羅刹は、かく復讐せし   作:悠久久遠

16 / 17
第14話 剣聖

「……い、一千万って……!? 何の話ですか……!」

 

 神代の呼吸が止まる。同時に、桜子の母は不思議そうに首を傾げた。

 

「え……? このお金……ギルドの方々が置いて行かれたものじゃないんですか……?」

 

 目の前に置かれたアタッシュケース。その一面には、目のくらむような万札の束が敷き詰められている。正体不明で出所の分からぬ大金を前に、神代の背筋は粟立った。

 

 先日のイエローゲートでのいきさつ――桜子の死を伝える為に、遺族の元へと足を運んだ彼女だったが、まさかこのような事態に陥るとは露ほども思っていなかった。

 

「いえっ! 我々ではありませんよ!!」

 

「……そう、なんですか? 私はてっきり帝国ギルドの方が、あの子の髪留めを持ち帰ってくれたとばかり……ゴホッゴホッ!」

 

「大丈夫ですか!」

 

 咳込む母を支えようとするも、母は軽く手を上げてそれを遮る。神代は今しがたのやり取りを振り返り、そこに素通りしてはならない単語が含まれていたと気が付いた。

 

「……髪留め、と言いましたか?」

 

「はい、そうです。ケースに封筒が入ってて、その中に。あの子のもので間違いありません」

 

 桜子の遺体はダンジョンと共に消失した。当然、身に着けていた物も全て失われたはずだ。髪留めがこちらの世界にあるというならば、誰かが持ち出したと考える他ない。神代は胸の奥が差されるような痛みを覚えた。

 

「……桜子さんの髪留めを回収したという報告は、団員たちの誰からも聞いておりません。我々がやったのではないはず……なんですが……」

 

 神代は下唇を噛んだ。ダンジョンが崩落するその瞬間まで、茫然自失で時を過ごしていた自身の愚かさを呪う。思考放棄で成り行きに任せ、気付けば現実世界へと転送されていた。崩落の際、団員たちが何をどう動いていたのか、彼女は一切把握していない。

 

 その結果が、今のこの体たらく。誰が何の為に置いたのか、所在の分からぬアタッシュケース。自分が最後の瞬間まで部隊の統率を取れていれば……こんな不可思議な事態には陥らなかったはずだ。湧き上がる自責の念。母は怪訝そうにケースを見つめ、うわ言のように呟いた。

 

「あの手紙を書いたのは、いったい誰だったんでしょうね……」

 

「……手紙?」

 

 神代が眉を潜めると母は立ち上がり、部屋の奥から白い封筒を持ってきた。ちゃぶ台の上にそっと置かれた封筒を、神代は慎重に手に取る。

 

「拝見しても?」

 

 母は静かに頷いた。封筒を傾けると一通の手紙と、銀色の髪留めが神代の手のひらに転がり落ちる。その瞬間、神代は息を呑んだ。

 

「――っ、桜子っ……!」

 

 髪留めを握りしめ、震える指で手紙を開いた。その様子を母は固唾を飲んで見守る。

 

 

 手紙を読み終えた神代は、しばし呆然としたまま動かない。そこにはイエローゲートでの桜子の行動が克明に記載されていた。

 

 誰かを助けようと奔走し、そして命を落としたのだと――そう書かれていた。

 

 寄生モンスターについての言及は避けてあった。恐らく意図的に。わざわざ遺族に伝える必要はないと判断したのだろう。神代は握りしめた拳の指先が白くなるほどに、力を込めて手を震わせる。それは自らの不甲斐なさに押し潰されないための、彼女なりの必死の抵抗だった。

 

(……私は……私はいったい、何をしていたんだ……!)

 

 遺族へのケアは、本来ギルドが行わねばならぬもの。部隊を率いていた隊長として、自分が真っ先に動かねばならぬ案件だった。桜子の死を目の当たりにした時。先遣隊の死者たちを見つけた時――果たして自分は何をすべきだったのか? 遅すぎる後悔がその身を苛む。もし団員の誰かが代わりに動いていたのなら、当然自分の耳にも入るはず。

 

(誰だ……誰が、こんなことを……)

 

 視線の先に映し出される一千万。通常のイエローゲートの報酬金と比較しても、あまりにも法外な金額だ。少なくとも個人に支払われるような額じゃない。何故、これほどの大金を置いて行った? 何故――

 

「……あ……」

 

 ふと、脳裏にひとつの影がよぎった。

 

 あの日の事件の顛末を知っており、かつ桜子の髪留めを回収可能だった人物。

 一千万円という報酬金を手に、ギルドを去ったあの男の姿が――

 

「御剣……?」

 

 神代の動機は早まり、額には脂汗が浮かんだ。母はその様子を心配しながらも、問いかける。

 

「……あの、神代さん。このお金、どうしましょうか…… あなた方が来た際に、直接お返ししようと思っていたのですが……やはり警察に届けるべきですかね……?」

 

「……いえ、それには及びません。それは桜子さんに支払われるべき、正当な報酬金です。是非とも受け取ってください。彼も……それを望むことでしょう……」

 

「彼?」

 

 首を傾げる母に、神代は説明をすべきか一瞬迷った。だが、まだ確証が取れたわけではない。事の真偽と理由を聞かずして、無責任な発言は出来ないと判断した。

 

「……いえ、何でもありません。そのお金は桜子さんの長年の働きに、我々が感謝の意を示したものだとお考え下さい。彼女にはギルドのメンバーも随分と助けられました。いつも我々のことを気に掛けて、誰よりも早く窮地に駆け付けてくれる。私も何度も助けられました。……無事に帰還させることが出来なくて、本当に……申し訳ございませんでした」

 

 深く頭を下げる神代に、母は儚く微笑んだ。

 

「あの子、家に帰って来るといっつも神代さんのことばかり話してたんですよ。口を開けば『エリスは凄い、エリスは凄い!』ってね。……ダンジョンでの出来事は、あまり話したがらない子でしたけど。神代さんの話題だけは別だったみたいで。本当に楽しそうで……誇らしげでしたから」

 

「…………」

 

 神代の背筋が震える。伝った涙がぽたりとひとつ、足元へと落ちた。

 

「わ、私はっ……!」

 

「だから、ご自身を責めないでくださいね。貴方がいたことが、あの子の救いだったんですよ。……桜子の友達でいてくれて、本当にありがとうね。神代さん」

 

「……うっ……うああっ……!」

 

 責務を果たせなかった自分が、遺族の前で泣く資格などありはしない。そう胸に誓っていた神代の決意は、音を立てて崩れ去った。泣きじゃくる神代の肩を、それでも母は優しく抱きかかえ、包み込んだのだった。

 

 ――――

 

 ダンジョンが観測されて早三十年。世界は幾分落ち着いたように見えて、その実、常にどこかが歪んでいた。人類共通の敵が現れたとしても、人は未だに分かり合うことが出来ない。そして今この日本において、まさに歪みを生み出している存在――それは。

 

 2026年12月25日。

 

 公安本庁タワービル。公安一課ダンジョン災害対策専門室にて。

 

「茂宮さ~ん。俺もう嫌ですよ、こんなデスクワークばっかり! 俺たちの仕事って足使ってなんぼじゃないですか~」

 

「泣き言言ってんじゃねぇぞ、吉田ぁ! 無駄口叩く暇があったら一件でも多く処理しろや!」

 

「だってもう一週間以上も缶詰っすよ! なんで一課の俺らがこんな事務処理しなくちゃいけないんすか!」

 

 文句を言いながらも、吉田の手は止まらない。業務の処理速度を落とさぬままでの日常会話は、もはや慣れたものだった。普段ならば茂宮の一喝で黙る吉田だったが、今日は妙に反抗的。よほど今の状況に不満があるのだろう。

 

 茂宮はキーボードを叩く手を止め、対岸の席でしかめっ面を作る吉田へと向き直った。

 

「気持ちは分からんでもないがな。仕方ねぇだろ。年末年始はゲート絡みの通報がいつもの倍以上は来るんだ。酔っ払いどもがふざけ半分で電話してきたりな……真偽を見極めるだけでも大変なんだよ」

 

「それ許せませんよね! 虚偽の通報はもっと厳罰にすべきですよ!」

 

 腕組みをしてうんうん頷く吉田に、茂宮は苦笑した。デスクの上の缶コーヒーを手に取り、飲み口に視線を落とす。

 

「ダンジョン対策法、第三条。『ダンジョンにまつわる如何なる虚偽の申告を禁ず』だ。そこまで厳しい罰則はねぇが、大衆を煽るレベルで悪質なものは補導される。ま、今の法じゃここらが限界だわな」

 

「曖昧ですよねぇ、あの条文。あんなん律儀に守ってる人、今時いるんすかね?」

 

「さてな。曖昧だろうと何だろうと、なーんもないよりゃマシだろうよ。無秩序ってのはこえぇからな……」

 

 缶コーヒーを飲み干し、茂宮は再びモニターに向き直る。

 

「うし、さっさと片付けて帰んぞ! 三日連続で日付跨ぎたくねぇだろ?」

 

「ひぇ~! それは勘弁して下さい! ……よし、がんばろっ!」

 

 吉田はひとつ伸びをして気合を入れ、書類の束と格闘を再開した。そのとき――

 

「茂宮少佐。少々宜しいでしょうか」

 

「ん?」

 

 斜め後方からの呼びかけに、茂宮が振り返る。

 

「お勤めご苦労様です、少佐。突然すいません。少しばかりお時間を頂けないでしょうか?」

 

「……そいつぁ、別に構いませんが……」

 

 茂宮の目の前には、白を基調としたコートをまとう男の姿。公安でその服を許される者は限られている。

 

(【執行部隊】の連中が一課のオフィスまで降りて来るなんて、珍しいな……)

 

 突然の事態に茂宮の警戒心も上がり、無意識に身構えた。

 

「では、早速ついて来てください」

 

 白コートに促されるまま、茂宮はオフィスを出る。エレベーターに乗り込むと、男はICカードをかざしてボタンを押した。

 

「お、おいっ!! 待ってくれって! 七十七階って、あの人の部屋じゃねぇか……!」

 

「ええそうです。桐生様が、少佐に少しばかりお話があるとのことでして」

 

「おいおい! そういうことは最初に言ってくれって! 桐生さんに会うなんて、心の準備が出来てねぇよ!」

 

 冷や汗が背中を伝う。エレベーターはもう動き出していた。

 

 四十。

 五十。

 六十。

 

 そして七十七――最上階だ。

 

 扉が開くと、長い一本道の通路が伸びている。道を歩きながら、茂宮は必死に身なりを整えた。通路の終わりでは、ひっそりと佇むドア。白コートがノックをすると、中より壮年の男の声が返った。

 

「入り給え」

 

 部屋に足を踏み入れた瞬間、茂宮の全身を鳥肌が満たす。

 

「よく来たね、茂宮少佐。こうして直接顔を合わせるのは久々かな?」

 

 中央に鎮座する大きなデスク。そこに坐する男こそ、この部屋の主だ。視線を向けられただけで、茂宮の背筋はピンと伸びた。

 

 桐生(きりゅう) 正臣(まさおみ)

 それは公安が保有する最高戦力にして――『剣聖』と呼ばれる、稀代の剣豪であった。

 

 白コートが退出し、重い扉が閉まる。広い空間に、時計の音だけが静かに反響した。左右の壁には、古今東西のあらゆる武器が整然と並ぶ。そして部屋の奥。ガラス張りの窓からは、東京の夜景が一望出来た。

 

 茂宮はカチコチとぎこちない動きのまま、机の前まで進み一礼する。その様子を見て、桐生は乾いた笑いを漏らした。

 

「そうかしこまらないでくれよ。お互い公安一課で切磋琢磨した仲じゃないか。長い付き合いだろう?」

 

「よして下さい、いつの話をしてるんですか! 貴方はもはや殿上人だ! ご自身の立場をもっと自覚して下さいな」

 

「相変わらずつれないね。『剣聖』などと言う称号を賜ってから、皆の態度ががらりと変わってしまって、寂しい限りだよ。飲み会の席でも、私ばかりをのけ者にしているだろう? こう見えて、結構傷付いているのだぞ?」

 

「貴方が来たら他の奴らが委縮して、飯食えなくなるでしょうがっ!!」

 

 必死の弁明を行う茂宮に、桐生はクスクスと笑いを噛みしめた。そして表情を戻し、改めて茂宮へと向き直る。

 

「本題に入ろう。ここ三ヶ月あまり、東京都内のブルーゲートが異様な速度で攻略されているのは、君も知っているね?」

 

「ええ、それは勿論。九月の新宿イエローゲートでの一件以来、目に見えて攻略スピードが上がってましたね。ギルドの奴ら……これまではブルーゲートなんてほとんど見向きもしなかった癖に。ゲートが発見されてからも、数か月は放置するのがザラでしたよね? ……帝国ギルドの大打撃を受けて、ようやく奴らも重い腰を上げたって所でしょうか」

 

 茂宮は眉を潜めながら頷く。その脳裏には、ここ数ヶ月で攻略されたゲートの一覧表が浮かんでいた。考え込む茂宮を見やりながら、桐生は唇を吊り上げた。

 

「……その件なんだがね。実は世間で公開にされている事実は、全て真っ赤な嘘なんだよ」

 

「……はい?」

 

 茂宮の顔が間抜けに固まる。

 

「公には『ギルドがブルーゲートを攻略した』ということになっているが、実際は違う。ほとんどのゲートはたった一人の男――彼の手によって攻略されたんだ」

 

 桐生は机の上の写真を取り、茂宮の目の前へと突き付けた。そこに写された人物の姿に、茂宮は息を呑む。

 

「み……御剣っ……!! 御剣じゃねぇか……!」

 

 思わず手が震え、視界の端がじわりと暗くなる。その反応を見て、桐生は目を細めた。

 

「なっ……何で、御剣が……? どういうことなんですかっ、桐生さん!!」

 

「どうもこうも無い。ここ数か月で、公安が掴んでいた幾つかのゲートが、いつの間にか消失していた。しかもギルドに確認を取ってみても、彼らは関与していないというじゃないか」

 

 桐生は淡々と続ける。

 

「街中の監視カメラをさらったさ。そして……この男の存在に辿り着いた」

 

 写真の御剣を指差し、茂宮と視線を合わせた。

 

「少佐。君からは以前に報告を受けていたね? 渋谷でのブルーゲート。たった一人でダンジョン入り、ボスを討伐。報酬も受け取らずに、その場を立ち去った男がいたと」

 

 徐々に繋がる符号。無報酬でダンジョンに潜る探索者など、他にはいないだろう。茂宮の目が大きく見開かれる。

 

「私はね、この写真を見た瞬間に感じたのだよ。ここに写っている男こそが、君の出会った例の『狂人』なのだとね。そして今の君の反応で、それは確信に変わった」

 

「待ってくれ……! 待ってくれ待ってくれ……ちょっと待ってくださいよ! じゃあなんだ!? ここ最近のブルーゲートの攻略は、御剣が全部一人でやってたって!? そういうことなんですか!?」

 

「全部という訳ではない。だがギルドより動きが早いのは確かだね」

 

 茂宮は絶句した。

 

「公安は……そのことを世間に隠してるんですよね……! 事実、俺だって何も知らなかった!!」

 

「真実を知る者はごくわずかだ。混乱するからね。そもそも記録にどう残すんだい? 『はぐれ探索者、御剣 一真の功績』とでも書くのかね? ……これは異例の事態なのだよ、少佐」

 

「いや……でもよぉ……! おかしいだろっ、こんなの……!」

 

 敬語が剥がれ落ち、茂宮の素が出る。桐生はそれを咎めることはせず、静かに告げた。

 

「改めて、君をここへ呼んだ訳を話そう。茂宮少佐、公安内でこの男と最も接点があるのが君だ。彼を探し出し、私の元まで連れて来て欲しい」

 

「いやいや、こちとらまだ色々と聞きたいことがあるんですけどっ!」

 

「これは私直々の極秘命令だ。全てにおいて優先される。憂いは無いよ」

 

「……っ、まあ命令っていうなら聞きますがね。どっちにしろ、足は必要ですよ。俺が信用出来る人間にだけ、このことを話しても構いませんか?」

 

「好きにするが良い」

 

「……了解です」

 

 驚愕の真実を未だ消化しきれぬ茂宮であったが、既にその脳内では御剣捜索のプランが動き出していた。退出する間際、茂宮は背中越しに問うた。

 

「……桐生さん。貴方、御剣をどうするつもりなんですか?」

 

 桐生は視線を落とし、写真を見つめて微笑む。

 

「無能力者なのだろう、彼は? 親近感が湧くじゃないか……フフフッ」

 

 そう語る桐生の口元は、まるで少年のように綻んでいた。




 ――――用語一覧――――

【執行部隊】
 公安における、ダンジョン攻略のプロフェッショナル集団。『剣聖』桐生 正臣の傘下に置かれ、団員は皆が白いコートに身を包み、卓越した戦闘能力を誇る。特隊だけでは解決が困難なイエローゲート以上の案件に介入し、ダンジョンを攻略へと導く役割を担っている。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。