階段を降りると、すぐ目の間には大扉。これまでの扉とは異なり、派手で悪趣味な装飾が施されていた。扉の向こうでは何かが蠢く気配がある。隙間から漏れ出る死臭に思わず顔をしかめた。窒息しそうなほどの威圧感だ。
(他に道も無い。ここが終点だな……)
さながらダンジョン全域を統率せんとする――『大いなる意志』とでも言うのだろうか。そんな不気味な物が、部屋の内側で静かに渦巻いていた。この先にボスが待ち構えているのは明白。俺は肩を回しながら、首を左右に二度鳴らす。
「……さっさと討伐して、終わらせるか」
扉に手を掛けようとした俺を、上層からの怒鳴り声が呼び止めた。
「おいっ!! てめぇ何勝手に先行ってんだ!」
羽黒が俺の後を追いかけて、すぐさま階段を下って来る。握り拳を震わせながら、顔を歪めて俺のことを睨んだ。
「ハイエナ、俺言わなかったか? 単独行動はするなってよぉ?」
「神代が隊長として機能していない以上、アンタらギルドはもう動けないだろ。このままダンジョンに長居しても仕方ない。俺がボスを討伐して、全部終わらせる」
「はっ!! てめぇみたいな無能力者がボスを倒すだって? 寝ぼけてんじゃねぇぞグズが! いっぺん痛い目見ねぇと気ぃすまねぇか?」
羽黒は右腕をまくり上げると、たちまち腕全体が帯電を始めた。迸る雷が肌を総毛立たせ、鼓膜を震わせる。
(……雷系の能力者。だが、この出力は……?)
なるほど得心が行った。
帝国ギルドがなぜこのような愚物を所属させているのか、不思議で仕方なかった。ここに至るまでの道中、俺は奴の剣術を何度か目撃した。その腕前は……言っちゃ悪いが、
「見な! てめぇみてぇな無能力者には、逆立ちしたって出来ねぇ芸当だろうが!? なんなら今ここで消し炭にしてやっても良いんだぜ? うん?」
何てことは無い――ただスキルが強いから。それだけの理由で優遇されていた訳だ。あまりにもつまらない種明かしに辟易する。泥臭い剣術なんて必要ない。強力なスキルさえ持っていれば、必然的に探索者ランクは高くなるからな。
――とは言え。
(……まだまだ制御が甘いな。スキルを解放した余波で、周りの壁が焦げ付いてやがる)
如何に強力な力とて、結局はそれを扱う当人の鍛錬次第。こいつは身に余る力を天から授かっただけの、典型的な自惚れタイプ。それだけのこと。
「神代はダンジョンの攻略を途中で放棄した! その上、椿を死なせた責任もあるからなぁ! 副団長の座を剥奪されるのは間違いねぇ! ……代わりに俺がボスをぶっ殺して、このダンジョンを制覇する! そうすりゃ誰もが認めるだろうよ……この俺こそがっ!! 帝国ギルドのナンバー2に相応しいんだってなぁ!! ヒャハハハハハッ!!」
血走りギラギラ輝く目、これがこの男の戦う理由か。地位だの名誉だの――なぜそんなものに執着するのだろう。他者を蹴落とすことしか考えていない。こんな奴がいるから、無駄な犠牲が増えるのだ。
……さながら疫病神か。
「じゃあアンタがボスを倒せばいい。俺は何が起ころうと、一切手は出さない。それで良いな?」
「元よりそのつもりなんだよ! 引っ込んでろや、ゴミがっ!」
羽黒はそのまま乱暴に大扉を押し開けた。中からは粘つくような重い空気が溢れ出す。
(ダンジョン全体に漂ってたこの異様な気配……やはりこの先のボスが原因か)
俺の緊張もいざ知らず、羽黒は何食わぬ顔で部屋の中へと足を踏み入れるのだった。
目の前に広がったのは、だだっ広い空間。部屋の大きさ自体はこれまでと大して変わらないだろうが、モンスターの集団がいない分、心なしか広く感じられた。
そして部屋の丁度中央――そこに、ボスはいた。
グジュ……グジュ……
赤黒い軟体生物。
例えるならそう、スライムだ。
真っ赤なスライムが、ただポツンとその場にいる。異様な光景だ。目の覚めるようなあの『深紅』は、いったい何の色なのか。
これまでに奴が喰らって来たモンスターや探索者たち――その血肉を想起させた。
(気色の悪いオーラを撒き散らしやがって……)
このダンジョンは言うなれば、奴の腹の中。全ての生物は奴によって寄生され、思うがままに動かされている。リザードマンが俺の毒を受けても無反応だったのはそれが理由か。傀儡をいくら殺したとて、本体にダメージが行く訳ではないからな。
「はっ……! んだよコレっ! どんなおっかねぇモンスターが出て来るかと思ったら、コイツがボスかよ!? 拍子抜けだぜ、アッハッハッハッ!!」
羽黒は腹を抱えて笑っていた。この男には分からないのだろうか? 目の前のスライムから放たれる、濃密な血の匂いが――
「あー、おもしれぇ! 身構えて損したぜ。んじゃ、さっさと終わらせてやるとすっか。上の奴らが来る前に決着がついてた方が見栄えが良い。アイツらも、涙を流してこの俺に感謝することだろうよぉ!」
スライム目掛けてゆっくりと歩を進める羽黒。まくった腕から雷を放出させ、周囲に雷撃の火花が散る。手のひらをかざして、雷を圧縮。空気を震わせる。
グジュ……!
雷撃が床へ飛び、スライムの表面に被弾。奴の内部がぞわりとひとつ脈動した。
まるで次なる宿主を見定めた、狩人――
「死んどけや、雑魚が」
雷を放つその刹那。
赤い障壁が、羽黒の正面を覆い尽くす。
「なっ――!!!!」
ギチ……ギチギチギチギチ…………ギチギチ……!
突如スライムが膨張し、羽黒の視界を奪い去った。目の前で蠢く無数の触手。そのままスライムは羽黒を抱き寄せると、自らの器官の中へと招き入れた。
「なっ、何だよコイツっぅ!!!! うぁっ、や、やめろおおおおおおおおっ――!!!!」
必死の抵抗は虚しくから回る。数多の雷撃を受けても、スライムはびくともしない。羽黒の全身が、徐々に深紅の粘膜で覆われて行く。
「や、ヤベッ――!! おいっハイエナアアアアァ!!!! てめぇなに突っ立ってやがる!! 早く助けやがれっ!! たっ、助けろって――――!!!!」
浸食が顔付近まで広がった。終わるまであと数秒と掛からぬだろう。俺はただ冷めた目で、その様子を見守った。
「お、おいっ!!!! 頼むって!! 俺がっ、俺が悪かった!! だから助けてくれっつ!! 頼むっ!!!!」
絶叫は懇願へと様変わり……哀れだな。
――もう忘れたのか?
何が起ころうと手は出さないと、さっき念押ししたばかりだろうに。
「嫌だぁぁあああ!!!! 俺はまだまだ上に行くんだあああああっ!!!! こんなとこで死にたくねぇっ!! 死にたくねぇえええええ――――!!!!」
そんな哀れなお前に、相応しい手向けをくれてやるよ。
「良かったな羽黒。穢れきったその心に、ようやく肉体が追い付いたじゃねぇか。もう言い逃れできねぇよ。紛れもないモンスターだ、お前は」
レイピアの切っ先を向け、俺は静かに息を吐いた。
「――安心しな。化け物の俺が、怪物になったお前を心置きなく処理してやるからよ」
「あっ――あ、あああああああああああ――――!!!!!!」
顔全体を侵食した粘膜によって、羽黒の絶叫は飲み込まれた。全身を覆っていた赤い粘膜が、ぐじゅぐじゅと皮膚の上を這いずり回る。肉体内部への侵入を試みているのだろうか?
(……目に見える大きな外傷が無い以上、そう容易く入り込むことは出来ないはずだが……)
顔を覆っていたスライムの一部が口内へと入って行く。最もお手軽な侵入経路を選んだようだ。同時に腕には小さな孔を空け、少しずつ粘膜を内側へと送り込んだ。羽黒の意識は既になく、白目を剥いて奇声を上げた。
「ガッ……ガ……ギィィィィィッツ!!!!!」
右腕を上げる。同時に雷が腕に収束――
「ガアアアアアアアアッツ!!!!」
巨大な稲妻の塊が、腕に沿って生成された。周囲に飛散した雷により、みるみるうちに部屋全体が黒煙を上げる。凄まじい威力――それは同時に、掲げられた羽黒の右腕すらも焼き溶かす勢いであった。
(……痛覚の枷を取っ払ってやがる。肉体の壊れる限界まで、出力を上げられるって訳か)
俺は前傾姿勢でレイピアを構える。見据える先は奴の喉元。だが安易な突進はダメだ。金属のレイピアは雷の影響をもろに受ける。刺した瞬間にこちらが感電死ともなりかねない。
だったらどうするか。
「ま、たらふく味合わせてやるよ……!」
俺はポーチのブツを左手に握り込み、奔る。
「ガアアアアアアアアッツ!!!!!」
放たれる雷は出力こそ桁違いだが、精密さに欠ける。避けるのは容易い。俺は羽黒の目の前まで走り抜くと、そのまま握り込んだ小瓶を奴の顔めがけて投げつけた。
「………グ?」
小瓶が割れ、中の液体が全身を濡らす。
一瞬の疑問符。遅れてやって来る。
「ガッ、ギャアアアアアアアアアッツ!!!!!!」
――悲鳴。
そうだ、それこそがあるべき痛みだ。
ようやく自覚したか?
貴様はこれまでモンスター共に取りつき、表側には出て来なかった。傀儡を使役して、自らは安全な最深部で様子を眺めていただけだ。
「グアアアアアッツ、ギャアアアアアアアア――――!!!!」
だが羽黒に寄生したばかりのお前には、まだ接続が残ってる。羽黒の肌にべっとりと付着したその残滓は、直ぐには拭えない。肉体に入って行ったのはごく一部――まだまだ貴様の粘膜は外に残ってるじゃないか。
「だったら効くよな、この毒は……! フフフッ……!」
「ギャアアアアアアアアアアアアッツ!!!!」
ぐちゃぐちゃと不快の音を立てながら、スライムが羽黒の肌を這いずる。奇抜な変形を繰り返して悶えるさまが実に滑稽だった。
羽黒はお前の痛みの代弁者だ。声帯が無くっちゃ、苦痛を発散できねぇからなぁ?
「さあ気分はどうだ!? てめぇが殺してきた探索者の分まで、苦しんで苦しんで苦しみなぁ!! アッハッハッハァ!!!!」
相手がどれだけ強力なスキルを行使しようと関係ない。そんなものは全て俺の経験、技量で捻じ伏せる。
無能力者……? 上等だ。
この身は既に、貴様らを殺す為だけに捧げた修羅だ。一匹残らず、殺し尽くしてやるよ。
雷が霧散し消滅する。その隙を狙って、俺は羽黒の喉元にレイピアを向けた。
「ハアアアアアアアッツ!!」
喉仏を貫く一閃は、そのまま連撃へと派生した。重なる斬撃。羽黒とスライムが跡形もなくなるまで。突き刺し、抉り、そして屠る。体中に無数の孔を穿たれた羽黒は、そのままばたりと倒れ動かなくなった。
幕引きと同時に扉付近に喧騒。
「おっ……おい! 何だよコレっ!!」
ギルドの面々が次々と顔を出す。部屋中に飛び交った雷撃の跡を見て、皆が喉を鳴らした。団員の一人が異変に気付き、地面にゆっくりと指を向ける。
「は……羽黒さん……?」
全身に孔を穿たれた羽黒の死体。そしてそのすぐ隣では、レイピアを持って佇む俺の姿。どうなるのかは自明の理だった。
「……また……殺したの……?」
涙で震える声。ざわめきが徐々に大きくなる。
(……潮時だな)
もうここに用はない。
扉へと近づくと、皆が無言で俺を避けて道を作る。だがただ一人、俺の進行に立ち塞がった者がいた。
「……御剣、お前がやったのか?」
神代だ。その瞳にはまだ以前ほどの熱は無いが、隊長たる責任感が彼女の足を動かしたのだろう。
「このダンジョンのボスは寄生型のスライムだった。羽黒は寄生されたんだ。だから処理した」
誰かの非難の言葉が響いた。神代は意に介さず、俺の目を真っ直ぐに見つめる。
「……そのスライムとやらはどこにいるんだ?」
「さてな。羽黒に取りついてた所を一緒に討伐した。その時に消えちまったよ」
「…………」
神代は無言のまま、周囲を睨む。
雷撃の跡、床にこびりついたスライムの残骸。そして羽黒の亡骸にわずかに付着した深紅の粘膜。真実を推しはかろうとしているのか。だが、神代の口から結論が紡がれることは無かった。唇を噛みしめ、言葉を飲み込んだ。
「ボスは倒したんだ。このダンジョンは直に消滅するだろう。もう互いに顔を合わせない方が身のためだな。……じゃあな、神代」
「待てっ!!」
扉から出て行く俺を、神代は呼び止める。
「どこへ行くつもりだ?」
ダンジョンで死亡した人間は、現実世界には転送されない。死体はダンジョンの消滅に巻き込まれ、跡形も残らない。だから――
「……最後の挨拶だよ」
そう言い残した俺の背中を、神代はどんな顔で見送ったのか。前を見据えた俺には、知る由も無かった。