ナズナのアトリエ ~悩める錬金術師とまほろばの神~   作:匿名設定

6 / 7
第一章 まほろばの地へ(3)

 ナズナは両親の顔を知らない。

 ナズナはまほろばの出身ではない。いわゆるマレビトであった。稀人は旅人と解釈されることも多いが、現代における旅人とは意味が異なる。

 物見遊山の旅人など殆どいなかった時代だ。

 幕府がアヅマを統一して百年余り。各地の大名は幕府の天下を認めたにすぎず、彼らは幕府の権威を認めながらも自治権を持ち、領土の境界に関所を設けて出入りする人を厳しく制限していた。

そんな中で旅をする者は、大抵は許可を得た旅商人か武士、あるいは事情により住んでいた土地に住めなくなった者たちであった。

 要因はいくらでもある。村の掟を破った者、飢饉や疫病によって村ごと離散した者、野盗の襲撃から命からがら逃れた者。表向きは人身売買は禁じられていたものの、人を攫って奴隷として売ったり貧しい地域では子供を奴隷として売ったりする親もいた。そうした人々は運良く過酷な環境から逃げ出せたとしても、元居た村に戻ることもできず山野を彷徨い野垂れ死にするか盗賊にでもなるしかなかった。

 ナズナの生まれる数十年ほど前にも、アヅマ全土に大飢饉が起こった。特に北の地では数十万人が犠牲となるほどの被害が出て、中には住み慣れた村を捨ててはるか西まで逃げ延びようとした集団がいたことが記録に残っている。彼らの道中は悲惨だった。国抜けは支配者を見限る重罪であり、関所で止められた者は拷問を受けるかその場で見せしめに処刑された。道中で脱落したり各地の村々に彷徨いこんだ者は、この災害から逃れようと必死な近隣の村人たちの手によって僧侶の身代わりに即身仏として生贄にされた。最終的には十数名が西にある気候の温暖な内海の小島にたどり着いたようだが、そこから先の記録はない。

 悲惨な戦乱は終わったが、地上は理想郷にはほど遠かった。人々はこの過酷な世界で死に物狂いで生きていた。誰かの命を犠牲にして、「どうかわたしだけは殺さないでくれ」と必死で神に命乞いをしながら。

 ナズナの両親にどういう事情があったのかはわからない。彼らがまほろばの里に迷い込んできた時、アズマの地にはまだ大飢饉の影響が色濃く残っていた時代であった。いまだに収穫量は飢饉の前ほどには戻ってはおらず、餓死する者もまだ珍しくはなかった。まほろばの里は大飢饉の際、山に住むヤマビトと平地に住むヒラビトが一丸となって協力し難局を乗り越えたが、それでも少なからぬ犠牲が出た。

 まほろばの里には人を生贄にしてその魂を人形へ縫い付け神成人として祀る風習がある。飢饉の折にも飢えて里へと彷徨いこんだマレビトがおり、飢饉を防げず力を失った前の神成人に代わる新たな神成人にしようという話が持ち上がった。だが、老人たちが飢えで倒れる中で若くして指導者となった当時の里長は、皆の前でこう言った。

「無理やりこさえた偽りの神が、我らを救ってくれた事など一度とてあったろうか。こんなことをしてもアマツハラの神人は戻っては来ぬ。誰かを犠牲にして神に命乞いをするような真似はもう止めようじゃないか」

 里に迷い込んだツネヒサを救って天領となった故事もあり、もろ手を挙げてとはいかなかったがひとまず生贄の儀式は中止された。里にも余裕はなく、マレビトにはわずかばかりの山芋の蔓を煮て持たせ追い払うしかなかったが、それでもこの出来事はまほろばの里が変わるきっかけとなった。ナズナの両親がまほろばの里へ迷い込んできた時、生贄の儀式が中止されて既に二十年余りの歳月が流れていた。

 野盗にでもやられたのか。風が吹き荒れる嵐の夜、その若い夫婦は傷つき村のはずれで血塗れになって倒れていた。治るかどうかはわからぬが、里人たちは彼らを里長の家へと運び込み手当てをした。幸いに彼らが抱いていた赤子は無傷で無事だった。里人たちは、野盗にやられたにしては妙な傷だと噂しあった。やがて目を覚ました夫婦は、里人に対して治療してくれたことへの礼と、自分たちにもしものことがあればこの子を頼むと言い残した。その赤ん坊は、見たこともない何か不思議な小さな道具を握りしめていた。

 翌日、二人のマレビトの姿は消えていた。

 赤ん坊は里長の元に残された。異論は無いでもなかったが、既に生贄の儀式は行われなくなって大分経つ。その子は里長が自分の子のひとりとして育てることになった。特に生贄の儀式を中止した元里長、隠居した先々代の里長に見守られ可愛がられながら、その女の子はすくすくと成長した。

 その女の子には、五つになるまで名前がなかった。

 美しい女の子だった。最初は預けられた春嵐の日にちなんで“お春”と名付けられたがどうもしっくりとこない。元里長の長老が首をひねりながらもお稲、お米、お斎、お花、お熊、お雪とも呼んでみたが、どれもふさわしくないように思われた。息子である今の里長からは「うちで三人目の女の子だから“おさん”でよいではないか」と言われたが、彼は納得できなかった。その子はおっとりとした雰囲気ながら農民の子とは思えぬ気品があり、どこぞの名のある武家か公家のご落胤ではないかとも噂されていた。どうせなら、昔話に語られるような立派な名前にしてやろうではないか、そう思い悩んでいるうちにその娘は五つになった。

 その日も、ある嵐の晩であった。

 ヤマビトが昼ごろに嫌な生臭い臭いがしていることに気がついた。前日まで不自然に騒がしかった獣も、夕刻にはひっそりと鳴りを静めている。山鳴りの音を聞いたというヤマビトもいた。人々はヒラビトの住む平地へと避難し、荒ぶる山神に怯えながらどう鎮めるかを話し合っていた。大人たちに交じって子供たちも怯えた表情を浮かべおとなしくしていたが、あの名無しの女の子の姿が見えないことに気づいた者は誰もいなかった。そのうち元里長だけが彼女のいないことに気づき騒ぎ出したが、一体どこへ行ったのやら、夜更けにこの嵐では既に手遅れであった。

 夜も更けたころ、見張りについていたヤマビトが叫ぶ。

「山嵐が来たぞーっ!」

 土砂崩れが起きた。

 激しい雨で地盤が緩んでいたのだろう。四方の山の表面が一斉に崩れ、岩や草木を巻き込みながら轟音を立てて地響きと共に盆地の中央へとものすごい速度で流れ込んでくる。山に囲まれた盆地にある僅かな平地に築かれた里はひとたまりもない。人々は慌てて雨の降りしきる中を家から飛び出したが、一寸先も見えぬ闇夜でももはや手遅れなのは誰の目にも明らかであった。里人たちは混乱の中で喚き泣き叫びながら、妻を、夫を、子供を、両親をしっかりと抱きしめ、土砂が全てを飲み込み埋め尽くす最後の時を待ち受けた。

「……なんということだ!」

 最初に気づいたのは元里長であった。いつの間にか姿を消していた名無しの女の子が、里外れの境界に立っていた。

 慌てて駆け寄ろうとした元里長を周囲が止める。もう間に合わないのは明らかであり、彼女が土砂崩れの最初の犠牲者として生き埋めになるのは確実であった。だがその子は、暗闇の中で地響きを立てて迫る土砂に動じることもなく、懐から何かを掴みだして天へと放り投げた。

 眩い光とともに、大地が裂けた。

 里を囲むように巨大な割れ目が生じ、大量の土砂がその割れ目の中へと落ちてゆく。人々が呆然と見守る中、割れ目は土砂をひとしきり飲み込むとまた元のようにぴたりと閉じた。

 いつの間にか嵐も治まり、まるで何事もなかったかのような静けさの中で、女の子は無傷で無事だった里を見渡しながら、茫然自失の体で放心状態にある人々に向けて無邪気に微笑んだ。

 名無しの女の子は、奇跡を起こした。

 一度きりではなかった。日照りの年には雨を呼び、水害が起きそうな年には雲を去らせた。流行り病を癒し、傷ついた村の設備を直し、里人の間に不和が生まれそうな時は事前にその芽を摘んだ。彼女がにこにこと無邪気な笑みを浮かべてその場に現れると、争いはそれだけで治まってしまった。

 やがて名も無い女の子は現人神、弱い者を生贄にして作られた偽りの神ではなく、真の神成人として里人に崇められるようになった。その娘は里人の総意で“ナズナ”と名付けられた。それはかつてタカツハラ神族に追われ鳳となって飛び去り、このまほろばの地に舞い降りたと言われる最初のアマツハラ神族の娘の名であった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。