ナズナのアトリエ ~悩める錬金術師とまほろばの神~ 作:匿名設定
ズシン!
轟音とともに、土煙が上がる。
巨大な鳳凰が月凪の谷へと飛来し、地面に激突すると姿を消した。
「……ッ!」
ナズナはころころと地面を何度も転がると、ふらつきながら立ち上がった。受け身は取ってはみたものの、打ち身や擦り傷などの負傷は免れない。
一方の幻宗斎はまともに地面へと叩きつけられ、血反吐を吐きながらこちらもゆっくりと立ち上がった。既に刀は失われ、肩を押さえながら荒い息をついている。
「ここならば、誰も傷つけることはできません。わたしと、貴方以外は」
ナズナの言葉に、幻宗斎は歯をむき出して嗤った。人間ではない、野獣の牙を。
「マサカ、アマツバラメガ生キ残ッテイヨウトハ思ワナンダ。トウニ死ニ絶エタカト思ウテオッタゾ!」
牙をむき出す幻宗斎の怪物に、ナズナは静かに語りかける。
「貴方の目的はわかりません。神器を集める目的も、“真なる神”というのが何者かも」
だが次の瞬間、顔をあげて決意のこもった目で幻宗斎を睨み据える。
「でも、貴方が神器の力を悪用し、これ以上の血を流そうというのであれば、わたしは貴方を止めなければなりません。この国を生んだ国産土命と国産土女姫命の末裔、その子たる天津原の神人として!」
「オモシロイ、ヤッテミロ!」
幻宗斎はふたたび神器を取り出した。強大な力が溢れ、怪物の姿が光の中へと溶けてゆく。
「見ヨ、コレガ“真ナル神”ノ、力、ダ!」
光が消え去った時、そこには人の面影すらも失った、ニ十尺を超える巨大な人喰い大ムジナへと変じた幻宗斎の姿があった。
「偽リノ神ヨ、旧キ世界ト共ニ滅ビヨ!」
咆哮と共に巨大な爪が振り下ろされる。ナズナはそれをかわすと、宙高く舞い上がり幻宗斎の巨体を軽々と飛び越えた。背後にふわりと着地した瞬間、幻宗斎は振り向きざまに口からマナの光弾を吐き出す。
「はっ!」
ナズナの白扇から光が放たれる。それは空中で衝突すると、お互いに相手を凌ごうと押し合いを始めた。幻宗斎の巨大な爪が地面へと食い込み、ナズナの額を汗が流れる。力比べに押し負けたほうが吹き飛ばされ、一瞬で相手の餌食と化すだろう。
――その時だった。
「おりゃああーっ!」
雄たけびと共に、空から何かが降ってきた。
錬金杖が押し合う光弾に突き刺さると、それらは砕け散って自然の循環の中へと消えた。
ナズナの前に、箒と共にふわりと舞い降りた人物――。
「キャロちゃん!」
驚愕の声を背中に受けながら、キャルロットは思わず呟いた。
(まさにカ・ン・ペ・キ、なタイミング。あたしって今、めっちゃ正義のヒロインじゃん!)
彼女は錬金杖を構え、それを幻宗斎の巨体へ突きつけると、とっておきのセリフを叩きつけた。
「あたしの名は、キャルロット・バーン! “良き錬金術師”の一族として、お前の野望を打ち砕くッ!」
ふっ、キマったぜ。と言わんばかりに得意げな表情を浮かべるキャルロットに、ムジナの幻宗斎は首をかしげていたが、やがて、フッ、フッ、と野獣が息を吐きつけるように笑い出した。
「キャルロット・バーン。アノ、バーン家ノ娘カ。面白イ、自ラガ道化デアルコトニ気ガツイテオラヌトハ」
「ど、どういうこと?」
そう問いながら、キャルロットは先ほどまでの高揚感が急速に冷えてゆくのを感じていた。この怪物はおそらく、自分の知らないことを知っている。それも、自分が一番知りたくもないことを。
「冥土ノ土産ニ聞カセテヤロウ。ソレハ……」
突然、咆哮と共に幻宗斎が巨大な爪で薙ぎ払った。凄まじい風圧に思わず錬金杖を構えて守りを固めると、幻宗斎の攻撃を躱しながらすれ違いざまにその腕に刀をたたきつける紅丸の姿が見えた。
「紅丸っ!」
「ああ、遅くなったな」
紅丸は刀を構えると叫んだ。
「鶤上次郎紅丸だ。お前、あの魔物を操る錬金術師の一味なら、俺の一族がどうなったのかも知っているはずだな。そいつを洗いざらい吐いてもらうぜ!」
一方、紅丸を連れてきた巨大な狼は、空中でくるりと一回転すると、再び人間の姿へと戻った。しかしそれは焔ではなく、全身の黒装束に顔の下半分までをマスクで覆った、奇怪な人物へと変貌していた。
「幕府の御庭番、サスケ。まほろばの周囲に乱の兆しありと聞き探っていた。幕府に仇為す者、この世の安寧を乱す者は、切る」
幻宗斎が吼える。
「面白イ。オ前ラヲ悉ク喰ライ、“真ナル神”ヘノ生贄トシテクレル!」
幻宗斎は巨大な爪を振り上げた。
「待て待てまてーい!」
怪物はしばらく首を傾げていたが、空耳だと判断したようだ。
「貴様ラ……」
「待て待てまてーいっ!」
山の向こうに土煙が上がり、地響きと共にこちらへと近づいてくる。しばらくバツの悪い時間が流れ、所在なさげに足元の小石を蹴飛ばしたり、巨大な爪の手入れなどをして思い思いに過ごしていたが、やがてそれは目の前で急ブレーキをかけて止まった。
「はひゅ、こひゅ、げ、ゲフッ! び、ビョクが……」
「まずは、落ち着け」
権之助の差し出した水筒の栓を抜き、しばらくゴキュゴキュと水が喉を流れる音が響く。やがてその人物は礼を言うと、権之助と共に木の上に水筒を引っ掛け、鋼鉄で出来たナックルを手にはめて叫んだ。
「待たせたなっ! まほろばの守り神、ポロコックルだ。今度こそ……、今度こそみんなを守って見せるっ!」
「オオ、待チクタビレタワ!」
幻宗斎は吼えかかった。
「コンナ茶番ニ付キ合ワサレルトハナ。モウヨイ、貴様ラ全員ヲ喰ライ尽クシテクレル!」
魔獣の咆哮が大地を揺るがした。
(こんな、こんなはずでは……)
幻宗斎の心に焦りが浮かぶ。
身も凍るような咆哮をあげて突進する。サスケと紅丸がすかさず躱し、巨体は虚しく崖の壁面に激突した。その背後からポロコックルが背中で体当たりをかますと、さしもの巨体も揺らいでよろめく。
この体は完璧なのではなかったのか! 幻宗斎は叫んだ。真なる神がもたらしたこの肉体こそが神の証明であり、民衆を統べる光であるはずだった。神とは力、力こそが神。一体どこの世界に、弱者を神と崇める人間がいるというのだ。
いくさで敵を踏みにじり、祟り神を捻じ伏せ、畏怖をもって世界へと君臨する。幻宗斎にとって、南蛮人より聞き取った欧州や中東で崇められる一神教こそが、理想の神の姿であった。世界を生み、世界を支配し、まつろわぬ蛮族やその崇める偽りの神を討滅し、人々の生の根幹たる世界の理を説明する。人の喜びも悲しみも、その存在すら丸ごと全てを手中にする神。そうでなければ、どうして神のために人は命を捧げようなどと思うだろうか。
一神教を信じる国には、理想の社会がある。誰もがただひとつの理想を信じ、ただひとつの命令に従い、そのために命を捧げる。そこには個人の意思などなく、生きようとあがく必要すらない。誰が生きるかは神の意思によるものであり、選別されなかったものは、社会がその存在を自ら消し去る。偉大なる神の手を煩わせる前に。
そこには、生ぬるい幕藩体制など存在しない。八百万の神などという、そこら辺に転がっている石や木であるどころか、使い古したハサミですらも神とするような蛮人の風習など、存在する余地もない。疫病や飢饉や戦争ですらも、唯一神の支配する世界では存在しようもないものであるはずだ。神がひとこと、死ね、と命じれば、病にかかったものや無駄な飯を喰らうもの、唯一神に逆らうものは自ら死に絶えるのだから。
それこそが理想、それこそが世界。きっと唯一の“真なる神”が君臨さえしていれば、戦国時代もあの二十数年前の大飢饉の惨劇も、きっと起こらなかったに違いない――!
幻宗斎は光弾を吐いた。紅丸が躱し、ポロコックルが躱す。次々に吐き出される光弾は地面に触れると連続で爆発を起こした。ナズナは白扇でそれを受け止めると、幻宗斎に向かってはじき返した。周囲で爆発が起き、大ムジナが苦痛に満ちた悲鳴を上げる。
キャルロットは光弾のひとつを錬金杖で受け止めると、内部のマナを放出して防御陣を形成し消滅させた。衝撃で思わず膝をつき、肩で荒い息をつく。錬金杖のマナももう底をつく頃だ。ナズナや仲間たちがいなければ、彼女はとっくに命を落としていただろう。
「キャロちゃん!」
ナズナが幻宗斎との間に割り込み、白扇を構えながらキャルロットに声をかける。
「キャロちゃん、大丈夫?」
「大丈夫、まだいけるよっ」
そう答えながらも、キャルロットの額を冷たい汗が流れ落ちる。
(このままじゃ、マズイ。このままじゃ……)
一方、幻宗斎もナズナを、信じられない、といった面持ちで見ていた。
真なる神の力が、流れ出している。
天を裂き地を割るがごとき全身に満ち溢れていた神の力が、少しずつ体から抜けてゆく。この偽りの神の娘が白扇で彼の体を打つたびに、神の恩寵が抜け出た体の一部が黒ずみ、崩れ落ちてゆく。彼は苦痛に顔をゆがめながら、何とかナズナの体を捉えようと巨大な腕を振り回した。
またひとつ、鋭い爪が粉となって崩れ落ちた。
幻宗斎は追い詰められた目で周囲を見渡した。ナズナは宙を舞い、蜂のように襲いかかってくる。サスケも、紅丸も、ポロコックルも、さすがに肩で息をしながらも、無尽蔵とも思える戦意をもって怯まずに躍りかかってくる。そして彼は目をつけた。苦し気に息をつきながら、明らかに動きの鈍ったひとりの小娘の姿を。
(もらった!)
大ムジナが咆哮をあげ、巨体を揺るがせながらキャルロットに向かって突進した。弱きものから倒し、相手の連携を打ち崩すのは戦いの常道だ。愚かなる錬金術師の娘よ。自分の一族が犯そうとしている罪を知ることもなく、せいぜい“良き錬金術師”などという幻想に浸り、自らの弱さを後悔しながら砕け散るがいい――!
轟音と共に、大爆発が起きた。
「かかった!」
「ぐあっ!」
地面に置かれた不発の爆弾が、幻宗斎が踏み抜いた瞬間に炸裂した。足の鋭く巨大な爪が、肉や骨の一部と共に抉られて宙へと吹き飛ぶ。
「これがキャロさんお得意の、氷属性のマナを込めた遅延式フラムの威力だっ!」
その瞬間、ナズナの体が宙へと飛んだ。
大ムジナの体よりも高く跳躍し、爆発して飛び散ったマナの力を集めて白扇にまとわせる。幻宗斎は苦痛に耐えながら、上空から襲いかかるナズナの体を刺し貫こうとその爪を伸ばした。
一瞬、遅かった。
幻宗斎が爪を向けるより早く、ナズナの白扇がその頭を捉えた。閃光が奔り、膨大なマナが爆発するようにはじけ飛ぶ。
巨大な大ムジナの体は、光に包まれる中で砕け散った。