ナズナのアトリエ ~悩める錬金術師とまほろばの神~ 作:匿名設定
「もう、終わりだ」
馬を捨ててまで必死で抵抗を続けていた野盗たちが、まるで魔法が解けたかのように膝をつき、泣きながら地面に伏してゆく。
魔物の群れは、援軍などではなかった。それはひとしきり恐怖を振りまいたあと、まるで冗談だったとでもいうように姿を消した。彼らの中には、里の外が光り輝いたかと思うと、黒いローブをまとった錬金術師が馬で逃げ出すのを見た者もいた。
奇跡は起きなかった。いや、きっと奇跡は起きたのであろう。しかし、神は彼ら野盗の方を向いてはいなかった。里人たちが叫ぶ「神の奇跡だ!」という声が、虚ろに鼓膜を通り過ぎてゆく。
「……まだ、まだだっ!」
お頭は叫んだ。彼の望んだ世界が音を立てて崩れゆく今、共に闇へと飲み込まれるまでその幻影にしがみつくしか生き残るすべはなかった。彼は隠し持っていた拳銃を引き抜くと、構えた。それは科学技術と錬金術を組み合わせた全く新しい銃で、衝撃で発火する新しい物質を利用し、雨に濡れても発射できるという特徴を持つ。幻宗斎がサツマ経由で取り寄せた御禁制の逸品で、世界にも数丁しかないという試作品であった。
既に夜は白み、青さを取り戻しつつある空の下で、建物が黒い影のように浮かび上がる。お頭は照準を合わせ、おそらくは彼の夢を打ち砕いた忌まわしき敵の英雄、作戦の指揮を執っていると思われる、屋根の上の櫓に立っている人影に向かって引き金を引いた。
「くたばれっ!」
ダーン!
屋根の上の人物が、一瞬の静止の後にゆっくりと倒れた。
「こよりっ!」
焔の絶叫が響いた。
彼は驚異的な跳躍を見せ、屋根の上に駆け上がった。一方で紅丸は刀を振りかざしてお頭に躍りかかる。
「このやろうっ!」
お頭は飛びかかってきた紅丸の顔面に、弾切れで役に立たなくなった銃を投げつけた。相手が怯むのを見ると、自らの刀を抜いて叫ぶ。
「奴らの首領は倒したッ! ものどもっ、神社めがけて突っ走れ! あとは神とやらの小娘を引きずり出して殺せば、この戦いは俺たちの勝ちだっ」
野盗たちは正気を取り戻し、まるで生き返ったかのような表情を浮かべる。
「ああ、ばかな」
「俺たちの、おれたちの巫女さまが」
呆然と呟き、明らかに戦意を失った様子の里人たちを蹴散らし、野盗どもは雄たけびを上げながら次々と包囲を突破し駆けだした。
一方、焔は櫓の上で倒れたこよりの体を抱き上げていた。
「こより! しっかりしろ、こより!」
焔は呼びかけながら、こよりの体を力強く揺する。しかし既に絶命しているのか、その腕は力なく地面へと垂れ、揺するたびに首がかくんかくんと揺れた。
(悪い予感が、当たってしまったのか……)
眼下では包囲を突破した野盗どもが、形依神社の方向を目指して駆けてゆくのが見えた。
もちろん、そこにナズナはいない。野盗どもは逃げ場のない形依神社に追い詰められ、そこで殲滅させられるだろう。それはまさに、こよりの望んだことだった。まほろばの勝利を見届けたこよりは、最後に大祝主家の呪いを自らの命と引き換えに終わらせようと、あえて敵の前に身をさらしたのではなかったのか。
こよりの体がぴくりと動き、うっすらと目が開く。
「こより、しっかりしろ! お前は……」
まだ死んではならない、ナズナが悲しむ。そうした言葉が急に空疎に思え、口から出てこなかった。こよりから細かい身の上話を聞いたことがなかったとはいえ、その一見不愛想にもみえる表情の裏には、底知れぬ悲しみと苦しみが満ちていることを焔も感じ取っていた。ただでさえ誰もが苦しみ、もがき、救いを求め続けるこの苦界で、人一倍の苦しみを背負わされた者が死を選ぶのを、他人に止める権利があるだろうか?
それでもこよりは、死ぬにはあまりにも若かった。
こよりが微笑み、焔の手を握る。もう目の前の彼の顔すら、見えてはいないのかもしれなかった。こよりの口がかすかに開き、焔はこよりの顔に耳を近づけた。彼女が発する、おそらくナズナに対する最後の別れの言葉を聞き取るために。
「……死んでいませんよ」
「な?」
こよりはむっくりと身を起こした。
「敵は罠にかかりました。焔さんもすぐに向かって、敵を残らず捕縛してください。これで全て、終わりです」
「お前、いったい……」
「私は死にません。死ぬわけがないんです」
呆然と呟く焔に向かって、こよりはどこか得意げな誇らしい表情を浮かべて言った。
「だって私には、この世で最も霊験あらたかな、心優しい素敵な神さまのご加護がついているのですから」
こよりの手には、あらゆる矢弾を逸らせるために風属性のマナの力を込めたナズナの神器……、いや、ナズナの調合した錬金具が握られていた。
「ぎゃああっ!」
野盗たちの悲鳴が響いた。
畑に囲まれた猫の額ほどの広場を通過した時、突如、地面が陥没した。
あらかじめナズナがナマズの水神と計り、広場の下に大きな水脈を通しておいたのだ。地下で土が削られて出来た大きな空洞の上を、野盗たちはそうとも知らずに飛び込んでしまった。
「押すな、押すなっ!」
「うわ、わわわわ!」
野盗たちは次々と大きな穴の中へと転落し、腰まで泥水につかりながら、何とか這い上がろうともがき続けていた。
「はい、これでおしまーい」
最後の一人が穴の中から引き揚げられた。咳き込みながらへたり込む男に縄をかけ、キャルロットは満足そうに言った。錬金術で作ったロープなので、そう簡単に切れることはないだろう。
結局、双方に死者は出なかった。重傷者はいたが、夜間にあれだけの乱戦を繰り広げてこの結果は奇跡といっていい。それもこれも、皆がそれぞれの役割を精一杯果たしたおかげだろう。キャルロットの姿を見つけて駆け寄るナズナを、両腕で抱きしめる。
「やったんだね、あたしたち」
「うん。キャロちゃんも、みんなが頑張ったおかげだよ」
こよりが屋根の上からゆっくりと降りてくる。ナズナとキャルロットの姿を見て嫉妬するかと思いきや、彼女はちょっと肩をすくめて微笑んだだけだった。その姿は戦いの前より、ちょっとだけ大人びて見えた。
「あれれ、怒らないの?」
「神さまは皆に平等に愛を恵んでくれます。でしょう?」
その様子を微笑ましく眺めていた焔が、急に険しい顔つきになる。
「まだ終わってはいないようだ。来るぞ」
紅丸とポロコックルも気づいたようだ。紅丸が背中に背負っていた長大な刀を抜き放つ。
「へん、やっと黒幕のお出ましってやつか」
里の南にある入り口の方から、凄まじい殺気が漂ってくる。
髪に白いものが混じる中年の男だ。腰に二本の刀を差してはいるが、よほど自信があるのか防具らしい防具は身に着けてはいなかった。体躯は小柄ながら逞しい体つきなのが見て取れる。何よりも、全身に返り血を浴びた死者の魂がこびりついているかのような、異様な殺気がその体から噴き出しているかのように思えた。
周りにいた里人も、男のまとう異様な空気に気圧されたのか、誰も咎めることができずに無人の野を進むがごとくにこちらへと近づいてくる。
彼の姿に気づいたお頭が、恐怖に声を震わせながら叫んだ。
「お、俺たちは全力を尽くした! お前が命じたようにやったんだ。だから……」
「ふん。儂に死地に追い込まれておきながら、このザマではな。この程度のことも出来ぬ貴様らなどに、もう興味はない。だが、失態の咎を負わせねば、示しというものがつかぬか、な」
カチカチという音が響く。お頭が恐怖で歯を震わせる音だった。
「お前は誰だっ!」
男は紅丸の問いに答えない。お前など相手ではないとばかりに、歯をむき出して声もなく笑う。
「ここに神と称する小娘がいるだろう。そいつを出せ」
ナズナが間髪を入れずに答える。
「私がこの里の祭神、ナズナです。どのようなご用件でしょうか」
キャルロットたちは顔を見合わせ、男の眉もぴくりと動いた。おそらくナズナは、みんなに余計な気を使わせまいと、気遣った上で素早く答えたのだろう。そして、そのことは男にも通じたようだ。ならば、よもや偽物ということはあるまい。男の顔に満足そうな笑みが浮かぶ。
「単刀直入に言おう。この村の持つ神器とやらをこちらに寄越してもらいたい」
その男、幻宗斎はまるで日常の取引でも持ちかけるように淡々と言った。
「何に使うのですか」
「お前の知ったことではない。ここはアマツハラなる神とやらが作った村。ならばひとつやふたつくらいは残っておろう」
「神器は人には使えぬと聞く。手に入れてどうするつもりだ」
焔は今にも後ろから飛びかからんとするポロコックルを制し、幻宗斎に問いかけた。おそらくこの男は、強い。ここにいる全員でかかったところで、勝てるかどうかは怪しいだろう。
幻宗斎はしばらく焔の顔を見つめていたが、やがて意外なことを口にした。
「お前は、“真なる神”を知っているか?」
「知らぬ」
「なら、口を塞げ。愚者に語る言葉はない」
そう言うと、ナズナの方に向き直る。
「ひとつかふたつはありましたが、もうずいぶん前に失われてしまいました。今あるのはわたしが作ったものだけです」
「貴様の作った錬金術のまがい物など欲しくはない!」
幻宗斎は初めて苛立つような表情を浮かべた。その目に殺気が満ちる。
「ちょっと! ナズナは……」
そう言いかけてキャルロットは、はっとするような表情を浮かべた。ナズナも同じことに気がついたとみえて、思わずふたりで顔を見合わせる。ゆっくりと視線を下げたその先には、ナズナの首にかけられたペンダントがあった。
視線に気づいたと見えて、幻宗斎が笑い声をあげる。
「ふ、は、はっはっは! そこか!」
幻宗斎は手を伸ばした。思わず焔と紅丸が割って入るそぶりを見せるが、幻宗斎は刀を抜くつもりではないようだった。彼は自分の懐に手を入れると、何やら筒のようなものを取り出す。その奇妙なものは動物の爪を象ったようにも、小さな動物の腕ごと切り取ったもののようにも見える不思議な代物であった。
「……それは、神器?」
ナズナの言葉に、幻宗斎は答えない。
「この世界は、あまりにも苦しみに満ちておる」
幻宗斎は目を瞑り、天を仰いだ。まるで何かに祈りを捧げるかのように。
「人は人を襲い、人を喰らい、人を踏み躙りながら餓鬼のように生きるしかない。誰も誇りを持たず、誰も信念を持たず、貪りながら飢え倒れ、塵芥の如くに命を散らしてゆく。何故に、人は二つ脚で歩く獣となった。何故に、人は鳴き声をあげるだけの虫けらとなった。何故に汝らは、“真なる神”に祈りを捧げ、人たるものに成ろうとはせぬのだ」
そう言うと、かっ! と目を見開いた。
「それはこの世が、偽りの神に満ちているからに他ならぬ! ならば儂は“真なる神”の先兵、世界を変える先駆けとして我が魂を捧げ、偽りの神をすべて喰らいつくしてやろうぞ!」
幻宗斎の手にした神器がぶるぶると振動し、光を放ち始める。
「いけないっ! そんなことをしたら……」
ナズナの叫ぶような悲鳴に、幻宗斎の哄笑が響く。
「見るがいいっ! これぞ恩寵、これぞ“真なる神”の力よ……ッ!」
眩いばかりの光が放たれ、幻宗斎の姿が溶けるように消えてゆく。
光が去った時、そこにはもう幻宗斎の姿はなかった。そこには上半身が大きなムジナの姿をした、半人半妖の不気味な怪物が巨大な刀を手に立っていた。
「な、何これ!」
キャルロットの叫びをよそに、元は幻宗斎だった怪物は咆哮をあげた。
「大人シク渡セバ、命ダケハ助ケヨウナドトハ言ワヌ。……誰モ彼モ全テ、死ニ絶エロ!」
怪物が動いた。
「ナズナーッ!」
誰も、動けなかった。
怪物は人間離れしたスピードで迫ると、ナズナの首めがけて刀を振り下ろした。ナズナですら白扇を構えて身を守ることすらできず、ただ、キャルロットの絶叫だけが響いた。
その時だった。
怪物の刃がナズナの首に触れる瞬間、虹色をした莫大なマナがペンダントの神器から溢れ、ナズナの全身を包み込む。
怪物の手にした刀が、粉々に砕け散った。
全てが虹色の光に包まれて溶けてゆく。一瞬、狼狽した様子のナズナと、目に恐怖の色を浮かべた怪物の顔が見え、やがて光の中に消え去ってしまった。
――天が、裂けた。
虹色の翼をもつ巨大な鳳凰が目の前に現れ、その足で怪物と化した幻宗斎の体をむんずと掴むと、山の彼方へと飛び去って行った。