ナズナのアトリエ ~悩める錬金術師とまほろばの神~ 作:匿名設定
雨が、降っていた。
蓑を着た男たちが、水滴を垂らしながら静かに立ち尽くしている。いずれも笠も身に着けず、総髪かあるいはかつては剃っていた月代も、今ではだらしなく伸び放題になっていた。男のひとりが身じろぎをすると、蓑の下に二本の刀を手挟んでいるのがかすかに見えた。
「準備はできたのか、お頭」
闇の中から、一人の男が現れた。
「北の村の近くには、な。ただ、この辺りの山に住む連中があちこちをうろうろとして警戒してやがる。この村を潰したのはちっとばかり浅はかだったんじゃねえかい、幻宗斎さんよ」
お頭と呼ばれた恰幅の良い男が、下卑た声で答えた。声に皮肉な調子が見て取れる。
その男、侍は嗤った。皮肉など意に介さぬ調子で。
「構わぬ、初めからの予定通りだ。むしろ見とがめられろ。そのほうが相手の戦力を分散するのに都合がよい。なに、代官所は動かぬよ。あの腰抜けの幕府や事なかれ主義の代官なんぞに、今さら何が出来るとも思えぬしな」
幻宗斎はそう言うと、懐から何やら油紙を貼った地図のようなものを取り出し、机の上に広げた。
「よいか、まずはここ。儂の合図で控えていた者たちが白咲村を攻める。手近な者を殺しまくり、あとは逃げ散るに任せろ。手近な三笠村に逃げ込もうとするだろうが、そちらの道を塞げ。必ずまほろばの里へと向かうようにするのだ。そこの手勢は、その逃げ散った奴の後ろを追ってまほろばに攻め込ませる。よもや北が襲われるとは思ってもいない故、まほろばは慌てて北の防備を固めるだろう。そして……」
侍は手を動かし、別の印をつけた場所を指さした。
「二刻ほど後に、分隊にこの三笠村を攻めさせろ。同じように目につく者は女子供でも殺せ。逃げ散った者がまほろばへ救援に行くのを追いかけ、まほろばの中に入るのを見届けろ。奴らが東の防備を固めたのち、混乱が起きるのを待ってから一斉に攻め込むのだ」
「我らは?」
「奴らの警戒が北と東へ移り、手薄になったところを南から攻める。くれぐれも手順を違えるなよ」
「お言葉といっちゃあなんだが」
お頭はわざとらしく首をひねりながら言った。
「兵力ぶんさんの愚、とかいうんだっけな、そいつを犯してるんじゃねえのかい。俺らが総出で南からやっちまった方が手っ取り早いと思うんだが」
「普通の村、ならな」
幻宗斎は呆れた様子で肩をすくめた。
「あそこは神がいる村として知られていてな。本物とは思わぬが、何やら不可思議な術を使う小娘がおり、そ奴を中心に結束を固めておる。それにヤマビトと呼ばれる連中が山に分散して住んでおり、どれだけの者がおるのやら正確な数が掴めない。なればこそ隙を誘い、一気に中心部を制圧するのだ。その後に四方から押し包み、そこにいる奴らを皆殺しにする。よいか、女子供だろうと、ただの一人も残してはならぬ」
「一人残らず、ね」
お頭は口を歪めて言った。野盗の首領は博愛主義者ではなかったが、どうもこの幻宗斎とかいう奴の妄執にはついてゆけない部分がある。
「あの錬金術師とかいう不気味な男はどうしたい」
「あ奴ならば西から魔物をけしかける手はずじゃ。まさかお主らを襲いはすまいと思うが、喰われたらまあ、諦めるんだな。フフ、フ……」
お頭は思わず舌打ちを漏らした。相変わらず人を人とも思っていない態度だ。おそらく侍という奴は、すべからくこういう人種なのだろう。
「いずれにせよ、このまほろばの里に他の村へと救援を出す余裕があるとも思えん。だからこそ、一部を街道まで引きずり出せれば良し。そうでなくとも里の内部で防備を確実に分散させるのだ。すべてはお頭たる貴殿の統率力にかかっておる。期待しておるぞ」
幻宗斎はそう言うと、地図を折りたたんで懐にしまった。天井が焼け落ちた家で、雨が風と共に降り込んでくる。煤で黒ずみ雨水が染み込んだ床板が、まるで膿んだ傷のように足元で不快にたわんだ。
「武器は渡した。作戦も授けた。あとは百万両、だったな」
「あとひと月、いや、あと半月はくれ。そうすれば準備が整う」
「あまり待てぬぞ。金が欲しければ、死ぬ気で働け」
幻宗斎はそう言うと、闇の中に消えた。後には不快な雰囲気だけが残された。
「お頭、本気でアイツに従うつもりですか?」
痩せこけた男がお頭に問いかける。
「てめえはどう思う?」
「そりゃ百両は喉から手が出るほど欲しいが、侍の言うことに従うなんてまっぴらだぜ」
「……ほう」
「そうでしょうお頭! 俺たちは所詮、田畑を失った農民だ。食い詰めて野盗なんざやっちゃあいるが、俺たちの仲間にゃあ野武士に土地を追われて逃げてきた奴らだって少なからずいるんだぜ。それを……」
「周りを見てみな」
お頭は周囲を手で指し示した。
かろうじて崩れ落ちながらも焼け残っている家。彼らのいるその家以外は、全て黒く焼け焦げてしまった。田畑は荒らされ、畦道や水路は破壊された。二つあった井戸は土で埋められた。ここをもう一度再建するのは困難を極めるだろう。そこはかつて、二俣村と呼ばれた集落の残骸であった。無残に焼け焦げた家の近くには、人らしき塊が無造作に転がっていた。
「逃げ延びたここの連中もきっと、生涯俺たちを憎み続けるだろうぜ。俺たちと野武士と、何の違いがあるんだ」
「そ、それは……」
お頭はため息をついた。それは人生を諦め続けた彼自身の、良心の欠片だったのかもしれない。
「お前らの気持ちはわかる。どの村の奴らも、同じ農民だもんな。だがよ、今までに少なからぬ村々を襲い、少なからぬ人々を殺した。もう引き返せねえんだよ、俺たちは。なら一発、人生を賭けてみるってのも悪くねえと思わねえか?」
「そ、それはどういう……」
怪訝そうな表情を浮かべる相手に、お頭は薄ら笑いを浮かべて言った。
「まほろばの里を俺っちが頂くというのはどうだ。なんせ幕府の役人もなかなか辿り着けない隠れ里だ。そこに隠れ潜んで暮らしながら、もういっぺんこのアズマの国を引っ掻き回してやるんだよ。今の幕府に不満を抱いている大名なんてゴマンといるからな、ちょっと焚きつけてやればふたたび戦国時代へ逆戻りだ。刀や槍ひとつで、人生を大逆転することも夢じゃあねえ」
「お、お頭?」
俺は何か悪い夢でも見ているのか? しきりに自分の頬をつねる痩せこけた男に、お頭は得意げに話しかける。
「その小娘の神とやらが噂通りの不思議な術を使えるというのなら、そいつの命は許してやってもいい。この俺さまの妻として、な」