ナズナのアトリエ ~悩める錬金術師とまほろばの神~ 作:匿名設定
「みんなっ! 大丈夫?」
キャルロットが駆けつけてくる。
「なんだお前、子供たちはどうした!」
驚く焔にキャルロットが答える。
「こよりの指示で、子供たちはごんすけと変なじーちゃんに押しつけてきた」
「いかん! キャルロット、お前はすぐに戻って、権之助と共に子供たちを非難させろ! ……いや、こよりの指示でと言ったか? あいつはこの事態をわかっていたのか」
「たぶんね。侵入した魔物が数体いるようなら片付けろって言われたんで。じゃあ、こっちはアンタたちに任せたよ」
「あ、おい……」
何か言いかける焔を置いて、キャルロットは里の西側に向かって駆け出した。走りながらポシェットを探り、顔をしかめる。村人の装備や薬などの調合にかまけていたせいで、爆弾アイテムの量が少し心もとない。頼みの綱である錬金杖も、一見すれば環境から無尽蔵にマナを集める開放式のように思えるが、周囲から吸収したマナは内部セルに溜められた無属性マナの変換の呼び水に使っているだけなので、そろそろ再加工が必要な頃だった。
(……もっとしっかり、準備をしておくべきだったわ)
後悔してももう遅い。それに今の設備では、彼女の力ではこれが限界だった。キャルロットは里の西側の入り口に立ちはだかると、錬金杖を構えて敵を待ち受けた。
一方その男は、行進する魔物の列を横目で見ながら、勝利を確信した笑みを漏らした。
ついに、この時がやってきたのだ。錬金術が神に、蛮習に、文明の名を汚すありとあらゆるものに打ち勝つ瞬間が。この神を妄信する里が消え去ることで、人々は思い知ることになるだろう。人を救うものは神でも、西欧の権力者どもが強欲の果てに生み出した科学文明でもない、ただ純粋な知性である錬金術なのだということを。
これは始まりなのだ。自分が編み出した錬金術の術式で、世界そのものを変革するための……。
その時、その錬金術師は奇妙なことに気がついた。
(魔物の群れの進軍が、遅れている……?)
先頭で何かが起こっているらしい。男は馬の腹を足で軽く蹴り、駆け足で先頭へと向かった。彼の生み出した怪物のマナ崩壊が予想以上に早く進み、群れのコントロールが失われつつあるのだろうか。魔物の列の一部では完全に進軍がストップしてしまったところもあり、あちこちで混乱が起きつつある。
既に魔物どもの群れは山野を埋め尽くしている。それを追い越してゆくのは容易ではない。あちこちで押し合いへし合いしている巨大な魔物たちを避けながら、男はようやく列の先頭へたどり着くことができた。
「……何だ、これは……?」
男が呆然と呟く。全く理解不能だという風に。
里の入り口に、何かが立ちはだかっていた。
ぷにぷにした大きい頭に、小さな人のような体。それはバック・ラット・スプレッドの姿勢で立っていたが、男の気配に気づくと振り向き、頭をぷるぷると震わせながらニヤリと笑った。
「バカな! ぷにだと?」
「ぷにではありません」
驚愕の表情を浮かべる錬金術師の前に、一人の美しい少女が現れた。それは奇怪なポーズをとるぷにの亜種に寄り添うと、凛とした声でこう宣言した。
「これは、ぷに神――『松千代不仁之命』です。さあ不仁神さま、新たなる盟約に従い、あなたの神威をお示しください!」
その言葉を聞き、ぷに神は様々なポーズをとりはじめた。サイドチェストからフロント・ダブル・バイセップス、とどめにモスト・マスキュラーのポーズをとった時、どよめきと共に魔物たちの群れが後ずさりをし始めた。
「バカな! おい、嘘だろ……。おまえら、ぷに! あれはぷにだぞっ! それなのに、なんでこんな……!」
男は知らなかった。錬金術師なのに知らなかったのだ。
確かに、ぷには最弱の魔物だった。しかしある意味、最強の魔物だった。理由はまだ解明されていないが、ほぼ全ての魔物はぷにを嫌がる。それは臭いであるとか、魔物が嫌がる特殊なホルモンを出しているとか、モチのごとく飲み込んでのどに詰まらせもがき苦しんだ記憶がトラウマになっているとか色々と言われてはいるが、真相は未だに明らかになってはいない。少なくとも、この世界でぷにを捕食する魔物は、いない。アズマの国では、ぷにぷに玉を枕の材料として重宝していた国産土女姫命が、ぷにが他の魔物に食べられてしまわないよう魔法をかけたのだと伝えられている。
優れた錬金術師の元には、ぷにが現れて素材集めを手伝ってくれるという話がある。しかし男は、自分の前に現れたぷにを追い返してしまっていた。あの呑気なぷにぷに顔を見ていると、ぶにぶに殴り倒してしまいたくなるのだ。ゆえに彼は、ぷにがどんなに恐ろしく強い魔物のいるところへ出かけても、ケガひとつする事なく平然と素材を集めて戻ってくることを知らなかった。
ぷに神に命じられたのか、森の奥から次々とぷにぷにが現れ、魔物の群れへと向かってゆく。恐ろしいことにこの世は、ときどきは筋肉が全てを解決してしまうくらいには甘かった。
もはや魔物は完全にパニックを起こし、踵を返して逃走を始めていた。慌てて後続にぶつかり、蹴倒し、その様子を見た魔物もまた連鎖反応を起こして我先にと逃げてゆく。もはや地響きの方向は完全にまほろばの里とは逆の方向を向いていた。奇怪な怪物はキイキイと金属的な鳴き声を響かせながら、なんとか魔物のコントロールを取り戻してふたたびまほろばの里へと向かわせようと、無駄な努力を続けていた。
その時、ナズナが動いた。
白扇を片手に持つと、ふわりと舞うように天を指し示し、跪いて地を打つ。その瞬間、周囲が昼間のように輝き、莫大なマナの力が全てを白い光の中に包み込んでゆく。
「我が祖親たる国産土命、国産土女姫命の御名に於いて、その名代たるまほろばの守り神、神成人のナズナが我が言霊を以て天地自然の理に命ずる。いにしえより天つ降りし力、我が神威を以って、有るべき姿へと帰れ!」
閃光と共に、百体は居た歪な怪物の姿がことごとく砕け散り、塵と化して飛び去った。
「……う、嘘だ」
男は恐怖に後ずさりした。神など、この世にいるわけがない。
この里に、錬金術師がいることはわかっていた。そいつが男の造り出したドラゴンを打ち破り、男の生み出した怪物を屠ったのも知っていた。そしてこの蛮族の小娘は、西洋人から盗んだ錬金術の力を利用して、あたかも自分が神であるかのように見せかけ、愚民どもを騙してこの小さな里を支配しようとしている。その欺瞞の神に対する民衆の妄信こそが、彼の母親の命を奪った、世界で最も憎むべきものであった。だからこそ、この里は真っ先に滅ぶべきであったのだ。
だが、男は気づいてしまった。全く理解できないといった様子で、恐怖の目でナズナを見つめる。
――この小娘の力は、錬金術の術式じゃない!
あの白扇も、あの小娘自体も、錬金術の産物であるはずがない。西洋の錬金術ではあれほどの莫大な力を行使できないし、人体が粉々にはじけ飛んで即死するレベルのマナを浴びて、平然としていられるはずがなかった。
男の頭に、これまでさんざんに否定してきた言葉が浮かぶ。
――神。擬人化された、流転する環境マナの象徴――
「否!」
男は叫んだ。
馬の手綱を引き、後ろを向いて拍車を当てる。錬金術師は無様にも逃げ出した。
彼は泣き出した。彼の集めた神殺しの巨人たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げ去ってしまった。歪なこの世界、偏見と悪意と妄信に満ちたこの世界が生き残り、古き偽りの神が真の善なる神が逃げ去るのを嗤って眺めている。彼はナズナを恐れたのではない、彼自身の真なる神が否定され、侮辱されるのが怖かったのだ。錬金術という、この世の新たなる神が。
男は涙と鼻水を垂らし、涎をまき散らしながら、狂ったように叫びつつ姿を消した。彼の信じていた唯一の神の名を叫びながら。
「否! 断じて、否だっ! 神など、神などいるわけがないっ! 人類を支配するのは理性、知性、正義でなければならないのだっ! 錬金術こそが、この世に君臨すべき唯一の神であり、唯一の支配者なのだっ!」
(……、うそ)
キャルロットは里の入り口に陣取り、魔物を操っていた男が叫びながら逃げ出すのを見た。
「キャロちゃん!」
魔物の群れが逃げ去ってゆくのを見ていたナズナが、キャルロットの姿を見てぱたぱたと駆け寄ってくる。
「よかった、無事で! 大丈夫? ケガしてない? みんなは無事? ……なんだか元気がないんだけど」
「うん……」
キャルロットは俯いていたが、やがて何かを振り払うように首を振ると顔をあげた。その顔はもう、いつものキャルロットの表情に戻っていた。
「大丈夫。さあ早く戻らないと。敵はまだ里の中に残っているし、混乱した魔物が何匹か入り込んでいる可能性もあるから」
「うん! はやくみんなと合流しよう」
ナズナとキャルロットは里の中心へと駆け戻る。一瞬、キャルロットは里の外の方に、敵の錬金術師が逃げ去った方に目を向けた。そこには無数の魔物の足跡と、ポージングを決めながらゆっくりと森の奥へと戻ってゆくぷに神の姿以外は、何の痕跡も残されてはいなかった。キャルロットはもう一度何かを振り払うように、ゆっくりとかぶりを振った。
(こんなところに、こんなところにいるわけがない。……あたしの尊敬する、叔父さんが)
夜が明けようとしていた。