ナズナのアトリエ ~悩める錬金術師とまほろばの神~ 作:匿名設定
ナズナは困っていた。
というより、困ったフリをしていた。その辺、付き合いの長いこよりにはわかる。何といってもナズナに仕える魂縫いの巫女だ。かといって「ナズナさん、飛んで火にいる夏の虫、という思いが顔に出ていますよ」とはこよりは言わない。彼女はただナズナの判断に従うだけだ。
形依神社は山のふもと、山道への入り口に立つ小さな神社だ。とはいっても、拝殿の奥に人が住めるくらいの奥の間があり、巫女の居住区であると同時に村の会合が行われることもある。白木の神殿はナズナとこよりが毎日ピカピカに磨き上げており、神域らしい清浄さと胸のすくような清涼な空気を保っている。
そのぴかぴかの床にひれ伏す人物がひとり。
キラキラした金色の髪は、ナズナもこよりも初めて見るものであった。白皙の肌に青い瞳。その存在を噂には聞いたことはあるが、実際に南蛮人をこの目で見ることになるとは想像もしていなかった。
「あー、コホン」
ナズナがわざとらしく咳払いをする。
「キャルロットさん、と仰いましたね」
「ははーっ。そのとおりで、ございますうぅ」
大仰だが妙に流暢なアヅマ言葉を話す。ここへ来るまでに一体どれだけ勉強をしてきたのだろう。アヅマの国は完全な鎖国をしているわけではないが、それでもこんな辺鄙な場所まで来るには相応の許可がいる。その入手困難な幕府の正式な許可証を持っているのだから、何らかのコネがあったとしても相当な覚悟がないとここまで辿り着くことは出来ない。
「まずはお手をお上げください」
ナズナがキャルロットの隣で膝をつき、彼女の手を取ってその目を見つめる。
じいいぃぃ……。
「あ、あの、その……」
「どうして『神器』について学びたいと思われたのでしょうか?」
「ど、どうして、って……」
狼狽する理由など何もない。隠すような事など何もないはずであったが、この娘の目に見つめられると、話さなくともよい事まで白状してしまいそうになる。もっとも最初に村人に案内を頼んだ時、里長にクギをさされたのも良くなかった。「あのお方は神さまだから、ご無礼のないよう気をつけろ」と。オーマイガッ! 神の力を授けられた聖人ならともかく、神そのものだなんてありえないっ!
「じ、実は、その……」
思わず目をそらしたキャルロットがぽつりぽつりと話し始める。西洋の錬金術師の家系に生まれたこと。弱小の貧乏貴族ながら、長年の弾圧にもめげず『全ての人の幸せのために』をモットーに錬金術を守り続けたこと。彼女もそのことに誇りを持ち、当然のように錬金術師の道を歩み始めたこと。近年の産業革命によりふたたび錬金術が脚光を集め、一族が古くからの錬金術師の家系として国王からも世間からも期待されていること。一族の将来を担う優秀な兄と姉がおり、自分はその足元にも及ばないということ。錬金術の修行で壁に突き当たり悩んでいた時に東洋の『神器』の話を耳にして、両親に無理を言って家を飛び出すようにこの国まで来てしまったことなど……。
話し終えた時、自分でもよくわからない涙が頬を伝って流れ落ちていた。あたし、何か悪いことしたのか? 神さまにゴブレイツカマツルようなことを。
「お話はよくわかりました」
ナズナは慰めるようにキャルロットの手を両手で包み込み、にっこりと笑みを浮かべた。
「ナズナさん、してやったり、という思いが顔に出ていますよ」とはこよりは言わない。もとよりナズナに悪意はない。ちょっとばかり天然なだけだ。それに事情を知らなければ、これからの対処の仕様がない。何といっても『神器』は単なる錬金術ではないのだから。
「でも、困りましたね」ナズナは心底困った様子で眉をひそめながら頬に指を当てる。「せっかくここまで来て頂いたのに、残念ながら『神器』そのものの製法はお教え出来ません」
「門外不出ってやつですか?」キャルロットが聞いた。だからといって、ここまで来て諦める訳にはいかない。
「いいえ」ナズナが答える。「『神器』の製法は私自身、誰に学んだわけでもないからです。説明はし難いのですが、私に生まれつき備わっていたとしか言いようがありません。それに、神器の力は私にしか引き出すことが出来ないのです」
「はぁ? ちょっと、冗談でしょ!」
キャルロットは素っ頓狂な叫び声をあげた。無理もない、いくら全く文化の異なるひんがしの果ての地とはいえ、そんなワケのわからない錬金術など聞いたこともない。もはやナズナが神さまだということも忘れてキャルロットは必至でまくしたてた。
「お願い! 何でもするから、あたしに『神器』の作り方、この地に伝わる独自の錬金術を教えて! 掃除だって、洗濯だってなんでもする。料理は……苦手だけど頑張るよ。素材が欲しければあたしが取りに行くし、調合の下準備だってあたしがする。あたしは、あたしは錬金術が好きだから、こんなところで諦めたくないんだ! お願いします!」
キャルロットは必至で縋りつくが、ナズナは困ったような表情を浮かべているだけだ。
「そ、そんな……」
全部、無駄だったということなのか。人生のすべてを賭けてここまで苦労してたどり着いたことも。
「……ゴブレイ、ツカマツリマシタ……」
がっくりと肩を落としうなだれるキャルロットの手を握ると、ナズナはその手のひらを見つめる。
「……うん、うん。なるほど」
「え?」
「西洋の錬金術は私も耳にしたことがあります。もちろん、ほんのさわりの部分だけですが」ナズナはそう言うと、キャルロットの手を握ったまま軽く上下に振った。「ご気分はいかがですか?」
「気分って、特には……。ちょっと暖かいくらい?」
ナズナはうんうんとうなずいた。「やっぱり、ちゃんとマナが通ってないみたい。昔に学んだか自然に体得していたことをちょっと忘れているだけだから、思い出せればまた前に進めるようになりますよ」
どうも何を言っているのか理解できない。見込みがあるってことだろうか。
「西洋の錬金術についてはキャルロットさんの方がずっとお詳しいと思いますが、根幹の部分に関しては神器も同じだと私は感じています。憶えておいででしょうか、錬金術を学び始める者が一番最初に教わる言葉を」
「うーん、何だろ。『無から有は生み出せない』かな?」
「そう、それです!」ナズナは嬉しそうに言った。「その話を人伝てに聞いた時、私は感動してしまいました」
「そんなに感動する話なのコレ? 当たり前のような気が……」
キャルロットは怪訝そうに言った。無理もない、さすがに素材が無くては調合のしようがないのだから。完全な無から有を生み出せたとしたら、それは錬金術ではなくもはや魔法である。
「錬金術の基本は環境マナにあると以前に伺ったことがあります。それは『神器』も同じです。大自然のあらゆるもの、草木や石や風、そこで生きる生物や人ですらも環境マナを持ち、それらは相互に影響し合い留まることはありません。環境マナがあらゆるものに宿り移ろうものでなければ、雨が降ることも止むこともないでしょう。それは相互作用によりときには意志を持ち、あるいは私たち自身が望んで意志を与えることもあるでしょう。それをこの国の民は、“神”、八百万の神と称しています。それは人が理解しやすいよう、人によって一定の方向性を持たせたマナそのものなのです」
「は、はぁ……」
「子供のころを思い出してください。ほら、こうして」ナズナは両手を広げ、後ろにこてんと大の字になって横たわった。「野原に寝転んだ時、青い匂いの風が全身を吹き抜けるような気がしませんでしたか。大地の鼓動も、虫が力強く大地を蹴ってはばたく音も、空高く飛ぶ小鳥の鳴き声がまるで耳元でささやいているように感じられたことも。それは貴女の身体をマナが“通った”証拠なのです」
キャルロットもこてんと後ろに転がった。手足を伸ばし深く息をする。澄み切った木の匂いは微かに甘く、濁った肺の空気を洗い流してくれるような気がした。そういえば、昔はこうして野原に寝っ転がったっけ、と懐かしさが蘇ってくる。幼い頃からこの子は天才だと言われてきた。錬金術師として最も大切な天賦の才に恵まれている、と。多分それは環境マナを感覚で捉える能力だったのかもしれない。いつの頃からだったのだろう、マナが単なる数字の羅列としか感じられなくなってしまったのは。
(……変な絵ヅラ)
こよりは心の中で呟いた。部屋の真ん中で神さまと南蛮人の少女が大の字になって仰向けに倒れている。もし里の者に見られでもしたら、毒でも盛られたのかとすっ飛んでくるだろう。
「これが『無から有は生み出せない』ということだと私は考えています」ナズナはそう言いながらゆっくりと体を起こした。「万物が存在すること、そしてその根底にあるマナの流れを感じること。晴天に雲が生じ雨となるように、一見何もないように見えてもそこにはマナの流れがあるのです」
「うん、そうだよね」
キャルロットも起き上がる。自分は変な思いに囚われていたのかもしれない。子供の頃からずっと、『この子には天賦の才がある』という言葉が重荷になってきた。優秀な兄や姉と比べてどこか気負ったところがあったのかもしれない。長じて幼い頃の才能を失ってしまう話はよく聞くが、それは失ったわけではなく、何かがきっかけでポケットにしまったのを忘れてしまっているだけなのだろう。
「先ほども申し上げたとおり、『神器』そのものの製法や使い方を教えることは出来ません」ナズナは微笑んだ。「でも、神器がどのように環境マナの力を引き出し制御しているか、いわゆる術式の部分はお伝えすることは出来ます。それを西洋の錬金術に応用すれば、全くの同等とまではいかなくても、それに近いものを生み出すのは不可能ではないと思います」
「ホントに?」キャルロットは目を丸くした。「ホントに教えてくれるの? アリガタキシアワセニゾンジマスルゥー! 何でもするので、この弟子にお命じくださいっ! あ、まず掃除からするねっ。箒ホウキっと……」
「まだ何も頼んでませんが」
こよりが横から口を出す。西洋とは生活様式が異なるので掃除の仕方も違うだろう。せっかくピカピカに磨き上げた社を汚されてはたまったものではない。
「キャルロットさんも十六歳、あ、この国では数え年で数えるので十七歳ですが、私も同い年なので畏まることはありませんよ。それに、私も西洋の錬金術に興味がありまして」ナズナはにこにこと無邪気な笑顔を浮かべながら言った。「そうだ! お師匠さんとかお弟子さんとかではなくて、お互いに教え合うというのはどうでしょう? お友達ってことで」
「本当に? そんなのでいいの? 私の知識でよければいくらでも!」
出た、策士。「お流石ですナズナさん」とはこよりは言わなかった。ナズナはちょっとばかり、というよりもかなり天然なだけだ。策を弄するような性質はナズナにはないし、弄するようなことでもなかったが、余計な手間を省けたのは何よりだ。西洋の錬金術を望んでいるのはこちらも同じだったのだから。
『神器』には致命的な弱点がある。ナズナもそれは解っているはずだ。
「お友達で、と申し上げた以上、こちらもお話しなければなりませんね」ナズナは改まって言った。
「特に神成人、アラヒトガミと呼ばれる私のことについて」