ナズナのアトリエ ~悩める錬金術師とまほろばの神~ 作:匿名設定
「きたぞっ!」
既にヤマビトによって、野盗どもがこの近くに接近しているという報告はもたらされていた。しかし、さすがに攻撃のタイミングまでは図りきれないので、唐突に襲われた感は否めない。里人たちの間に一気に緊張が走る。
里人たちは戸板を改造した盾の陰に隠れ、ひたすら身を守りながら待ち受けていた。下手に固い盾ではじき返してしまうと、人が密集したところではどこへ折れ飛んでゆくかわかったものではない。そこであえて矢が突き刺さる戸板を利用し、錬金術で作った固い素材で裏張りをしたのだが、表面に水をかけてもなかなか火を防ぐのには限界というものがある。
萱でできた家屋の屋根に、炎をまとった矢が突き立った。
身軽な里の若者が二、三人、急いで屋根に飛び乗って矢を引き抜いた。それを土の地面に憎々しげに投げつける。だがそうしている間にも、炎をまとった矢は次から次へと降ってきた。
「おい軍師っ! そんなところで何をしている!」
こよりはいつの間にか、ある家の上に急ごしらえで組まれた櫓の上に立っていた。
「ここからでないと、戦場の全体を見渡せませんから」
「馬鹿な! 射殺されるぞ!」
冷たく答えるこよりにそう叫びながら、焔は背筋に冷たいものが走るのを感じた。生贄を捧げる魂縫いの巫女は、ある呪われた儀式を行うことで、記憶を次世代に繋げると聞いたことがある。もしかしてこよりは、ここで自ら果てることによって、この呪われた風習を自らの代で断ち切ろうとしているのではないか……。
隣に立てかけた戸板の盾に、火矢が突き刺さる。炎に赤く照らされた顔で、こよりはかずかに口元を緩めた。
「大丈夫ですよ焔さん。まほろばの里が勝利するのを見るまでは、私は死ぬつもりはありませんから。それよりも子供たちが矢を受けないように守ってください」
「う、うむ……」
心の内を見透かされたようなことを言われ、焔は引き下がるより仕方がなかった。
「ぎゃあっ!」
隣の建物で叫び声があがる。若者の一人が肩に火矢を受けてしまったらしい。屋根から転げ落ちるのを近くの人が助け、燃えている矢を引き抜く。すかさずキャルロットがエリキシル剤を持って駆けつけてくるのが見えた。
ついにいくつかの家屋の屋根で、煙のようなものが燻りはじめた。戸板の盾を並べた隙間を縫って、戸や壁にも火矢が突き立った。慌てて水をかけて消火にあたるも、もはや里人たちだけで火を消し去るには限界を迎えようとしていた。
一方、野盗たちの間でも戸惑いが見られつつあった。
「やいやい、何でまだ火がつかねえ」
「屋根に水でもあらかじめぶっかけてあるんでしょう。こっちの動きが読まれてたみてえだ」
お頭は、チッ! と舌打ちを漏らした。戦略だか戦術だか知らないが、彼はそういうのが嫌いだった。というより、こんな貧しそうな村でインテリぶった知識をもてあそんでいる奴がいること自体が気に食わなかった。農民なんてものは食ってクソして寝て、奴隷のように働かされた挙句、なあんにも考えずに、まるで炎が消えるように野垂れ死んでいきゃあいいんだ。他ならぬ俺たち自身が、かつてはそうやって生きていたのだから。
「まあいい、こうなりゃ根競べだ。家が派手に燃えてくれなきゃあ、北や東で待ってる連中も攻め時がわからねえ。まだ火矢はたっぷりあるから、奴らの家がすべて燃えちまうまで射続けろ」
その時だった。
夜空が青白く光り輝いた。
「な、なんだ?」
満天の星空が、夜目にもわかる勢いでたちまち厚ぼったい雲に覆われてゆく。やがて空気をつんざくような轟音が響くと、大粒の雨が地面を激しく叩き出した。
「火矢はどうしたっ! 火矢は!」
「だ、だめですお頭ッ! 火が……」
(なんだ、一体何が起きた……)
お頭は思わず幻宗斎に目を向けた。彼は何か瞑想をしているがごとくに目を瞑り、黙って滝のような雨に打たれている。その表情からは、幻宗斎が何を考えているのかは窺い知ることは出来なかった。次いで、お頭は周囲を見回した、狼狽と、畏怖の表情がありありと浮かんだ、仲間の顔を。
お頭は凍りついたように動けなかった。たったひとつ、たったひと言を彼は恐れた。隣にいる痩せこけた男、目端が利くので腹心の部下として便利に使ってきた男の口が、半開きになって小刻みに動くのが見えた。お頭には、彼が何を言おうとしているのかわかっていた。わかってはいたが、今、この場で、その言葉だけは絶対に口に出してはいけなかった。
「この野郎!」
お頭は、腹心の部下を殴り倒した。全員がパニックになるのを防ぐには、それしか方法がなかった。しかしそんなお頭の努力を嘲笑うように、大気を雷光が引き裂いた。
ズシーン!
轟音とともに近くにあった大きな木が引き裂かれ、彼らの行く手を塞ぐように倒れてきた。その一撃は木だけではなく、そこにいた人々の、かろうじて踏みとどまっていた心をも引き裂いてしまった。
「……た、たたりだ」
「神の、神仏の怒りに触れてしまった!」
「た、助けてくれっ! たすけてくれえっ!」
彼らは口々に叫びだした。中には腰を抜かしたように、地面に座り込んでしまった者までいる。
闇の中から、声が響く。
「お頭、まさかこれで終わりかね……?」
「クッ!」
悔しいが、そう言われたところでどうしようもない。正規の軍隊でもちょっとした物音でパニックになり、壊滅してしまったなんて話は腐るほどある。ましてや彼らは元々、しがない農民でしかなかった。
「幻宗斎、見りゃあわかんだろうがよ! 戦いってのは気合なんだよ。気合で、勢いで負けちまったら、勝てるモンも勝てなくなっちまうんだよ。ここまで怯えちまったら、もう戦いになんてならねえ。ここは一旦引いて、再起を……」
「再起などは無い。甘えるな」
そう言うと、幻宗斎は恐怖で尻餅をついている男のそばに寄って行った。
「なら、せいぜい儂が気合を入れてやろう」
幻宗斎の手元が光った。
凄まじい剛剣だった。抜く手も見せずに刀を振り下ろしたかと思うと、男は叫ぶ間もなく真っ二つになって倒れた。
「……なッ!」
思わず絶句するお頭に、幻宗斎は刀を突きつける。
「督戦隊、というものを知っておるか。古今東西、どこの軍隊にもあったものだ。お前も言っていたとおり、味方の怯懦ほど恐ろしいものはない。ゆえに、死の恐怖を上回る恐怖を与える必要があるのだ」
そう言うと、笑い出した。血も凍るような邪悪な笑みを浮かべて。
「まさか易々と百両が手に入ると思ったのか? 愚かな。儂はおのれら三十匹の命を、百両で買ったのじゃ。ならば、行け。前を見よ。おのれらの後ろに、もはや逃れる道はない」
「く、くそっ!」
そう吐き捨てるのが精一杯だった。
野盗たちは恐怖に震えながら、まるで操られるかのように馬にまたがった。倒木を踏み越え、馬の脇腹に足を当てる。もはや彼らには、前に進む以外に生き残る手段は残されていなかった。
背後から幻宗斎の叫ぶような声が響く。
「ゆけっ! 行って死ねっ! 相手を殺せっ! 死んで、殺して、また死んで、死に尽くしてなおまだ息があるのなら、せいぜい閻魔を屠ってその生を取り返すがいい!」
「奇跡だ!」
「我らには神の御加護がついているぞ!」
里人たちはそう叫び、天に拳を突き上げた。こよりはそれを見て静かに頷く。これがナズナに頼んだ、神成人しかできない事の第一段階であった。あらかじめ雷神に頼んで雨を降らせ、相手の火矢を封じたうえ、ぬかるんだ地面で馬の速度を鈍らせる。今頃相手は恐怖に震えているだろう。この最善の機会を逃してはならない。
(紅丸さん、お願いします……!)
盗賊どもは予定通り覚悟を決めて、攻め込むことにしたようだ。馬をあおって全速力で村の入り口に突っ込んでくる。
「よし、今だっ!」
紅丸の合図とともに、周辺の草むらに潜んでいた里人たちが一斉に立ち上がり、鉄球のついた鎖を一斉に投げつけた。
「うわわっ!」
「ぎゃあっ!」
馬の脚に鎖が絡まり、馬もろとも倒れて次々と落馬してゆく。五、六人は倒しただろうか。しかし後続の野盗たちは倒れたものを無視するかのように、仲間を踏みにじり、蹴飛ばして里の中へと次々に侵入してゆく。
(一体どうなってるんだ、これは?)
槍を持った男が紅丸に向かって突っ込んでくる。彼はすかさず大刀を肩口に構えて受け身の姿勢を取ると、そのまま貫かれるのではないかという勢いで突っ込み、馬の体に柄を当てて思いっきり踏み込んだ。
「はあっ!」
数百キロはあろうかという馬体が吹き飛び、倒れる。野盗も落馬して倒れるも、まるで狂ってでもいるかのように飛び起きると、刀を抜いて向かってきた。紅丸は相手の刀をはじき返すと、相手の顔面に刀の柄を叩き込んだ。血と折れた歯が吹き飛び、男はあおむけに地面に倒れる。それでもなお起き上がろうともがいたが、やがて失神したとみえて動かなくなった。
「……これは、死地か?」
執念か、あるいは恐怖に突き動かされてでもいるのか。原因はわからぬが、死を恐れぬ相手を倒すのは容易ではない。ましてや、生け捕りにするなどとは。
それでも、何とか食い止めるしかない。
「今だっ! 押し包めっ!」
馬に乗った最後の一人が里の中へ飛び込んだ瞬間、紅丸たちもその後を追ってなだれ込んだ。ポロコックルが敵の正面に立ち、敵を押さえてくれているはずだ。