ナズナのアトリエ ~悩める錬金術師とまほろばの神~ 作:匿名設定
翌日、ナズナは里長に頼んで里の者たちを形依神社の境内に集めてもらった。
さすがに全員とはいかない。特にヤマビトたちは今や偵察に素材集めにとあちこち走り回っている。それでも相当な人数が、里長の呼びかけに集まってきてくれた。さすがに状況が状況なので、一体何事かと誰の顔にも緊張が走っている。
ナズナは里長と目を合わせ、お互いに小さく頷いた。かねて打ち合わせのとおり、ナズナは深呼吸をひとつすると、集まった人々の前で凛とした声を張り上げた。
「此度の苦難については、皆も聞き及んでいるでしょう。残忍な野盗たちはこの里の南にある二俣村を襲い、破壊と略奪を繰り広げました。少なからぬ民が殺され、家は焼かれ、収穫を間近に控えた田畑は荒らされました。畔や用水路は破壊され、戻ってきても住めぬように井戸は埋め立てられたと聞き及びます。逃げ散った者の中には、今なお行方のわからない者もおりましょう」
聴衆の中から怒りと悲しみの声が上がる。目を押さえて涙ぐんでいる者たちはきっと、二俣村に嫁いだ親族がいるのか、親族を頼ってまほろばへ逃げ延びてきた者であろうか。
「わたしはこの存亡の危機において、神としての役目を果たさねばなりません。わたしは村人のナズナではない、かつて天津原の神ナズナを慕い、この天恵の地に寄り集まった人々を守る現人神、この里の神、この地の人々を守る神成人として、あなたがたにわたしの言霊を託します」
ナズナは言葉を切った。聴衆は水を打ったように静まり返っている。小さく息をつくと、口を開いて決意をもって一歩を踏み出した。世界を変える、小さな一歩を。
「このいくさの指揮を執りこの苦難を打ち破るには、幼きころより軍学書に親しみ、明晰な頭脳と冷静沈着な精神、勝利への不動不屈の意思を持ち合わせた、魂縫いの巫女であるこより以外におりません! あなた方はこよりの指示に従い、里人が一丸となってこよりに協力してください。さすれば勝利は疑いようがありません」
どよめきが起きた。
「な、ナズナさん、そんな……!」
狼狽するこよりに、ナズナは落ち着かせるように茶目っ気たっぷりにウインクしてみせた。
「こよりちゃん、神託だよ」
「それはそうですが、しかし……」
こよりは目を伏せた。彼女は聴衆の目が、里人の目が怖かったのだ。
彼女は魂縫いの巫女、代々その役目を請け負ってきた大祝主家の、神代の後の時代から長年にわたって生贄を捧げてきた、人殺しの忌巫女であった。それは神を生み出す聖なる存在として崇められると同時に、愛するものを奪い続けた忌まわしい憎しみの対象でもあった。歴代の巫女の中には、里人たちによって棒でめった打ちにされ殺された者もいる。生贄を捧げても飢饉がおさまらなかったので、自らを生贄として捧げさせられたのだ。
たとえ愛する者が神になったと言われたところで、悲しみが消えるわけではない。生贄を捧げた一族は、その恨みと悲しみを次の世代に語り継いだ。あまりに長い間その風習が続いたので、こよりはあらゆる一族、あらゆる人々、全ての里人の恨みを一身に背負っていた。そんな穢らわしい忌巫女に、自分や一族の命運を託そうなどと思う人間がいるだろうか……?
「こより、顔を上げろ」
沈黙の中、焔の静かな声が耳に届いた。こよりは小さなため息をひとつつくと、意を決したように顔を上げる。怯えて俯いている人間に、人は大事を託したいとは思わないだろう。
目に映る顔、顔、顔……。誰もが不安そうに、あるものは嫌悪感を示すかのように口を曲げている。それも無理はない、人々に嫌われる魂縫いの巫女というだけではなく、数え年で十六歳の小娘だ。そんな者に、野盗と戦う指揮などとれるのだろうか。こよりの耳に、自らが唾を飲み込む音が妙に大きく響いた。
その時だった。
沈黙を破った者がいた。
それは、こよりに我が子を触れられまいと横抱きにして目の前から連れ去った小太りの農婦――、あのタネさんだった。
「神託だもんね。それで巫女様、あたし達は何をすりゃいいんだい?」
その言葉で、沈黙の魔法が解けた。
「おお、俺たちは巫女さまの言葉に従うぞ!」
「何でも言ってくれ!」
「野盗どもにひと泡吹かせてやろうじゃないか」
キャルロットにはナズナの気持ちがわかっていた。彼女はきっと、こよりを里人の一員として皆に受け入れさせたかったんだ。憎悪の対象でも、畏怖の裏返しである尊敬でもない。共に暮らし、共に笑い、共に生きてゆく里人の一員として。
キャルロットは明るくこよりに話しかけた。
「知ってる? 私の故郷のヨーロッパ、海を渡った大陸の向こうにはね、かつて軍隊を率いて侵略者と戦った少女がいたんだよ」
こよりは微笑を浮かべると、真剣な面持ちでナズナの方を振り返り、その前に跪いた。
「神の御言葉、この身に謹んでお受けします。この里を狙う野盗どもを打ち破り、平和を取り戻してみせましょう。……必ず!」
どよめきと共に、人々は拳を天へと突きあげた。