全てがスローモーションに見えた。こちらへ向けて駆け出してくる神代の動きも。だらりと両手を下げて固まったギルドの団員たちの姿も。唇の端から血を流す――椿の表情も、何もかも。
胸の中央、一突きだ。レイピアを引き抜くと同時に、空洞からは血が溢れ出す。心臓を貫いた。痛みは無かったと信じたい。椿はその場で膝から崩れ、地面に横這いに転がった。
「桜子おおおおおおっつ――――!!!!」
椿に近寄ろうとする神代の肩を掴み、進行を阻む。
「はなせえええっ!!!!!」
「近寄らない方が良い。相手は寄生型のモンスターだ。寄生される条件が分かってない以上、安易に近づくのは――」
「黙れっ!!!!」
殺意の眼光。気圧された俺は一瞬たじろぎ、その隙に神代は椿の元へと駆け寄った。
「さく……ら……こ……」
神代は椿を抱き寄せる。白銀の鎧が血で汚れることなど厭わずに、力いっぱいに彼女の亡骸を抱きしめた。
「う……あ、あ……あ、あああっつ…………!!!!」
幼子のように泣きじゃくる神代。椿は神代にとって、唯一と言って良い対等な存在だったのだろう。神代のことを『エリス』と呼ぶのは、この部隊でただ一人――椿だけだったのだから。
団員たちも、次々と椿の周りに集まり始めた。あちこちで聞こえる嗚咽、鼻を啜る音。そしてその様子を一歩引いた場所から、冷めた目で見つめている俺がいる。悲しみに満ちたこの場において、涙の一つも浮かべていないことに、俺自身ですら薄ら寒さを覚えた。
椿と過ごした時間は短い。
それでも、彼女の笑顔は今でも瞳にくっきり焼き付いている。
彼女の境遇を聞いた。
力になりたいと思った。
だったらなぜ、こんなにも心が反応しないんだ?
――同時に悟った。
「……そうか。……俺はもう……化け物だったのか……」
人の心など、とうに失っていたんだ。復讐に焼かれモンスターを殺し続けている内に……俺自身もまた救いようも無い化け物になっていた。
(
だが、それでも構わない。
この肉体が動き、まだ命が繋がっている限り、俺は奴らを殺し続ける。その為ならば、修羅にだって身を投げてやる。
神代はひとしきり泣いたのち、ゆらりと立ち上がった。無言で俺の元へと近づくと、胸ぐらを掴み上げる。
「なぜだ……! なぜ桜子を殺したあああああっ!!!! 御剣いいいいいっ!!!!」
まなじりに涙を浮かべながら、神代は吠える。焼け付く激昂受けてなお、俺の心は冷え切っていた。
「彼女は既に自我を失っていた。モンスターに寄生されたんだ。ああなってしまったら、もう助ける術はない」
首元を絞める手に、一層の力がこもった。
「助ける術が、ない……? それはお前が勝手に決めたことだろうがっ!! 外に行けば医者だっている!! まだ方法はあったかもしれないだろっ!!!!」
「寄生モンスターなんて外に連れ出して、もし他の人間に取りついたらどうなると思う? 未曾有の大災害だ。どれだけの人間が犠牲になるか分かったもんじゃないだろ」
「――っ、それでもっ!! 桜子は……まだ、生きてたんだ……! お前はいったい何の権利があって、その命を奪った!!!! 答えろ御剣っ!!」
神代は首元から手を離すと、ランスを構えた。震える切っ先を向け、涙を流しながら俺を睨む。A級まで昇り詰めるような探索者が、まさか知らない訳でもあるまい。
「寄生されて自我を失ったら、それはもう人間じゃない。人の皮を被ったモンスターなんだよ。モンスターは……人間に仇名す敵だ。敵に情けをかけるなよ、神代」
「おまえっ――!!!!」
「ダメです隊長! 抑えて下さいっ!!」
今にも襲い掛からんとする神代を、数人の団員たちが取り押さえる。神代を全身で押し留めながらも、団員たちは俺のことを睨み付けた。これだけ言い聞かせてもまだ足りないのか? だったら、もっと分かりやすく教えてやるよ。
俺はこの場の全員に向かって、改めて語り掛ける。
「見た目に惑わされるな、奴らは敵だ! 剣を向けるのを躊躇すれば、こっちが狩られることになる! むしろ人の姿をしてるってなら、普通のモンスターを殺すよりも簡単だ。モンスターは時に俺たちの想像を超えた動きをする。体の構造、特性からして、人とは大きく異なるからな。外見だけでは分からない、驚異の身体能力を見せることもある――」
良く回る舌だ。なぜ俺は今、こんなどうでも良いことをべらべらと喋っているのだろう? 自分の声が酷く不快で、気持ちの悪いものに感じられた。
「けど相手が『人の肉体』を動かしてるってなら、話は別だ。どれだけ無茶な動きをしようと思っても、人間の体には限度がある。敵の身体データが頭に入った状態での戦闘……これはアドバンテージ以外の何物でもない! 普通のモンスターを相手にするよりも、ずっと楽だと――」
「……御剣……」
熱の抜けた呼び声。顔を向けると、そこにはランスを下ろした神代の姿。
神代はまるで穢れたものでも見るように、顔を引きつらせていた。
「……お前……本当に……人間か……?」
そこには嫌悪と憐れみが混ざり溶け合った、黒い感情だけが残る。
「探索者なら、モンスターを殺すことだけに意識を向けろ。それが俺たちの役割だろ?」
殺せ。
殺せ。
殺せ。
奪われた分だけ殺せ。
憎しみを糧とし殺せ。
背負わされた悲しみの分まで――殺し尽くすんだよ。奴らを。
「このっ……狂人がっ……!! 人でなしっ!!!! 許さない……! 私は貴様を……絶対に許さないからなっ……!!」
そんなこと改めて言われなくても分かってる。俺の心は壊れてる。
――でもな神代。
「……お前は椿さんに……仲間を、殺させたかったのか?」
短く息を吸い込む音。俺の問いかけは、神代から生気を奪い去った。神代は項垂れ、血に塗れた鎧を引きずりながら、部屋の奥へと姿を消したのだった。
第三層の終点にて、生存者がいないかの捜索が始まった。皆重い足取りで、屍の山をうろついている。神代は一人ダンジョンの片隅にしゃがみ込み、虚ろな眼でその様子を見守っていた。一通りの捜索が終わると、結果を伝える為に数人が神代の元へと駆け寄る。
「……先遣隊は、全滅していました…… 遺体の人数も合ってます…… フロアの
神代は一言、「そうか……」と呟き、上の空で天井を仰いだ。
静寂の中、震える声音で団員の一人が叫ぶ。
「クソっ!!!! なんで……なんでこんなことになったんだよっ……! みんな死んじまったじゃねぇか……たかがイエローゲートの、攻略ぐらいで……」
第四層へと続く石段、付近には数人の団員たちが集まっていた。だが誰一人として、その先へは進めない。皆、まだ心の整理がつかないのだ。
「すみませんでした隊長っ!! 俺がっ、俺がもっと椿のことを気に掛けていたら、こんなことには……!」
椿と共に向かった護衛の一人。レイピアを防いでいた男が、石床の上へと頭を擦り付ける。額には血が滲んでいた。
「…………」
神代はうなだれ、黙ったままだ。魂の抜けた人形とでも言うのか。ただ椿の名を聞くと、その表情が僅かにだが歪んだ。
部屋の突入時に床へと倒れていた護衛は、応急処置を済ませたが、出血が激しい。今はまだ何とか意識を保っているが、これ以上長引けば命にかかわるだろう。ダンジョンの攻略を急がねばならぬのは明白だった。
だがそれでも、皆動き出せない。先遣隊の死が。椿の死が。まるで楔のように、ギルドの進行を留めてしまっている。
そんな状況でただ一人、声を荒げた男がいた。
「いやぁ、しっかしひでぇもんだなあ。こんなに沢山死んじまうなんてよぉ!」
場違いな程に頓狂な喋り方だ。これまでに何度も聞いた、この不快な声の持ち主――
「……羽黒さん。そんな言い方って……!」
「なんだよ、事実だろ? まあ先遣隊はしゃあねぇわな。連絡が途絶えたって時点で、薄々みんな感じてただろ? もう手遅れかもしれねぇってな……!」
団員たちを見渡し、語り掛ける羽黒。発破のつもりだろうか? 今は足を止めるのではなく、前を向くべきだと。そう言いたいのか?
――いや違うな。
これまでの言動を遡ってみろ。こいつがばら撒こうとしているのは、もっと純然たる悪意に違いない。羽黒は俺の方を一瞥し、にやりと唇を歪ませた。
「……でもよぉ、椿は違うよなあ? 寄生モンスターだか何だか知らねぇが、とどめを刺したのはそこのハイエナだぜ? まだ意識のあった椿を、真っ正面からブスりと来たもんだ! ひでー話だっての!!」
部隊の後方にいた俺を指差し、そう雄弁に語る。全員の視線が一斉にこちらを向いた。
「椿は貴重なヒーラーだったんだぜ。それをこうもあっさりと殺されちまって。帝国ギルドの戦力ダウンも甚だしいじゃねぇか! ……だーれだったっけなぁ? こんなハイエナをダンジョンに連れて来ることを許可した、能無し野郎はよ?」
神代の方をちらりと見やり、羽黒は鼻で嗤う。
「おかげでご覧の有様だ。目の前で大切な仲間を失って、心苦しいったらねぇよ。なあみんな? そうは思わねぇか?」
羽黒より投げ掛けられた疑問符。それが着火剤となり、
「…………何も……殺すことは、無かったんじゃ……?」
誰かの心の呟きが漏れた。
「……そう、だよな。寄生モンスターの仕業だって言うけど、ほんとのところは分からないじゃないかっ……! もしかしたら、少し錯乱してただけかもしれない……! 助けられる道だってあったかもしれないのにっ!!」
呟きは徐々に非難に転ずる。まるで薪をくべられた火種。
「そうよ……あの子、いっつも自分を犠牲にして、みんなを助けてくれて……本当に、良い子だったのに……! どうしてこんな目に合わなくちゃいけないの!!」
「俺、まだ椿に恩返し出来てねぇよ……! ううっ……!」
理性を焼き、悲しみと憎悪が場を支配する。もう誰にも止められない。そしてその様子を見てただ一人――羽黒は嗤っていた。
(ああ……良く知ってるよ、この顔は)
獲物を捉え、犯し、弄ぶ。
――
皆の混乱と後悔が渦巻く中。顔を覆い隠して泣きじゃくる女が、ぽつりと漏らした。
「……椿を返してよ……」
場が凍り付いた。涙も嗚咽も呻きも、その一言で全てが止まり、誰もが息を呑む。女はぐしゃぐしゃになった顔を上げ、俺を睨み付けた。
「ねぇ返してっ!! 私たちの椿を返してよっ!! アンタが……アンタが椿を殺したんじゃん!! ねぇ返してったら、この人殺しっ!!!!」
怨嗟の叫びが、雑音のように耳をすり抜ける。俺の心は相変わらず冷え切ったまま、何も感じない。羽黒が俺の肩に手を載せ、呟く。
「ハイエナぁ……てめぇついに本性見せやがったな? 死体漁りだけじゃ満足できなくなったってか? お?」
首に親指をあてがいながら、横一文字に根本を切った。
「ここを出たら直ぐに公安に通報してやる。お前の人生オワリだ。覚悟しとけや。このヒ、ト、ゴ、ロ、シ♥」
そしてそのままうなだれる神代の耳元に口を近づけて、そっと囁いた。
「……椿が死んだのはてめぇの判断ミスでもあんだぞ? 分かってんよな、副団長様よぉ?」
その言葉にピクリと反応する神代。だが何一つとして言い返さない。虚空の一点を見つめたままだ。羽黒は小さく舌打ちすると、溜息をついて吐き捨てる。
「神代ぉ、お前もう副団長おりな? もともとお前には荷が重かった話なんだよ。団長には俺の方から報告しておいてやるからな。今回件の責任、しーっかりと噛みしめろや? はははっ……!!」
耳障りな嗤い声を残し、奴はその場を立ち去った。既に部隊は崩壊し、秩序が失われた。頭の中に灰色の靄が立ち込める。体が重い。
――だが、俺にはまだやるべきことがある。
「……行くか。次の層へ」
そう言い残し、俺は皆を置いて第四層へと姿を消した。
この地獄を生み出した親玉を、必ずこの手で殺してやるよ……