ナズナのアトリエ ~悩める錬金術師とまほろばの神~ 作:匿名設定
光が、消えた。
誰もが力尽きていた。紅丸は大刀を杖にして膝をつき、焔も負傷したのか、左肩を右手で押さえながら荒い息をついている。ポロコックルは気が抜けたように尻餅をつき、キャルロットも力尽きてぺたんと地面に座り込んだ。
ただ一人、ナズナを除いては。
その視線の先には、人の姿を取り戻した幻宗斎の倒れ伏した姿があった。
「……フ、フフ。ククク……」
奇妙な笑い声をあげながら、幻宗斎がゆっくりと身を起こす。
「偽りの神とは申せ、貴様が神であったのが誤算であったか。滅ぼすべき忌まわしい旧世界の神が」
「貴方の行いはともかく、貴方自身を否定しようとは思いません」
ナズナは静かに言った。
「貴方をその選択へと奔らせてしまった、わたしの非力を嘆くだけです。教えてください、神器の行方を。他にどれほどの神器が奪われ、どれほどのお仲間がいるのですか」
「痴れたことよな、小娘よ」
幻宗斎は苦痛に顔を歪めながら口を開く。
「儂が倒れても、仲間が儂の死体を踏み越えてゆく。仲間が倒れても、さらに仲間が引き継いで進んでゆく。“真なる神”がこの世に君臨し支配するまで、我らの歩みは止められぬぞ」
「どうして、そこまでして……」
「知れたことッ!」
幻宗斎は、吼えた。
「貴様はあのおぞましい飢饉を知るまい。人々が喰らい合い、親の肉を切り刻み売って糊口をしのぎ、幼子を連れた母が子供ごと行き倒れ腐ってゆく。そしてその肉にすら民衆が群がりて餓鬼のごとく死肉を貪り喰らう、この世の地獄を。全てそれは、各地を治める無能な大名どもと、そこにいる犬めが仕える無慈悲な幕府がもたらしたものよ。故にこそ、この国はたったひとりの神のもとで、もう一度ひとつに統一せねばならん」
「ひとつになれば、人は救われますか?」ナズナの目には、かすかな怒りの色が浮かんでいた。
「ひとつになれば、飢饉や疫病、戦争、理不尽な死、あらゆるものがこの世から消え去るとでもいうのですか」
「飢饉になれば、死すべき愚かな民草を先に刈ることによって、食料を生くるべき優れた者たちに回すことができる。病になれば、病んだものを殺すことでさらなる広がりを防ぐことができる。たったひとりの神に仕えるのなら、誰もが喜んでその命を差し出すのだから、争いなど起こりようもない。貴様の言っていることは、聞くまでもない戯言だ」
「違うっ!」
ナズナは叫んだ。
「飢えた者がいるなら、なぜその手を取って、共に飢えの無い世界を作ろうとしないのです! 病に伏せる者がいるなら、なぜその病を根絶する道を探らないのです! 争いは消えなくとも、せめて殺し合わぬ道を探ろうとはしないのですか! 苦しむものに唾を吐き、恐怖でもって人々の心を支配しようとするのなら、……そんなものは、そんなものは神ではありません!」
「人は力ある神を信じ、力ある神に祈りを捧げる。力無き神の言葉などに、誰が耳を傾けるというのか。ほれ、アマツバラの祖たる、この国を造った国産土なる神を見よ。偉大なるスメラギの神に跪き命乞いをしたあの惰弱な神は、今では祈りを捧げる社ひとつすら残っては居らぬではないか。そんな神の元では、人は畜生に落ちるだけよ」
幻宗斎は嗤った。叶わなかった願い、実現できない未来。そして、それを自らの手で成し遂げられなかった、己が非力を嘲笑うかのような乾いた笑みで。
「いくら語ったところで、汝と儂が分かり合えることはない。せいぜい我らが仲間に敗れ去り、真なる神の元に膝を屈するがよい。よいか、儂は汝に敗れたのではないぞ。我が非力であった故、我が理想の実現にその才が及ばなかっただけなのだ」
幻宗斎は目を瞑り、天を仰いだ。既に肉体の崩壊は致命的なまでに進んでおり、左腕が黒ずんでぼとりともげ落ちる。その顔はなぜか、長年捕らわれていた憑き物が落ちたかのような、穏やかな表情が浮かんでいた。彼は残った右腕をゆっくりと自らの首に添える。
「いかんっ! ナズナ、あいつを止められるか? 奴にはまだ吐かさねばならぬことがある!」
「もう、無理です!」
焔の叫びにナズナが答える。大粒の涙を流しながら。
「人の身で、神器の……、神器の力なんて使うから……ッ!」
幻宗斎は、天へ向かって微笑んだ。
「偉大なる王、真なる神たるスメラギの御子よ。臣は、臣は敗れ去りました。共に覇道を歩めぬ我が非才を……、お許しあれッ!」
幻宗斎は、自らの首を引き千切った。
脆くなっていた肉体は、右腕も引き千切れて地面へと落ちた。やがて胴体も崩れて黒い粉と化し、風に吹かれて消えていった。
ナズナは涙を流しながら膝から崩れ落ちた。幻宗斎の残骸である黒い粉を握りしめて。苦界に苦しむ人を救えなかった罪、そしてこの世界に降りた神として、人をそこまでの絶望に追いやってしまった自らの非力を嘆きながら。
「結局、余計に謎が増えただけか」
紅丸は大刀を背負いながら言った。若いのに疲労感と徒労感が、その顔に色濃く浮き出ている。
「スメラギのミコ、ってなんだ?」
無邪気に尋ねるポロコックルにサスケが答える。
「この国を治める皇室の王子、あるいはスメラギの神の子である帝のことだ。もっとも、今は幕府の将軍様が治めており、皇室など実権を持たぬ権威だけの存在に過ぎん。それに今上帝はなかなかに聡明なお方だと聞くが、まだ八つに過ぎん。この話、どうにも裏がありそうだぞ」
「ほむらっ! そんな、こ・と・よ・りっ!」
キャルロットが腰に手を当て、怒りの表情を浮かべてサスケに詰め寄った。
「サスケって何? 御庭番ってどーゆうことよっ! 狼を追いかけているとか、もっともらしいことを言っちゃってさ。結局、アンタがその狼だったんじゃないの。どういうことか、ちゃんと説明してよ!」
「い、いや、アズマには『敵を欺くにはまず味方から』と言ってな……」
「そんなのカンケーないっ!」
たじろぐサスケに、キャルロットは指を突きつけた。
「あたしたち、大切な仲間だったんじゃないの。だったら、仲間に隠し事するべきじゃない。そうでしょ」
「し、しかしな……」
キャルロットの剣幕に押されながら、ふと、サスケは何かに気づいたようだ。その表情にはどことなく、何かを懐かしむかのような笑みが浮かんでいた。
(……そうか、仲間か。久しく聞くことはなかったが)
サスケは晴れやかな表情で顔を上げた。
「その通り、我らは仲間だ。仲間に隠し事などするべきではなかったな。全く、すまぬ」
ここまで素直に謝られるとは思っていなかったキャルロットは、目をぱちくりさせている。
「俺はお庭番のサスケ。お前たち南蛮人の言葉でいう、スパイだ。俺は幕府を転覆させようとする何者かの陰謀を知り、この辺りでそ奴らが何事かを計画していることを聞きつけて、身分を偽って探りを入れていたのだ。此度のことで、それは何とか防ぐことができた。どうだ、詫びといっては何だが、俺はこれより報告のために将軍様のいる東都へ戻る。スパイゆえに国家機密を話すわけにもゆかぬが、何かわかったらお主ら仲間にも情報を共有しよう」
「わたしも行きます」
ナズナが歩きよってくる。その顔にはもう涙はなく、ただ決意だけがみなぎっていた。
「もしまだ神器を手にした人々がいて、それを悪用することで嘆き悲しむ人々が出るのであれば、わたしはそれを止めなければなりません。この世界に神器をもたらしてしまった、天津原の末裔たる神成人として」
サスケはしばらくナズナの顔を見つめていたが、やがてその決意を見て取ったのかゆっくりと頷いた。
「わかった。ならば東都にくる場合は番所に話を通しておく故、訪ねてきてくれ。他の地へと向かう場合でも、手紙をくれればできる限りの便宜を図ろう」
「ありがとう、サスケさん」
紅丸もナズナに近づいてきて言った。
「嫌じゃなければ俺も連れて行ってくれ。俺の一族がどうなったのかも、まだわかってねえからな。都で知っている奴がいるなら聞いてみたい。それに、密書とかの件もあるしな。一応こんな俺でも用心棒代わりくらいにはなるだろ」
「もちろんだよ、紅丸ちゃん」
「その、ちゃん、ってのは……まあ、いいけど」
ナズナはキャルロットの目を見つめた。キャルロットはにっこりと笑みを浮かべた。答えなんて、はじめから決まっている。
「もちろん、あたしもナズナと一緒に行くよ。師匠としてナズナに教えなきゃいけないことは、まだまだいっぱいあるんだから」
「ありがとう、キャロちゃん!」
ナズナはキャルロットに抱き着いた。
その様子を見つめていたポロコックルが、残念そうに口を開く。
「あーあ、ボクも一緒に行きたいけどなあ。もうまほろばで祀られちゃったから、ここで離れると繋がりが切れて、また放浪神に逆戻りになっちゃうんだよな。まあ、オマエがいない間は、このボクがまほろばを守るから安心しとけって。もし無事に帰ってこなかったら、里はボクがもらうから覚悟しとけよっ」
と、心配してるんだかケンカを売っているんだか、わからないようなことを言う。ナズナはポロコックルを見て微笑んだ。
「うん、ポロちゃんが里を守ってくれるのなら百人力だよ」
「俺も残るぜ」と権之助。
「このガキんちょの面倒は俺が見るから安心しとけ。それに、もしまた変な奴らがまほろばを襲ってきたとしても、今回みてえにこの俺サマがギッタンギッタンにのしてやっから安心して行ってこい!」
いきむ権之助に、サスケが呆れたように言った。
「……権之助。お前、何か役に立ったか?」