靴を脱ぎ捨て、薄い床板を踏みしめる。今日のダンジョンは予想以上に手こずった。普段ならば問題なく捌けるようなモンスター相手に、幾度となく被弾。ヨプの葉を全身に塗りたくっての帰還となった。
(……傷の回復は出来ても、疲労までは取れないってか)
連日の無理が祟っているのかもしれない。魔道具『落葉椿』が手に入ったことで、ダンジョン攻略の効率は目に見えて向上した。とは言え便利な反面、肉体への負担が増えたのも事実。こういう日は体を休めるが吉だ。
という訳で――
「やっぱエクレアだわな!」
レジ袋をかさかさと漁り、中から『黒い稲妻』――至上最強のスイーツを手に取った。
ミニ○トップが近場にない俺のボロアパート。普段から少しお高いスイーツばかりを選んでいるせいもあってか、そこらのコンビニスイーツじゃ満足できない程に、俺の舌は肥えてしまっていた。だが唯一、このエクレアだけは別である。
何と言っても、まず見た目が良い。チョコレートでコーティングされた上側と、ふんわりシュー生地が絶妙な比率でブレンドされた造形美。口に入れた瞬間にパリッとチョコが砕け、柔らかな生地と、中のカスタードが混ざり合う。まさに至福の時間。
シュークリームとは違って、中身が外に飛び散りにくいという点も評価ポイントだ。ファ○マの『たっぷりクリームのWシュー』は絶品ではあるが、かぶりつくと中のクリームが飛び出してしまうのが玉に瑕。袋にべっとりと付着したクリームの残骸を舐め取る、あの惨めさと言ったら。筆舌に尽くし難い。
「~♪ ~~♪」
冷蔵庫からパックの野菜ジュースを取り出し、机の前へ。袋を開けて、いざ実食――
ぴんぽーん。
「…………」
インターホンが鳴る。
(誰だよ、俺の至福を邪魔をする奴は……?)
無視を決め込もうと思った刹那――
ぴんぽーんぴんぽーんぴんぽーん!
無慈悲な連打だ。ふざけやがって……
俺はエクレアを袋に戻し、仕方なしに扉を開けた。
「どちらさんですか?」
師走の冷たい空気が、室内へと流れ込む。そこにいたのは――
「よ……よぉ、御剣…… その……久々だな……」
「……し、茂宮……!」
意外過ぎる訪問客だった。茂宮はばつの悪そうな表情を浮かべながら、視線を合わせようとしない。
「どうしたんだよ、茂宮。なんで俺の家に……?」
「……御剣、その、だな……」
歯切れの悪い返答だ。茂宮はコートの内側で身をよじり、ぶるりと震えた。外で話すには厳しい季節だろう。
「とりあえず、中に入るか?」
「……おう」
部屋の中に入ってからも、茂宮の肩はわずかに震えていた。あの日の恐怖が、まだ残っているのだろうか? 無理もない。一方的に別れを告げて立ち去ったのだ。正直、二度と会うことは無いと思っていた。
二人で机を囲んで胡座をかく。俯き気味の茂宮に向かって、俺は問いかけた。
「それで? 何しに来たんだ。……と言うより、良く俺の住んでる場所が分かったな?」
「……ま、仕事柄な。そういうのは得意なんだわ」
「公安一課だったか? この時期は忙しいだろ? 色々と」
「……まあ、な……」
静寂が横たわる。会話が続かない。
「……長くなりそうなら、食っても良いか?」
「……? 食うって、何をだよ?」
俺は机の上に放置された袋を指差す。
「エクレア」
「エク……は……?」
生地にかぶりつく俺を見て、茂宮は一瞬放心した。
「旨いっ……! カスタードは人類の叡智だな」
口に残る甘みを野菜ジュースで流し込む。茂宮は呆け面で一連の動作を見守った。そして、プッと笑いが漏れる。
「あっはっはっは! んだよそれ……! おめぇはほんとに面白れぇ奴だよ。御剣!」
さっきまでの震えは、いつの間にか消えていた。
「あーっ、くっそ!! 辛気臭ぇのは止めだな、止めっ!」
頭をがりがり掻くと、茂宮は改めて俺に向き直り、そのまま深く頭を下げた。
「御剣っ! あの時はすまんかった!!」
「……何のことだ?」
茂宮がガクッと体勢を崩した。別にとぼけたつもりはない。だが謝罪を受ける理由については、本当に思い当たる節が無かったのだ。
「……なにって、渋谷ブルーゲートでの一件だよ! お前に……銃口を向けちまったじゃねぇか…… 我ながら呆れるぜ。命の恩人相手に、あの態度はあり得ねぇってな……!」
「なんだ、そんなことか。別にあれが普通の反応だろ。気にするな」
「いや、それじゃあダメだ! これは俺のけじめの問題なんだよ!」
「……面倒だな」
「面倒って言うなよ!?」
茂宮の声が勢いづく。調子が戻って来たな。
「じゃあ今度、ちょっとお高めなスイーツでも奢ってくれ」
茂宮は一瞬ぽかんとした後、フッと笑った。
「……ああ。任せとけ!」
その笑みは、あの日ダンジョンの中で見せたものとは別物だった。俺はようやく、こいつと真正面から話せるような気がした。茂宮は直ぐに表情を引き締め、声のトーンを落とす。
「……で、こっからが本題なんだがよ。お前に謝りに来たってのは、実は目的の内の半分だ」
「半分?」
「そうだ。んでもう半分は、ある『知らせ』だ」
茂宮は声を潜め、俺の方へ身を寄せた。
「御剣。お前ここ最近、ブルーゲートで暴れ回ってるだろ? 片っ端からゲートを潰してるってんで、公安の上層部がお前の動きに目を付けたんだ」
「ダンジョンが攻略されれば、公安としても万々歳だろ?」
「……まあそうなんだがな。興味を持った野郎が、ちーっとばかし曲者だ」
そこで一度区切る茂宮。待てど言葉は続かないので、こちらから促した。
「誰なんだよ、その曲者ってのは?」
「……『剣聖』桐生 正臣」
その名を聞いた途端、背筋がざわめく。口に残るエクレアの甘さが、急に遠ざかった気がした。
「桐生 正臣か……また随分と大物が出張って来たじゃないか」
茂宮は口をつぐむ。煙草を吸おうとライターに手を掛けるも、ここが俺の家であることを思い出したのか。直ぐに思い留まった。余程のヘビースモーカーだな。
「吸っても良いぞ。他の住人も普通に吸ってるからな。大家も黙認してる」
「……そうか。助かるぜ!」
にかりと笑う茂宮。しかしその笑顔は、どこか無理をしているようにも見えた。よく見れば目の下のクマが濃い。この時期の公安は激務だ。一服ぐらいさせてやっても、罰は当たらないだろう。
茂宮は遠慮気味に煙を吐き出すと、改めて俺に向き直った。
「んでな。その皆のヒーロー『剣聖』様が、お前に興味が湧いたんだとよ。ぜひ会いたいって言ってるんだが……どうだ?」
「桐生が、俺に……?」
桐生は公安における最高戦力――公安のトップに位置すると言っても差し支えない男だ。ギルドと違って、公安は一般市民との連携も強固。中でも桐生は日本国における『力』と『正義』の体現者。カリスマ的な人気を誇る。
そんな男が、わざわざ俺みたいなはぐれ探索者に会いたいと言うじゃないか。いったい何の思惑あっての事だろうか?
「……正直、面倒な予感しかしない。出来れば遠慮したい所なんだが……」
俺の返答を受け、茂宮は渋面を作る。
――が、それも一瞬だった。
「まあそう言うと思ったよ。そもそもお前、ダンジョンに潜ること以外に、なーんも興味なんてなさそうだからな。……けどな御剣。この話は、お前にとってもわりかし悪くねぇ条件付きだと思うぞ――」
「条件? どういう意味だ?」
続く茂宮の言葉を聞き、俺は公安本庁へと向かうことを決心したのだった。
――――
翌朝。
「ひぇ~さびぃ! 雪降ってやがるじゃねぇか!」
「茂宮さ~ん…… 俺たち、いつになったら休み貰えるんですかね……」
「ゲートの発生さえなければ、三が日はゆっくりできると思いますよ。ゲートの発生さえ無ければ……ですが」
「繰り返さないで、葵ちゃん!! フラグに聞こえるから、それっ!」
玄関先でわいわい騒ぐ茂宮ご一行、計三名。茂宮の他に若い男――この男は渋谷のブルーゲートでも見かけたな。茂宮から事前に名前を聞いていた……確か吉田と言ったか。そしてもう一人。葵と呼ばれている、黒ぶち眼鏡の女。彼女も茂宮の部下だろうか?
「おおっ! 来たな、御剣ぃ!」
階段から降りてくる俺を見て、茂宮が手を上げる。隣の二人も俺へと目線を合わせた。先ず駆け寄って来たのは吉田だ。
「御剣さん、お久しぶりですね! 俺のこと覚えてますか? ほら、あの時ブルーゲートにいた」
「吉田――」
名前を呼んだ瞬間、吉田の目が光った。
「覚えててくれたんですね! いやー嬉しいなあ! 改めまして、俺の名前は吉田 順平です。公安一課で、茂宮さんの下についてます! あの時は碌なお礼も出来ずにすみませんでした……! 俺、動揺しちゃってて……」
距離が近い。
声がデカい。
テンションが高い。
「……は、はあ……?」
一人勝手に盛り上がりまくし立てる吉田に、俺は間の抜けた相槌を打つので精一杯だった。
「あの後茂宮さんから聞きましたよ! 御剣さん、ボスを一人で倒しちゃったんですよね!? 凄すぎますって!! ブルーゲートを単独で攻略出来る探索者なんて……B級……いやもしかしたら、A級クラスなんじゃないですか!? 凄いなあ……」
「……ま、まあ、ほどほどに……?」
ほどほどってなんだよと、自分で言ってて突っ込みたくなる。吉田は目を輝かせながら、更に詰め寄って来た。
「茂宮さん、ずーっと浮かない顔してたんですよ! 御剣さんと会うの気まずそうだったんで、心配してたんです。でもこの様子ならもう大丈夫ですね! いやぁ良かった良かった!」
なるほど理解した――苦手な人種だ。
「吉田伍長。積もる話はあるでしょうが、少しは自重して下さい。御剣さんが困っておられますよ?」
吉田の猛攻を遮るように、目の前に現れた女。
「お初お目にかかります。私、
姿勢が異様に良い。呼吸のリズムすらも一定で、無駄が無い。見たところ年齢もかなり若いな。俺より二つ三つは年下だろう。それでもう大尉か……優秀だな。
「……御剣 一真です。よろしくお願いします……」
「…………」
気まずい沈黙。こちらから喋れということか?
「あの……葵さんはいったい――」
「自己紹介は済みました。これ以上の会話は非合理的です。早く先に進みましょう」
――こいつも苦手な人種だな。
「うしっ! 互いの紹介も終わったみたいだし、そろそろ行くか! 本庁まで!」
茂宮の号令を皮切りに、俺たちは雪の積もる地面を進んで行くのだった。
――――
公安本庁は思っていたよりも静かだった。雪を踏む音だけがやけに大きく響く。建物の前には警備車両が数台、いつ何時でも現場へ急行できるようにスタンバイされていた。
「……相変わらず、年末は空気が重いな。ピリついてやがる」
茂宮がぼそりと呟く。吉田も、さっきまでの軽口が嘘のように黙り込んでいた。そのまま受付を通ると、廊下の奥で数名の職員が一斉に姿勢を正す。空気がひやりと沈むのを感じた。
「……来るぞ」
茂宮の声がかすかに震え、吉田と葵の背筋が糸を引くように伸びる。近づく足音。規則正しく無駄がなく、氷上を歩くような静謐さ。
「……御剣 一真君だね」
姿を現した男は、テレビで見るよりも若く思えた。低く通る声。たった一言で、肺の奥が冷えて行くのを実感する。茂宮が隣で喉を鳴らす音が聞こえた。
桐生 正臣。
『剣聖』の異名を持つ、公安最強の光の執行者。
その視線が、真っすぐ俺に向けられた。皮膚が総毛立つ。
「急に呼び出したりして済まなかったね。会いたかったよ。君のことがずっと気になっていたんだ」
桐生は一歩、俺に近づいた。その歩みで、空気がわずかに振動する。桐生の右手には銀色のアタッシュケース。無機質な光がよく似合っていた。
「御剣君。早速だが、君に頼みたいことがある」
「……内容次第ですが」
「ここでは話せない。ついて来てくれ給え」
桐生は踵を返し、エレベーターへと向かう。ICカードをかざすとその行き先は、なんと地下。
「……マジかよっ! いきなりそっちに行くのか……!」
茂宮が小声で呟く。葵は無言のまま、眼鏡の奥で目を細めた。
エレベーターが降下するにつれ、胸の奥がざわつく。何か巨大な物が、俺を呼んでいるような感覚。桐生が静かに告げた。
「この先にある物は……君のこれまでの常識を覆すだろう。きっと気に入ってくれるはずだよ」
エレベーターが止まる。扉が静かに開き、冷たい風が吹き抜けた。
「――では、行こうか」