ナズナのアトリエ ~悩める錬金術師とまほろばの神~ 作:匿名設定
動けなかった。
誰もが呆然として、ナズナが飛び去って行った方を見つめていた。
「……ナズナ様じゃ」
後ろから呟くような声がする。
振り返るとそこには、枯れ木のような足を真っすぐに伸ばし、誰に支えられることもなく独りで立ち尽くす老人の姿があった。その白く濁った目には、虹色の翼をもつ鳳の姿が確かにはっきりと映っていた。
「アマツハラの神人が、約束を果たしに来られたのじゃ! 我らすべての者を、この苦界からお救い下さるために」
里人たちは神の名を呟き、次々と跪いた。皆が皆、目に涙を浮かべている。
正直に言えば、彼らは必ずしも神話を信じ込んでいたわけではなかった。それはあくまで荒唐無稽な昔話にしか過ぎなかったのだ。だが、それでも彼らは歯を食いしばって生きてきた。おとぎ話をよりどころとして、もがき苦しみ、時には弱音を吐きながらも、前を向いて進んでゆけば、いつかはこの苦界を変えられると信じて。
「先に行くよっ!」
真っ先に動いたのはキャルロットだった。持っているバクダンの数も錬金杖の残マナ量も心許ないが、そんなことを気にしている場合ではない。キャルロットは箒にまたがると、目の前にH・U・Dを展開して忙しく手指を動かしはじめた。
「反重力マナエンジン、出力全開。マナ流入量、正常。スターラップ、補助翼展開。姿勢制御オン。温度、駆動系、センサー全て異常なし。よし、偽装カウルオープン。メインスラスターノズル点火!」
箒の穂の部分が開き、中からメカメカしい機械が現れた。各部につなげられたパイプは内部を流れるマナによって光り輝き、ノズル部分からは青白い炎が噴き出している。
「……セク、ハ……ラ……、って何?」
唖然として呟くこよりに、キャルロットは呼びかけた。
「こより、ナズナはあたしが助けるから、アンタは里に戻って後のことををよろしくね。ほかのみんなはあたしについてきて!」
キャルロットは轟音とともに空高く飛び上がり、フルスロットルで空の彼方へと飛んで行った。
「ちょ、お前待てよ! って、ついてゆけるワケねえだろ」
呆然とする紅丸に、焔が鋭く声をかける。
「紅丸、乗れっ!」
焔は手で何かの印を結ぶと、その姿はたちまち八尺を超える巨大な青白い狼へと変じた。
「お、おう!」
紅丸は一瞬は狼狽したものの、さすがに立ち直りが早い。というより、いちいち驚いていてはこの連中にはとても付き合いきれない。狼は紅丸が乗ったのを確かめると、大地を蹴ってものすごい勢いで走り去っていった。
「うわわああっ!」
「ばっ、バケモノだあぁ!」
野盗たちは恐怖に駆られて泣き叫び、後ろ手に縛られたまま我先にと逃げ出した。
「あっ、くそっ! こいつら」
「構いません。逃げ散るにまかせましょう」
「し、しかし……」
いきり立つ里人に、こよりは肩をすくめた。
「むしろ好都合です。この里には化け物が出るとの噂を広めてもらえば、しばらくはよからぬことをたくらむ連中も近づかないでしょう。それに、あの縄は錬金術で作られているそうですから、自分たちで外せなければ、結局はここへ戻って来ざるを得ません」
そう言うと、皆が去った方向をポカンと大口を開けて見つめているポロコックルに近づいた。
「なんだ、アイツら。あんな人間離れした奴らだとは思わなかったぞ」
あなたもね、とはこよりは言わなかった。
「追わなくてよろしいのですか?」
ポロコックルはその言葉で、ハッとしたかのように正気を取り戻した。
「いいワケないやい! ボクだってこの里を守る神さまなんだっ!」
ポロコックルはそう叫ぶと、徒競走のスタートのごとく前かがみになって地面に手をつく。その背中に権之助が走ってきて、ぴょん、と飛び乗った。
「俺も連れていけ。ナズナはこの俺がついてねえと何にもできねえからな」
「へん、なら振り落とされんなよっ!」
ごう! という嵐のような風切り音が響き、ポロコックルは残像を残しながら人間離れした速度ですっ飛んでいった。後にはまるで狸にでも化かされたかのように、風に舞った葉っぱが二、三枚残されていた。
(……ナズナさん、どうかご無事で。こよりはずっと信じていますから。いつだってナズナさんは、何があってもきっと笑顔で帰ってきてくれるって)
こよりは踵を返すと、里長の家へと向かっていった。怪我人の状態や家屋への被害、失われた物資の量を把握して、復興計画を立てねばならない。それに陥没させてしまった里の広場の埋め戻し作業も残っている。全ての被害が回復して日常へと復帰するまで、彼女の戦いは終わることはないのだから。