……」
怒りのあまり身を乗り出すキャルロットを焔が押しとどめる。
「この勝負、見えたな」
「ああ、終わりだ」
平然と呟く焔と紅丸に、キャルロットは目を丸くした。
「ど、どういうこと?」
「あのガキんちょが自滅したってことさ」
権之助が両手で目を覆い、さめざめと涙を流しながら答える。
「トホホ、俺の宇瑠虎栖伍意蜜甘藷が……」
一方、童子は土俵上で奇怪な構えを見せた。
「いくぞっ、とどめだ! 奥義、天震掌ッ!」
すさまじい勢いで、一気にナズナの懐に飛び込んだ。
「捉えたッ!」
身を沈めて小股を救い上げながら、その勢いで体当たりをぶちかます。相手が童子とはいえ、小柄なナズナの体ではひとたまりもない。それにしてもすさまじいまでの早業だった。かわす間もなく、ナズナの体は宙に吹き飛んで土俵の外へと投げ出された。
……はずだった。
童子の体がぶつかる瞬間、ナズナの腕がくるりと回転した。
「……な、なんで?」
呆然とした童子のつぶやきが漏れる。
ポロコックルの体は宙を舞ったあと、大きく土俵を割ったまま仰向けに地面へと倒れていた。
目に映る空が、青い。
「ちょっと時間かかっちゃったけど。まあ、こんなもんかな」
平然と呟くナズナに、こよりが飛び出してきて抱きついた。
「ナズナさん、よかったです。よかったです! 信じてた、信じてた……からッ!」
しがみつきながら泣きじゃくるこよりの頬を、ナズナが両手で優しく包んで涙を拭った。
「ありがとう。こよりちゃんがいる限り、わたしは絶対に負けないから」
「……なんでだ、なんでだよッ! ボ、ボクの方が勝っていたのに……」
手足を投げ出したまま叫ぶポロコックルに、すっかり悄然として肩を落とした権之助が近づいてきて言った。
「ここはよ、ナズナの神域なんだよ。神域ってのはよ、神さんが人を見守り、人が神さんを愛し敬うからこそ生まれるんだ。神が人を愛し、人が神を愛する。お互いに切っては切れない関係がお互いに力を与えるのさ。お前さんが山の向こうでやるというナズナの提案を蹴った時点で、既にお前さんの敗北は決まっていたのさ。おまけに土俵まで作って、お前さんの方から勝手に神事にしちまった。それじゃあどうあがいたって勝てっこないわな。……そうそう、お前、蜜芋一個貸しだからな」
「……愛し、愛される……」
ポロコックルは呆然と呟いたあと、急に起き上がった。
「……ずるいぞ、ズルいよっ! それじゃ、それじゃあ放浪神のボクなんてずっと、一生、永遠に勝てるわけないじゃないかっ! ボクだって愛したかった、ボクだって愛されたかった……! 愛してた、愛していたのに……ッ!」
うわああああん! と人目もはばからず大声で泣き出すポロコックルを、ナズナとこよりも、キャルロットや焔や紅丸も、周囲を取り囲む里人たちも呆然と見つめていた。